愛と信仰があれば強くなれる

皆さんは強い人と聞くとどんな人を思い浮かべますか?

サムソンのような腕っ節の強い人かもしれません。

あるいは、ダビデのように次々と戦に勝利していく支配者や王のことを思い浮かべるかもしれません。

ですから、イエスについて強い人と聞くと意外に感じるという方もいらっしゃるかもしれません。

イエスは弱々しい姿で 絵に描かれたりするからです。

しかしイエスは地上での活動の終わり頃、次のように宣言されました。

「これらのことを言ったのは,

あなたたちが私によって平和な気持ちになるためです。

あなたたちは世で苦難に遭いますが,勇気を出しなさい!

私は世を征服したのです」。

(ヨハネ16:33)

イエス・キリストは、ご自分が世を征服する強さを持つ方であることを宣言しておられます。

どんなに攻撃を受けても動じない人であったり、目的を達成するまで、粘り強さや信念といったものをしっかりと貫き続けられる人に対して、本当に強い人と表現したりするのではないでしょうか。

イエスは、この世を支配している悪魔サタンの影響力に決して屈することのない強さを発揮されました。

実際サタンはイエスに対して何の力もなかったと言うことができます。

サタンは、イエスが地上で人間となられた時に、エホバではなくて自分を1番に愛するよう誘惑するチャンスだと感じ食欲をはじめとする欲求のままに行動するよう誘惑しました。

けれども、イエスはそれを即座に退けられました。

続いて自分を目立たせたり、地位や権力を得ること、エホバ以外のものを崇拝するように誘惑しましたが、これもイエスにすぐさは退けられました。

その後、宗教家や政治家たちを用いてイエスを追い詰めていって、活動できないように様々な画策をしましたが、これもイエスには一切通用しませんでした。

ですからイエスは、この世界を支配していた悪魔という強い存在に対して完全に征服する強さを持っていたということができます。

イエスがこのように父であり神であるエホバに忠誠を保って仕え続け、任されたことをしっかりと最後までやり遂げることができる強さを持つことができたのは、エホバへの揺らぐことはない愛と強い信仰があったからです。

ですから私たちも、エホバへの愛と信仰があれば、必ず強い人となれるということができます。

イエスは、その歩みに習いたいと願う全ての人にとって、素晴らしい手本を示してくださいました。

世を征服されたイエスは、ご自分の弟子となる人たちがもっと強くなることができるように助けられました。

それはこのような理由があったからです。

「もし世の人々があなたたちを憎むなら,あなたたちを憎む前に私を憎んだということを思い出しなさい。

あなたたちが世の人々のようだったら,世から好まれることでしょう。

ところが,あなたたちは,私が世から選び出し,世の人々のようではないので,世から憎まれます」。

(ヨハネ15:18,19)

イエスの弟子となる人たちも、世の人々のようにはならない、つまりこの世界を支配している悪魔に影響されたりはしないので、憎まれたり迫害を受けることになると告げられたのです。

だからこそ、私たちは強い人となる必要があるのです。

イエスは、まず警戒し立ち向かうべき最大の敵は誰かということについてはっきりと教えられました。

それは、目の前で敵対心をあらわにしている宗教家や政治家たちではなく、背後にいるサタンであるということを何度も告げられました。

加えて「私たちを…邪悪な者から救い出してください」と神に祈り求めるべきだということをお教えになりました。(マタイ6:13)

これは悪魔、そして悪魔に従う邪悪な者たちも非常に強い存在であって、神に助けを求める必要があるということを教えてあげたわけです。

イエスはご自身でも、殺害者たちに拘束されるその直前まで、「どうか弟子たちを守ってくださいますように」と何度も祈られました。

ですから、しっかりとこの世にあって強さを示していくには、エホバに祈り求める必要があるということを覚えておく必要があります。

さらに、最も重要で大切なことはなんですか?と聞かれた時に、イエスは神エホバを愛することと、隣人を愛することというこの2つの愛についてお教えになりました。

「私はあなたのお名前を彼らに知らせました。これからも知らせます。

あなたが私を愛してくださったように彼らが愛を示し,私が彼らと結び付いているためです」。

(ヨハネ17:26)

