皆さんは、自分が全く知らない土地を旅行しようと思う場合、持ち物の中に必ず地図を含めるに違いありません。
最近はスマホの地図アプリなどを使う方が多いと思います。見やすくて目的地までのルートをきちんと示してくれる地図があれば、迷わずに目的地に行くことができます。
私たち人間の一生も旅に例えられることがあります。
人生を導くものがあれば何も迷わないのに…そう感じる方も多いかもしれません。実は私たち1人1人生まれつきそういうものを持っていることをご存知だったでしょうか?
創造者であるエホバ神が、私たち人間に与えてくださっているものです。
「律法を持たない異国の人々も,律法にある事柄を生まれつき行えます…
彼らこそ,律法の内容が心に書かれていることを証明しています。
彼らの良心が彼らと共に語り,
彼らは自分の考えによって非難されたり弁護されたりしているのです」。
(ローマ2:14,15)
良心は、日々物事を決定する際に使う本当に大事な機能です。良心とは簡単に言うと、私たちの内面にある善悪の感覚のことです。
この良心があるので、悪いことをした時は明るく嬉しい気持ちになりますし、悪いことをした時は嫌な気持ちになります。良心が正しく働くなら、大好きなお父さんエホバとの絆を強め守ることができます。
正しく機能させるためには、正しい基準に沿って自分の良心を育てていく必要があります。
もし仮に、正しい基準を十分に理解していなかったり、何度も無視して自分の欲望のままに行こうとすると、良心は信頼できないものになってしまうことでしょう。
では正しい基準、良心が正しく働くよう自分を調整するための情報はどこから得られるでしょうか?どうやって良心を育てていくのでしょうか?
今の世の中は色々な情報で溢れています。
生き方考え方などを教えるセミナーにお金を払って参加したり、著名人やスポーツ選手、芸能人のような一見成功しているように見える人たちの言動を自分のお手本基準にする人もいます。
また結局人はいつか死ぬんだから、したいことをするため自分の内なる声に従って物事を決める人もいます。
見知らぬ土地に旅行に出る際、持っていた地図が古かったり、遠い記憶を頼りに書いてくれた地図だったらどうでしょうか?
せっかく地図を持ってきたのにきちんと見ず、自分の感覚で目的地まで向かうとしたならどうでしょうか?
目的地までの道のりは遠いかもしれません。旅行は楽しいものとはならないかもしれません。
正確で最新の地図である正しい基準を選ばないと、正しく働く良心を育てることはできません。
では、その情報はどこから得られるでしょうか?
私たちに良心を与えたのはエホバ神でしたね。人間を含む全てのものを造った方の考えを学ぶなら、正しい良心を育てるための基準をしっかり持つことができます。
では、具体的にどんな方法があるでしょうか?
まず初めに
神の教えを愛し大切にする気持ちを深めます.
「私はあなたの律法を愛してやまない!一日中じっくり考える。
私は敵よりも賢くなる。あなたのおきてがいつまでも私と共にあるから」。
(詩編119:97,98))
書いた人の神の教えを愛する熱い気持ちが伝わってきます。
この詩編作者の育った環境は良いものではありませんでした。エホバに従わない親に育てられ、ある時には自分の兄弟を親に殺されることさえあったのです。でも、そうした悪い環境に良心が影響されることはありませんでした。
神の律法を当てはめた人の物事がどのように良い方向に運ぶのか、それをよく見て律法に対する愛着を強めていたのです。
自分自身で神の言葉を毎日読み、エホバを畏れることを学んだので、親とは違う道を自分で選択できたのです。これがエホバの教えを愛し大切にできた理由です。
私たちも聖書にある神のお考えをよく調べるなら、正しい良心を育てることができるでしょう。
聖書には多くの人物が出てきます。それらの人が神の指示に従ってどんな良い結果だったのか?従わないとどうなったのか?それをよく対比しながら調べて、自分に置き換えてゆっくり考えると、神の教えがどんなに素晴らしいものなのか愛し大切にするべきなのかよく理解できるに違いありません。
正しい良心を育てるためにできる別の点は聖書の原則を理解し深く考えることです.
神の命じた律法とか教えを大切にするということについて考えました。今度は、原則を理解しそれを深く考えることに焦点が当てられています。
原則とはなんでしょうか?
それは、聖書に書かれている基本的な教えのことです。この原則を調べると、エホバの考え方感じ方がよく理解できます。
原則を理解して考えるとどんなメリットがあるのでしょうか?
