新しい年が始まりました。
日本ではたくさんの人が初詣などに出かけ
1年の中では1番神様について考える時かもしれません。
では、多くの人は神様に対してどういったイメージを持っているでしょうか?
いるかもしれないけれども、遠い存在だろうと思う人もいます。
知りたいと思っても多くを知ってはいけない
秘密のベールに包まれているイメージかもしれません。
聖書の神エホバはそのような方でしょうか?
「希望を抱いてエホバを待ち,神の道にとどまれ。
神はあなたを重んじて地上に住み続けさせてくださる」。
(詩編37:34)
エホバは私たち人間を価値のあるものとして見ておられるということです。
地上に住み続けてくださるとあるように、
私たちが生き続けることができるよう意識的に行動してくださいます。
エホバは人間に愛や関心を抱いておられるとても身近な方と言えるでしょう。
エホバは何事も愛をベースとして行われますので、
人間をどんな教えるよりも優れていて、
その道に留まる人は充実感や安心感を得ることができます。
しかし今の世の中は、自分中心の考え方、
お金や物を重視する傾向、人種差別や性的不道徳、
憎しみや怒り、偏見から生じる暴力が蔓延していて、
愛をベースにしたエホバの教えとは真逆のものが蔓延っています。
そのような傾向に逆らってエホバの教え通りに生きるのは、
確かに簡単なことではないでしょう。
それでもそうするだけの価値があるのでしょうか?
今日は、エホバの教えに従うと
なぜ良い結果になるのかという点を考えてみたいと思います。
まず、聖書の中では神は全てのものを創造されたとあります。
エホバが造ったものを見ると、どんな方かがわかります。
「神について知り得る事柄は,彼らにもはっきり示されているからです。
それを示したのは神です。
神の見えない性質は,世界の創造以来明らかです。
造られた物を見れば,神が永遠に力を持っていて,
確かに神であるということが分かります」。
(ローマ1:19,20)
言うまでもなく、神が創造されたものは無限と言えるほどの数に残ります。
その中で今日は2つの点について考えてみましょう。
まずは人間の体の仕組みです。
人間を含む様々な生き物が、食物を体内で
酸素の助けを得てエネルギーに変えて生き続けることができています。
食べたものは、消化液などによって吸収されやすい形の養分に変えられます。
塩分はブドウ糖に、タンパク質はアミノ酸に、
脂肪は脂肪酸とグリセリンに変化します。
ブドウ糖やアミノ酸、脂肪酸は小腸の壁を通して吸収されて
肝臓に運ばれていきます。
肝臓はこれらの一部を作り変えて血液中に流したり、
また多い時には蓄えておきます。
激しく運動してエネルギーが不足すると、
エネルギーのもとになるブドウ糖を血液中に溶かし出して
血液の中の養分の濃さを調整します。
そして余った養分は脂肪に変えて体に蓄えられます。
肺で取り入れた酸素とか、養分を溶かした血液は、
心臓というポンプから全身に送り出されます。
太い血管から網目のように広がった毛細血管まで隈なく供給されていきます。
人間の全ての血管を繋げるとどのぐらいの長さになるでしょうか?
10万km、つまり地球2周半の血管が1人1人の体の中に収められているのです。
この驚くべきサイクルは何の音を立てることなく、
静かにでも確実に私たちの体の中で毎日繰り返されています。
私たちが意識しなくても、それは繰り返されて私たちの生命を維持しています。
そう考えてみると、とても驚くべきことと言えるのではないでしょうか。
神の力の表れと考えるのはごく当然のこと、道理にかなったことと言えます。
もう1つ、私たちを取り巻く物理的な法則について考えてみましょう。
様々な法則によって、私たちは地球上で安心して暮らすことができます。
引力のおかげで、私たちは地上で安定して暮らすことができています。
地球の中心にこう引っ張るその力は、ちょうどよい強さで、
日によって変わることはなく常に安定しています。
また、私たちが吸っている酸素もその引力があるおかげで、
宇宙に拡散されずに地球の表面にとどまることができています。
引力の強さは星によって違いますし、公転や自転の速度も違います。
でも絶妙なバランスが保たれて、宇宙は一定の法則の上に成り立っている
と結論づける科学者が非常に多くいます。
私たちは安定した引力のおかげで、明日は月が落ちてくるかもしれない
と心配になって眠れないということはありません。
実はこの引力のメカニズムはまだほとんど知られていないそうです。
なぜ中心に引っ張るその力があるのかということは、
ただそこに存在しているというその事実を受け入れるしかないと、
現段階では多くの科学者が言っています。
人間の体とか地球上の法則などを考えると、そこにはエホバの無限の力とか、
人間や生物に対するエホバの愛や関心が表れていると言えるでしょう。
そのようなエホバが何か私たちに教えているのであれば、
私たちはそこから多くの益を得られるはずです。
エホバは確かに聖書を通して私たちに語りかけてきます。
