皆さんはおいくつになられましたか?
たとえ何歳であったとしても、永遠という観点からするとごくごく短い年月と言えるかもしれません。
亀は100年以上生きるものもあると言われています。樹齢何千年にもなる植物もあると言われています。
それに比べて人間は90年生きれば良いことだと言われます。
寿命を伸ばそうと懸命に努力するんですけれども、それ以上生きることは難しいというのが今の現状です。
人間は80年か90年だという既成事実のような認識がありますので、誰でもそのことを意識して人生設計を立てようとします。
そして80年が過ぎようとしたり90年が近づいてくると、今の世の中では就活とか、最後に住む家のことを終の棲家という表現も使うことがあります。
そういう言葉を使わなければいけない現状は悲しいことではないでしょうか?
ずっと生きていたいと思うににもかかわらず、自分の意図に反して健康を害してしまったり死を経験しなければならない現実を目の前にするとき、どうしてそういう風になってしまうんだろうと私たちは考えるものです。
人生が短いとか儚いなと感じることがあるのは何でなのでしょうか?
「神は全てを適切な時に美しくした。神は人に,永遠を思う心さえ与えた。
それでも人は,真の神の行いを決して知り尽くすことがない」。
(伝道の書3:11)
動物は時系列で物事を考えることはできません。
人間だけが、過去現在そして未来にわたって思考を働かせて将来のことを考え、しかも永遠という観点で物事を考えることが可能です。
エホバは元々「永遠を思う心」を与えてださっているからです。
私たちの身体面の造りに注目して見ても、ずっと生きられるように造られていることがわかります。
脳は平均グレープフルーツほどの大きさと言われていて、1300グラムの神秘とも言われます。潜在的能力がすごいからです。
およそ2000万冊の本の情報量、世界最大の図書館に収められているのと同じ数の本の知識を吸収することができる能力があると言われています。
ある百科事典によると、これほど素晴らしい造りなので、人間の脳の長期的な記憶能力は事実上無限であると言われています。
無限であるにもかかわらず、わずか80年とか90年で死んでしまうとしたら脳の機能を十分活用する前に私たちは死んでしまうことになります。
科学者たちは、脳がこんなに素晴らしいのに人間はなんで老化して病気になって死んでしまうのだろうかと研究を続けていますが説明できないというのが現状です。
でも、聖書は説明しています。
人間が死ぬようになった原因は、人類史の最初の時点に遡らなければなりません。
最初の人間アダムとエバは神に従う限り永遠に生きることができました。
「エホバ神は人にこう命じた。
『庭園の全ての木の実を満足するまで食べてよい。
しかし,善悪の知識の木の実は,食べてはならない。
それを食べた日にあなたは必ず死ぬからである』」。
(創世記2:16,17)
それは神の主権を支持することを意味していました。
悪魔サタンが蛇を用いて最初の人間夫婦に接触を図ることになります。エヴァが禁じられている実を食べたとしても決して死ぬようなことはない、しかもその実を食べることによって神のようになれると唆されました。
「そこで女がその木を見ると,
おいしそうな実が付いていて,魅力的な美しい木に見えた。
それで女はその木の実を取って食べ始めた。
その後,一緒にいた時に夫にも渡した。夫もそれを食べ始めた」。
(創世記3:6)
エヴァは見つめれば見つめるほど、その実が魅力的に思えたかもしれません。そして実際に手に取って食べました。
その後どうしましたか?夫にも渡しました。夫はどうしましたか?エバを諫めることなくなく、自分もその実を食べてしまいました。
これは故意に神の命令に反したことを表しています。
その後どうなったでしょうか?エホバが宣言された通り死を経験するようになりました。
この反逆の影響はどれほどのことをもたらしたでしょうか?
