なぜ?
災害とか悲惨な出来事に見舞われると誰もが口にする言葉です。
この短い言葉に込められている人々の苦悩とか心痛を考えると、 切実に感じられ人ごとではありません。
猛威を振るうハリケーンによって人命が奪われ、建物が破壊されます。
地震により数分で都市が瓦礫と化します。
いつもと変わらない平和な日が、戦争やテロによって恐怖と暴力の伴う悪夢のような日に一転します。
事故により家族が怪我をし、命を落とすことがあります。
多くの場合、何の罪もない無実な人々が犠牲になります。
近年こうした惨事が頻繁に起きているので、「なぜ」と神に訴えかける人の数が本当に増えています。
「神様、なぜこんなことをなさるのですか。あなたを怒らせるようなことをしてしまったのでしょうか」
「神はどこにおられるのですか。万物を制御する方が、なぜこんなことを許されるのですか」
神の忠実な僕たちも同様の疑問を神に尋ねています。
「私に悪事を見させるのはどうしてですか。圧制を見過ごしておられるのはどうしてですか。私の前に破壊や暴力があるのはなぜですか。口論や争いがあまりにも多いのはなぜですか」。 (ハバクク1:3)
皆さんも本当に神がいるならば、なぜこれほどまでに悪いこと辛いことを許しているのかと考えたことないでしょうか。
でも「神様、なんでこんな苦しみを許しておられるんですか?」
この疑問、なんだか神が悪いことをもたらしてるように聞こえないでしょうか。
「エホバが憎むものが6つある。いや,ひどく嫌うものが7つある。傲慢な目,うそをつく舌,無実の人の血を流す手,邪悪なことをたくらむ心,急いで悪に走る足,うそばかり言う不正直な証人,兄弟の間に口論を引き起こす者である」。 (格言の書6:16-19)
ここに記されている7つの行為は基本的なもので、 人間が行うあらゆるタイプの邪悪な行為を網羅しています。
さらに注目できるのは、6つから7つに増えているという点です。 これはここに挙げられたものが全てではないということを示唆しています。
つまり、神は過去に起きた苦しみ、現在起きている新しいタイプの悪,そういったもの全てを憎んでおられるということをこの聖句は証明しています。
そうであるなら、神が苦しみとか不公正を全て憎んでおられて、それを除き去る方法をご存じで、そうする力を持っているのであれば、依然として至るところに災いが起きているのはなぜかと思うことでしょう。
神が苦しみを許しておられる理由を知るには、苦しみが始まったその地点まで戻る必要があります。
創世記3章には、最初の人間と蛇を操るサタンとのやり取りが記されています。
最初の女性のエヴァは、「庭園の真ん中にある木の実」について、「食べたり触れたりするならば死ぬ」と神から言われ,それを理解していたことがわかります。
それに対して蛇は「あなたたちは決して死にません」、木の実を食べた日に目が開かれ「神のようになって善悪を知るようになる」と述べます。(創世記3:1-6)
言い換えると、「自分たちには支配者としてのエホバは必要ない。 何が正しく何が間違えているかを自分で決定できる。だからその実を食べてごらん」と言っています。
サタンがエヴァをエホバに不従順になるように誘惑した時に、重要な疑問が提出されました。
サタンはエホバの支配する権利に関して疑問を投げかけ、神はあなたたちに良いものを与えていない、人間は神の支配を受けなければもっと幸福になれる。だから従う必要はない、とほのめかしたわけです。
これはエホバの主権、すなわち支配する権利に対する攻撃でした。
エホバはこの論争に決着をつけなければなりません!
どうすればサタンの主張が偽であることを、人間やこのやり取りの一部始終を見ていた天使たちを含む全ての被造物に証明する必要が出てきたということです。
反逆者を全て滅ぼして、初めからやり直すことももちろんできます。
ですが何度もやり直してそれで出来上がった完成体を見せても、エホバの支配権に関する権利に対してちゃんとした答えを提出できるでしょうか。
1つの例えで考えてみましょう。
学校の先生が難しい問題の解き方を生徒に説明しています。
反抗的な生徒が先生、解き方が間違えてますと異議を唱え、 先生は有能ではないと言わんばかりに、自分はずっと良い答え方を知っていると言い張ります。
その意見は正しいと思う人もいて、反抗的な態度を取る生徒も現れてしまいます。 先生はどうするでしょうか?