これからその点を考えてみたいと思います。
日常生活に当てはめることができる点がたくさんありますが、
夫婦へのアドバイスも聖書に含まれています。
「夫は自分の体を愛するように妻を愛するべきです。
妻を愛する人は自分を愛しているのです」。
(エフェソス5:28)
夫は自分を愛するように、妻を愛しなさいとあります。
文字通りの体も私たちは大切にしますが、
それも含めて健全な自尊心を養うことをここから読み取ることができます。
自分を正しく評価する愛することの必要性を教えています。
育った環境などの影響で、
自分は取るに足りない人間だ自分は生きてる価値がないんだ
というネガティブな気持ちに苦しんでいる人は少なくありません。
それ故に自分とか会う人をどう愛していいのか分からないという人もいます。
エホバはご自分から愛を与えてくださいました。
それはご自分を信じている人だけに限定されたものでなく、
全ての人間に平等に愛を示しておられます。
生きるために必要なもの、楽しさや感動を味わえるような体の仕組み、
そして地球という素晴らしい環境をすべての人に平等に与えておられます。
自分を変化させるというのはとても大変なことです。
でも、エホバの教えによって自分を変化させて、
その愛の示し方に関してエホバに見習うならば、
夫婦の絆を深めていくことができるに違いありません。
聖書は子供の育て方についても述べています。
「私が今日命じるこれらの言葉が
あなたの心に入っていなければなりません。
あなたはその言葉を自分の子にしっかり教え,
家で座るときも,道を歩くときも,寝るときも,
起きるときもそれについて話さなければなりません」。
(申命記6:6,7)
7節には親はエホバの教えを自分の子に教えるとあります。
6節によると、まず親の心にエホバの言葉が入っていなければなりません。
エホバは、親がまず聖書の教えを把握して、
その上で子供に教えることを望んでおられます。
エホバの原則をよく考えて生活に反映させて、
エホバの指導を実体験として感じるならば、
エホバの存在や教えの正しさを親がまず確信することができます。
親が納得する必要があるように、教えを受ける子供も納得する必要があります。
親は、言葉だけではなく生き方でエホバの教えの有用性を示すことによって、
子供自身も納得した上で正しい選択ができるように助けることができます。
「あらゆる悪意,怒り,憤り,わめき,暴言など,
一切の有害な事柄を捨て去ってください。
親切な人になり,温かい思いやりを示し合い,
神がキリストによって寛大に許してくださったように,
寛大に許し合いましょう」。
(エフェソス4:31,32)
感情をコントロールすることをエホバは望んでおられます。
でも今の世の中は、自分の利益のためなら平気で嘘をつく人、
与える影響を考えずに感情を爆発させてしまう人が
非常に多いと言わなければなりません。
他の人の親切を示したいと思う人はたくさんいると思います。
でも、親切心を自分の都合の良いように利用する人が多いために、
そうすることを控えてしまう人もいるでしょう。
エホバはご自分の教えを当てはめる人の行いを記憶して祝福してくださいます。
ですからエホバの教えを実践する人は、人間の反応ではなくて
エホバがどう感じるかということに集中して考えることができます。
世の中の傾向に流されることなく、正しいことを行い続けることができます。
エホバの教えから十分に益を得るには、
その教えが含まれている聖書をよく学ぶことです。
まずエホバは私たちを愛し、
近づいてくださったことに心から感謝することができます。
仮に、エホバは人間にそれほど関心がなく、
私たちの側から近づかなければならないとしたら、
親しくなることは不可能でしょう。
「以前に書かれた事柄は皆,私たちを教えるために書かれました」とあります。
(ローマ15:4)
したがってエホバが人間に対する関心を持っていないとしたなら、
聖書が書かれることはなかったはずです。
聖書がなければ、エホバについて学ぶことができないだけではなく、
その方の存在にすら気付くことができなかったでしょう。
聖書があるということそのこと自体が、
エホバは人間を愛してくださっていることの揺るぎない証拠と言えます。
エホバは聖書を天使に書かせることもできたはずです。
しかし、人間より遥かに知識とか経験とか力がある
完全な天使たちの観点で聖書が書かれていたとしたら、
不完全で時折失敗して罪を犯してしまう人間が、
その内容にどこまで共感できるでしょうか。
エホバは人間に聖書を書かせ、
あらゆる立場、階級の人がその筆者として選ばれました。
教育を受けた人もいれば、ほとんど受けてない人もいました。
そのような不完全な人間を用いて書きましたので、
聖書は聖なる力の導きで書かれていながらも、
非常に人間味がプラスされている書物となっています。
おかげで私たち人間が十分に共感して理解できるものになっています。
そのような方法で聖書のエホバが備えてくださったということは、
聖書を通してご自分のことを知ってほしい、
