親としての責任と喜び

初めて自分の子供を腕に抱く親には、相反する感情が湧き起こると言われています。

イギリスのある父親は「深い喜びと感動を覚えました。しかし同時に圧倒されそうなほどの責任を感じ、自分には心構えが十分にできていないと思いました」と言っています。

アルゼンチンに住む1人の母親は、「幼い娘が必要としていることを満たしてあげられるかどうかと心配でした。この子を責任感のある大人に育てられるかと考えました」と言っています。

子育て経験のある人であれば、こうした親の喜びや不安に共感を覚えるのではないでしょうか。

確かに子育ては人が取り組める仕事の中でも大きな労力が求められます。そして充実感もありまたもどかしさを感じることも多いでしょう。

「子育ては1回限りの勝負だ」と言う人もいます。

ですから良い親になるための信頼できるアドバイスが欲しいと感じるはずです。

しかし私たちの周りを見てみると、それを難しくする状況が見られます。

多くの国では、子育てのアドバイスを専門家に求める親は少なくありませんが、

述べるアドバイスも、その専門家によって意見が分かれています。

その意見も時代遅れになってしまうという流れもあります。

最近では同年代の友達やソーシャルネットなどにアドバイスを求める若い親たちが多いようです。

信頼できるアドバイスをどこに見い出せばよいのでしょうか?

どうすれば子供をしっかり育てることができるのでしょうか?

人間のアドバイスがあてにならないということを考えてみると、他のところに求めるしかありません。

人間の創造者であり、子育てについてまた子どもたちのことを一番よく知っておられる方にアドバイスを求めるのは、理にかなったことではないでしょうか。

「あなたを救う方,イスラエルの聖なる方,エホバはこう言う。

 『私エホバは,あなたの神である。

  あなたのためになる生き方を教え,あなたを導いて正しい道を歩ませる。

  あなたが私のおきてに注意を払いさえすれば!

  そうすれば,あなたの平和は川の流れのように豊かになり,

  あなたの正しい行いは海の波のように多くなる」。

  (イザヤ48:17,18)

本当に人間の造りをご存知である方に教えてもらいその道を歩むのならば、私たちはしっかりと子どもを育てていくことができるのです。

ではベストを尽くして子どもを育てるためのどんな指針をエホバは親に与えてくださっているのでしょうか?

まず親としての責任を理解していなければならないということを、エホバは教えてくださっています。

親にはどんな責任があると聖書は述べているでしょうか?

「子供はエホバからの財産,子は神からの贈り物。

  若かりし時の子供は,靱な人の手にある矢のようだ」。

 (詩編127:3,4)

私たちは自分で生命を作り出すことはできません。命の源はエホバです。

ですから子供は貴重な託された「財産」であると述べられています。

皆さんは、貴重な財産を預かったならばどうするでしょうか?

それを本当に大切に扱うのではないでしょうか。

またそれを託した人は、それをどのように扱っているかまた大切にしているかということに注目するのではないでしょうか。

エホバも、親が子供たちをどのように育てるか、その命と将来に深い関心を持っておられるということがこの聖句からわかります。

エホバからの財産ですから、親はエホバの前に子どもをどのように育てたか明らかにする責任があるということをはっきりと認めておかなければなりません。

子供を産む親は、大きな責任を引き受けてそれに応じて育てていく務めがあります。

「もしもある人が,自分の家族,特に一緒に住んでいる人たちに

(さらに…)

『世の人々』のようではなかったキリストに倣いましょう

パリ・オリンピックも終わり、人々の関心も国内の
色々なスポーツに向くようになっていますが、皆さんは如何でしょうか。

もし何かのスポーツで成功したいと思うならば、自分だけの力で
試行錯誤を繰り返してトレーニングをすれば上手く行くと思うでしょうか?
恐らくそうではないと思いますね。
その分野で成功して、しかも名のある人となっている人に
コーチに付いて教えてもらえば成功の近道になるのではないかと
考えるのではないでしょうか。

同様に、この世の人々のようではなかったという点で成功して、
名のある人となると、それはイエス・キリストということになります。
ですから、この世の人々のようではないという点で成功するためには、
イエスの手本に倣うことが1番の道といえます。

「私が世の人々のようではないのと同じように,
 彼らも世の人々のようではありません」。
  (ヨハネ17:16)

世の人々のようであってはいけないのはなぜなのでしょうか。
世の人々とは、神に仕えてない人という意味になるでしょう。
この世の中は誰がコントロールしているのでしょうか?