教室からそれら反抗的な生徒たちを追い出すならば、 授業を再開することはできますが、他の生徒にどんな影響があるでしょうか?
先生は自分の間違いを証明されるのが怖くて追い出したんだと考えて、先生に対する敬意を失う生徒が現れる可能性はあります。
では、 最初に意義を唱えた本人がどう問題を解くか,クラス全体の前で試す機会を与えるとしたらどうでしょうか?
生徒たちに自分たちの意見が正しいことを証明してみる機会を与え、反抗した生徒たちが失敗するならば全ての生徒が、教える資格があるのはその先生だけであるということを悟るでしょう。この生徒たちが反抗し続けるならば、その時は教室の外に出したとしても、他の人たちは納得することでしょう。
エホバはこの先生と同じようなことを行ってこられました。蛇であるサタンがエホバの支配に異議を唱えた時、そこには無数の天使たちも見守っていたことを忘れてはなりません。
エホバが反逆をどう扱うかは、それらの天使たちや私たち人間全てに大きな影響を与えるのです。
エホバはあえて行動することを控えて、サタンがどのように人間を支配するつもりなのかを明らかにする時間を与えられました。 また神は、人間がサタンの導きのもので自らを治めるならばどうなるかということも許してこられました。
その結果を見ると、エホバとサタンのどちらが支配するのが正しいかということを天使たちも人間も理解できるということです。
サタンがエヴァに述べた神からの独立は、 真の自由と継続する幸福をもたらすことができたでしょうか?
サタンの導きのもと行われている人間による支配は、幸福へと導くことができたでしょうか?
エホバはサタンによって提出された論争の正しさを証明する時間を与えてもうすでに6000年が経過しています。どんな結果になってるでしょうか?
戦争、抑圧、苦しみ、この様子を見て人々は言います。これ以上悪を許す時が続くと私たちは壊れてしまう。
限界!これがサタンの支配の結果です。
エホバは一部の生徒には、問題の答えをこっそり教えていたようです。
預言者ハバククは私たちと同じように、もう限界です。なぜそんな状況が続くんですかとエホバ神に尋ねていました。
エホバはハバククが酷く苦しんで、心から助けを求めていることをご存知でした。 それで、間もなく起きる事柄について知らせていました。
「この幻は定められた時のためのもので,終わりに向かって急いでおり,偽りではない。 たとえ遅れ(ているように見え)るとしても,待ち続けよ。必ずその通りになるからである。遅くなることはない!」。 (ハバクク書2:3)
エホバはハバククを優しく慰めて、間もなく問題を解決すると言われます。
この言葉からわかるように、エホバは不公正と抑圧を終わらせる 「定めの時」を設けていたことがわかります。
ですから、遅れているように思えたとしても、落胆すべきでも手を緩めるべきでもありませんでした。 むしろ待ち続け、日々緊急感を抱いて生活するべきでした。
その約束は本当に果たされたでしょうか?
ハバククがエホバに語りかけてから約20年後、エルサレムは滅びます。のちに再建されることになりますけども、悪の多くはその時に断たれることになります。
では、私たちの「なぜ」にはいつ答えてくれるんでしょうか?
エデンの園で2人がサタンに従ってしまった結果、おまけのようなものがついてくるようになりました。それが罪と死です。 これがなくならない限り「なぜ」は解決しないと思いませんか。
エホバはすでに解決に向けた行動をとってくださっています!
「罪を犯し続ける人は悪魔から出ています。悪魔は初めから罪を犯してきたからです。神の子が現れたのは,悪魔の行いを終わらせる(滅ぼす)ためです」。 (ヨハネ第一3:8)
サタンがアダムを誘惑した結果、全ての子孫を罪という窮地に追いやりました。 この罪は、どんなに技術が進歩しても、体を鍛えたとしてもどうすることもできません。
神の子が現れたのは悪魔の行いを終わらせるためとあったように、エホバ神は子であるイエスを悪魔の行いを解決する者として任命したことがわかります。
イエスはアダムの罪と引き換える命を死によって与えることによって、悪魔の行いである罪と死を取り除くことをしてくださいました。
では、そのイエスの命の効果が有効になるのはいつなのでしょうか?