ご自分の教えから益を得てほしいという強い願いを
エホバご自身が持っていることの紛れもない表れです。
ですから、聖書を調べるならエホバを知ることができます。
エホバともっと親しくなれると確信することができます。
そのようにして、エホバについて学んで親しくなって良い関係を
楽しむことができるようになると、その幸せな関係を
他の人にも味わってほしいという思いが湧いてくると思います。
ですから、私たちはエホバから教えられて、
それを他の人に伝えるということもしていきたいと思います。
「エホバに感謝し,神の名を呼べ。
神の行いを人々に知らせよ」。
(詩編105:1)
皆さんは聖書を学んで、その益というものを十分に感じ取っていることでしょう。学ぶだけではなく、エホバはその人と太いパイプで結びつくことを願っておられて、祈りという方法を設けてくださいました。
エホバと親しくなるために祈るということがとても大切ですし、
それを設けてくださったエホバに感謝することができます。
「民よ,いつでも神に頼れ。
あなたの気持ちを全て神に伝えよ。
神は私たちの避難所」。
(詩編62:8)
エホバと親しくなるためには、エホバに頼ることです。
祈りによって自分の気持ちを全てエホバに伝えることによって、
そうすることができます。
こんなこと祈ったら自分勝手だろうか、失礼かな、
聞いてもらえないんじゃないかと心配になることあるかもしれません。
でも心配せずに、自分の思いをさらけだすことができます。
エホバはそれを受け止めてくださいます。
私たちはエホバと親しくなるために、さらにできることがあります。
それは集会に出席することです。
クリスティーナという女性は次のように語っています。
夫は結婚して20年後に突然彼女の元を去りました。
クリスティーナは18歳から7歳までの息子7人と娘1人を
女手一つで育てることになりました。
重要な決定を全部自分でしなければなりませんでした。
責任が重くのしかかるのを感じ支えや導きを切望しましたと。
必要な助けをどこに見出すことができたでしょうか?
クリスチャンの集会は私と家族にとって命綱でした。
クリスティーナは集会で友人たちに支えられ、
神の言葉からの指導を得ることができたと強く感じ、
定期的に出席することによって
家族生活のあらゆる重要な面で助けられましたと述べています。
あるクリスチャンは次のように話しています。
日中ずっと学校にいて神経が擦り減ってしまいます。
でも、集会は砂漠の中のオアシスのようです。
そこで元気づけられるので学校でまた1日なんとかやっていけるのです。
別の若者は、エホバを愛している人たちとの親しい交流は、
いつもエホバの近くにいるための助けとなっていますと述べています。
集会に集まっているのはどのような人でしょうか?
エホバの教えを生き方に取り入れようと努力している人、
そうすることによって得られる良い結果を実感している人と言えるでしょう。
またエホバについて関心があり、これからエホバについて
多くを学ぶ人たちも交わっているに違いありません。
では同じエホバの教えを取り入れたいと思っている、
同じ価値観を持っている仲間がいるところに身を置くならば、
そのような仲間からの助けを得ることができると考えるのは理にかなっています。
重要な点としてエホバは、そのような同じ聖書を学ぶ仲間を通して、
助けや指導、教えを与えることもエホバの方法の1つであるということです。
それを忘れないようにしたいと思います。
エホバは祈りの答えを、
会衆の仲間を通して与えてくださることも非常にたくさんあります。
では、私たちはできる限り集会に出席していきたいと思います。
https://www.jw.org/finder?wtlocale=J&docid=1011229&srcid=share
今日は神への神の教えの通りに生きるならば、
どのような良い結果が得られるかについて考えました。
エホバは全ての人に、世の中の風潮に流されずに
エホバの教え通りに生きるよう勧めています。
「非難されるところがない生き方をする人は幸せだ。
その人はエホバの律法に従って歩む。
神の教えを守る人は幸せだ。
その人は心を尽くして神を探し求める。
不正を行わず,神の道を歩む」。
(詩編119:1-3)
エホバに従うなら、自分を周りの人も幸せにすることができます。
エホバ神が永遠の神であるのでその幸せも永遠に続くものとなります。
エホバは私たち人間を含めた全てのものを創造し、
人間が命を維持するために必要なものを、
私たちの体の中そして私たちの住む地球に備えてくださいました。
聖書を通して自分の貴重な教えを与えてくださっています。
祈り、集会といったご自分と私たちを繋ぐ経路を設けてくださいました。
この事実を考えると、エホバの教え通りに生きるならば
良い結果を得られるという結論に行きつくのではないでしょうか。
では、これからもエホバの教えを取り入れることに勤勉になって、
エホバとの良い関係をさらに築いていくことにいたしましょう。