人間には神の導きが必要 なぜそう言えるか

最近は国内外問わず大勢の観光客の方が来られます。
そういった方たちは初めての土地に来るので、
様々なガイドを取り寄せるということをいたします。
そういったナビとか導きといったものを必要とするわけです。

事前に導きがあると時間を節約することができますし、
知らなかった楽しい思いをすることができます。
知らなかった危険を避けることもでき、
安心して旅行を楽しむことができるというメリットがあります。

私たちの人生も、知らないところを旅行するようなもの
といえるのではないでしょうか?
正しいアドバイスが与えられるならば、
数多くのメリットがあります。

「神の導きが必要であることを自覚している人たちは幸福です。
天の王国はその人たちのものだからです」。
(マタイ5:3)

イエスはここで、神のアドバイスとか
ガイドが必要であると言っています。
なぜそう言えるのでしょうか?

私たちは何回も生まれ変わって
ここに存在しているわけではありません。
私たちの人生というのは初めて存在します。
そうすると初めて直面することがたくさんあります。
ちょうど知らない土地を旅行しているようなものです。

何で私たちは生きているんでしょうか。
どんな目的があるんでしょうか。
家族は本当に幸せに生活するにはどうしたらいいんでしょうか。
今の命だけが全てのでしょうか。
と様々な疑問が湧いてくるわけです。

そうすると大勢の人たちは、
哲学とか宗教といったものに目を向けることがあります。
でも疑問に対する答えっていうのは、
それぞれ宗教ごとに異なっているのではないでしょうか。
中にはそういった事柄に答えることがない宗教も
たくさんあります。

例えば、神に感謝する様々な祭りというものが
日本で頻繁に行われていることを知っています。
そういった感謝の念というのは、
何かが聞かれたとか備えられたことに対する感謝や願い
を表したものであって、
何か自分の人生を導いてくださっていうことに対する感謝を
祀るようなものはほとんどないのではないでしょうか。
こういった事柄を考えてみますと、
何が私たちの人生を導く正しい導きなのか
そもそもそういう導き自体があるのかということも、
ということを考えさせられるものとなります。

「正しいことを切望している人たちは幸福です。
満たされるからです」。
(マタイ5:6)
神の導き、正しい導きを切望している人たちは満たされる。
正しいアドバイスを見出すことはできるとイエスは保証しておられます。
この正しいアドバイスとはどんなものなのでしょうか?
文脈を見ると神の導きについて触れていますから、
神から見て正しいそういうアドバイスであるに違いありません。

そのようなアドバイスを本当に受け取ることができるのでしょうか?

「私はあなたに洞察力を与え,進むべき道を教える。
あなたに目を留めて助言を与える」。
(詩編32:8)

神ご自身聖書の中でご自分を自己紹介しておられます。
神は人生を始めて歩む経験の少ない人たちに洞察力を与えて
賢く歩むことができるようにしてくださいます。
進むべき道をガイドしたりアドバイスしてくださる方である
ということが述べられています。
あなたたちではなく「あなたに」とあるので、
それぞれのその状況に合わせて必要なアドバイスを
与えてくださる方であることが書かれています。

神はどのように導いてくださるのでしょうか?

「聖書全体は神の聖なる力の導きによって書かれたもので,
教え,戒め,矯正し,正しいことに基づいて指導するのに役立ちます」。
(テモテ二3:16)

神はご自分の力を用いて、
導きとなる聖書を書かせていうことです。
聖書の中で唯一の神であると明らかにされているエホバは、
聖書を用いて人間を導いてくださるというわけです。

イエスもマタイ5章の言葉を語った時に、
そのことを意識していたに違いありません。
なぜなら、イエスはご自分の人生の中で絶えず
神の名前と神の言葉聖書に注意を向けることをされました。
例えば、 イエスが最初に活動を始めた時に
サタンから誘惑を度々受けられました。
その時にイエスは、聖書の言葉をわざわざ引用して、
そのようにしなければならないということを明らかにされました。
他の人々から多くの質問を受けることもありましたが、
その機会も絶えず聖書を引用し
エホバの名前を含めて取り上げることにより
ご自分がエホバの導きというものをいつも意識していることを明らかにされました。
ですから、私たちは聖書に注目していくことが必要です。

聖書は、本当に特異な宗教書ということが言えます。
全人口の中で約3000以上の言語で翻訳されています。
ですから多くの人々は、
自分が知っている言語で聖書を読むことができます。
これほど翻訳されている宗教書はありません。
つまり、神の導きを誰でも
見ようと思えば近づくことができる書物となっています。
ですから聖書は人生のガイドブック
ともいうことができるでしょう。

人生のガイドブックである聖書から
私たちが益を得るにはどうしたらいいのでしょうか?
スマートフォンとかインターネットで
いろんな情報を集めたとしても、
よく見ていなかったり行動しなければ、
本当に正しいことなのか全く役立たないのか
ということがわかりません。
同様に聖書も、実際開いて読んで理解して、
行動し当てはめていくなら、
本当に価値のあるものなのだということが
分かってくるに違いありません。

「正しいことを切望している(飢え乾いている)
人たちは…満たされる」とありました。
(マタイ5:6))

暑い中奉仕したりすると、
喉が乾いてくるのではないでしょうか。
そういった時に冷たい水がコップで差し出されたとしたら
どうしますか。
ずっと眺めていたら、何も良い益はありません。
しかしそれを飲んだ時に、
私たちは本当にほっとし安らぎを感じて、
体自体がその水によって癒されるという経験をして
価値を知ることができます。
同様に私たちは、渇望を実際に
行動で表すことが必要となってきます。

そうすると、3つほどの益が得られるようになっていきます。

1.私たちの人生が幸福なものとなっていく

「エホバの律法は完全で,力を吹き込む。
…経験の浅い人を賢くする。
…心に喜びが生まれる。
…目が開かれる。
…金よりも,多くの純金よりも好ましい。
蜜よりも,巣から滴り落ちる蜂蜜よりも甘い」。
(詩編19:7-10)

エホバの導きを意識するならば、
その人は生きていく力を得ることができます。
初めて歩む人生でも賢く歩め心に喜びが生まれていきます。
さらに多くのことを発見し、目が開かれます。
本当に良い事柄に気付くこともありますし、
危険を避けるという形で目が開かれることもあります。
本当にそれが人生において価値があるということを実感することができます。

2.神の助けを得られる

エホバ神はご自分のアドバイスを信頼する人を
喜んでくださいます。
例えば、古代にアブラハムという人がいました。
人生においてエホバの導きを絶えず信頼して、
その導きに従って歩んだ人でした。
その人は当時様々な技術とか文化も最先端の町に住んでいた人
自分自身も裕福な人でした。
でもある時、神から自分の導きに従って行動するように
と言われました。

アブラハムはどうしたでしょうか?
その導きに従い神を信頼して導きに沿って行動しました。
一生そうしました。困難な時もそうしました。
どんな結果が待っていたでしょうか?
アブラハムは人間でありながらも神に友と呼ばれるうな
そういう親しい絆を築くことが出来ました。

真の友とはどんなものだと思いますか?
本当に様々な時に助けたり、励ましたり、支えてくれたりします。
エホバ神もアブラハムの人生において、
いつも助け支え励まし導いてくださったのです。
私たちもエホバとの絆をそのようなものにすることができるということです。
私たちの人生は、真の友エホバによって支えられることに
喜び得られるということになるのではないでしょうか。

3.将来の希望を持つことができる

神の導きを自覚する人たちは神の王国の希望を与えられるとイエスは言われました。
(マタイ5:3)
神はこの王国を通して、今の様々な悪い状態
困難な状態を解決しようとしておられます。
例えば、病気、死、戦争、老化、災害といった
様々な問題に直面する私たちを、
人間の政府では何もすることができないので、
ご自分の政府を用いて解決しようと計画しておられます。
私たちはそのような神の約束について聖書を通して
目を向ける時に、真の希望を得ることができます。

ある人たちは、神の王国の当事者として
天からこの地球を導くことができます。
また別の人たちは
様々な問題が解決されて楽園のような状態になったこの地球で、 永遠に生きられるという素晴らしい希望があります。

では、私たちはそういった神の導きをを受けるでしょうか?

