信仰で結ばれた人たちは守られる

「兄弟たちが一致して共に住むのは,

何と素晴らしいことだろう。何と心地よいことだろう」。

(詩編133:1)

これは、ダビデという人物が歌った歌の中の1つです。

当時、イスラエルの民族はばらばらに生活していました。

でも、年に3度だけエルサレムに向かう機会がありました。

その光景を目にしたダビデは、心からこの言葉を歌ったに違いありません。

 

この歌は、現代の私たちにとっても大切なメッセージを伝えていると思われませんか?

本当の意味での真の一致というものが、血縁だけで成り立っているとしたら、ダビデは敢えてこの歌を歌う必要はなかったかもしれません。

残念なことに、血の繋がりがあったイスラエル人同士の間でさえも争いが起こっていました。

近年私たちが見ることがある戦争や戦闘というものも、民族的に近しいもしくは地理的に近しい人たち同士で起こっています。今ウクライナもしくはパレスチナで起こっている出来事も、それを証拠づけているのではないでしょうか。

では、真の平和は実現するでしょうか?

それを見出すことはできると思われますか?

今、インターネット上に世界で最も多くの人口が集まっていると言われています。そのインターネットやSNSの中で、真の平和や一致は実現していると思われますか?

私たちエホバの証人がこの一致を味わっています。私たちも年に3回の大会を味わうことができています。その場に行くことができた方たちは、みんなが一堂に集まる様子を見て、ダビデと同じような気持ちを感じられたかもしれません。

ではなぜ、このような血の繋がりも政治的な繋がりも全くないエホバの証人は、真の一致というものを実現できていると思われますか?

「あらゆる人を敬い,信仰で結ばれた兄弟たち全員を愛し,

神を畏れ,王を敬ってください」。

(ペテロ第一2:17)

何で結ばれているとありますか?

血の繋がりでも政治的なものでもなく、信仰で結ばれているとあります。

信仰で結ばれているゆえに、エホバを愛し敬って崇拝している。

それが繋がりを生んでいるということになります。

その結びつきはどれほど広く大切なものでしょうか?

一体何がそれを実現させているでしょうか?

そこでペテロは話し始めた。「神が不公平ではないことがよく分かりました。

神を畏れて正しいことを行う人はどの国の人でも神に受け入れられるのです」。

(使徒10:34,35)

エホバは不公平な方ではない。そして全ての国の人がエホバから受け入れられている。これが真の平和と一致を享受できている理由になっています。

その結果、現代では850万人そして240を超える国や地域で、エホバの証人がエホバを崇拝するために集まっています。私たちはwebサイトの中で国際大会の様子を、動画や写真で見ることができます。多くのいろんな背景から来た仲間たちが、共に楽しんでいる様子を見ることができます。

私たちが今味わっているこの信仰で結ばれた兄弟関係こそが、真の平和であると言えます。

ですがエホバの証人は、 自分たちがこの中に招き入れられて、その中で真の平和と一致を楽しむことで満足しているわけでは ありません。新たに多くの人をこの中に招き入れるための努力を日々払っています。

「しかし,聖なる力があなたたちに働く時,あなたたちは力を受け,

エルサレムで,ユダヤとサマリアの全土で,

また地上の最も遠い所にまで,私の証人となります」。

(使徒1:8)

これはイエスが天に昇る前にクリスチャンたちに対して述べられた、指示のようなものです。この指示を、すべてのクリスチャンは真剣に受け止める必要があります。真のクリスチャンはこの言葉に習うために 日々努力をしています。日本全国そして世界中の至るところで、そのために様々な活動を工夫して行っている様子を見聞きすることができています。

私たちもその行動を取ることによって、エホバの公平さを体現していくことができています。

ではその招待を聞いた人はどうでしょうか?

この兄弟関係の主な目的は、守られるため存在しています。

では、一体何から守られる必要があるのでしょうか?

「国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がり,

あちらこちらで食糧不足や地震があります。

これら全ては苦しみの激痛の始まりです」。

(マタイ24:7,8)

何があると書かれていますか?

敵対、食糧不足、地震がある。またイエスは別の場面で、同じ時期に流行病も広がると述べていました。

私たちが学校で勉強していることを振り返ってみても、毎日ニュースで見ることを見ても、この言葉は現代にちょうど当てはまっていると思われるに違いありません。

教科書を開いてみれば、2つの世界大戦は歴史的に本当に大きな意味を持っていたことがわかります。

統計上、大きな地震も増加しています。日本では2011年以降、 熊本や北海道でも大きな地震が立て続けに起きています。

そして、私たちは流行病もまだイメージが残っていて、全ての不安が除き去られたわけではありません。

全ての人が今のこの時代に、大きな苦難や困難を抱えて生活をしています。

でも、預言はそこで終わっているわけではありません。

「その時,世界の始めから今まで起きたことがなく,

いえ,二度と起きないような大患難があるからです」。

(マタイ24:21)

今すでに起こっていることだけでも大変な時代だと思います。

でもまだ先に人類が味わったことがない大患難があると予言されています。

それは一体何のことでしょうか?今までの世界大戦を凌駕するほど大きな戦争でしょうか?1人も生存者を残さないような大きな自然災害が起こるのでしょうか?

