ずっと続く固い友情を築くには

あなたのお友達と思える人をちょっと思い浮かべてみてくだい。
あなたが今イメージしたその友達は、
1.普通の友達 2.親友 3.大親友、どれに当てはまるでしょうか?

lineアプリには友達というカテゴリーあり、
その友達に追加することによって
相手とトークすることができるようになります。
でも、本当の意味でその友達と呼べるのは
果たして何人でしょうか?
お店関連、ガソリンスタンドとかも友達追加しないと
トークすることができませんが、
普通の友達でも親友でもなければ、
大親友ということはできません。

そもそも友達というのは どういう定義なのでしょうか?
ある女性は、友達というのはなんでも自由に話せる人、
いつでも電話をかけられる人、それが友達だと述べています。

では、親友とはいったいどういうものなのでしょうか?

「真の友はどんな時にも愛を示す。
苦難の時に頼れる兄弟である」。
(格言の書17:17)

本当の友は、一緒にいるだけで心が安らぐような存在です。
親友とは大変な時、落ち込んでいる時、元気がない時、
また不安な時、お互いに素直に感情を出し、
いわゆる本音トークで慰めてくれる人です。
何があっても裏切ることはありません。
本当に信頼できる人を親友と呼べるのではないでしょうか。

真の友達って本当にいいですよね。
心からいいなと思える人のことです。
ですから、この格言17章17節は
いいな!いいな!と覚えることができます。

では、どうやってその良い友達を
選んでいくことができるのでしょうか?

こんなことはありませんか?
仲のいいお友達が持っているものとか、
身に着けているものがすごくよく見えて、
それどこで買ったの?どこに売ってる?
と思わず聞きたくなるかもしれません。
なんかいいな。いい意味で影響を受けます。

子供が今までに聞いたことのない言葉を使います。
親はどこでそんな言葉覚えてきたの?
誰がそんな言葉使ってたの?と聞きます。
良くも悪くも友達から大いに影響を受けるということです。
自分の性格やライフスタイルに
影響を与えるということもあるかもしれません。

「賢い人たちと共に歩むと賢くなり,
愚かな人たちと関わり合うと苦しい目に遭う」。
(格言の書13:20)

ここで賢い人と愚かな人が対比されています。
その結果も全く違ってきます。

ペテロとヨハネは、当時の高等教育を受けていない、
いわゆる普通の人でした。
そんな2人の話し方を見聞きしていた宗教家の人たちが
非常に驚いたと記録されています。
この2人はイエスと一緒にいたことを知って、
周りの人たち宗教家の人たちも納得しました。
イエスと一緒にいるんだったら賢い人になるわと。

愚かな人の例もあります。
ディナは、あまり行いの良くない
地元の女性たちと一緒にいたくて、
よく出かけていったということが聖書に記録されています。
町の中で若い女性たちがうろうろしていることに目をつけられて、
ある時にレイプされてしまうという悲惨な事件がありました。

私たちは友達を選ぶときにどんな点を見るといいのでしょうか?

1つ目の点は良い性格の人です。
きつい嫌な性格の人を敢えて友にすることに
メリットはあるのでしょうか?

「だまされてはなりません。
悪い交友は良い習慣を台無しにし(道徳心をむしばみ)ます」。
(コリント第一15:33)

これまでの培ってきた良いものを蝕むような人は、
友にしない方が賢明といえます。
むしろ自分にとってプラスになる人、良い感化を与えてくれて、
見習いたい真似したい良いところを持っている人を
友にしていきましょう。

「鉄が鉄を研ぐように,人は友を研ぐ」。
(格言の書27:17)
さらに自分を磨き上げてブラッシュアップしてくれる人
を自分の友達にしていきましょう。

選ぶ点で大切な2つ目の点は、神が決めた基準を守る人です。

世の中は、性的マイノリティとかLGBTといった同性愛を
認めてあげようという動きが今一般的になってきています。
そういう生き方をしてる人が、
あなたにとって プラスになるでしょうか?
神様はどういう見方をしているでしょうか?

「性的不道徳や,あらゆる汚れ…
恥ずべき行い,愚かな話,下品な冗談なども,
聖なる人にふさわしくありません」。
(エフェソス5:3-5)
性に関することを含めて神が決めた基準を守っている人
そういう人を友にしていくことにいたしましょう。

友を選ぶのに大切な点は何でしたか?
良い性格の人かどうか、神を愛している人かどうか、
こんな点をぜひ見ていくことにいたしましょう。

では、その人との固い友情を築くには
どうしたら良いのでしょうか?

「愛は辛抱強く,親切です。愛は嫉妬しません。
愛は自慢せず,思い上がらず,下品な振る舞いをせず,
自分のことばかり考えず,いら立ちません。
愛は傷つけられても根に持ちません。
愛は不正を喜ばないで,真実を喜びます。
愛は全てのことに耐え,全てのことを信じ,
全てのことを希望し,全てのことを忍耐します」。
(コリント第一13:4-7)

愛とか親切とか、自分のことばかり考えない、
下品な振る舞いをしない。 これが固い友情を築いていく鍵です。
どういうことでしょうか?
利他的な愛を示す
つまり相手のことを優先して考えるということです。

そのように相手を優先して考え、行動し、友情を築いた
という実例は聖書の中にも記録されています。
ヨナタンとダビデは固い友情で結ばれ、ヨナタンはダビデを
自分自身のように愛するようになったと記録されています。
(サムエル第一18:1)
この当時、ダビデは30歳ぐらいヨナタンは60歳ぐらいでした。
2人には30歳ぐらいの年の差がありました。