「私たちが知っている通り,私たちは神から出ていますが,
 全世界は邪悪な者の支配下にあります」。
 (ヨハネ第一5:19)

ですから、全世界のコントロール者は悪魔サタンということになります。
私たちのこの世界の背後には、サタンが糸をを引いてるということですね。
サタンは自分の考え方とかまた性質に人々倣わせようとしている、
そういう力がこの今の世の中に満ちていると言えるのではないでしょうか。
聖書の中にあるエホバの基準と正反対のことをさせようと人々をそういう力がしているので、世の人々のようになってはならないとイエスは教えられました。
ですから何もしないならば、世の人々のように神に仕えないという
サタンの意のままに生活するようになるということです。

私たちはそういう状態の中に住んでいるので、
世の人々のようにならなかったイエスの模範に倣うということは、
本当に大切なことと言えるのではないでしょうか。
では、イエスはどういう方なのでしょうか?

「イエスは,人々が自分を王にするために捕らえに来ようとしているのを知り,
 ただ独りで再び山に去っていった」。
 (ヨハネ6:15)。

イエスは政治に関わらなかったということになるでしょう。
ですから、私たちも政治に関わらないようにしたいと思います。

「しかしイエスは言った。
『キツネには穴があり,鳥には巣がありますが,
 人の子には自分の家がありません』」。
  (マタイ8:20)

ここから所有物といったものをイエスは多く持たなかったことがわかります。
ですから、私たちも神の王国を第一にして、
今あるもので満足するような自己訓練をする必要があるでしょう。

「私はもうあなたたちと多くは語りません。
 世の支配者が来ようとしているからです。
 もっとも,その者は私に対して何の力もありません」。
  (ヨハネ14:30)

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忠誠の道を歩む

忠誠という言葉は、あまり普段日常生活では使わない言葉かもしれません。
新世界聖書の改訂版とか出版物では、
忠誠という言葉が色々な言葉に置き換えられることがあります。
1つは高潔という言葉です。
皆さんは高潔な人,高潔な生き方と聞くとどんな感じがしますか?
高潔さの逆の反対語は卑劣という言葉です。

高潔な人は、人前とプライベートな時にしてることは
あまり食い違わないような努力をしているかもしれません。
人前で立派なことを言うのであれば、
誰も見てないところでも立派に行動したいと思い、
その人がいないところでもその人の悪口は絶対言わないようにしよう!
これはまさに高潔な生き方ということができますね。
卑劣な人はどうでしょうか?
その人がいるところではいい顔するけどいなくなったら悪口を言うとか、
みんなにいい顔して実は嘘をついているということを聞くと
卑劣だなと感じるかもしれません。
忠誠の道を歩むということには、道徳上の健全さという意味があります。
誰が見てもいつ見ても正しいという、生き方が関係しています。

この忠誠の道には、権威ある人に従うという意味も含まれています。
最も権威ある方は創造者エホバなので、
神に従うという意味も忠誠、高潔さには含まれています。

そして忠誠には、心の正しい動機も含まれています。
ある旦那さんが、奥さんに素敵な宝石のプレゼントをします。
とても喜ぶんですけれど「どうしてくれたの?」と聞いてみたら、
「最近君、年取ってきたから、これプレゼントして、
もうちょっと若返ってほしいなと思った」、どうでしょうか。
最初はすごくいいプレゼントだったのに、
動機を聞いた途端にそのプレゼントはもう要らない
そういう気持ちになったかもしれませんね。
高潔さには常に正しい動機も含まれます。
良い行いと内面の正しい動機が常に一致している状態。
これもストレートで高潔なイメージがあるのではないでしょうか?
聖書を学ぶクリスチャンは、イエスが言った心と魂と思いを込めて
エホバを崇拝しエホバを愛するという生き方も高潔だということがわかります。

忠誠がどんな意味が少し皆さん掴めたでしょうか。
まっすぐで、裏表がなくて、
正しい清い生き方ということができるかもしれません。

この高潔な生き方を続けるために、聖書はどんなアドバイスをしていますか?