残念ながら、
全ての人が神の導きを受け入れるわけではありません。
中には神の導きに気づいていながら、
それを受け入れなかったり、
途中でやめてしまう人たちもいます。
どんな障害があって、
神の導きを受け入れることができないのでしょうか?
イエスはそのことについても私たちも教えてくださっています。

「人が種をまきに出掛けました。
まいていると,幾らかは道端に落ち,
鳥が来て食べてしまいました。
幾らかは土が少ない岩地に落ち,
土が深くないのですぐに芽を出しました。
しかし,太陽が昇ると日に焼けて,
根がないので枯れてしまいました。
幾らかはいばらの間に落ち,
伸びてきたいばらにふさがれてしまいました。
さらに,幾らかは良い土に落ち,実を付け始め,
ある種は100倍,ある種は60倍,
ある種は30倍の実を付けました」。
(マタイ13:3-8)

この例え話は何を言いたかったのでしょうか?
「人が王国に関する言葉を聞いても意味を悟らない場合,
邪悪な者がやって来て,
心にまかれたものをさらっていきます。
これが道端にまかれたものです。
岩地にまかれたもの,
これは王国に関する言葉を聞き,
喜んですぐに受け入れる人です。
けれども自分の内に根がなく,一時は続きますが,
その言葉のために苦難や迫害が生じると,
すぐに信仰を捨ててしまいます。
いばらの間にまかれたもの,
これは王国に関する言葉を聞く人ですが,
今の体制での心配事や富の誘惑によってその言葉が塞がれ,
実らなくなります。
良い土にまかれたもの,
これは王国に関する言葉を聞いて,意味を悟る人です」
(マタイ13:19-23)

この例え話は人について述べていることがわかります。
「土」は各人の心の状態です。
そして 「種」は聖書に書かれている王国に関する言葉です。

最初の人は道端に落ちた種です。
道端は畑と違って人々に踏み固められている土地です。
つまり心が周囲の人々の影響や価値観に左右されて
固まってしまってるような状態の人のことを指しています。
そのような状態の人の特徴は何でしょうか?
ノアの洪水の時の人々はどんな生活だったでしょうか。
(マタイ24:37-39)
食べたり飲んだり、結婚したりするという日常生活に追われて、
その言葉で頭が一杯いっぱいになってしまった人たちでした。
時間やエネルギーは全てそれにつぎ込まれていたので、
神の導きを受ける機会があったのに
後回しになってしまいました。
そういった人たちは、
サタンによって神の導きを受ける機会を取り去られてしまい、
その結果命を失っていきます。

では何が必要でしょうか?
「王国に関する言葉を聞いても意味を悟らない場合」
と説明されています。
つまり時間を取って神の言葉を学んだり
じっくり考えたりすることによって
意味を悟ることができるわけです。
つまり踏み固められた土のような固定概念を、
神の言葉によって種を受け入れ易くすることができる
ということです。

では、2番目の心の状態は岩地に落ちた種です。
それは最初、土があったので芽を出しました。
ところが陽に当たると枯れてしまったわけです。
これは喜んで受け入れたのに、様々な強い反対に遭った時に
やめてしまった人のことを指しています。

なぜやめてしまったのでしょうか?
不幸があったからではありません。
土が薄くて、下に硬い凝り固まったものがあったわけです。
これはその人の今まで培ってきた感情とか価値観が凝り固まっている状態です。
そういった人々は聖書を学びました。
しかし学ぶにつれて、聖書の基準つまり神の正しい導きは
古い厳しい時代に合わないという感情が芽生えてくるわけです。

例えば、世の中の性に関する基準はだんだん低下していきます。
結婚関係前の性関係とか同性愛という事柄に関して
世では寛容ではになってきて基準を下げてきています。
岩のような固められた古い感情を持っているならば、
周りの人にそれは古くさいとか見方が厳しいとか言われた時に、
すぐに諦めてしまいます。やめてしまうわけです。

このような状態になった時にどうしたら良いでしょうか?

コリント第一6章11節をみると、
1世紀にそのような状況で神の基準から外れた不道徳な生活を送っていた人たちが
変化した経験が載せられています。
鍵となったのは、「神の聖なる力によって」その人たちが
神の導きを受け入れるようになったことが言及されています。
ですから、神の聖なる力を意識して祈り求めて、
神の聖なる力を聖書からじっくり考えて得るようにすることが必要になります。

エホバの助けがあるならば、
今の価値基準が変化しているのはサタンと邪悪な天使たちによるものであり、
そういった事柄に従った結果がどういうものであるのかをよく理解して、
自分の岩のような硬い概念を崩していけるわけです。
ですから神の言葉を受け入れて、じっくり考えていくことが必要です。

3番目はいばらの間にまかれた種です。
それはいばらともに成長して、
最終的に塞がれて実らなくなってしまいます。

いばらとは何でしょうか?
「今の体制での心配事や富の誘惑」とあります。
世の中で生活していますと、
様々な生活必需品や仕事や老後の事柄や病気、
時には災害にあったりしたらどうするんだろうということで、
私たちが過度に心配するならどうでしょうか。
その不安を少しでも払拭したいと思って、
お金や物質的なものを十分蓄えておこうという気持ちになっていきます。
それが必要なことだと思い、
また神の導きを受けるのと並行してそれが行えると思って、
つまり両方育っていったわけです。
ところが「富の誘惑」裕福という魅惑が出てきます。
足りてしまうわけではなくて、〝もっと″という概念です。
そうすると、そのいばらによって最終的に塞がれてしまって、
神の導きを受け入れなくなってしまうのです。

どうしたらいいでしょうか?
いばらを引き抜くのが最善ということになるでしょう。
今の体制の心配事を引き抜くには、
過度の心配を払拭しなければなりません。
どうしたらいいですか?
それは、聖書の導きをじっくりと考えるということです。
エホバはご自分の導きに従う人たちに
どんな助けや約束をされてますか?
その人たちをどのように保護しておられるのでしょうか?
聖書の中でそれがどのように反映されていますか?
先ほどのアブラハムのように従った人に対して
どのように答えてこられたのかということを知るならば、
信仰が増し加わって
恐れの気持ちを持たずに済むようになっていくわけです。

.

この例え話は、意味を悟らないということから始まって、
意味を悟るということで終わっています。
つまり、神の導き神の言葉の意味を悟るために私たちはじっくり考える努力を絶えず払っていかなければならないとイエスをおっしゃったのです。
私たちはチャンスを逃さないようにいたしましょう。

聖書まだ学んでいない方は、無償の聖書レッスンを受けて、
神の言葉を取り入れる機会を逃さないようにしましょう。
t.co/REdyiKUiXa
すでにに学び始めた人たちは、
エホバが与えてくださっている週2回の集会の機会を、
切望したり自覚したりして必要なものだと意識を持って、
時間を優先的に買い取って、定期的に出席するようにいたしましょう。
https://www.jw.org/finder?wtlocale=J&docid=1011229&srcid=share
そうするなら神の導きをじっくりと考えるチャンスが
開かれていくことになります。

私たちは、自分だけではなくて周りの人々もエホバのガイドや
アドバイスを受けるということに対して関心を払うことができるでしょうか?
旅行した時に、本当に良いガイドやアドバイスを受けたなら、
今度は同じ道を歩む人にそれを伝えたくなるというのは人の気持ちです。
神の導きがどんなところにあるのか、
そしてそれはどのように得ることができるのかということを
知らせることによって周りの人を助けて参りましょう。

ガイドやアドバイスというものは
本当に私たちの人生を豊かにしていくものです。
では、エホバのそのようなガイドやアドバイスを
謙遜に受け入れていきましょう。

裏付けとなる聖書の言葉は、
http://inx.lv/5yT5
からご覧になれます。

ずっと続く固い友情を築くには

あなたのお友達と思える人をちょっと思い浮かべてみてくだい。
あなたが今イメージしたその友達は、
1.普通の友達 2.親友 3.大親友、どれに当てはまるでしょうか?

lineアプリには友達というカテゴリーあり、
その友達に追加することによって
相手とトークすることができるようになります。
でも、本当の意味でその友達と呼べるのは
果たして何人でしょうか?
お店関連、ガソリンスタンドとかも友達追加しないと
トークすることができませんが、
普通の友達でも親友でもなければ、
大親友ということはできません。

そもそも友達というのは どういう定義なのでしょうか?
ある女性は、友達というのはなんでも自由に話せる人、
いつでも電話をかけられる人、それが友達だと述べています。

では、親友とはいったいどういうものなのでしょうか?

「真の友はどんな時にも愛を示す。
苦難の時に頼れる兄弟である」。
(格言の書17:17)

本当の友は、一緒にいるだけで心が安らぐような存在です。
親友とは大変な時、落ち込んでいる時、元気がない時、
また不安な時、お互いに素直に感情を出し、
いわゆる本音トークで慰めてくれる人です。
何があっても裏切ることはありません。
本当に信頼できる人を親友と呼べるのではないでしょうか。

真の友達って本当にいいですよね。
心からいいなと思える人のことです。
ですから、この格言17章17節は
いいな!いいな!と覚えることができます。

では、どうやってその良い友達を
選んでいくことができるのでしょうか?