ダビデのことをとても大切に思っていたので、
ヨナタンにとって少しリスクのあることでしたが、
殺害予告をダビデに伝えるということまでしました。
ヨナタンが殺害予告を前もって教えてくれたために、
ダビデは遠く離れた別の土地に逃げることができました。
60歳という高齢のヨナタンが荒れ果てた山地を歩いて、
ダビデの信仰を強めるために何十キロと離れた土地へ
出かけて行ったことが記録されています。
(サムエル第一23:16-18)
山岳地帯を何時間何十キロも歩くっていうのは、
高齢のヨナタンには本当にきついことだったかもしれません。
2人は本当に堅い友情で結ばれていたことを示す実例となっています。

こうした実例のように、年齢を超えた友情、
相手のことを優先し考え友情を築いていくということは
本当に美しいことです。

聖書は「心を大きく開いて(自分を広くして)ください」
と勧めています。
(コリント二6:13)
年が離れていても生い立ちが自分と違う人にも目を向けて、
友達になるように1歩踏み出してみましょう。

今は自分ファーストな人がたくさんいます。
自分のことばかり考えるのではなく、相手を優先して考え、
固い友情を築いていくということにいたしましょう。

固い友情を築いていくのに、聖書の教えは本当に役立ちます。
思いっきり笑ってテンションが上がるだけが友達ではありません。
いまいち気乗りしない話をするかもしれません。
ヤコブ1章19節にある「人の言うことに進んで耳を傾けるべきです。
すぐに話し…てはなりません」というその聖書の教えを実践できます。

ある男性はこのように述べています。
「友人の中でも私が特に大切に思うのは、
進んで一緒に時を過ごして、話に耳を傾けてくれる人、
とりわけ、私が問題を抱えている時に、そうしてくれる人です」
と述べています。

日本のこにも親しき中にも礼儀ありという言葉があります。
真の友情があるならば、人の秘密を他の人に話したり、
よくない噂を広めたりすることはないでしょう。
この点で問題を起こして親友を引き離すということがないように、
聖書の教えを実践していきたいと思います。
(格言の書1:28)

ここまでで真の友の選び方や友情を築く方法というものを考えてきました。
でも、もっと大切な友情があります。
エホバという神様そしてまたイエスとの友情です。

神様と友になるってどんなイメージでしょうか?
エホバの友と呼ばれた人が、この聖書の中にも記録されています。

「『アブラハムはエホバに信仰を持ち,
そのことは正しいと見なされた』という聖句の通りになり,
アブラハムはエホバの友と呼ばれるようになったのです」。
(ヤコブ2:23)

信仰を持つだけで神の友になれるのでしょうか。
ヤコブの4章8節は「神に近づいてください。
そうすれば神は近づいてくださいます」と教えています。
近づこうと努力する人1歩踏み出そうとする人
エホバの友になりたいと思う人
をエホバは喜んで友と見てくださるのです。

「聖書学び、信仰を持ち、変わらずに正しく生きる人」
https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1102016828
エホバの友になるには、聖書の言葉を実践することが大切です。
どんなことを実践するのでしょうか?

「イエスは言った。『あなたは,心を尽くし,
知力を尽くし,自分の全てを尽くして,
あなたの神エホバを愛さなければならない』
これが最も重要な第一のおきてです」。
(マタイ22:37,38)

ですから、自分ファースト自分優先ではなく、
自分の持っているもの全てをエホバに第一に捧げる、
そのようにしてエホバとの友情を築いていけるということを聖書は教えています。
私たちは思うこと考えること、感情とか態度、動機や行動、
内面や外的なもの全てにおいて神を1番にして愛し、
神のおきてを守っていくとき友となれるのです。

エホバと親しくなるには、
イエス・キリストの友になるということも大切なことと言えます。

「私は道であり,真理であり,命です。
私を通してでなければ,誰も父のもとに行くことはできません」。
(ヨハネ14:6)

イエスを通して出なければ、
誰もエホバのもとに行くことはできません。
イエスと親しくならずにエホバの友になろうとすることは、
ドアを通らずに建物に 入ろうとするようなものです。

イエスは父エホバと同じように考えて行動するように努めた人でした。
私たちがイエスの友になるには、
イエスの考え方やまた行動に倣い、
イエスが言っていることに従う必要があります。

聖書のマタイやマルコ、ルカ、ヨハネという福音書を読んで、
それをじっくりと思い巡らすなら、
イエスがどんなシチュエーションで、誰と接して何を感じ、
何を思いどう行動しどうエホバとの関係エホバとの友情を
築いたのかということをリアルに感じることができます。
そのようにしてイエスの友になっていくことに致しましょう。

誰かとずっと友達でいるには友情を深めていく必要があります。

自分にとってプラスになるいいなと思える人
神の決めた基準を守るエホバを愛する人を友にしていきましょう。
年の差があっても築ける固い友情という点で
私たちは自分を広くしていきましょう。

何よりも1番大切なエホバとの固い友情を保つために、
定期的に祈ってエホバに語りかけ、
聖書を読んでじっくりと思い巡らしエホバが語る言葉を聞くよう
努力を傾けていくことに致しましょう。

「すでにしている通り,
これからも励まし合い,力づけ合ってください」。
(テサロニケ一5:11)
エホバへの愛を強めるよう仲間を助け、一緒にエホバに仕え、
これからもずっと続く固い友情をみんなで築いていくことに致しましょう。

裏付けとなる聖書の言葉は、
http://inx.lv/5yT5
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