「悪を行う人は取り除かれるが, 希望を抱いてエホバを待つ人は地上に住み続ける。ほんのもう少しすれば悪人はいなくなる。彼らがいた場所を見ても,もういない。しかし,温厚な人は地上に住み続け,豊かな平和をこの上なく喜ぶ」。 (詩編37:9-11)
悪がなくなるのはいつだとあったでしょうか?ほんのもう少しすればとあります。
ですが、エホバを待つ人、温厚な人の苦しみが間もなく終わるという慰めの約束であるということがわかります。
罪を受け継いだ人間がエホバを待つ、これはエホバを知ることを意味しています。 どんな人か知らないのにいくら待っていても見つけることはできませんよね。
温厚な人、辞書で調べると穏やかで情に厚いとありましたが、変化をするには時間が必要になります。
エホバが悪を容認しておられる理由の中に、 私たちが変化する時間を与えてくださったということもあります。
イエスが亡くなってから、もうすでに2000年以上が経過しています。ですから、私たちが変化するのに許されてる時も非常に短くなっているということができるでしょう。
私たちは、自分に降りかかる問題や世の中の状態を見て、なぜ?そのように神に誠実に訴え続けてきました。
その答えが明らかになる時、 そしてイエスの死の効果が有効になる時は近づいてきました。
より一層神の言葉に注意を向けて、神からの慰めまた希望の言葉に心を留めていきたいと思います。
「私は新しい天と新しい地を創造している。 以前の事柄は思い出されることも,心に浮かぶこともない」。 (イザヤ書65:17)
聖書では「地」という言葉が、地球ではなく人々を指して用いられる場合があります。
ですから「新しい地」とは人間社会のことで、今の問題だらけのこの世の中から全ての苦しみもろとも除き去って、神の主権を支持する人々からなる社会に置き換えるということです。
以前の事柄は思い出されることもないとありました。人間の記憶は1回リセットして新たにやり直すということなのでしょうか?
「神は人々の目から全ての涙を拭い去ります。もはや死はなくなり,悲しみも嘆きも苦痛もなくなります。以前のものは過ぎ去ったのです」。 (啓示の書21:4)
「また天使は,命の水の川を私に見せてくれた。その川は水晶のように澄み切っていて,神と子羊の座から流れ出ており, 都市の大通りの中央を流れていた。川の両側には命の木があった。それらの木は年に12回,毎月実を結び,木の葉は人々を癒やすためのものだった」。 (啓示の書22:1,2)
命の水の川は、人間の命を最終的に完全な状態に回復させるために備えた神の取り決めを表しています。この川から飲むことによって、人間の命は神が人間を造られた当初の完全な状態に整えられていきます。
この場所には、涙、悲しみ、嘆き,死さえも存在しません。「以前のものは過ぎ去ったのです」。
ですから「以前の事柄は思い出されることも心に浮かぶこともない」というのは、人間の記憶が初期化されてしまうということではないことがわかります。
全ての悪から解放された生活を心から楽しむことによって、喜ばしい思い出で上書きされていくということです。
エホバは間もなく私たちをあらゆる悪から解放されたなぜ?のない世界に導いてくださいます。
そのような確かな希望があるなら、預言者はハバククが辛い状況を辛抱できたように、皆さんも耐えることができるはずなのです。
6000年前に反抗的な生徒サタンが提出した問題の間違いが証明される時が近づいています。
先生であるエホバは、 間もなくそのサタンからチョークを取り上げて正しい答えを示されます。
私たちは、問題を正しく解答できるのはエホバであることを認めて、その支配の正しさを支持していきたいと思います。
そのようにして正しい選択をするならば、真の命を楽しむことができます。それはエホバ神が人間を創造された時に意図されたとこしえにわたって続く命なのです。
それではこれからも神の言葉に注意を向けて、その中に記されている神からの慰めと希望の言葉が、 今抱えている「なぜ?」を乗り越えるための原動力となりますように。
裏付けとなる聖書の言葉は、 http://inx.lv/5yT5 からご覧になれます。