こんなことはありませんか?
仲のいいお友達が持っているものとか、
身に着けているものがすごくよく見えて、
それどこで買ったの?どこに売ってる?
と思わず聞きたくなるかもしれません。
なんかいいな。いい意味で影響を受けます。

子供が今までに聞いたことのない言葉を使います。
親はどこでそんな言葉覚えてきたの?
誰がそんな言葉使ってたの?と聞きます。
良くも悪くも友達から大いに影響を受けるということです。
自分の性格やライフスタイルに
影響を与えるということもあるかもしれません。

「賢い人たちと共に歩むと賢くなり,
愚かな人たちと関わり合うと苦しい目に遭う」。
(格言の書13:20)

ここで賢い人と愚かな人が対比されています。
その結果も全く違ってきます。

ペテロとヨハネは、当時の高等教育を受けていない、
いわゆる普通の人でした。
そんな2人の話し方を見聞きしていた宗教家の人たちが
非常に驚いたと記録されています。
この2人はイエスと一緒にいたことを知って、
周りの人たち宗教家の人たちも納得しました。
イエスと一緒にいるんだったら賢い人になるわと。

愚かな人の例もあります。
ディナは、あまり行いの良くない
地元の女性たちと一緒にいたくて、
よく出かけていったということが聖書に記録されています。
町の中で若い女性たちがうろうろしていることに目をつけられて、
ある時にレイプされてしまうという悲惨な事件がありました。

私たちは友達を選ぶときにどんな点を見るといいのでしょうか?

1つ目の点は良い性格の人です。
きつい嫌な性格の人を敢えて友にすることに
メリットはあるのでしょうか?

「だまされてはなりません。
悪い交友は良い習慣を台無しにし(道徳心をむしばみ)ます」。
(コリント第一15:33)

これまでの培ってきた良いものを蝕むような人は、
友にしない方が賢明といえます。
むしろ自分にとってプラスになる人、良い感化を与えてくれて、
見習いたい真似したい良いところを持っている人を
友にしていきましょう。

「鉄が鉄を研ぐように,人は友を研ぐ」。
(格言の書27:17)
さらに自分を磨き上げてブラッシュアップしてくれる人
を自分の友達にしていきましょう。

選ぶ点で大切な2つ目の点は、神が決めた基準を守る人です。

世の中は、性的マイノリティとかLGBTといった同性愛を
認めてあげようという動きが今一般的になってきています。
そういう生き方をしてる人が、
あなたにとって プラスになるでしょうか?
神様はどういう見方をしているでしょうか?

「性的不道徳や,あらゆる汚れ…
恥ずべき行い,愚かな話,下品な冗談なども,
聖なる人にふさわしくありません」。
(エフェソス5:3-5)
性に関することを含めて神が決めた基準を守っている人
そういう人を友にしていくことにいたしましょう。

友を選ぶのに大切な点は何でしたか?
良い性格の人かどうか、神を愛している人かどうか、
こんな点をぜひ見ていくことにいたしましょう。

では、その人との固い友情を築くには
どうしたら良いのでしょうか?

「愛は辛抱強く,親切です。愛は嫉妬しません。
愛は自慢せず,思い上がらず,下品な振る舞いをせず,
自分のことばかり考えず,いら立ちません。
愛は傷つけられても根に持ちません。
愛は不正を喜ばないで,真実を喜びます。
愛は全てのことに耐え,全てのことを信じ,
全てのことを希望し,全てのことを忍耐します」。
(コリント第一13:4-7)

(さらに…)

神だけが教えてくれる最高のアドバイス

人類は科学・医療・テクノロジーの面で大きく進化していました。
18世紀半ばから19世紀にかけて科学技術が飛躍的に発展した時期、
誰もが様々な問題が解決され、良い未来がやってくると想像していました。
では、私たちが住んでるこの時代、どうなっているでしょうか?

現実として、戦争や犯罪はなくなっていない状態です。
人間がどんなに知恵を絞ったとしても、
みんなが優しく穏やかに接し、
友好的な関係でいるのはとても難しい状態です。

では、なぜ人間はうまくいかないのでしょうか?

「心の中に強い嫉妬や対抗心がある人は,
 自慢してはなりません。
…そのような人の知恵は,天から来るものではなく,
地上のもの,動物的なもの,悪魔的なものです。
嫉妬や対抗心があるところには,
無秩序やあらゆる不快なものがあるからです」。
(ヤコブ3:14-16)

ここで人間の知恵は地上のもの動物的で悪魔的なものと表現されています。
これは言い過ぎでしょうか。
その知恵によって嫉妬、対抗心、無秩序が生み出されるとあります。
まさに今、世界中で見られている状況ではないでしょうか。

「一方,天からの知恵を持つ人は,第一に清く,
次いで平和を求め,分別があり,進んで従い,
憐れみと良い実に満ち,差別をせず,
偽善的ではありません」。
(ヤコブ3:17)

この天からの知恵は、神からの知恵のことです。
それを持つ人は平和を求めます。

人間がうまくいかないのは、誰よりも賢くて全てを知っている
エホバ神のアドバイスを採用していないからで、
このエホバのアドバイスは聖書に書かれています。

その知恵の言葉がどれほど優れているかは、
その知恵を受け入れ、実践した時にその価値が分かります。

まず、 聖書からの知恵は若者にとって役に立ちます。
伝道の書12章1節には、
「若いうちにあなたの偉大な創造者を覚え(意識し)なさい」
という言葉があります。

エホバを覚えるとはどういうことでしょうか?
それは、エホバの教えを当てはめ、
それによって得られる良い結果を経験するということです。
その良い結果の経験が増えれば増えるほど、
エホバを身近に感じ、
エホバのアドバイスがいかに有効かを
身をもって知ることができます。

エホバは若者を愛し、いつも若者たちのことを思っています。
だからこそ、性についてのきちんと道徳感を持つように、
私たち特に若い人々に教えています。

さらに創造者を覚えるには、
若い時エホバへ奉仕を楽しむということもあります。
今は外国での奉仕の機会も開かれています。
もちろん、地元の区域で熱心に伝道活動に携わることができます。
建設奉仕もその中の1つです。
また、自分の話すこと、話し方、行動に
エホバの教えを反映させて、 学校や近所の人たちと接する
ことも立派な奉仕の一部です。

エホバのアドバイスに沿って、仲良くする人や
自由な時間に楽しむものを注意深く選ぶということも大切です。

「若い人はどうすれば清く生きられるだろう。
あなたの言葉に従って注意深くあるならそうできる」。
(詩編119:9)

若い人が自分の欲望を優先する世の中の影響を受けないようにするには、
エホバの言葉に従うことが必要であると書かれています。

「賢い人たちと共に歩むと賢くなり,
愚かな人たちと関わり合うと苦しい目に遭う」。
(格言の書13:20)

賢い人とは エホバの言葉に従う人のことである
ということがわかります。
世の中ではうまく立ち振る舞い、時には人を踏み台にして
高い地位やお金を得る人を賢い人という場合があります。
しかし、
エホバから見て賢い人というのはそういう人ではありません。

「思い違いをしてはなりません。
神はご自分を侮る者を大目に見ることはありません。
人は自分がまいているものを必ず刈り取ることになります。
罪深い欲望のままにまいている人は,
罪深い欲望によって腐敗を刈り取り,
聖なる力に導かれてまいている人は,
聖なる力によって永遠の命を刈り取ることになるのです」。
(ガラテア6:7,8)

この今読んだ3つの成果から分かるのは、
エホバの言葉に注意深く従うなら賢い人になる。
そして賢い人は正しい選択ができるので、
正しい行いから良い実をを刈り取ることができるといことです。
エホバのアドバイスを取り入れ、それを当てはめるなら、
不必要に辛い思いとか、悲しい経験をしないで済むでしょう。

聖書のアドバイスは、夫婦生活にも役立ちます。

「夫は自分の体を愛するように妻を愛するべきです。
妻を愛する人は自分を愛しているのです
…一方,妻は夫を深く敬うべきです」。
(エフェソス5:28,33)
エホバは心から愛し合い、
そして尊敬し合うようにと言っています。

20年間幸福な家庭生活を送ってきたエホバの証人は、
「ごめんなさいという方が、
愛しているよと言うより大切な場合があります」
と言っています。さらにこう続けています。
「謙遜になるための近道は祈りだと思います。
夫婦でエホバに祈ると、自分たちの不完全さと
神のあり余るご親切を思い起こさせられます。
そうすると、物事を正しい観点から見られるようになります」。

