私たちは皆、神に対して言い開きを求められています。
親は子供の育て方に関して、神に言い開きが求められています。
「若い人たち,若いうちに喜びなさい。…しかし,全てのことに関して,真の神があなたに責任を問うことを覚えておきなさい」と聖書にはあり、若い人たちも、自分の行動について言い開きが求められています。(伝道の書11:9)
ですから私たちは皆、時間、エネルギー、持つもの全ての用い方について、神のみ前で責任があるということです。
神のみ前で良い立場を得てそれを保つために、どのようなことが必要なのでしょうか?
「心を尽くしてエホバに頼れ。
自分の考えに頼ってはならない。
どんな道を行く時にも神のことを考えよ。
そうすれば神が真っすぐに進ませてくださる」。
(格言の書3:5,6)
各人は神の是認を得てそれを失わないように努力する必要があります。エホバに依り頼むことを学ばなくてはなりません。
エホバの是認を得ることは永続的な益になります。
私たちは、一般社会の基準とか習慣にも無頓着ではありません。しかし、それが神の意思とか基準に反するならばどうしますか?
真のクリスチャンは、人への恐れに屈することなく、エホバ神を喜ばせ、真の神として尊ぶことを最優先にすることでしょう。
エホバとの絆を強くして幸せに生きていくためのレシピが聖書にはいっぱい詰まっています。
神の前で是認された立場を得た人々に注目してみたいと思います。
まず1人目は、アベルという人物です。
「しばらく後のこと,カインは土地から得た産物の幾らかを,
エホバに捧げるために持ってきた。
一方,アベルは羊の初子の何匹かを脂肪部分を含めて持ってきた。
エホバはアベルとその捧げ物を好意的に見た」。
(創世記4:3,4)
このアベルの両親はアダムとエヴァでした。
この2人は神に反逆したにもかかわらずアベルは、受け入れられる仕方でエホバ神を崇拝して神の是認を得ようと務めました。
アベルは、崇拝の対象としてふさわしいのはエホバだけだと理解していました。ですから、エホバに捧げ物をしました。
羊の初子の何匹かを選び、最上の質のものを捧げています。
アベルは兄のカインとは違って、エホバとエホバの物事の行い方は常に正しいということを心から信じ、それが信仰の動機となっていたっていうことです。
このアベルの模範から学べるのは、純粋な動機がなければ清い崇拝は行えないということです。エホバに心からの信仰を持ってエホバの正しい基準に心から従わなくてはなりません。
さらに学べる点として、神への専心を示す行為を一度するだけでは清い崇拝を行っているとは言えず、 私たちの生活や行動全体が関係しているということを覚えておきたいと思います。
今日でも、信者でない家族に囲まれながら真の崇拝において堅く立っている人は多くいます。
フィジーの1人の若者は、通りかかった人に声をかけました。楽園の地に関する聖書の約束についてすでに聞いていて、そのエホバの証人との話し合いで再び関心が呼び覚まされました。
そして母親の住む島へ行って聖書研究を始めることにしました。島に帰ると、若者の家族は反対するようになりました。さらに、栽培し始めた作物を皆台無しにし、村の者たちからも、自分たちの宗教以外を許さない村から出ていくようにと言われました。
別の小さな島にある父親の村に来ました。古い波形鉄板のカヌーを作って、海を何キロも漕いで毎週エホバの証人に会いに行ったようです。家族の反対は続き、島の人里離れた場所で隠遁生活もしました。しかし本島に引っ越すことができ、伝道者として霊的に進歩しているようです。
このように、真の崇拝の道を歩むに家族からの反対を受けるとしても、忠実な忍耐が神から見過ごされたりはしないことを確信することができます。
2番目はエノクです。
「アダムから7代目の人エノクも,彼らについてこう預言しました。
『エホバは無数の聖なる者を率いて来ました。
全ての人を裁き,神を敬わない罪人を皆,断罪するためです。
彼らが神を敬わずに行った全ての不敬な行為と,
神に反抗して語った全ての不快な事柄に関して,断罪するのです』」。
(ユダ14,15)
エノクはおそらく人々のところに出かけていって、この音信を伝えたことでしょう。
伝えるべき警告は非常に強力で、当時の行為、行動の仕方を糾弾するために不敬虔なという言葉を用いられていました。エデンから追放されて以来人々が築いてきた世界が腐敗しきっていることを警告したのです。
エホバが無数の強力な天使たちの軍勢を率いてこられる時、その世界は大変災による終わりを迎えます。エノクはこの音信をたった1人で恐れずに伝えたのです。
現代のエホバの僕たちも、脅しとか暴行を受けても恐れずにエホバの裁きを触れ告げています。