「このような訳で,1人の人によって人類に罪が入り,罪によって死が入り,
こうして,全ての人が罪人になったために,死が全ての人に広がった…」。
(ローマ5:12)
私たち人間はアダムとエバが罪を犯した後に生まれていますので、罪と死が遺伝のように受け継がれていると言わなければなりません。
聖書は人間が死ぬようになった原因をこのように明らかにしています。
ですから今私たちは、死んでしまうというこの現状から抜け出すのは非常に難しい状況に置かれているということです。
自ら反逆した人間のことを神は見限っているのでしょうか?当初の目的通り永遠に生きてほしいと今でも願っております。
人間はこれまでなんとかして老化を防げないだろうかと研究を行っています。科学とか医学の進歩に信頼をしてる人も少なくないです。
最近では細胞レベルの研究が行われていて、細胞の老化を遅らせる酵素の発見であったり、細胞を初期化すれば老化を逆転させることができるのではないかという議論さえなされているといいます。
衛生面の基準も向上していますし、感染症対策とか抗生物質やワクチンの開発も行われているので、それによってある程度健康が保たれるようになりました。
平均寿命はある程度伸びたとは言われています。とはいえ研究者たちは、人間生来の寿命はこれ以上伸びないと考えているようです。
昔モーセは詩編90編10節の中で私たちの寿命は70年、丈夫な人でも80年ですと書いたことがありました。人間がどんなに努力したとしても、寿命はモーセの時代からはほとんど変わっていないのが現状です。
こういう状況に置かれている私たちのために、エホバは救済策を設けてくださいました。
それは死に至る病気に対するいわば特効薬が開発されたようなものです。その手段とはどういうものでしょうか?
「神は,自分の独り子を与えるほどに人類を愛したのです。
そのようにして,独り子に信仰を抱く人が皆,
滅ぼされないで永遠の命を受けられるようにしました」。
(ヨハネ3:16)
どんなことをエホバを行ってくださったでしょうか?
ご自分の独り子を与えたと記されています。それは何のためでしょうか?
人類を救済するために イエスを贖いとして捧げるためでした。
これはいわば史上最大の愛の表明ということができます。
私たちのためにイエスを与えてくださったエホバのお気持ちを考える時に、ぐっと心に迫ってくるものがあります。
イエスはエホバが最初に造られた誰よりも大切な子供でした。天には多くの天使たちもいましたが、エホバはあえてご自分の独り子を私たちのために遣わしてくださいました。
贖いというのは失ったものを取り戻すために支払う対価のことを指しています。
アダムは完全だった時に反逆したので、人類に罪と死をもたらしました。ですからもう1人の完全な人間が、失ったものを取り戻す代価を支払う必要がありました。
ですから贖いにはイエスが死を経験して、完全な命の代価を人類のために支払うということが関係していました。イエスはこの割り当てを受けるように指名された時、自ら進んでこの務めを受け入れてくださいました。
そこに示されているエホバとイエスの愛を考えると、本当に迫ってくるものがあるのではないでしょうか。
興味深いことにエホバは最初の人間が反逆した直後に、創世記3章15節にあるというこの取り決めを設けられました。これはサタンですら思いつかない意表を突く速さの取り決めでした。
私たち人間のためにエホバとイエスがとても特別な愛を示してくださってることを感じると本当に感謝が深まるのではないでしょうか。
ではこの贖いの犠牲の価値によって、私たちはどこで永遠に生きることができるのでしょうか?
神は間もなくこの悪い世界を終わらせます。そして生き残る人々が大勢いることも聖書は示しています。
ほとんどの人々は、神が最初に考えていた通り回復されたこの地上で永遠に生きる希望が差し述べられています。
これまで亡くなった人々には希望がありますか?
復活という取り決めがあります。
目を瞑って楽園で起こる時のことを想像することができますか?大勢の人々が復活してきて、ハグし合って再開できる時の喜びを想像すると胸が熱くなり、そうしたことをエホバが成し遂げてくださることを知ると本当に嬉しく思います。
今、もしかすると愛する人との死別を経験することがあるかもしれません。それは本当に心に大きな傷となる出来事の1つです。
神が呼んでくださると、そういう人々はみんな復活してきます。そして、私たちはその方々を出迎える機会があります。
何が行われますか?