謙遜さは、夫婦生活の土台を構成するとても大事なものと言えます。
間違った時はそれを認め、謝ることは大切なことです。

さらに、相手が何を必要とし、
どんなことをどのように感じるのかを
まず先に考えることがとても大切です。
例えば、別の異性と長い時間を過ごすようになると、
配偶者はどのように感じるだろうかと考えることです。

エホバは 人間を男性と女性に作り、
互いに補い合うように創造されました。
ですから男性と女性では持っている性質や感じ方が異なります。
そのことを念頭に入れて、
配偶者を大事にした物の見方や考え方をしたいと思います。

仲の良い夫婦であっても、
時として意見がぶつかることはあるでしょう。

「不快な言葉を口から出してはなりません。
その場に合った励ましの言葉を述べて,
聞く人のためになるようにしましょう。
あらゆる悪意,怒り,憤り,わめき,暴言など,
一切の有害な事柄を捨て去ってください。
親切な人になり,温かい思いやりを示し合い,
神がキリストによって寛大に許してくださったように,
寛大に許し合いましょう」。
(エフェソス4:29,31,32)

その場にあった言葉を述べて聞く人のためになるようにとは、
相手が受け入れやすい言葉を選ぶことと言えるかもしれません。
意見がぶつかった時には、 自分の気持ちや考えを
落ち着いて上手に伝え合うことができます。

神のアドバイスを受け入れるならば、心が満たされて、
さやかな気持ちで結婚生活を送ることができます。

(さらに…)

心霊術に用心してください

心霊術とは、霊能者に頼んで死者と交信することで、

占い、魔術、オカルト、迷信が関係してきます。

日本でも葬式に関連して、焼香、通夜、法事など

多くの人が大切にしている事柄に含まれています。

「あなたの中に以下のような人がいてはなりません。

息子や娘を火で焼く人,占いをする人,魔術を行う人,

吉凶を判断する人,呪術師, 呪文をかける人,

霊媒師や占い師に相談する人,死者に尋ねる人などです。

エホバはこうしたことを行う人をひどく嫌い,

これらの忌まわしい行いのために

エホバ神はそれらの国民をあなたの前から追い払います」

(申命記18:10-12)

このように、創造者エホバは心霊術をひどく嫌っておられます。

背後で、邪悪な天使たちと悪魔サタンが糸を引いていて、

大変危険だからです。

炭素の不完全燃焼によって生じる化合物である一酸化炭素は、

無色無臭で感知しにくいので、多くの人が犠牲になっており、

世界の中毒死の半分を占めています。

それでも警報機をつけて、鳴ったら非難することで、

助かることができます。

全能者の素晴らしい警報器ともいえる

エホバの組織の備えを活用すれば、

心霊術の犠牲にならずに済みます。

警報機を持っていても、電源を切っていたり、

使わないなら役には立ちません。

聖書を読んで学んでいても何もしないなら、

集会に出席して話を聞いていても、他のことを考えているなら

役には立ちません。

聖書によると、悪魔サタンと邪悪な天使たちは全世界を惑わしています。

(啓示の書12:9)

心霊術によって、人が亡くなった後も霊が生き残っていて、

人々に影響を与えているという間違った教えによって、惑わしています。

しかしエホバ神は聖書の中で、死者の真実の状態を教えています。

「死んだ人は何も知らない。何かを得ることもない。

思い出されず,忘れ去られる」(伝道の書9:5)

「墓では,働くことも考えることも学ぶことも理解することもできない」

(伝道の書9:10)

死者は、話しかけたり、助けたり

影響を及ぼすことはできないということです。

心霊術の教えていることは明らかな間違いなので、

エホバは非常に嫌っておられ、

エホバに喜んでいただくためには、

心霊術を避けることがどうしても必要だということです。

「エホバの杯と邪悪な天使の杯の両方から飲むことはできません。

『エホバの食卓』と邪悪な天使の食卓の両方で食べることはできません」

(コリント一10:21)

心霊術にかかわりながら、

エホバを崇拝することはできないのです。

「ですから,神に従ってください。悪魔に立ち向かってください。

そうすれば,悪魔は逃げ去ります」。(ヤコブ4:7)

危険な心霊術にかかわらないことには、

神に従うことと悪魔に立ち向かうという二つの方法があります。

「永遠の命を得るには,唯一の真の神であるあなたと,

あなたが遣わされたイエス・キリストのことを知る必要があります」

(ヨハネ17:3)

「エホバは…ご自分に誠実に(正しく)呼び掛ける全ての人の近くにいる」

(詩編145:18)

「エホバの名は強固な塔。正しい人はその中に走り込んで保護される」

(格言の書18:10)

エホバのことをよく知って愛するようになり、

エホバに祈り、エホバを100%信頼するなら

エホバは助けてくださり、

危険な心霊術から保護してくださいます。

また、徹底的に心霊術を避けるなら、

悪魔に立ち向かうことになります。

「魔術を行っていたかなり大勢の人が自分の書物を持ち寄って,

皆の前で燃やした。それらは計算してみると,銀5万枚の価値があった。

こうして,エホバの言葉は力強く広まって勢いを増していった」

(さらに…)

闇の世からの救出

暗い道を一人で歩いていると、

心なしか不安や緊張を覚えることがあります。

後ろから足音がして、近づいて来ようものなら、

明るいところへ駆け込みたくなるかもしれません。

どうしてでしょうか?

暗いところは見えないからです。

危険が迫っていても見えません。

見えないというのは危険なので、

人間は本能的に暗い場所にいると警戒心が高まり、

早く抜け出したいと感じるわけです。

聖書のイザヤ書60章2節には、

「闇が地上を覆い,濃い暗がりが国々を包む」

と預言されています。

スケールの大きい闇です。

この言葉の文脈を見ると、

エホバを崇拝する人が増加することなど

現代に成就する預言が語られています。

(イザヤ60:22)

ですから、同じ60章に書いてある闇が地上を覆う

という預言も、現在成就していると考えることができます。

聖書の別の部分と比較するなら、

どういう闇のことを言っているのかが理解できます。

「彼らは思考が闇に覆われていて,

神による命から遠く離れています。

神について知ろうとせず,心が無感覚だからです。

道徳感覚がまひしていて,恥知らずな行いにふけり,

あらゆる汚れた事柄を貪欲なまでに行います」。

(エフェソス4:18,19)

思考が、頭の中が暗闇だと、先も結果も善し悪しも

見えないので、何でもしてしまいます。

これが悪いか良いかという判断ができないわけです。

バイトの求人があれば、闇バイトなのに分からず応募して

悪いことをして捕まってしまいます。

道徳感覚もライフスタイルも、自由でいいではないかと

結果を考えません。

こういう観点で考えると、

今の世界は暗闇にあるといえるのではないでしょうか。

大勢の人の思考が闇に覆われ、

正邪の感覚が麻痺しています。

闇の世にはどんな原因があるのでしょうか?

「私たちは…この闇の世の支配者たち,

天にいる邪悪な天使の勢力と戦っています」。

(エフェソス6:12)

邪悪な天使たちが世界を牛耳っているため、

この世界は闇に覆われているのです。

災害などによって高圧電線が損傷を受けて

発電所からの送電が切断されて大規模停電が起きると、

真っ暗になり不安になります。

でも、こういう闇が好きな人がいます。

悪いことをしても見えないので、悪い人は

こういう時を狙って盗みを働いたりします。

悪魔と邪悪な天使たちも、

暗い闇を利用して世界を牛耳り支配しています。

人類史のはじめアダムとエバがいた頃、エホバが光の源

となって真理のきらめきで世界は輝いていました。

悪魔がアダムとエバを誘惑して騙して、

エホバと人間の間の関係を遮断してしまいました。

神との関係がしっかりしていてこそ光を頂けたのが、

その関係がなくなってしまったので、

その光を見ることができなくなってしまいました。

悪魔はその状況を利用して人類を支配しており、

その支配下にある人達は、正しいことと悪いことが

見分けられなくなってしまっているのです。

停電が起きると、政府は復旧に向けてすぐに行動を起こします。

エホバも、闇の世界が現れた後すぐに行動を起こし、

復旧作業を始められました。

「女よ,立って,光を照らせ。あなたの光が来た。

エホバの栄光があなたの上に輝いている。

闇が地上を覆い,濃い暗がりが国々を包む。

しかし,エホバがあなたを照らし,

その栄光があなたの上に現れる」。

(イザヤ60:1,2)

光が来ます!女がエホバからの光を照らします。

文脈の14節を見ると「エホバの都市」と呼ばれていて、

4節を見ると、

この女には「息子たち」「娘たち」がいます。

この女とは、エホバの天的な組織、

天にいる天使たちのことを表しています。

妻が夫をしっかり支え忠実にサポートするように、

(さらに…)

自然災害 いつかなくなる?