ロシアのアレクセイ・エルショフ兄弟が1994年にバプテスマを受けた頃には、ロシアのエホバの証人はある程度自由に活動することができていました。
後に状況は大きく変わり、2020年エルショフ兄弟は家宅捜索を受け,たくさんの物を押収され、数カ月後に起訴されます。しかも,起訴内容は聖書に関心があるふりをして1年以上兄弟と接触していた人が撮った動画に基づくものでした。
こうした出来事は、ただ辛いだけの経験だったでしょうか?エホバとの絆が強まりました。このように述べています。
「以前よりも妻と一緒に祈ることが増えました。エホバの助けなしでこの状況を乗り越えることはできない,ということを実感しています。落胆の気持ちを克服するのに,個人研究が助けになっています。神に忠実に仕えた人たちの手本について,じっくり考えるようにしています。聖書に記録されている多くの記述を読むと,平静さを保ち,エホバを信頼することの大切さがよく分かります」。
最近では世界中で、かつて迫害が厳しかったものの今ではいくつもの会衆が繁栄している地域も多くあります。
あらゆる国民の憎しみにあっても、王国の良いたより伝え続ける人々をエホバが本当に是認し祝福してくださっている証拠ではないでしょうか。
3番目はアブラハムとサラです。
「信仰によってアブラハムは,神に招かれた時に従い,
神から与えられることになる場所へ向かいました。
行き先も知らないまま出掛けたのです。
そして信仰によって,約束の地で外国人として暮らし,
自分と同じ約束を与えられたイサクやヤコブと共に天幕に住みました。
アブラハムは真の土台を持つ都市を待ち望んでいたのです。
その都市の設計者および建設者は神です」。
(ヘブライ11:8)
このアブラハムが住んでいたウルという町は比較的安全で住みやすく、設備が整っていました。 堅固な城壁で守られ三方を堀で囲まれていました。住民は読み書きと算数もできました。ウルの遺跡では多くの商業文章が発掘されています。 人々の家は煉瓦ででき漆喰を施し白く塗り上げられていました。石畳を敷いた中庭を囲むように部屋が13,14ある家もあったようです。
アブラハムはエホバが自分と家族を守ってくださることを信頼しなければなりませんでした。
このウルの安全な快適な家を離れて屋外に天幕を張って住むことになったからです。自分と家族を守ってくれる城壁も深い堀もありません。敵にいつ襲われてもおかしくない状態でした。
本当に信仰をアブラハムとサラは示しました。
神の王国を生活の中で第一にするには、アブラハムとサラのように、神に喜ばれるために進んで犠牲を払う必要があります。
ビル・ウォールデンは間もなく米国の大学を卒業し,建築工学の学士号を取得しようとしていました。ちょうどその頃,エホバの証人と聖書を学ぶようになりました。
教授は,ビルが卒業後に就職できるよう話をつけていました。でもビルはそれを辞退し,収入の良い仕事に就くよりも神に十分に仕えたいと思っていることを伝えました。
その後間もなく,ビルは軍隊に召集されました。理由を説明して断ったところ,罰金 1万㌦と5年の刑を宣告されました。
3年後に釈放されたビルは,その後ギレアデ学校に招かれ,アフリカで宣教者として奉仕しました。結婚した後も,犠牲を伴うアフリカでの奉仕を共に行いました。
やがて2人は,ビルの母親を世話するため米国に戻りました。ビルはこう言っています。「エホバは私を70年余にわたって奉仕に用いてきてくださいました。この大きな特権を思うと,涙が込み上げてきます。それでしばしば,この奉仕を生涯の仕事とするようエホバが導いてくださったことに感謝しています」と述べています。
4人目はモーセです。
「信仰によってモーセの両親は,モーセを生後3カ月の間隠しました。
その子が美しいのを見たからであり,王の命令を恐れなかったのです。
信仰によってモーセは,成人した後ファラオの娘の子と呼ばれることを拒み,
罪のつかの間の快楽にふけるよりも神の民と共に虐待されることを選びました。
任命された者として非難を受けることは,
エジプトの宝より価値がある,と考えたからです。
報いを一心に見つめたのです」。
(ヘブライ11:23-26)
エジプトで裕福な人たちは広い屋敷に住んでいました。王室の一員であったモーセは、人文科学とか天文学、数学など、エジプト人の知恵をことごとく教授されていました。普通のエジプト人にとっては夢でしかない富と権力と特権を得ていたのです。
しかし40歳の時にある決定を下します。モーセを養子にしたエジプト王家の人たちは戸惑ったに違いありません。モーセはエジプト人の普通の生活にさえ背を向けて、奴隷たちとともに生活することを選んだからです。
なぜでしょうか?