「一方,固い食物は,十分に成長した人のためのものです。
そのような人は,使うことによって識別力を訓練したので,
正しいことも悪いことも見分けることができます」。
(ヘブライ5:14)
識別力が訓練され正邪を見分けることができるようになるとありました。
ある状況で原則がどう当てはまるのか?自分が下す決定をエホバがどう思うのか?それをよく考えて、それに基づいて決定できるようになる。それが原則のメリットです。
聖書の中に正しいことなのか間違ったことなのかはっきり書いてあれば判断に迷わず従いやすいと思うかもしれません。それだと聖書はあの厚さには収まらないことでしょう。
判断に迷う状況、聖書には明確に書かれていないことでも、神の考え感じ方を日頃からよく学んで、必要な時にそれらをよく考えて決定できる力を身につけているならば、正しく良心を働かせて物事を決定していくことができます。
これまで多くのクリスチャンがそうやって聖書の原則に沿った良心を育んだことで、どうすべきなのか聖書にはっきり書かれていない場合でも、エホバに喜ばれる決定をしてきました。
聖書のそうした正しい基準を学んで、それに自分を合わせるのが重要なのはなぜでしょうか?
今の私たちが暮らす時代について少し考えてみると、なぜ正しい基準を学んで合わせる必要があるのかがわかります。
「皆さんは以前,今の世の体制に従って歩んでいました。
人々に影響を及ぼしている空気の支配者に従って歩んでいたのです。
その空気つまり精神は,不従順な人たちに行き渡っています」。
(エフェソス2:2)
「今の世の体制」とは、今の時代の風潮とか流れを意味しています。「空気」は世の中の精神態度、特に人々の考え方話し方行動の仕方を意味しているようです。
皆さんは、 現在の世の中の風潮・空気を目一杯吸って、あー心地良いなと感じるでしょうか?あーここにいられて本当に心地よいな嬉しいな。そう感じるでしょうか?
残念ながらそう感じないはずです。毎日流れてくるニュースは暗いものばかりで、年々凶悪さを増す身勝手な犯罪、誇り高く反抗的な人、自分のファーストの態度を示す人、そういう風潮や空気に私たちは囲まれています。
聖書という素晴らしい手引書があるのに、どうして人々の多くは関心を示そうとしないのでしょうか?
エフェソス2章2節には「空気の支配者」がいると書かれていました。今の世の中全体の風潮や空気をこれでもかというぐらい掻き乱し濁らせ有毒物質を充満させている黒幕がいるのです。
悪魔サタンは人々が平和の基準に従わないように、ありとあらゆる手を使ってきます。聖書にある神の正しい基準を、ベールで覆うかのように覆い隠して、人々がそれを見つけられないようにしているのです。
サタンがこの世を支配し、広く腐敗させた空気を充満させた結果どうなっているでしょうか?
サタンのせいでこの世の中の人々の心は無感覚になり、道徳感覚が麻痺してしまっています。つまり、多くの人の良心は正しく機能しなくなっているのです。(エフェソス4:18,19)
自分の良心がサタンを支配するこの世界に影響を受けないようにするためにはどうしたらよいでしょうか?
・周囲に同調させようとする圧力に負けないようにします!
みんなやってるからそれに合わせたい、みんなと違うことをするのは目立つから間違っているとわかってもやってしまう、そんな経験をしたことがあるでしょうか?
友人と会うため車で出かけている場面をちょっと想像してみてください。
進んでいく道はこれまで通ったことのある道で、目的地までにはひと1つの大きな分岐点があります。今日はその分岐を左折する予定です。カーナビも左折してくださいと言っています。
ところが分岐のちょっと手前のところで少し渋滞しています。前方を見ると、なぜかどの車も分岐を右折方向に走っていきます。なんでだろう?
右折した先には新しいアウトレットモールができたことを思い出します。あそこに行けばブランドがたくさんあって結構安く買えるな。夏の時期だし、セールとかやってるかも。運転しながらそんな余計なことを考え出します。
約束までちょっと時間あるし、いいんじゃないかな。みんな向かってるっていうことは、今日は特に安い日なんじゃないか。妄想がさらに膨らんできます。
いよいよ分岐に差しかかりました。ナビは左折方向ですと言っています。あなたはどっちに曲がりますか?