エホバがイエスを愛されたように私が人々にそれを示しているとおっしゃったということです。

イエスがそのような教え方をされましたので、イエスを通して、人々はエホバがどんな方かということをよく知ることができました。

イエスは人々に接する時、その仕方が愛と思いやりに溢れたものでした。

困難を経験したり、弱い立場であったり、見下されてきた人たち、そして子供たちであっても、すぐに見つけて必要な助けをお与えになりました。

ですから人々は、神エホバも同じように、私たち1人1人に深い関心を抱いておられ、愛を持って必要な助けを必ず与えてくださるんだと知って、ますます民に引き寄せられるという結果になりました。

そのようなことを通して、人々は神に対して愛や信仰を強めることができました。

そのようにしてエホバへの愛を深めることができた忠実な弟子の1人であったパウロは、確信を持って次のように述べることができました。

「私は確信しています。

死も,生も,天使も,政府も,今あるものも,これから来るものも,力も,高さも,深さも,ほかのどんな創造物も,

主であるキリスト・イエスを通して示される神の愛から私たちを引き離すことはできません」。

(ローマ8:38,39)

パウロ自身も非常に多くの困難をすでに経験しましたが、これから来るどんなものも、神の愛から自分を引き離すことができないことを確信していました。

神との間に強い絆、つまり愛を抱いているからこそ、イエスと同じような強さを持つことができました。

そして、こう宣言することもできています。

「しかし,私たちは,愛してくださった方により,

これらのことがある中で完全な勝利を収めています」。

(ローマ8:37)

「これらのこと」というのは、パウロが経験した様々な困難のことです。

そういうことがある中でも、愛してくださった神によって自分は完全な勝利を収めることができると確信を込めて述べることができたのです。

ですから、私たちもイエスの手本にしっかりと習うならば強くなって世にあって勝利を収めることができると断言できるのです。

確かに、現代のエホバに仕えるクリスチャンも強さを示してきました。

それは世の風潮を流されない強さであり、完全に勝利を収めています。

イエスの後に従うクリスチャンがこの世にあって強くある4つの点を挙げて共に考えてみたいと思います。

1.政治や紛争に関わらないで中立であるという強さ

私たちはエホバにだけ忠誠を誓っています。

良心的に政府の指示に従いますが、神が求めることと政府の求めることが異なっている場合には、自分の支配者として神に従わなければなりません。

アダム・シンガーは、第2次世界大戦中のハンガリーでエホバの証人の活動が禁止された時に逮捕されました。でも、その時はまだ19歳でバプテスマも受ける前でした。

悪魔にとってはた易く自分の方が征服できると感じていたに違いありません。

しかしそうはなりませんでした。

投獄されて激しく殴打されましたけれども、まだ家にいた間に聖書を注意深く研究してエホバの目的をしっかりと理解したことが助けになったと述べています。

聖書からエホバについてよく知って、その方の目的をはっきり理解して関係を深めていたということができます。

ですから、釈放後に強い意志を持ってバプテスマを受けました。

https://www.jw.org/finder?wtlocale=J&docid=2003161…

また軍隊に召集されて、今度は11年の拘禁刑を宣言されました。

その後セルビアの強制収容所に移され、そこではヒトラーの配下に置かれました。

戦況が変わってソビエト軍によって解放され、やっと戻ったハンガリーでは共産主義が政権を取るようになって、エホバの証人の活動を禁止しました。今度は8年の拘禁刑を受けたのです。

ですから、この兄弟は3つの国や政権、 6つの災難、合計で23年に及ぶ拘禁刑を受けましたが、そのすべてを立派に征服して勝利を収めることができたのです。

これは、私たちが強くなれるというたった1つの例に過ぎません。

これまで世界中でたくさんの愛するクリスチャンの仲間たちが、世に対して強さを発揮し征服を完了しました。私たちもそうすることができます。

2.身近な人からの批判や背教者からの攻撃に屈しないという強さ

身近な人の中には、家族や親族そして近隣の人であったり、職場の同僚あるいは学校のお友達も含まれるかもしれません。

そういう人から、 私たちが信じていることに対して批判を受けると、ちょっと不安だなと感じることがあるかもしれません。

でも「エホバへの畏れは人に強い確信を抱かせ,その人の子供たちにとって避難所となる」という格言14章26節の言葉通り、神が私たちの願いを聞いてくださるという強い確信と信頼を持って、私たちはエホバに力を祈り求めます。