日本ではここ数週間、大雨による 災害のニュース
というものが報道されていました。
また、連日のように猛暑日が続いています。
残念なことに熱中症で亡くなってしまう
という方も少なくありません。
この熱中症も、ある意味過度な気温の上昇による
自然災害ということができるかもしれません。

このような自然災害というのは世界中で増加しています。
熱波による森林火災や干ばつ、また洪水や地震、
ハリケーンなどで大きな被害が出ているという報道を
よく耳にするのではないでしょうか。

残念なことに、自然災害によって命を落としたり、
苦しい経験をするという人は毎年大勢います。
私たちの周りにも、そのような経験をされた方や、
今なお辛い思いをされている方もおられるかもしれません。
多くの人は、なぜこんなことが起きるのだろうかと考えます。

中には、理由をつけてその状況を受け入れようとして、
天罰であるとか天災と表現して、
神が自然災害を用いて人間を罰しているのだと言う人もいます。
2011年3月にあった東日本大震災の時には、ある政治家が、
「これはやっぱり天罰だと思う、
被災者の方々はかわいそうですよ」と語りました。
海外でもあるコラムニストは、
猛威を振ったハリケーンを「神の拳」と描写しました。
また、アメリカの宗教指導者の中には、
ハリケーン・カトリーナによる惨事のことを
悪徳の都市に対する神の憤りと描写した人もいました。

このように述べることによって、自然災害による大きな被害を神の責任であると言っているのです。

では、自然災害というのは、
本当に神によって引き起こされているのでしょうか?
自然災害っていうのはいつかなくなるのでしょうか?
そのことを聖書を調べて考えていきたいと思います。

聖書はよく預言書と言われています。
神であるエホバが語った言葉が記されていて、
そのことが実現しているからです。
この聖書の中には、
今の時代に自然災害が増えることが予告されていました。

「大きな地震があり,
あちらこちらで食糧不足や流行病があります。
また,恐ろしい光景や天からの大きなしるしがあります」。
(ルカ21:11)

世界の体制の終わりのしるしについて
弟子たちがイエスに尋ねた場面で、
イエスは 大きな地震や食糧不足があると言っています。
今、確かにこの世界中で「大きな地震」があり、
また「食糧不足」というものも、干ばつなどの
自然からの影響によるものであることが多くなっています。

また最新の情報では、「恐ろしい光景」の中では、
地球規模の熱波などが生じていることも挙げられていました。
https://www.jw.org/finder?wtlocale=J&docid=501100077&srcid=share
これらのことがまさに実現していると
皆さんも思われるのではないでしょうか。

では、この予告の実現というのは、
神がもたらしているということになるのでしょうか?

もちろん、エホバは予告した事柄を
その通り行う力をお持ちです。
しかし、たくさんの自然災害を引き起こして
人々を苦しめるような残酷な神ではありません。
聖書はエホバについて次のように述べています。

「愛さない人は,神をよく知りません。神は愛だからです」
(ヨハネ一4:8)

神エホバの行動の原動力 は愛です。
愛の神が善良な人に害を起こすということはしません。
自然災害というのは大抵何の前触れもなく起きて、
誰かれ構わず人々の命を奪っていきます。
聖書の神エホバはそのようなことは決してしません。

「理解力のある皆さん,聞いてください。
真の神が悪を行ったり,
全能者が不正を行ったりすることなどあり得ません!
神は,人が何を行うかに応じて報い,
行いの結果をその人の身に生じさせるのです。
神は絶対に悪を行わず,
全能者は絶対に公正を曲げません」。
(ヨブ記34:10-12)

神は人が何を行うかに応じて
その結果をその人に生じさせるとあるので、
自然災害のように
人の行いに関係なく害をもたらすということは、
エホバにとっては悪であって
エホバの性質に相反するものなのです。

では聖書の予告通りに、現在自然災害の被害が
こんなに大きくなっているのはなぜなのでしょうか?

一つは、
自然災害の増加には人間にも 責任の一端があるということです。

災害がどれほど深刻なものとなるのかは、
いつでも自然の力だけで決まるわけではありません。

被害が大きくなる原因は多くの場合、
被災地に人口が集中していたということになるそうです。
世界銀行の報告によりますと、
160余りの国や地域において人口の4分の1以上は
自然災害によって命を落とす危険の高い地域で生活していると述べられていました。

また、人間の急激で無計画な都市化や森林伐採などが、
地滑りやひどい洪水を引き起こす原因となったり、
環境破壊による地球の温暖化などが明らかにされています。
(エレミヤ10:23)

二つ目は、
警告を軽く見て被害に遭う人もいるということです。

聖書の格言22章3節には 、
「聡明な人は危険に気づいて身を隠すが、
経験のない人たちは進んでいって当然の報いを受ける」
とあります。
このことは、東日本大震災の津波の警告を過少評価した
ために被害が大きくなったということが見られていました。
警告に注意して行動することの大切さを
思いに留めておきたいと思います。

三つ目に、
たまたまある場所に居合わせて被害に遭うこともあります。

「思いも寄らないことがいつ誰にでも起きる」
という言葉の通りです。(伝道9:11)

自然災害というのは本当に意図的なものではないので、
誰もがこの被害になる可能性があるのです。

正しいことを愛して 悪いことを憎むエホバ神は、
悪い人間を処罰するために自然の力を用いて災いをもたらす
ということが以前ありました。

それは、神が力を制御しながらご自身の考えを実行したもので、
ごくまれにしか起きていない事柄です。
そして、処罰をもたらすためにためのこの災いというのは、
自然の力を利用するとしても、
今起きているような自然災害とは
明らかな違いというものがあります。

神が人間に災いをもたらすのと
自然災害とではどこが違うのでしょうか?

神が もたらされた地球規模の災いの1つとして、
ノアの時代の大洪水があります。

ノアの時代に地球全体が洪水で覆われたというのは、
自然災害ではなくて、紛れもなく神からの処罰でした。
目的を持ってもたらされたからです。

創世記6章をみると、人が地上に増え始めたころに、
神の子たちが人の娘たちと関係を持って、ネフィリムという力強い者たちが生まれたことが分かります。
性的不道徳と暴力が広くみられ、
人々が邪悪で考え方全てが常に悪いのをエホバはご覧になって、
地上に洪水を起こしてここを滅ぼすという目的を果たすために
大雨という自然の力を用いました。

自然災害と違って、
神が人間を処罰するためにも災いをもたらす時には
次のような3つの 特徴があります。

1.神は前もって警告を与える

エホバはノアに 洪水によって滅びをもたらすということを決めました。
これはノアだけに与えられた警告でだったでしょうか。
他の人はこの警告を聞かなかったのでしょうか。

ノアは正しいことの伝道者として記されています。
(ペテロ二2:5)
ノアはこの洪水が起きることを人々に前もって知らせていたのです。
邪悪で考え方全てが常に悪い人たちに、
この地球が間もなく洪水によって残されるっていうことを
恐れることなく伝えています。
今まで起きたことがなく、とても起こりそうもないような
規模の災いなので、ノアは 馬鹿にされたり嘲けられたりしたかもしれません。
それでもノアは、40年もの間ずっと警告しました。

2.神は 無差別に処罰するわけではない

この洪水では、悪い人たちだけが滅ぼされ、
正しい人たちは守られました。

3.神は生き残るための指示を与える

エホバはノアに生き残るために箱船を作って、
そこに入るならば保護されると指示されました。
(創世記6:17)
きっとそのことをノアは伝えていたことでしょう。

そしてこの神からの災害というのは、
とても大きな被害をもたらすこととなります。
生き残った人間はたったの8人でした。
他の人たちは全て 滅ぼされてしまったのです。

これほど大きな損害を 与えた要因とは何だったのでしょうか。
それは神の警告を聞き入れなかったことです。
そのために壊滅的な結果をここに来ました。
神は洪水という災害を用いて、
目的通りに 警告に従わない邪悪な者たちを滅ぼし、
正しい人が生き残るようにされました。

自然災害による 被害は、たまたまその場所にいたから助かった、または被害にあったということがあります。
でも、神による災いはそうではありません。
たまたまということは決してないのです。
神からの警告を無視するならば、
それは必ず危険に陥ってしまいます。

この 神による災いとノアのとった行動というのは、
私たちにとってもとても重要な教訓を与えてくれます。
なぜならば、これから私たちは史上最大の神の災いに
直面しようとしているからです。

聖書の啓示の書16章の中には、神による大規模な処罰の日について書かれています。
ハルマゲドンという言葉が出てきます。
映画などの影響によって人類や地球の滅亡をイメージする人が多いかもしれません。
でもこれは全能の神の 大いなる日の戦争のことで、この災害というものは選択的なものです。
(啓示16:14,16)