今日の本来の目的である、分岐を左折して友人に会いに行くということに意識を集中していないと、結局みんなが行く方になんとなく連られて行ってしまうかもしれません。気をつけていないと、容易に流される結果となってしまいます。
サタンが支配する世の中で周りの人に合わせ、同じことをするようにという圧力に負けてしまうなら、場合によっては大きな失敗をしてしまうかもしれません。
例えば聖書は、現在広く見られている同性愛を含む性の不道徳を、エホバは忌嫌われるものの1つに挙げています。結婚している男女以外との性関係を、エホバは酷く憎まれ、昔からその基準が一切変わっていません。
でも以前では考えられないほど、そうした不道徳行為が一般的になってきたとは思われないでしょうか?
結婚していてもしていなくても、自分がしたいようにする。そんな風潮です。そして異性間だけにとどまらず、同性でのカップルを世界的に認めようとする動きも見られています。神の定めた性に関する基準は、サタンによって酷く曲げられ乱され、その空気は淀んでいます。
でも、惑わされないでください。神の定めた性に関する正しい基準を周りから馬鹿にされるとしても、次のような決意を保ちたいと思います。
「健全な良心を保ってください。
そうすれば,皆さんについてどんな悪いことを言う人も,
キリストに従う皆さんの良い振る舞いを見て
恥ずかしく思うでしょう」。
(ペテロ一3:16)
何もやましいところのない、世の間違った基準に決して流されることのない良心を保つよう、聖書はこのように勧めています。
現代の世の風潮に流されない様子を見て馬鹿にされるとしてもエホバに喜ばれることを行っていくならば、「清い生き方を勧める聖書ってやっぱり正しいんだね」そういう風に他の人から思ってもらえるかもしれません。
同調させようとする圧力に負けないように致しましょう。
サタンの支配する世界の影響を受けないようにするためにできる別の点それは、
・悪い行いが出てくるエンターテインメントに気を付けます!
最近皆さんがご覧になった映画や聞く音楽、ゲームやSNSの中で、もう2度と見たくも聞きたくも触れたくもない、そんな風に感じたものが何かあったでしょうか?
暴力シーンでしょうか?奇妙な力を使うキャラクターでしょうか?他の人の気持ちを傷つけることを何とも思わない書き込みでしょうか?子供向けでも不道徳なことをしてもよいと思わせるものもあるようです。
目を背けたくなるようなものがたくさん溢れていますから、気を付けていないと私たちの考えや行動は影響を受けてしまいます。
悪い行いを何度も見たり聞いたりしてしまっていると、もうそれが普通であって、悪いものであるという感覚が徐々に薄れてきていきます。
サタンの支配する世は、私たちの思いを聖書とは真逆の考えで形作ろうとしていますので、そうさせるのを決して許してはいけません。
むしろ、エホバが聖書を通して教えているお考えと世の考えとの違いを見分けるようになさってください。
エホバのお考えをよく学んで自分のものとするなら、私たちの考えや行動は、そうしたものの影響を受けづらくなることでしょう。
良心が正しく機能していれば、 悪いことをした時また後から後ろめたい気持ちになるものです。もし取り返しのつかないことをした後なのであれば、絶望すら覚えることでしょう。
エホバが人間に与えた良心はもっと重要な働きをしてくれます。
最初の人間アダムとエバやキリストを裏切ったユダは、大きな罪を犯した後、ひどく罪悪感を感じました。でも、その人たちの良心はこれから自分が犯そうとしている悪い行いを止めるという働きはしませんでした。
私たちはこれらの人たちのようにはなりたくありません。正しい基準に沿った良心ががきちんと働いてほしいと願います。
では、新しい基準に沿った良心がきちんと働くと、どんな良い結果になるでしょうか?
1.エホバをエホバを悲しませることをやめるよう働きかけます
アダムもエバもユダもエホバの教えや基準を誰よりも多く学んでいたはずです。それなのに悲惨な結果となりました。
エホバの考えや気持ちを聖書から学んで、どういう生き方をするのが正しい生き方なのか分かっているならば、良心が発する声を聞きその声に従うと、悪いことを行いそうになった時にブレーキをかけてくれます。
もし仮に大きな罪を犯してしまったとしたら、もうそこで終わりなのでしょうか?