イエスも強い圧力を感じたことがありましたが、その時すぐエホバに力を祈り求めて、そして立派に征服を成し遂げられました。

私たちにも必ず神は力を与えてくださると確信することができます。

是非そうしてまいりましょう。

3.広く見られている勝手気ままで自分第一の考え方に影響されないという強さ

パウロは、エフェソスのクリスチャンに対して、「皆さんは以前,今の世の体制に従って歩んでいました。人々に影響を及ぼしている空気の支配者に従って歩んでいたのです。その空気つまり精神は,不従順な人たちに行き渡っています」と述べました。(エフェソス2:2)

世の中は、自分を大切にしようとか自分の気持ちを優先しようというメッセージで溢れ返っています。

世の中は悪魔によって支配され人々にそのような影響を及ぼしているということです。

それは世界中に行き渡っていますので、まるで蔓延している空気を吸うかのように、多くの人々はその考え方の影響を受けています。

そうすると神に従うという考え方は頭の中から締め出して、もう自分のしたいことをすればいい、自分の欲望を満たすことが1番だという考え方が正しいものだと感じるようになってしまっています。

私たちはどうしたらいいでしょうか?

秋や冬が深まっていくと、体に冷たい風を感じることがあります。

そんな時多くの方は、コートの襟元をキュッと掴んで、その冷たい風が入ってこないように自分で防ぐのではないでしょうか。

この世の精神、 自分をまず大切にしようという考えの圧力を受けた時に、きゅっと防御をして、私はエホバを優先したいという思いを満たすことができます。

4.お金や物のことばかり考える生き方やただ楽しければいいという生き方をしないという強さ

SNSなどを見ると、成功とはお金やたくさんの良いもの高価なものを持っていること、いわゆるキラキラした生活をすることが人生の成功だと思わせようとしています。

エホバから教えていただいている私たちは、「裕福になろうとする人たちは,誘惑とわなに陥り,多くの無分別で有害な欲望を抱き,破滅と滅びに至ります」という警告に目を留め、こうしたことから逃げ去って、信仰の戦いを立派に戦って永遠の命をしっかりと捉える人になりたいと感じているのではないでしょうか。(テモテ第一6:9)

でももしかすると、周りとそんなに違う生き方をするのはちょっと大変だなとお感じになりますか?

大丈夫です。私たちには助けがあります!

「それで,これほど大勢の証人たちに囲まれているのですから,私たちもあらゆる重荷と,すぐに絡み付く罪を捨て,参加している競走を忍耐して走りましょう。

私たちの信仰を導き,完全にしてくださる方であるイエスを一心に見つめながら走るのです。

イエスは,前途にある喜びのために,恥を物ともせず苦しみの杭に耐え,神の座の右に座りました。

罪人たちは自分に害を招く敵対的な言葉を語り,イエスはそれを忍耐しました。

そのイエスのことをよく考えてください。

そうすれば,疲れて諦めてしまうことはないでしょう」。

(ヘブライ12:1-3)

これほど大勢の証人たちに囲まれているとあります。

先ほど紹介したシンガー兄弟のように、私たちと同じ不完全さを持ちながら、最後まで忍耐して征服した大勢の仲間がいます。

さらにイエス・キリストも立派に最後まで征服を成し遂げられました。

その模範に目を向けるならば、疲れ切ったり諦めてしまったりすることなく、私も最後まで頑張ろうという元気を持つことができるでしょう。

ぜひそのようなことを思い起こしていきましょう。

しかしながら、世界は邪悪なサタンの支配下にあります。

ですから、これからも憎しみや暴力、妬みといったものを目にするでしょう。

政治家など地位のある人やインフルエンサーが平然と嘘を語ったり、不道徳や不正を行って世の中に影響を与え続けているので、今の世は完全に悪魔の精神を反映したものとなっています。

それで、信仰がない人や神の愛について知らない人は、本当に空気を吸うようにその影響力をもろに受けることになってしまっています。

しかし、悪魔の影響力に立ち向かう強い力となるものがあります。

「神を愛するとは,神のおきてを守ることです。

神のおきては重荷ではありません。

神から生まれた人は皆,世を征服するからです。

そして,世に対する勝利をもたらすのは,私たちの信仰です」。

(ヨハネ第一5:3,4)

鍵となるものとして、神を愛することそして信仰の2つが挙げられています。

エホバを愛する人は、神が基準を押し付けるような仕方で行っているのではなく、私たちを子供のように感じ愛しているお父さんとして、あなたに1番幸せになって欲しいので、ぜひこれを守り行ってくださいと教えてくださっているので、それに喜んで従いたいと感じるようになります。