ノアの時代と同じように、性的な不道徳、暴力というのは
今の世界でも極めて広くなってきています。
神は、それら悪い人たちを除き去って
正しい人たちを救出するために、
ハルマゲドンをもたらされるのです。

これは神が行う処罰なので、
過去と同じような特徴が見られます。
どんな特徴があったでしょうか。

1つ目には、
神は前もって警告を与えるということでした。

聖書を学んでいる私たちは、
聖書からこれから起きる事柄について警告を聞くことができます。

では、聖書を知らない人たちはどうでしょうか。
「王国の良い知らせは,
全ての国の人々が聞けるように世界中で伝えられます。
それから終わりが来ます」と予告されています。
(マタイ24:14)

現在約870万人のエホバの証人が 239の国や地域で、
あらゆる方法で、あらゆる言語で伝えています。
エホバの証人の公式ウェブサイトでは、
1000を超える言語で閲覧することができます。
誰もが自分の母語で警告を聞くことができるようになっています。

2つ目の特徴は、
神が無差別に処罰するわけではないということでした。

「神を認めない人々と,
私たちの主イエスについての良い知らせに従わない人々に報復します。
こうした人々は,永遠の滅びという処罰を受け,
主の前から退けられ,主の偉大な力から切り離されます」。
(テサロニケ二1:8,9)
処罰されるのは、神からのメッセージに従わない人だけです。

3つ目の特徴は、
神が生き残るための指示を与えるということでした。
エホバはどんな指示を与えているでしょうか。

「エホバのもとに行け,地上の全ての温厚な人たち,神の正しい規定を守る人たちよ。
正しいことをせよ。
温厚であるようにせよ。
エホバの怒りの日にあなたたちは隠されるだろう」。
(ゼパニヤ2:3)

まず、エホバのもとに行けとあります。
エホバの組織と交わりつつ、エホバとの温かい個人的な関係を築いていって、それを深めるようにしていきましょう。

そして、正しいことをせよとも書かれています。
エホバの正しい基準に従って、それを擁護するようにしましょう。

さらに、温厚であるようにせようとあります。
謙遜にエホバの意志に沿って生活して、
エホバからの矯正を受け入れるようにしてまいりましょう。

この世界の終わりは間近に迫っています。
エホバは生き残るための警告や指示を与えてくださっています。
まだエホバやエホバの基準について、
またエホバが行おうとしていることについて学んでおられない方は、ぜひ学びようになさってください!
その点でエホバの証人は喜んでお手伝いしたいと思っています。

エホバによる大規模な大規模な処罰の日というのは、
自然災害とは違って、自分が学んだことを実践することによって確かに助かることができます。
ぜひそのために今から備えるようにいたしましょう。

今生じている自然災害というのは、被害しかもたらしません。
しかし、神による 大規模な災いの後は、
素晴らしい祝福がもたらされます。

聖書の次の予告が実現します。
「ほんのもう少しすれば悪人はいなくなる。
彼らがいた場所を見ても,もういない。
しかし,温厚な人は地上に住み続け,
豊かな平和をこの上なく喜ぶ」。
(詩編37:10,11)

そして、平和な世界で永遠に楽しい生活を楽しむことができるんです。
美しい地球を思う存分に楽しむことができます。

神の王国が支配する時に、自然災害や苦しみっていうものは全てなくなります。
「神は人々の目から全ての涙を拭い去ります。
もはや死はなくなり,悲しみも嘆きも苦痛もなくなります」。
(啓示21:3,4)

以前あった恐ろしい津波が あるのではないかと、
海を見ながら恐れる必要は全くないのです。
王として治めるイエスは、
自然界の現象を完璧にコントロールされます。
以前、弟子たちと船に乗って襲ってきた大嵐を、
イエスはしかりつけて興奮を沈めることさえ行ったのです。そのような力強いイエス王のもとで生活できるっていうのは、 本当に心強いことです。

そして、神の王国は人間が損なった地球の環境を修復します。
環境破壊による温暖化や大気汚染といったものは
全てリセットされます。
私たちが活動しやすい本当にちょうど良い気候となることでしょう。

亡くなった方で神の記憶にある人たちを、
イエスは 生き返らせてくださいます。
その中には、自然災害のために亡くなった
多くの方たちも含まれることでしょう。

新しい世界で、穏やかな美しい景色を見て、
エホバへの感謝を捧げるに違いありません。
この時を本当に楽しみにしたいと思います。

今日は、神が自然災害を引き起こしているのはないということ、
神がもたらされる大規模な処罰の日のために
備えて行動するならば、
自然災害や苦しみのない平和を 永遠に楽しむことができる
ということを聖書から考えることができました。

愛情深いエホバは このような将来を約束してくださってるっていうことを考えるならば、
本当に慰められるのではないでしょうか。

この自然災害のない新しい世界でいつまでも幸せに暮らすことができるように、
これから必ず起きる災害に備えて、エホバの警告や指示にしっかりと従ってまいりましょう。

裏付けとなる聖書の言葉は、
http://inx.lv/5yT5
からご覧になれます。

聞いて学んだことを実行しましょう

皆さんはヘレン・ケラーをご存じでしょうか。
よく有名な伝記に取り上げられる人物です。

この人は生まれながらにして、目が見えなくて、
耳が聞こえなくて、 最初は喋ることもできない
三重苦の障害を負った方です。
また生涯を通じて、障害者の地位向上であったり、
世の中に障害者が活動できるような道筋を作った人物です。

この人がある時「もし可能なら、目か耳どちらかがな治るなら、あなたはどちらが治ってほしいですか」と尋ねられたそうです。
もし皆さんでしたら、 どちらが治ってほしいと思いますか。

ヘレンケラーは、聴覚、つまり耳が治ってほしい と答えました。
なぜかというと、音やまた会話を通して
コミュニケーションを図ることができるようになったり、
多くの情報を 耳を通して知ることができるからだと答えました。

私たちは普通耳から多くの情報を得ているっていうことを日々認識するってことは、あまりないかもしれません。
興味深いことに、イエス、キリストは地上におられた時、
聞くことの大切さを弟子たちに繰り返し言われたことがありました。

この聞くという能力を、
皆さんはどれほど高く評価しておられるでしょうか。

ある専門家は、私たちの知っていることの85パーセントが
聞いて学んだことであると述べました。
しかしそれと同時に、 多くの社会問題の根底には、
その聞く能力の乏しさがあるということも提言しています。
聞く能力の低下によって社会の問題が生じているということです。

私たちの信仰というのは、
聞いた事柄から生じると聖書は述べています。
(ローマ10:17)
この聞くという事柄に 私たちはとりわけ
注意を払わなければならないっていうことがわかります。

私たちが普段何気なく聞いている事柄であっても、
この耳の働きを認識することが、信仰を強めていく
という認識を持つことは非常に大切です。

聞いた事柄を自分の生活に生かすことを、
大抵の人たちは日常生活の中で自然に行っています。
例えば天気予報で、今日は日差しが強くなるので
日傘を持っていった方がいいですよとか、
雨が降るので折り畳みさ傘を携帯してくださいとか、
そうした報道がなされます。

そうすると、皆さんは傘を鞄の中に入れたり、
雨具の準備をしながら出かけるかもしれません。
それはまさに聞いた事柄を実践している証になります。
実際に 日差しが強いところで日傘がると本当に助けになります。急に雨が降ってきても、折りたたみ傘があれば、
その雨を防ぐことができます。
まさに聞いて実行した事柄が、
その人の生き方に良い影響を及ぼしているわけです。

聖書の言葉も同じです。
聖書で聞いた事柄を、自分の生き方の中にどのように 生かしていくか。それは聞いた本人にかかっています。
それを生かすか、それとも聞き流すか。
それによって意味は大きく異なっていきます。
ですので、 聞いたことから行動に結ぶということは
非常に大切であるということがわかりま す。

「自由をもたらす完全な律法をじっくり見て守る人は,
聞いてすぐに忘れるのではなく,行動します。
そのような人は幸せになります」。
(ヤコブ1:25)
このように聖書を述べています。
完全な律法、これは聖書の中に書かれている原則または律法のことです。
それを聞いてもすぐに忘れてしまうのではなくて、
行動することの大切さをここでは示しています。
行動することでその人が幸せになると聖書は約束しています。

皆さんは、聖書の方針を聞いて、
それを実際に実行することによって、
確かに幸せであったりとか、幸福を感じることがありますか。
また、それによって自分の生き方が大きく変わっていった
ということを経験してこられたことでしょう。