「それらは邪悪な天使たちの息であって,

奇跡を行い,全世界の王たちのもとに向かう。

全能の神の大いなる日の戦争に王たちを招集するためである。

『私は泥棒のように来ます。目覚めていて自分の外衣を守る人は幸福です。

その人は,裸で歩いて恥をさらすということがありません』」。

(啓示16:14,15)

全世界の支配者が全能の神エホバと戦うために集められると書かれています。これは今目にしているような戦争と全く違うことは容易に想像がつきます。全世界の政治家が1か所に集められるということは、物理的に不可能なことです。

ですので、ハルマゲドンというのは、全世界の支配者たちが団結して、 エホバとイエスに敵対する神の戦争を表していることがわかります。

これが現代に起こると言われている 大患難です。何かとてつもなく凄いことが起こるということは容易にわかります。

でも、それが今私たち1人1人にとって 大きな意味を持つと言えるのはなぜでしょうか?

この戦争がエホバに敵対して起こるということは、エホバの側に立つ私たちもターゲットにされることになります。

ですが、信仰による結びつきこの兄弟関係がそれを保護するものとなると言えます。

それもやはり聖書が証明してくれています。エホバが人々を守ったどんな例が頭に浮かびますか?

「以下はノアについての記録である。

ノアは正しい人で,当時の人々とは異なり,非の打ちどころがない人だった。

ノアは真の神と共に歩んだ」。

(創世記6:9)

1つ目はノアのストーリーです。

彼の時代も 生活がしづらいものでした。彼にとっては周りの人たち全員が、自分に敵対するような人たちだったに違いありません。

それでもノアとその家族はエホバを信頼し続けました。

エホバはそのようなノアたちを、決して見捨てることはありませんでした。ノアとその家族を、その中から救い出すための手立てを用意されました。

箱船の建造は、彼らにとってどんな作業でしたか?

手慣れている作業だったでしょうか?雨は降りそうですか?緊急性は迫っていますか?周りの人たちは応援をしてくれていますか?

ノアはどうしたでしょうか?

「ノアは,全て神に命じられた通りにした。まさにその通りにした」。

(創世記6:22)

ノアは、引き続きエホバに対する確固とした信仰姿勢を保つことができました。エホバの示されたこと全てに従順に従うということを実践しました。

これから何が起こるのかが見えていなかったにもかかわらず、全て言われた通りにすることができました。 その結果彼と家族は、今まで起きたことがない洪水から守られました。

エホバからの指示に従うことで救われたということがわかります!

2つ目に考えたいストーリーがあります。

1世紀のクリスチャンたちです。

先ほど読んだマタイの預言は、部分的に当時の彼らに成就していました。

西暦70年、エルサレムという国が滅ぼされました。

ですがエルサレムとユダには、エホバに従うクリスチャンたちが残っていました。彼らはどうなるのでしょうか?

「ですから,荒廃をもたらす極めて不快なものが,

預言者ダニエルが語った通り,聖なる場所に立っているのを見掛けるなら

(読者は識別力を働かせなさい),

その時,ユダヤにいる人は山に逃げ始めなさい」。

(マタイ24:1,16)

山に逃げるようにという指示を出されました。そのタイミングも出されています。

エホバはその中にいたクリスチャンのことを忘れているわけではないということです。

どんなタイミングでしたか?

不快なものが聖なる場所に立っているのを見たら、それが逃げるタイミングだということでした。

不快なものは当時のローマの軍隊のことを表しています。なぜ不快ですか?彼らは偶像崇拝をしていました。それが聖なる場所に立つとはどういうことでしょうか?

ローマの軍隊は神殿に入ってきました。 これが逃げる合図、タイミングの合図となったわけです。

識別力を働かせるなら、今が逃げるタイミングだと気づけたということです。

でもまだ都市は強大な敵に囲まれています。どうやって山に逃げていくのでしょうか?

人間の見地からは考えることができないことが起こりました。 軍隊が一時的に退いていったタイミングがあり、気付いたクリスチャンは理解して逃げることができました。

私たちがこの中にいたらどう思いますか?

今、逃げなきゃいけないのかな?住み慣れた暮らしがあるけれど。もう軍隊なんて戻ってこないんじゃないだろうか?