「非難されるところがない生き方をする人は幸せだ。
その人はエホバの律法に従って歩む。
神の教えを守る人は幸せだ。
その人は心を尽くして神を探し求める。
不正を行わず,神の道を歩む」。
(詩編119:1-3)

高潔な生き方をする人は、いつも神の教えを調べて
それを守ろうとする人だということがわかります。
日毎に、エホバはどういう方か聖書には何が書いてあるかを研究して、
その知識をどんどんと蓄え、それを生活で実行していく人です。
そして聖書のアドバイスは、生活のあらゆる面に関係しています。
人と話す時、1人でいる時、結婚する時、仕事を選ぶとき、
聖書は私たちに正しい考え方を教えてくれます。
そして高潔な人はそれに従って決定していきます。

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心配事があるときにどうしたらよいか

心配事という言葉には、心に掛けて思い煩うこと、不安に思うこと、これから先のことが気懸りで心を悩ませるという意味があります。
この点で心配事のない人は1人もいないのではないでしょうか?
「終わりの時代は困難で危機的な時になります」。
(テモテ第二3:1)
それで沢山の不安、心配事があると思います。

例えば、物価が上がっています。
電気、水道、ガスなどの光熱費も上がっています。
買い物に行くと精算の時、前と比べるとだいぶ値段が上がっているといつも感じるのではないでしょうか。
うまい棒が以前は10円でしたけれども12円に値上がりし、今度は15円になると言われています。

私は至って健康ですと言える人は少ないのではないでしょうか。
大なり小なり健康の問題を抱えています。
病気が重篤であれば心配や不安は増していきます。
自分だけではなくて、家族とか周りの人も心配になります。
今は高齢化社会ですから、介護の問題もあります。

地球の温暖化というものもあります。
今年は本当に暑かったと皆さん感じているのではないでしょうか。
猛暑とか酷暑という本当に暑い日々を過ごしました。
自然災害も増えています。
地震とか津波とか豪雨災害というのもあります。
石川県の能登地方では、1月に大地震があって被害を受け、
仮設住宅に移動した方もいましたけれども、
また9月に豪雨災害がありました。
床浸水をしてしまったという人もいました。

家族の問題などで心配することもあるかもしれません。
ネガティブな感情と闘っている人もおられます。
理由は人によって様々かもしれません。
ではその心配事を私たちどうしたら良いのでしょうか?

「心配事を全て神に委ねましょう。
神は優しく気遣ってくださるからです」。
(ペテロ第一5:7)

心配事を全部神に委ねることができるということです。
エホバ神は私たちを優しく気遣い、心配事に押し潰されないように助けてくださるということです。
エホバがどのように助けてくださるのか、そして私たちはどのように行動することができるのかを考えていきたいと思います。

1.神は平和な心を与えてくださる

「何も心配せず,いつでも祈り,祈願を捧げ,
感謝しつつ,願いを神に知っていただくようにしましょう。
そうすれば,神からの平和が,
キリスト・イエスを通して皆さんの心と考えを守ります。
その平和は人間の理解をはるかに超えています」。
(フィリピ4:6,7)

心配事を全て神に委ねることができます。
気懸りなことそしてどんな気持ちでいるかということを祈って神に伝えたいと思います。
そうするならばどうでしょうか?
「人間の理解をはるかに超えている」という表現は、私たちのあらゆる夢より素晴らしいとか人間のあらゆる計画より優れたと訳されます。
パウロは神の平和が想像をはるかに超えた 素晴らしいものであると言っていたのです。
人間の目には出口がな見えない状況でも、エホバは解決策をご存知で、私たちの思いもよらない仕方で行動してくださるということです。
エホバは、平和な心を与えてくださるということです。

「力を与えてくださる方のおかげで,
私は強くなり,どんなことも乗り越えられます」。
(フィリピ4:13)

試練に耐えられるよう必ず強くしてくださることを理解することができます。
状況を変えてくださることもあるということです。

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自分のためだけに生きるのではなく神に喜んでもらえるように生きる

自分の好きなように生きるという考え方が広がっています。
確かに、誰も人に自分の人生を決められたいと思いません。
自分の意思で生きていきたいと考えるのは自然なことではないでしょうか。

とはいえ今の世の中では、神のことなど全く考えないで、
自分勝手に生きようという態度が広く見られています。
その態度は、神に反逆した天使、悪魔サタンから始まって、
私たちの住む社会に深く浸透しているからです。
聖書のエフェソス2章2節では、そのサタンの精神態度が「空気」に例えられています。
文字通りの空気が私たちの住むどこにでもあるように、
自分の好きなように生きるという精神態度も、私たちの住む社会に深く浸透しています。
その結果多くの人は、誰にも指図されたくないとか、
自分の権利を勝ち取ろうという態度を示しています。
権威に反抗したり、勝手気ままに生きようとしたりしています。
結果を考えずにしたいことをしようとする人々もいます。