スペインに住むイソリナ・ラメラという方は、
13歳の時にお姉さんと一緒に修道院に入りました。
そこでは毎朝必ず礼拝堂に行って聖書の朗読を聞く
という習慣があったようです。
しかし、ぼうっとして耳を傾けていなかったので、
何も理解できなかった。そしては神が遠い存在のように感じたということでした。

その後修道女を辞めて、
今度は共産主義団体に属するようになり、
世の中を正義感を持って改革しよう
という気持ちを持っていた方だったので、
共産主義の文書を配布したり、
デモ行進に加わるようになりしました。
ちょうどその頃、自分は何のために生きているのだろうか、
社会を回復しようとすることに価値はあるのだろうか
と考えるようになりました。

一度は宗教に疑問を感じ、聖書を捨てましたが、
ある時、エホバの証人が自宅を訪ね、
その方に苦しみや不公正や不公正について質問したのですが、
驚いたことに、どの質問にも聖書から伝道者は答えてくれました。
ずっと朗読を聞いていたのにもかかわらず、
答えを得ることができなかったその聖書から、
今度は エホバの証人からその答えを聞けるようになったのです。

聖書の教える真理を正確に知ったので、
何のために生き、 どう生きるべきかが
はっきりわかるようになりました。
聖書の中に書かれているように、
今度は聖書の真理を他の人に伝えるという活動に転じました。
https://www.jw.org/finder?wtlocale=J&docid=2014244&srctype=wol&srcid=share

私たちもただ聖書の話をぼーっと聞き流しているだけであれば、
どんなに良い事柄がそこで話されたとしても、
自分に影響がないということがこの方の経験からわかります。
意識し 意欲的に耳を傾けることによって、
聖書の真理は確かにその人の生き方に影響を及ぼします。

聞いて学んだことあるのを実行するという点で大切なのは、
この方の経験にもあったように、
聖書のメッセージを 他の人に伝えるという事柄に影響を及ぼしてきます。

イエス・キリストは地上におられた時に、
良い聞き方をする人が 実を生み出すということを、
弟子たちにおっしゃいました。
(マタイ13:18-23、マルコ4:20)

日常生活の中で、人の声とか音楽騒音風や雨の音、
物理的に聞こえてくる音を拾う時に、
「聞」くという言葉が挙げられます。
自分関係のない音は聞き流し、
関心のある音だけを無意識に拾っていく。
これが「聞く」という時にあげられる字です。

マルコ4章20節の参照資料付き聖書の「聴く」という漢字は
違う字が当てられています。
https://www.jw.org/finder?wtlocale=J&pub=Rbi8&srctype=wol&bible=41004020&srcid=share
これは能動的に聞くことです。
これはエネルギーや努力が必要で、
注意をして人の言葉を聞くこと、人の言うことを理解し、
心に受け入れる。 注意して耳に入れる内容を知る。
そういう意味合いの時に、
この「聴」くという漢字が当てられるそうです。

そのことを意識しながら、 マルコ4章の記述を見ますと、
良い実を生み出す人たちはそういう聞き方をしている人で、
イエスはそういう聞き方をしなさい、
そういう聞き方をした人は、イエスと同じように弟子を作る活動
にあずかる人になりますよということをお話しになりました。

クリスチャンの活動に熱心な人、とりわけ王国の良い知らせを
一生懸命自分のベストを尽くして知らせる人たちは、
聞いて従って実行している人たちであるということがわかります。

では、私たちはどうでしょうか。
ベストを尽くしてそれにあずかっているのであれば、
聞いて従い行動に移している、そういう人物に自分も
なれているという安心感であったり自尊心を保つことができます。
そこまで自分はちょっとまだ行ってないかなと思うのであれば、
ぜひベストを尽くすように努めていきたいと思います。
そうすることによって、イエス・キリストが言われていたような
生き方をしている、そういうクリスチャンになれている
ということの証になるのです。

では、 どういう聞き方をする必要があるのでしょうか?

「神の言葉を実践する人になってください。
聞くだけの人になってはなりません。
…神の言葉を聞いても実践しない人は,
鏡で自分の顔を見る人に例えることができます。
その人は自分を見ますが,そこを離れると,
自分がどのような人かをすぐに忘れてしまいます」。
(ヤコブ1:22-24)

ここで聞くに相当するギリシャ語には、
ユダヤ教徒が行ったように、聖書の公の朗読を聞いている人たち
の意味合いが込められて、 ユダヤ教徒は週末になると
近隣の会堂に出かけていって、聖書の教えを聞いていました。
しかし、 そこから1歩出ると
自分の生活に戻ってしまう人たちが多かったようです。

聖書が繰り返し読まれて、約束のメシアに関する預言について
言及されていたにもかかわらず、
イエス・キリストが到来した時、
そのメシアを受け入れるどころか退ける行動になりました。
つまり、聞いてもそれを実行していなければ
信仰が育っていなかったことを当時の人たちは示していたわけです。

私たちはどうでしょうか?
家に帰れば未信者の家族がいます。
あまり聖書の事柄ついてよく思わない家族もいるでしょう。
職場や学校に行けば、そうした聖書の原則であったり、
聖書の規律とは全く異なる生き方をする人たちがいます。
そうした人たちに影響を受けるってことも多々あります。
そうすると、聞いてもそれを忘れてしまう
ということがあるかもしれません。
そうすると、ただ単に聞くだけの人になってしまいます。

エホバは私たちに素晴らしい耳を与えてくださいました。
この器官をぜひフル活用しながら、
私たちはプログラムまたは集会に参加していきたいと思います。
どんな聞き方ができるでしょうか?

ある資料には、 耳には3つのスイッチがあると示されていました。
1つのスイッチは、音を聞くスイッチであって
いつもオンになっていて、聞こえてくる音や話し方が
そのまま耳に入ってくるようになっているスイッチです。

2つ目のスイッチは、 音や話に注意を向けるスイッチです。
関心のある音や話、自分は必要だと思える音に
注意を絞って音を聞くことができます。

3つ目は、関心を持った音や話に 焦点を絞り込み、
積極的に聞くためのスイッチです。
音の意味を読み、話を理解するために ついているスイッチです。

資料ではこの第2、第3のスイッチは、手入れを怠ると
機能しなくなることがあります。
それで点検とトレーニングを繰り返してくださいと答えています。

創造者であるエホバは、
私たちの耳にこうした素晴らしい機能を備えてくださいました。
このことに意識することによって、
私たちの生き方が非常に異ってくるということです。

皆さんは無響室という音が全く聞こえない部屋に入って
聴覚検査を受けたことがあるでしょうか。
その部屋にいると、自分たちの耳の 能力が
どんどん向上していくのがわかります。
ある調査によると、音響の全くない部屋に 30分いると、
あなたの聴力は少しずつボリュームを上げていき、
自分の体から発せられる、
普段あまり聞いたことのない音が聞こえるようになります。
心臓の鼓動が大きな音で聞こえるようになり、
1時間もすると 血液が血管を流れる音が聞こえてきます。
そして、もし耳が良ければ、心臓の鼓動音と 血液が流れる音との間にシューという妙な音が聞こえます。
これはなんと、
鼓膜に打ち付ける空気の粒子の音であると説明しています。
なんと 1億分のセンチの音を拾う、
そうした能力が人間の耳にはると言われ、
これが聴力終点だという風に資料では説明されていました。

私たちが 集会とか大会で聞くときに、
どれほど注意を集中してこの能力を上げているでしょうか。
同じことを学んでいても、
自分のその聞く事柄を意識するならば、
今までは気づかなかった事柄、今の自分に必要な事柄を
聞き漏らすことがなく聞くことができます。
ぜひこの能力をどんどん上げるようにしていきましょう。

これは年齢であったり、自分の健康状態に関係のないものです。
聞くという事柄を上げていくならば、 私たちは
同じ内容のものでも、過去に聞いたものであっても、
今自分に必要なものを理解することができるようになります。
そうすることによって、聞いたことが残るのは、
自分の生き方に表すことができるようになってくるということです。

この点で、私たちは日々努力していきたいと思います。
そのような聞き方をこれからもしていくことにいたしましょう。
そうすることによって、私たちはどんな益がありますか?

「私のこれらの言葉を聞いて実行する人は皆,
岩の上に家を建てた思慮深い人のようです」。
(マタイ7:24)
イエスはこのようにおっしゃいました。
聞いて学んだ事柄を実行することによって、
その人の信仰はしっかりとした土台を持っていることになり、
そうすることによって、問題の多い世の中に生活していても、
不安とストレスに押しつぶされないようになることができます。

イエスは、聞く事柄に注意を払いましょうとおっしゃいました。
そして、その聞き方に注意をって実行する人は幸せになる
と約束しています。
私たちもこれからもイエスがお命じになったように、
聞いた事柄に注意を払っていきましょう。
そして、それを実践することによって
クリスチャンとして成功し、
これからも幸せな道を歩んでいくことにいたしましょう。

裏付けとなる聖書の言葉は、
http://inx.lv/5yT5
からご覧になれます。

イエス・キリストは世を征服する  いつ、どのように?

