現在全ての人は、目覚めていることの大切さを意識しなければならない時代だと言えるでしょう。
私たちが生活しているこの時代は、聖書で終わりの時代と言われているからです。今の悪い世界がもうすぐ終わりを迎えるのです。
しかし一般の人々は、イエスがマタイ24章の中でノアの日の例を挙げて述べたように無関心な状況です。
また自分がそのような危険な状況にあるということを理解していません。
それで聖書筆者の1人であるパウロは、私たちに対してこのようなアドバイスをしています。
「ですから私たちは,ほかの人のように眠っていてはなりません。
目を覚ましていて,頭がさえた状態を保ちましょう」。(テサロニケ第一5:6)
この頭が冴えた状態というのは研ぎ澄まされた「鋭敏な感覚」で、今どんな時代かをいつも意識して目覚めた状態であって、エホバの考えやエホバの望まれることを第一にした生活を一生懸命行うということを奨めています。
今の世がもうすぐ終わることを考えると、私たちの命がかかっているので本当にそれは重要なことと言えるでしょう。
しかし、皆さんもよく睡魔に襲われることがあるのではないでしょうか。
意識の中では眠ってはいけないと思っていてもだんだんと意識が遠のいて寝てしまう、意識がない無活動の状況に陥る恐れがあることを考えてみると、いつも目覚めていることは、本当に簡単なことではないと言えるでしょう。
では、目を覚ましているのは簡単ではないのはなぜでしょうか?
聖書のヨハネ第一5章19節の中で、この全世界が「邪悪な者の支配下にあ」ると述べているからです。
神に反逆した天使であるサタンは世にあるものを使って、エホバについて考えないように誘導してくるからです。(ヨハネ第一2:15-17)
そうやって、いわば人々を霊的な睡眠に誘う行動をとっているからです。
サタンはこの方法に何千年にもわたって様々な改良を加えてきました。そして念入りにどういった睡眠を人々は受け入れやすいのかということを考えてきました。
ですからサタンの巧妙な策略に、私たちは本当に注意して身を守る必要があると言えるでしょう。
この点でイエスも、身を守る必要があるどんなライフスタイルがあるのかを警告していました。
「とはいえ,食べ過ぎや飲み過ぎや生活上の心配事で
心が圧迫されないよう注意していなさい。
そうでないと,その日が全く突然に訪れます。
わなのようにです。その日は地上の全ての人に訪れます」。(ルカ21:34,35)
皆さんもどうでしょうか。この食べすぎや飲みすぎや生活上の心配事というものが、 本当に私たちの一般の生活の中に見られる事柄であるということを理解できるのではないでしょうか。
例えば暮らしのために必要なもの、家庭の心配もあります。子供をどのように育てていくのかそういった心配もあります。自分の仕事がどうなるのかもわかりません。さらには健康上の心配というものもあります。
日常生活の心配、これは本当に誰にでも心配になる事柄ではないでしょうか。
また私たちの周りを見てみると、物質主義的な欲求を膨らませるような社会、それを欠かせないものと見せる環境もあります。
例えば、経済的に成功を目指す手段として高等教育を一般の社会の中では推奨している状況を見るのではないでしょうか。
確かに、ある程度の教育というものは就職には役立ちます。しかし実際には高等教育を受けようとすると、多くの時間や費用を費やします。そうなると、そのことだけに目を向けることになってしまって、霊的な事柄に目を向ける時間は本当に少なくなってくるのではないでしょうか。
このように日常生活の心配事、誰でも経験すること、仕事や教育や買い物や趣味や遊びなどで頭がいっぱいになってしまうと、また注意してしまうと、日常生活の事柄に振り回されることによって、私たちは思いが削がれてしまうことがあり、 これはイエスが注意しなければならないと述べた警告と言えるでしょう。
もしこの点で自己満足に陥ってしまったり、思い煩ってしまったりするのならばどうでしょうか。
サタンの罠に私たちは陥ってしまうと言えるでしょう。
霊的に眠った状態に陥る危険があるのです。
こういった事柄を考えて、イエスはこのように私たちに警告を与えています。
「それで,必ず起きるこの全てのことを逃れて
人の子の前に立つことができるよう,
常に祈願をしつつ,ずっと目を覚ましていなさい」。(ルカ21:36)
ではどうすれば、ずっと目を覚ましていることができるのでしょうか?