聖書レッスンを希望する人に、エホバのことを教える機会がたくさん開かれることになります。そうした時を私たちは楽しみにしたいと思います。
次の約束に注目すると、楽園への期待は高まっていくに違いありません。いくつか紹介したいと思います。
「ほんのもう少しすれば悪人はいなくなる。
彼らがいた場所を見ても,もういない。
しかし,温厚な人は地上に住み続け,豊かな平和をこの上なく喜ぶ」。
(詩編37:10,11)
私たちの安全を脅かすような出来事は生じなくなります。
ストレスからの解放を経験することができます。私たちは毎日こうしたことを気にかけながら生活をしているかもしれませんが、そうしたものから解放されます。
これは本当にワクワクする希望の1つです。
「『私は病気だ』と言う住民はいなくなる」。(イザヤ33:24)
楽園に行くとそういう病気とか心配事は全部なくなりますので、朝起きるたびに清々しく目を覚ますことができて、活動的に業にあずかることができます。
「神は人々の目から全ての涙を拭い去ります。
もはや死はなくなり,悲しみも嘆きも苦痛もなくなります。
以前のものは過ぎ去ったのです」。
(啓示21:4)
病気、 悲しみ、嘆き、苦痛の原因全てが取り除かれることになります。
新型コロナウイルスの脅威にさらされることもありません。病気にかからないようにするためワクチンを接種しなければならないかという心配もなくなります。
通院もしなくてよくなりますし、病気のために掛けなければならない保険もなくなります。
どれだけの開放感を味わうことができるか、こうした記述をじっくり黙想する時に、楽園が待ち遠しく感じるのではないでしょうか?
ヨブ記33章などを見ますと、若さを取り戻すこともできるとあります。毎日鏡を見るのが楽しみな時がきます。
平和が永続することとか、生活に困窮することはないという約束も詩編72編などを見ると考えることができます。
こうした素晴らしい環境で生活できる希望をエホバが与えてくださっています。
永遠に生きると聞いたときに、退屈じゃないだろうかという人もいるようです。
あなたはいかがでしょうか?どのように過ごそうかと悩みますか?
今の人生で成し遂げられることは、本当にごくわずかです。とりわけエホバについて学び尽くすことなど到底できることではありません。
どんなことを今のうちにリストアップしておくことができるでしょうか。
例えば、神の素晴らしい作品である創造物をじっくり研究できるかもしれません。
天の川銀河について調べるとしたら、どれぐらいの年数が必要だと思いますか?
天の川銀河には4000億個の恒星があると言われています。宇宙全体ではどれほどの数があるのでしょうか?1年に1つの星を研究しようと決意したとします。天の川だけで4000億年必要です。
でも、聖書の中でエホバはそうした星1つ1つを名前をつけて造られたとあります。名前をつけるほどに愛情を込めて造っておられるわけですからその1つ1つを時間をかけて研究するためには、やはり時間が必要です。
旅行したいと思われますか?
世界中の兄弟姉妹との親睦を深めたいと思われるでしょうか。やはり時間が必要ではないでしょうか。
たくさんの楽器を弾けるようになりたいと思われますか?
レッスンを受けて身に付けられるようになるまで、やはり時間が必要です。
色々な料理の腕を磨いてみたいなと思われますか?
時間があると、こうしたことも取り組めます。
自分のルーツである人たちがどういう経緯をたどってきたのか調べてみたいと思いますか?
そのためにもやはり時間が必要です。
やれること、試してみること、楽しめることは無限に考えれば出てきます。
お勧めしたいのは、楽園で行ってみたいことをリストアップしていくことです。
楽園でやることリストみたいなものを作ると、将来に対する希望をいつも思いの中で鮮明に保つことができるかもしれません。
生きることは決して退屈ではありません!とても素晴らしいことが待っています。
皆さんは旅行とかでお出かけになるお好きなタイプでしょうか。
旅行に行く時には、おそらくガイドブックを一生懸命調べたりとか、ウェブサイトで目的地のことを詳しく調べることが殆どではないでしょうか。
なぜ調べるのでしょうか?