皆さんはリスキーシフトという言葉をご存じでしょうか。

これは、 普段は慎重に判断をし節度ある行動を取れる人が、集団になることで極端な方向へと 向かいやすくなる現象のことを言います。

交通量の多い横断歩道の信号は赤です。一般常識的には渡らないでしょう。でも、目の前で多くの人がそこをわたわっています。それを見ていると、だんだんとそれが正しいこと、みんなが渡ってるんで大丈夫という思いになっていきます。つまり、危険度の高い意思決定が容易になされてしまうということです。

周りに合わせることによって何か安心感が得られるからかもしれません。今、世の中ではこうした傾向が多く見られています。

同じ考えを持つ者同士が集まって行動しています。それ故に、意見が異なるもの同士が対立すると、そのような中で正しい生き方・行動を取るというのは本当に勇気がいりますが、実際にそのようにしている多くの人たちがいます。

それは、エホバの証人です。

昨年2022年の統計ですが、世界人口は80億人と言われています。その中でエホバの証人の数は 869万9048人です。そして、聖書を学び神に献身しバプテスマを受けた人の数が 145,552人となっていました。https://www.jw.org/finder?wtlocale=J&docid=1102022816&srcid=share

その人たちは、聖書の教えを学び、そして実際に行動しています。それはすなわち、世の中の考えを取り入れるのではなく、聖書の教え、エホバのお考えを取り入れて、 望むことを行う、エホバのために生きるという選択をした人たちです。

このような生き方は、世の中から見れば愚かと思われるかもしれませんが、私たちまたエホバにとっては最善の生き方、喜ばしい生き方と言えます。

そのような生き方をするのに不安を感じるでしょうか。大丈夫です。私たちのために多くの手本を示してくださったイエスは、聖書の中で世を征服したと断言しているからです。 

この世を征服したとはどういう意味でしょうか。そのことと私たちとはどんな関係があるのでしょうか。
イエスが人間としてどのように生活していたかを知ると、世を征服したとはどういう意味かを知ることができます。 

亡くなる前の晩に、イエスは自分がいなくなることと迫害について話し「これらのことを言ったのは,あなたたちが私によって平和な気持ちになるためです。あなたたちは世で苦難に遭いますが,勇気を出しなさい! 私は世を征服したのです」と述べました。(ヨハネ16:33)

ここに出てくる「世」とは何でしょうか。
これはイエスとイエスに忠実に仕えていた本当のクリスチャンに反対する人間社会、イエスの教えつまりエ神のご意志に反する考え、行動を行う社会のことを指しています。
この人間社会をコントロールしているのは、世の支配者であるサタンです。サタンの考えは今も昔も同じです。
私たちをエホバの側から引き離そうとして、エホバの側に立場を置かないようにするため、 様々な手段や方法を用いて私たちに攻撃してきます。

でも「私によって平和な気持ちになる」と書かれています。イエスと結びついていれば、たとえそうした問題が生じたとしても、 耐える力や乗り越える力また心の穏やかさが得られると述べています。 神に喜ばれる生き方ができるということです。

イエスも地球で人間として生活していた時、サタンから色々な誘惑に遭いました。

(さらに…)

将来は明るい なぜそう言えるか?

「私たちは混乱状態の世界にいる」と

アントニオ・グテーレス国連事務総長は述べたことがありました。

世界の様子を見て、将来が不安になるかもしれません。

個人としても、病気や死別など辛く悲しいことを経験します。

この先、良い事なんてあるのだろうかと思うかもしれません。

暗闇の中の一筋の光のような、明るい見通しはあるのでしょうか?

人間を創造された神は、辛く悲しいことがなくなるという、

慰めと希望を聖書に記しておられます。

<辛く悲しいことがあるのはなぜか?>

愛情深い創造者エホバは、子の幸せを願う父親のように、

私たちには辛い思いをしてほしくないと思っておられます。

それなら、なぜそうしたことがこの世の中には溢れているのでしょうか?

聖書の創世記によると、

エホバは人間を完全なものとして創造されました。

しかし天使の一人がエホバに反逆して、

エホバを嘘つき呼ばわりし、人間にも背くよう仕向けました。

最初の人間は罪を犯し、完全ではなくなりました。

その結果不完全さが、私たちまで受け継がれてきたのです。

(ローマ5:12)

それで私たち「創造物」は、希望を必要としています。

当然の結果である辛い状態を許してはおられますが、

愛情深い創造者は、

今も安心して幸せに暮らしてほしいという考えを

今も抱いておられ、将来悪いことをなくすという

「希望を与え」てくださっています。

(ローマ8:20)

<聖書によるとどんな希望があるか?>

1.世界中が平和になる

  (詩編37:10,11)

地上には神に進んで従う良い人だけが残るので、

犯罪、暴力、戦争がゼロになります。

2.地球がが楽園になり

  過去に亡くなった大勢の人が生き返ってくる

  (イザヤ25:8)

復活があり、亡くなった家族や友人にまた会えます。

(使徒24:15)

3.神を愛する人は健康な状態で永遠に生きられるようになる

  (ローマ6:23)

イエス・キリストだけが、罪と死から人間を救うことができます。

健康な状態で、いつまでも生きる希望があるのです。

4.過去の辛い記憶に悩まされることはなくなる

  (イザヤ65:17)

身体的精神的感情的苦痛は過去のものになります。

不安やトラウマに悩まされることのない生活を送ることができます。

<聖書に書いてあることを信じられるのはなぜか?>

「聖書全体は、神の聖なる力

(神がご自分の望むことを成し遂げるために送り出す,

目に見えない力)の導きによって書かれ」ました。

(テモテ二3:16)

社長が秘書に手紙を書かせる時のように、

エホバはご自分の考えを人に吹き込んで、

その人が自分の言葉で書き記しました。

情報源が神なので、聖書は信頼できます。

1.現代にも通用しとても役に立つ

・聖書はとても昔に書かれた本なのに、

 自然界の描写が正確です。

例えば、今から3500年前に書かれたヨブ記には、

水の循環についての描写があります。

「神は水の滴を持ち上げます。水蒸気が集まって雨になります。

 雲が降らせる雨は,人の上に降り注ぎます」。

(ヨブ記36:27,28)

これは1800年代になって、詳しく解明された事柄です。

聖書は、現代科学と調和しています。

・聖書には、問題にぶつかった時に役立つ

 アドバイスがあります。

例えば、

先のことを悩むのではなく、一日一日を大切に過ごす方が良い

というアドバイスがあります。

「次の日のことを決して心配してはなりません。

 次の日は次の日で心配する事があります。

 その日の問題は,その日だけで十分です」。

(マタイ6:34)

2.すでに実現した預言がたくさん載っている

西暦前732年に書かれたイザヤ書には、

キュロスという人物が難攻不落と言われた都市バビロンを、

(さらに…)

2.5milionGB

皆さんは250万GBのパソコン

もしくはスマホを持っていますか?

そんなの聞いたことないですよね。

でも、 あなたは持っています!

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人間の脳にはそれだけの情報、もしかするとそれ以上の情報を、処理する能力があるのだそうです。

https://www.jw.org/finder?srcid=jwlshare&wtlocale=jJ&prefer=lang&docid=2022680&par=13

なぜだと思いますか?

聖書は、ほかの生き物とは違い人間は永遠に生きる見込みを持つものとして造られたからであると説明しています。

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詩編 37:29

「正しい人は地上に住み続け(地球が与えられ)、

  そこで永遠に暮らす」。

ローマ 6:23

「罪の代償(支払う報酬)は死ですが,

  神が与える贈り物は,

   私たちの主であるキリスト・イエスによる

    永遠の命なのです」。

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わたしたちに命や地球や聖書を与えてこられた神エホバは、私達のことをとても愛しておられるので、いつまでも幸せに生き続けてほしいと思っておられます。

そのために、いろいろなことをしてこられました。そのことをご存じでしたか?

皆さんも、大切な人にはいつまでも元気で生きていてほしい、幸せでいてほしいと思うのではないでしょうか?

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それで是非、

「いつまでも幸せに暮らせます 楽しく学べる聖書レッスン」

を受講してみてください!

https://www.jw.org/finder?wtlocale=J&docid=1011722&srcid=share

私たちの父エホバも、私も世界中のエホバの証人も、あなたがご家族がお知り合いが、永遠に健康で平和で幸福に生き続けてくださることを心から願っております。

敬具。