でも、この指示に従うことには本当に意味がありました。

もし仮にその時、エルサレムの中にとどまっていたらどうなったでしょうか?

その直後、エルサレムの中の治安は急激に悪くなりました。住んで残ってる人たちに、戦いに加わるように圧力が急激に増したとされています。このタイミングで逃げなければ、一緒に戦う羽目になったかもしれません。

そして歴史が示す通り、結果的にはその都市は滅ぼされることになります。

当時は考えることができない出来事が起こっていました。

でも、実際に指示に従って救われたクリスチャンがいるということです。

 

ノアと一世紀のクリスチャンの例2つを考えると、大切な2つの教訓を引き出すことができます。

1つ目は、患難から救い出された人たちがいるということです。

2つ目は、その人たちは確かな行動を取ったということです。

こう考えると、私たちの前に大きな問題があったとしても、エホバは決して見捨てることなく、明確な指示を必ず与えてくださるということを 確信して待つことができるのではないでしょうか。

そのために私たちが踏まなければいけない3つのステップを考えましょう。

1つ目のステップです。

「エホバの名を呼ぶ人は皆救われる」。

(ヨエル2:32)

ノアはどんな生き方をしていたでしょうか?

自分が何をしているのかわからなくても、ずっとエホバを信頼し続けていました。エホバに近づき続け、エホバからの導きを常に求めていました。

これがエホバの名を呼び続けるということです。

2つ目のステップです。

「神は,自分の独り子を与えるほどに人類を愛したのです。

そのようにして,独り子に信仰を抱く人が皆,

滅ぼされないで永遠の命を受けられるようにしました」。

(ヨハネ3:16)

どんなステップが求められていますか?イエスに信仰を働かせるということです。

これには何が含まれますか?

1世紀のクリスチャンは、逃げるべき細かいタイミングや逃げる方向が指示されていました。物を持って逃げてはいけないといった指示も含まれていました。

彼らはイエスを、自分たちクリスチャン会衆の頭だと認めていたので、それに従うことができました。

3つ目のステップは、

クリスチャンの仲間に加わるということです。

大患難が迫ってきた時、どうしたいと思いますか?

あっちに行った方が安全だこっちに行ったらきっと保護されるだろうと自分で考えてバラバラになりますか。

エホバは秩序を大切にされます!

ノアと家族の保護されました。1世紀のクリスチャン全体をエホバは保護されました。

今、この地上にも見える組織 というものがあります。聖なる力によって選ばれた兄弟たちからなる統治体という兄弟たちがいて、巡回監督が大会や訪問を通して私たちを励ましてくださいます。そして会衆を通して、とりわけ長老たちから具体的な指示を受けることがあります。

それら全ての組織の仕方はこの聖書の中に書かれています。そして現代でも同じ基準同じ方法で選ばれています。エホバはそういう秩序を大切にしておられます。

この取り決めのおかげで、私たちは困難な状況になったとしても、信頼してついていくことができます。

エホバが真の神で、これから救いをもたらしてくださいますと熱心に伝える時、難しいと思えることがあるでしょうか?

ノアのことを思い出すといいかもしれません。

集会を通して教えられる貴重さ、集会の大切さをつい忘れてしまうことがあるでしょうか?

1世紀のクリスチャンのことを思い出してみるといいかもしれません。

イエスを頭として認めたので、イエスからの指示、エホバからの指示に従いたいと思うことができます。

 

このように、この信仰で結ばれた兄弟関係のことを考えるとほっとします。 でももう1つ大切なことは覚えておかなければなりません。

この道を歩むときに、勇気が求められることがあるということです。

これから起こる患難エホバに対して向けられるものです。私たちもそのターゲットにされることがあります。

「希望を抱いてエホバを待ち,神の道にとどまれ。

神はあなたを重んじて地上に住み続けさせてくださる。

悪人が取り除かれるのを,あなたは見る」。

(詩編37:34)

希望を持ってエホバを待ちとどまるようにとあります。

エホバの助けがあるなら、ちょっと大変だな難しいなと思うことがあっても、エホバが助けてくださるということを再び確信することができます。

エホバの証人たちはどんな方法で保護されていますか。各自が逃げたい方向に走り回っているでしょうか。

みんなで共にエホバの救いを待つ。そういう姿勢を覚えておきたいと思います。

そうするなら、 ダビデと同じような言葉を将来叫ぶことができるでしょう。

「兄弟たちが一致して共に住むのは、

なんと素晴らしいことだろう。なんと心地よいことだろう」。

では、同じ信仰を持って、困難になったとしてもエホバの助けを確信して、エホバから守られるよう励んでいきましょう。