信仰を抱いていれば、人と異なっていることを恐れるのではなく、私たちの努力を見て、よく頑張ってるねとニコニコと見守りながら、 必要な助けを必ず与えてくださる神に依り頼もうという確信を持って仕え続けることができます。

そのようにして神に従い、世の風潮を流されない強さを持つ人は、爽やかな気持ちで毎日を送ることができます。

例えば、自分を傷つけるような煙草や薬物あるいはポルノなど、体と精神のあらゆる汚れとなるものを除き去って自分を清めるよう勧めてくださっている神に従うので、体を害すことなく、自尊心を高く保つことができます。

さらに、次の勧めに従うことからも多くの益を得ています。

「また,互いのことをよく考えて,愛を表し立派な行いをするよう勧め合いましょう。

仲間と集まることを怠ってはなりません。

よく欠席する人たちに倣わないようにし,いつも励まし合いましょう。

定められた日が近づいているのですから,ますますこうしたことを行っていきましょう」。

(ヘブライ10:24,25)

集会に参加する時に、信仰を強くしっかりと保っていくことができるよう今必要としている教えを受けることができます。

そこにいるのは、互いのことをよく考えて、気遣いを示し合うことのできる素晴らしい仲間です。

そのような仲間たちと励まし支え合うことができるのです。

是非、このことを益々行って参りましょう。

https://www.jw.org/finder?wtlocale=J&docid=1011229…

サタンの影響を受けた今、ますます自分のことしか考えない人が多くなっています。

でも私たちは自分のことしか考えないのではなくこの活動にあずかります。

「そして,王国の良い知らせは,全ての国の人々が聞けるように世界中で伝えられます。それから終わりが来ます」。

(マタイ24:14)

イエスが私たちに託してくださった仕事、王国の良い知らせを全ての人が聞けるようにする業にあずかります。

これは国のような大きな単位で、一通り伝えてればいいかなという仕方ではありません。

朝にも夜にも全ての人が聞けるように、自分の予定を調整してでも人々に伝えようとします。

苦手なんだよなと感じる人たちも、家から家だけでなく、店ですとか駅にも立って、この王国を宣べ伝えています。

これは確かに努力の求められることです。愛がなければ続けていけるものではありません。

でもエホバと人々を愛しているのでそうするとき他の人のために働く幸せをさえ味わうことができているのです。

ですから私たちは、エホバが教えてくださった通り受けるより与える方が幸せって本当なんだなと感じながら、喜びのうちに神に仕えることができています。

悪魔の支配する世の中の風潮に合わせようとするその影響力は非常に強いものです。

けれども、イエスはそれをしっかりと征服されました。そうするには神に助けを祈り求める必要がありました。

どうすればその力を与えてくださる神に強い信仰を持つことができたでしょうか?

聖書から、神であり私たちを愛してくださっているお父さんであるエホバをよく知るようにして、エホバをしっかりと愛することができるようにする必要があります。

神はこの聖書の中に、最後まで強さを示し続けた人には素晴らしい将来が待っているということを約束しておられます。

世を征服されたイエス・キリストは天に戻られた後、神に次ぐ最も重要な地位そして大きな権威を与えられて、神がお定めになった時を待っておられます。

どんな時でしょうか。?

間もなくハルマゲドンと呼ばれる戦いで勝利を収めて、天でも地上でも完全なまでに征服を完了される時を待っておられます。

そして、神の王国で王となるよう選ばれた人たちは、イエスと共に天で王の座に就いて、この地球を素晴らしい状態にする仕事に取りかかります。

その時、神の王国の支配のもとで幸福に暮らせるのはどんな人でしょうか?

「それから王は,右にいる人たちに言います。

『さあ,私の父に祝福された人たち,

世が始まって以来あなたたちのために用意されている王国を受けなさい』」。

(マタイ25:34)

これは、エホバへの深い愛と強い確信を持ち、悪魔の精神や考えに影響されない強さを示し続けるあなたのために用意した素晴らしい王国を受け継いでくださいというエホバからの温かい招きの言葉です。

あなたも強さを示すときに、この招きを自分のものとすることができます。

ですから、最後まで世の中の風潮に流されない強さを持ち続けて、

神の王国について恐れずに伝道し続けることを決意しましょう。

そうすれば、より多くの人が愛と信仰によって強くなり、

将来新しくなった世界でいつまでも幸せに暮らせるようになるのです。

裏付けとなる聖書の言葉は、

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