大きく分けると4つの点に注目したいと思います。
1つは、エホバともっと親しくなるという点です。
エホバともっと今以上に親しくなっていく努力を払っていく、これは最も大切な点と言えるのではないでしょうか。
救いは全てエホバからもたらされます。 ですからエホバとの友情は他では得ることのできない重要な関係です。
「より重要なことを見極め」るようにと聖書はアドバイスを与えています。(フィリピ1:10)
器の中に砂とそして石をただ単に入れてしまうならば、全て入れることはできません。
この砂は、例えるならば日常生活の事柄と言えるでしょう。 そして石は、エホバとの大切な友情を築くパーツと言えます。
どちらを優先するかによって結果は変わってくるということです。
後回しにしたものは入れていくことができないですし、意識は薄れていく傾向がありますので注意したいと思います。
イエスはルカ21章36節の中で目覚めているよう警告された際に、エホバとの関係を重要なものとしてさらに深めていくために、「常に祈願をしつつ」と言われていたのではないでしょうか。
祈願とは、極めて真剣な祈りのことです。 イエスは祈願するようにと命じることによって、イエスとエホバの前に立ち親しい状況にいるようにすることに関して無頓着になるわけではないようにといった点を強調しています。
常にエホバの側にいられるように、その関係を深めていくことをいつも思って祈っているのならば、私たちはどのような行動を取ることができるでしょうか?
より一層エホバを知って親しくなるように、聖書を読むこと、個人や家族で聖書を学ぶこと、集会に来てさらにその関係を強めるための知識を得る努力を払うようになるのではないでしょうか。
もっとエホバと親しくなることをいつも思いに留めておくのならば、目覚めている助けとなります。
2つ目は、世の中が提供するものには嵌まり込まないことです。
「世を利用している人は
世を十分には利用していない人のようになってください。
今の世のありさまは変わろうとしているからです」。(コリント第一7:31)
私たちは趣味や読書やテレビとか最新の電子機器を使うこととか、メールのやり取りや最新ニュースにいつも関心を払ってしまうのではないでしょうか。
そしてそれに時間を割くといったことが、考えてみると本当に大切な事柄に向けなければならない時間というものを損ねていることがよくわかります。
必要不可欠ではない事柄に時間をどれだけかけているのか、少し自己吟味にしてみるのはいかがでしょうか?
もしかするとエホバとの関係、エホバの崇拝という最も大切な活動をおろそかにする傾向が見られるかもしれません。
それで世を十分には利用しないようにというアドバイスが、特に今大切な点と言えるでしょう。
なぜでしょうか?
サタンはこの方法を特に今、私たちを引きつけるために用いているからです。
ごく普通の事柄と皆さんも思われるかもしれません。しかし、それに本当に簡単に心が奪われるのではないでしょうか。
ですから必要な調整を図るよう、私たちはいつも気を配っていなければなりません。
いつもエホバとの友情を成長させるためにどのようなものが私たちの時間を奪うものになっているのか、そしてエホバのご意思を行うことに思いを向けることから、時間や機会を削いでいるのかといった事柄を考える必要があります。
そしてそれを私たちが排除していくことが重要な点となってくるでしょう。
3つ目は、聖書の預言が今どのように実現しているかをよく考えて、将来どう実現するかをさらに気を配るということです。
イエスは時の経過とともに霊的な用心深さが失われていることを、例えを使って私たちに教えてくださっています。
「その日や時刻については誰も知りません。
天使たちも子も知らず,父だけが知っています。
ずっと見ていて,目を覚ましていなさい。
あなたたちは,定められた時がいつかを知らないからです。
それは,家を離れて外国へ旅行に行く人が,
奴隷たちに権威を与え,それぞれに仕事を委ね,
戸口番にはずっと見張っているようにと命令するのに似ています。
それで,家の主人がいつ帰って来るか,
夜の初めか,夜遅くか,夜明け前か,あるいは早朝かを知らないのですから,
ずっと見張っていなさい。
主人が突然に来てあなたたちが眠っているところを見つける
ということのないためです。
私があなたたちに言っていることは,全ての人に言っているのです。
ずっと見張っていなさい」。(マルコ13:32-37)
ここでイエスは私たちの状況を、主人が外国の旅から帰ってくるのを待つ戸口番の状況に例えています。
主人がどの時刻に帰ってくるかを知りません。ひたすら見張っていなければならない状況です。
そしてイエスは4つの異なる見張り時に言及しています。その中でも特に第4見張り時、午前3時頃から日の出までの時間帯というのは、本当に眠気に襲われやすい時間帯と言われています。