到着してから、どこのお店に寄ってどんなところ訪問したら楽しくなるかも思い描きたいからそうするのではないでしょうか。
私たちも楽園でしたいことを今のうちに具体的にイメージしておくと、下調べしていた旅行が楽しみになるのと同じように、早速時間を活用して楽しいことを行うことができると思います。
今は大変な時代ですけれども、楽園のことを思い続けるならば、今難しいことが生じたとしても耐える力になっていくと思います。
旅行では、目的地に到着するまでの間に予定通り行かないことも多々あります。アクシデントに遭遇し、やっとのことで目的地につくこともあるかもしれません。
でも、楽しいことが待ち受けているので、トラブルがあったとしても良い思い出として、笑い話として済むことも多いかもしれません。
私たちは本当に長年奉仕をしてきて、まだ楽園が来ないのかなと長く感じることがあるかもしれません。気落ちすることもたくさん経験するかもしれません。
でも楽園のことを考え続けると、大きな力を得ることができます。
今この時代で起きていることを、いわば目に焼き付けておけば、楽園になった時にエホバが素晴らしくこの世界を変えてくれたことの目撃証人になってるわけですから、復活してくる人々に語る材料をたくさん持つことができます。
今は本当に悲惨な時代ですけれども、私たちがそうしたことを目撃していることは、新しい世界で多くの人々と聖書レッスンをするときに、エホバのことを確信を込めて伝える材料になっていきます。
そのことを思いに留めて、引き続き忍耐を示していくようにしたいと思います。
人間が永遠に生きることは可能でしょうか?確かに可能です。
イエスの贖いを備えてくださったので、エホバはそれを実現してくださいます!
これは人類の最大のエホバからの贈り物です。
でも贈り物は、差し伸べられた後に実際に受け取らなければ、自分のものにすることはできません。それを受け取るかどうかは、ここにいる私たち1人人にかかっています。
贖いを受け取っていることをどのように示す必要があるでしょうか?
ヨハネ3章36節では「信仰」を働かせるようにと勧められています。
これは、能動的で活発な様子を連想させる言葉です。神の約束を固く信じて、心から楽しみにしている状態を指しています。
私たちは信仰を働かせるように勧められていますので、エホバとイエスの愛に感謝して、実際に行動する人であり続けていきたいと思います。
そうした信仰を培って保つためには何が必要でしょうか?
「永遠の命を得るには,唯一の真の神であるあなたと,
あなたが遣わされたイエス・キリストのことを知る必要があります」。
(ヨハネ17:3)
エホバとイエスに関する正確な知識を学ぶことです。
私たちにどんな生き方をエホバが望んでおられるかを学んで実践する人となるということです。
これからもぜひ聖書を学び続けてください。
そのための時間をこれからもぜひ取り分けるようになさってください。t.co/REdyiKUiXa
そして集会とか大会にこれからも定期的に出席するようになさってください。https://www.jw.org/finder?wtlocale=J&docid=1011229…
なぜそれは大切なことなのでしょうか?
学んでいる知識は、永遠の命へと繋がるものだからです。
神は元々、人間が永遠に生きるように創造してくださっています。
今も神の目的は変わっておられません。罪と死を取り除くために、イエスを贖いとして与えてくださいました。
永遠に私たちが生きるためには何が必要でしょうか?
エホバが与えてくださっている贖いという贈り物をちゃんと受け取る、信仰を働かせることが大切であるということでした。
では、これからもエホバの約束に強い信仰と確信を抱き続けていきましょう。
エホバを永遠にわたって賛美し、その方のご意志をずっと行えるのは本当に大きな喜びです。
ではその約束の成就に、皆さん1人1人、私たち全てがあずかれるものとなれますように。
裏付けとなる聖書の言葉は、
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