モーセは信仰によって目に見える事柄よりもずっと多くのことを見ていたのです。見えない方エホバと神の約束の成就に対する信仰を抱いているので、こうした行動ができたということです。
世の見地からすれば、人生の選択を誤ったと見なされたかもしれません。
しかし、イスラエル国民を指導する務めを託されるという素晴らしい報いをエホバから与えられました。本当にそれは素晴らしい祝福でした。
今日のエホバの民の中にも、世での名声を受け入れず、物質中心の生活様式を追い求めないようにした人が大勢います。
では、生き方を決める際に信仰はどのように助けになると思いますか?
神の約束に対する信仰がある人は、目先の将来だけ考えるでしょうか。それとも、永遠の将来を見据えて計画を立てるでしょうか。ぜひ、その点で考慮してみてください。
ソフィーという女性は米国各地のバレエ団から,奨学金に加え,高い地位を約束されていました。こう語ります。「熱烈な賛辞に胸がときめきました。実際わたしは,仲間のダンサーより優れていると思っていました。でも幸せではありませんでした」。
そのころ「若い人は尋ねる ― どんな生き方をしたらよいのだろう」というビデオを見ます。https://www.jw.org/finder?srcid=share&wtlocale=J&lank=pub-ivyf_1_VIDEO
「これを見て気づきました。世は成功とファンからの熱烈な賛辞を与えてくれましたが,その代わりに,エホバへの心のこもった崇拝を奪い取っていたのです。それで真剣にエホバに祈り,バレリーナの道を捨てました」と述べています。
ソフィーはこの決定をどう思っているでしょうか。「以前の生活を懐かしいとは思いません。今わたしは100%幸福です。夫と共に開拓奉仕をしています。今は有名でも裕福でもありません。でもエホバがいます。研究生がいます。霊的な目標があります。自分の決定を後悔したことは一度もありません」とはっきりと述べています。
エホバは生活の中で王国の関心事を大事にする人たちに、いつも祝福を与えてくださいます。
5番目はラハブです。
「信仰によって娼婦ラハブは,
不従順に行動した人々と共に滅びないで済みました。
偵察者たちを親切に迎え入れたからです」。
(ヘブライ11:31)
ラハブは本当に勇気を示しました。イスラエルの2人の偵察者がエリコの自分の家にやってきました。 エホバを信頼して、勇気を出してをかくまいました。そして安全に逃れるように助けを与えました。
ラハブは、エホバが真の神であって、その地をイスラエル人にお与えになることに信仰を持っていました。エリコの王や王から遣わされた者たちにも萎縮しないで、勇気を持って語って勇敢に行動しています。
その結果ラハブと家族は命を救われるという素晴らしい報いを受けることができました。
同様に現代の勇気あるクリスチャンたちも、自分の命を危うくしても王国の関心事を推し進めてきました。
例えばルワンダという国では、集団虐殺が行われました。 その時ツチ族とフツ族の証人たちが命を懸けて互いを守り通したのです。中には自分の命をかけて守ったという兄弟たちもいました。
兄弟たちのために命を危うくするような状況は、誰もが直面することではないかもしれません。 しかし神のみ前で良い立場を保つには、次の点が必要です。
それは、自己犠牲的な愛を示さなくてはならないということです。
巡回監督やその妻をもてなしたり、病気や怪我をされてる方を世話したり、食事に招いたり、困ってる人を助けたり、王国の業を支持するために労力や資産が提供されています。
神のみ前で是認された立場を得るために、私たちは今行動する必要があります。
全ての人間はアダムの子孫ですから罪が皆あり、生まれながらにして神から疎外されてるといえます。とはいえエホバは、イエス・キリストを贖いの犠牲として与えてくださいました。それに基づいてエホバと和解し是認された立場を得ることを可能にしてくださったのです。
来月行われる主の記念式において、私たちはエホバとイエスの愛を本当に感じることができるでしょう。https://www.jw.org/finder?wtlocale=J&docid=1011268&srcid=share
私たちは大群衆です。 この大群衆はこの贖いから益を受けることができます。啓示7章9、10節では「白くて長い衣服を着て」いると述べられています。これはエホバのみ前における是認された立場を表しています。贖いによってそうした立場を得ることができているのです。
では、大群衆の人は何ができるでしょうか?
神の王国の音信を熱心に触れ告げることによって、 先ほどの昔のエホバの忠実な人たちのように信仰を実証することができます。自分の状態を吟味して必要な調整も行っていく必要があるかもしれません。
今聖書レッスンをしている方、関心を持つ方はどうでしょうか。
まだ時が残されてるうちに、救われるためになすべき事柄をぜひ知って学び続けていきたいただきたいと思います。 t.co/REdyiKUiXa
今こそ、神のみ前における自分の立場に注意を払うべき時であると言えます。行動を遅らせるならば、それは命という大きな損失になるに違いありません。
真のクリスチャンは、エホバの前で良い立場を得て保つことが重要です。
神のみ前に是認された立場を得てそれを保った人に見倣うことによって、これからも是認された立場を保ち続けてまいりましょう。