日本でも夜討ち朝駆けという言葉があるように、ここは敵が攻撃しやすい時間とも言われています。
終わりが進んで周囲の世界が眠気に襲われて意識が混とんとしている時間帯こそ、かつてないほど周囲の出来事に気を配るようにとイエスはここで述べています。
それが重要であるということを、ずっと見ていて目を覚ましていなさい、ずっと見張っていなさいと何度も強調していることからもわかります。
この体制の終わりが迫っていることを示す聖書的な証拠を定期的に振り返ることは確信を強める力となります。そしてずっと見張っている動機付けを私たちに強めるものとなります。
そうするのならば、差し迫っている終わりに関する重要な真理を私たちが見失わないです済むという結果になるでしょう。
さらに、世界の出来事の進展に目を止めることも益となるでしょう。
戦争や地震や暴力行為や地球が汚染されている事は、本当に日々ニュースとして扱われているのではないでしょうか。これは終わりが近いことを銘記させているものと言えるでしょう。
また全世界で流行病が本当に蔓延し、パンデミックが起きました。
多くの国を巻き込んだ戦争が今私たちの時代に起きています。
さらに、王国の良いたよりが全世界で様々な人々が知ることができるよう、様々なコンテンツや方法が取られています。
これは今までの時代の中では起きたことがない事柄、予告されていた事柄です。その事柄に注意を向けているのならば、確かに私たちは目を覚ましていることができるでしょう。
4番目は、良い知らせを伝え聖書について教えるということです。
聖書について教えることが目覚めているために非常に重要なのはなぜでしょうか?人々がどんな反応を示すとしても、良いたよりを伝えることがエホバに何よりも喜ばれることです。
そして、神の目的の進展に1つ1つ自分が寄与しているということを実際に行動で表していることになります。
また、良いたよりを宣べ伝えることに参加するならば、自分の信仰とエホバへの愛が強められていくのではないでしょうか。
そしてクリスチャンとしてエホバから愛されて、エホバと隣人への愛や平和や辛抱強さや親切といったエホバの愛される特質を培うよう助けられていき、宣教でさらにエホバについて伝えたいという専心の思いが強まっていきます。
しっかりとした芯のあるクリスチャンとして成長していくことができます。
眠りから覚めるよう人々を助けることもできますし、私たちが眠らないようにするための助けとも王国を良い知らせを伝えることは関係しているので、確かに目覚めているために重要なことと言えるでしょう。
エホバの日が近づいた今、私たちは日々目を覚ましている必要があります。
それはなぜでしょうか?
「兄弟たち,時や時期については,皆さんに何も書き送る必要はありません。
エホバの日が夜に忍び込む泥棒のように来ることを,
皆さんはよく知っているからです。
人々は,「平和だ,安全だ!」と言っている時に,
突然滅ぼされることになります。
妊婦に起こる陣痛と同じように突然で,彼らは決して逃れられません。
しかし,兄弟たち,皆さんは暗闇の中にはいませんから,
不意に夜が明けて驚く泥棒のように,
急にその日が来て驚く,ということはありません。
皆さんは光の子であり,昼の子です。
私たちは夜のものでも闇のものでもありません」。(テサロニケ第一5:1-5)
ここで言うエホバの日は、間違った宗教に対する攻撃で始まりハルマゲドンで終わる期間のことです。
その日が始まる直前には、どんな顕著なしるしが見られるでしょうか?
国々は「平和で安全だ!」という宣言がなされると予告されていました。
世界の指導者たちは、国家間の関係が改善される時に似たような表現を使うことが今までもありました。
しかしこの予告された平和と安全だという宣言は全く性格が異なっています。
この宣言が出される時に人々は、世界の指導者たちから発せられる言葉によって、全世界が平和で安全な場所になったと勘違いをしてしまう状況が見られるのです。
しかし実際には大患難へと事が運ぶその最初のしるしとなっています。その次の段階として、間違った宗教全てに対する攻撃が始まるのです。
ですから、今こそ目を覚ましているべき時と言えます。
そしてエホバは優しく様々なアドバイスを与えてくださっています。 目を覚ますための方法を聖書の中に記録してくださっています。
それでぜひ私たちは、感謝して聖書の中に記されている目を覚ましているための方法またツールを私たちは用いていきたいと思います。
目を覚ましている努力を、今こそ払わなければならない時と言えます。
そうするのならば、私たちは大患難を生き残り、エホバからの祝福を受け、真の喜びというものを経験することができるでしょう。
ではこの危機が迫った今ぜひ眠気に誘われることがないように、いつも霊的に目を覚ましている状況を心に留めて努力していきましょう。