そんなことはありません。
イエスが地上で熱心に活動していた西暦1世紀に実在したザアカイは、税金を集める仕事をしていました。その職権を乱用し不正直な方法で人々からお金を巻き上げ、そのお金で裕福になっていました。
でもあることがきっかけで生き方を改めます。イエス・キリストが自分が暮らす街に現れたのです。彼はイエスを一目見たいと思って木によじ登ってイエスを見る努力をしました。ザアカイの態度に感銘を受けたイエスは彼の家を訪問することを約束します。イエスとの交流で見聞きした事柄に胸を打たれ、自分の生き方を変えるよう心が動かされました。過去の行いを後悔しただけでなく、強請り取ったお金を4倍にして返し、貧しい人に持ち物を分け与えるまでになったのです。
ですから何らかの重大な罪を犯したとしても、エホバとの良い関係を取り戻すためすぐに行動するなら、エホバは喜んでくださいますし、自分の良心も新しい方向へと修正できます。
2.罪を犯さないよう警告してくれます
ヨセフの人生は壮絶でした。実の兄弟たちから殺されそうになり、ある時エジプトに奴隷として売られてしまいました。
エジプトでは身分の高い役人の下で奴隷として働いて、その役人の妻から毎日自分と関係を持つように誘惑されました。
異国の地でエホバを愛しているのは自分だけなので、本当に苦しい毎日が続いていたと思います。自分は本当に辛い人生を送ってきたんだし、誰も見ていないんだから、少し羽目を外したって構わないんじゃないか。そういう風には考えませんでした。
生い立ちとか生活環境は最悪なものでした。でもそれを理由にエホバに罪を犯すことなどヨセフにとってあり得ないことだったのです。
もしこの誘いに乗るならエホバに罪を犯すことになると言い、誘いをきっぱりと断っています。強い誘惑を受けた時は、服を残してもその場から急いで逃げました。(創世記39:9,12)
正しい良心が働くと、誰も見ていないところであったとしても、悪い行為から一目散に逃げる行動へと自分を促すことができます。
姦淫をしてはならないという命令がしっかりと律法に記されたのは、ヨセフの時代から200年も後のことでした。それでも、エホバが取り決めた結婚は1人の男性と1人の女性の結びつきであるということををよく理解していました。そうしたことをよくじっくり考えてエホバの見方を身につけていたので、いざ自分が危険な状況になった時にも正しく良心が働き、エホバの基準に従うことができました。
本当に素晴らしい模範です。
3.他の人に良いことをするよう働きかけます
「私がこの指示を与えているのは,
皆が愛を抱くためであり,
その愛は清い心と健全な良心と
偽善のない信仰に基づいているべきです」。
(テモテ一1:5)
皆が抱く愛、これは清い心と健全な良心に基づくものであると教えています。
私たちエホバの証人はエホバの愛に倣って、その愛を動機として他の人のことを愛しています。聖書によって訓練された正しい良心に基づいた愛を示し合っています。
どのようにして愛を示せるでしょうか?
その1つとして、他の人の良心に配慮を示すことによって愛を示せます。
正しく訓練された良心があればそれぞれが自由に物事を決めることができる。そんな時でさえ、もし自分がこの決定をしたら、他の人の感情を害するだろうか?混乱を招くことにならないだろうか?こうした点を決定する前によく考えて、配慮を示すことができます。
もし他の人を煩わせてしまう可能性がありそうだなと感じたらどうでしょうか?
他の人の良心を傷つけるような行動を避け、自分の決定をなかったことにして愛を表すことができるでしょう。
いつでも他の人の良心にも配慮できる人になりたいと思います。
私たちが暮らす世の中には、あらゆる情報が溢れています。サタンによってそれはひどく汚染され、世の中全体の空気とか風潮はどんどん悪いものになっています。皆さんもそう感じていると思います。
ですから、日々聖書の正確な知識に沿って良心を育むことをやめてはいけません。
私たち1人1人は、エホバから良心を与えて頂いています。それを正しく働かせて大切にしていきたいと思います。
この先生活していく中で、判断に迷うことがあるかもしれません。悪い誘惑を受けることも多いかもしれません。
聖書にある原則とか、 神がどう感じるのかをよく考えて物事を判断していきたいと思います。
そして人の良心にも気を配り、進んで自分を他の人に合わせられるような良心をこれからも育てていきましょう。
そうするなら、エホバはあなたとますます親しくなってくれて、全ての点でエホバに喜ばれていると実感することができることでしょう。
ではこれからも聖書と聖書にあるエホバのお考えに自分の良心を照らし、正しく機能する良心を育てて、晴々とした気持ちでエホバにお仕えし続けてまいりましょう。
裏付けとなる聖書の言葉は、http://inx.lv/5yT5からご覧になれます。