一般に聞くというのは話すより難しいと言われています。
話すは技術、聞くは器という言葉があるそうです。
話すことは訓練次第で上達できますので、技術ということができます。
一方聞くことは、技術というよりその人の器つまり人間性が問われる部分で、話の聞き方1つでその人が判断されてしまうことさえあります。聞く姿勢がその人の器そのものを表しているということです。
人の話を全然聞いてないと言ったり言われたりすることありますね。耳の聞こえには問題がないんです。何か違うことを考えてしまっている。
イエスもこのことを問題視しておられて、聖書の中で「耳のある人は聞きなさい」という言葉が全部で8回も出てきます。どんな意味が込められている言葉だと思われますか?
逆の言葉の意味を少し考えてみるとわかります。聞く耳を持たないという言葉があります。
もちろん聞こえないわけではありません。聞いた言葉の意味が理解できないわけでもありません。でも意見とかアドバイスを聞き入れて参考にしようとする姿勢がないという意味で聞く耳を持たないと言われます。
それの反対で、イエスは自分の考えに影響を与えるような姿勢で、注意深く聞くことが大切だということを教えていたわけです。
ところが今、聖書のメッセージ聞いたことがある方は多いかもしれませんが、それに真剣に注意を払う人は限られていますね。世の中の色々な情報が溢れているために、この聖書のメッセージの価値が分かりにくくなっています。
聞いたのにそこから何の影響も受けないのであれば、それは聞いていないのと同じです。
神の言葉を注意深く聞くということはとても大切です。
さらにその次にあることはもっと大切です。
「信仰は聞いた事柄から生じます。キリストについての言葉を聞いて信仰を持つのです」。(ローマ10:17)
聖書が書かれた当時、読んで学ぶための個人用の本を持っていませんでした。基本的に教えは語られて、みんなはそれを聞くという形で学んでいました。
ですから注意深く聞くことが大切でした。聞いたことからそれに信仰を持つようになるからです。
今は聞くだけではなく、色々読むもの見るものがあります。でも集会では聞いて学ぶのが基本になっていますね。
神様とイエスについて読むにしろ聞くにしろ、そういうことかと理解してそれで終わりではありません。
学んでどうなりたいと思っているのでしょうか?
単に教養を身につけたいわけではありませんね。詳しくなって聖書博士みたいになることを目指しているわけでもありません。
どんな時でも聖書の教えに沿って考える人になりたいのではないでしょうか。それを目指して私たち聖書を学んでいます。
聖書の教えに沿って物を考える人は、その考えに基づき行動することもできます。知識を蓄えるだけで満足するのではなく、学んだことを実行しなければなりません。
「しかし,自由をもたらす完全な律法をじっくり見て守る人は,聞いてすぐに忘れるのではなく,行動します。そのような人は幸せになります」。(ヤコブ1:25)
聞いて行動することが大切だと教えています。行動は何をもたらしますか?「幸せになります」とあります。幸せになりたいですね。
しかし、今の自分を改めなければならないことに気づいた時、行動はこれ簡単なものではありません。
今の自分を変えられたらどんなにかいいだろうけど、長年の染み付いた習慣から簡単に抜け出すことができない人は少なくありません。思い切った行動を取るというのは、とても力のいることです。
でも神様は助けてくださいます。
それを経験して本当に幸せになっている人がたくさんいます。