皆さんどう思われるでしょうか?
自分のためだけに生きることは、本当の自由や幸せにつながると思われますか?
神の言葉聖書は、人生に2つの生き方しかないことを知らせています。
1つは、自分のためだけに生きるという生き方。
もう1つは、神に喜んでもらえるように生きるという生き方です。
今日は、神に喜んでもらえるように生きるために何ができるか、
聖書を開いて考えてみたいと思います。

聖書を調べていくと、神とイエスの助けがあって初めて本当の自由が得られることがわかります。
多くの人は自分は自由だと思っていますが、実はそうではありません。
どういうことでしょうか?
人間はみんな生まれつき悪いことをしてしまう傾向があります。
ボールが坂道を自然に転がっていってしまうかのように、
誰かの助けがなければ、罪深い傾向へと誘われてしまうということです。
この状況が非常に深刻であることについて、聖書は次のように述べています。

「皆さんは次のことを知らないのですか。
自分を奴隷として誰かに差し出して従うなら,
従う相手の奴隷になります。
罪の奴隷となって死へと導かれるか,
従順の奴隷となって正しいことへと導かれるか,
どちらかなのです」。
(ローマ6:16)

奴隷という言葉を聞いて、どのように感じられるでしょうか?
多くの方は不快に思われるに違いありません。
主人に束縛されていて自由ではないからです。
でも今読んだ聖句では、私たち人間が罪の奴隷となって
死へと導かれてしまう状況であると教えてくれています。
多くの人は、自分が罪に縛られているという意識を持っておられないかもしれません。
自分が罪人として生まれた、罪を受け継いでいるという意識を持っていないということです。
自分が間違いをすることや好ましくない傾向を持っていること、
また何度か悪い行いをしてしまったこと、
他の人も同じ状況であるということに気づいています。
しかし、なぜ自分も他の人もそういう状況なのかを十分に理解していないということです。

(さらに…)

エホバの救いの力に信頼を置きなさい

今日のテーマは、一言で言えば救いです。対象は全人類です。
しかし、災害下にあるとか犯罪に巻き込まれていない限り、
あなたは救われますという風に言われて悪い気持ちはしないにしても、
一体何から救われる必要があるのか?と疑問が湧き起こってきます。
何から救われ、この点について聖書は何と述べているか?
始めにこのことを考えたいと思います。

「その時,世界の始めから今まで起きたことがなく,
いえ,二度と起きないような大患難があるからです」。
(マタイ24:21)

人類はこれまで経験したことがない大患難に遭遇すると予告しています。
今でさえ世界は混乱の極みにあると言われています。
この大患難が始まれば、もっと混乱することでしょう。
その時、人々に救いをもたらすものは何でしょうか?
頑丈なシェルターがあれば安全は確保されるでしょうか。
どんな頑丈なシェルターであっても、安全が確実に保障されることはありません。
私たちにとって唯一恒久的な救いを得られるものは、エホバの力です。
このエホバの力に絶対的な信頼を置く必要があります。
でもエホバ神に私たちを救う力があるとどうして分かるのでしょうか?
エホバ神は過去に、ご自分に救いを求める者たちに力を表明されたことがありました。
その例を2つ取り上げてみたいと思います。

まず最初は、モーセの後継者ヨシュアの時代のギベオン人の場合です。
約束の地であるカナン征服に向けて、
イスラエルの攻撃はとどまるところがありませんでした。
そのイスラエルの征服を阻止するため、カナンでは5人の王が結集しました。
しかしギベオン人はそれに加わろうとはしませんでした。
彼らはイスラエルをとても恐れていました。
恐れていたとしてもそれは軍隊ではないです。
イスラエルの背後にいるエホバ神を畏れていました。
エホバを敵に回せば絶対に勝ち目はないということを理解していました。
彼らはここで強かな計画を立てます。
ヨシュアに近づいて、偽装工作で自らの正体を隠したまま、
イスラエルと和平契約を交わすことに成功したのです。
そのことを知った5人の王たちは裏切り者を討取ろうと再び結集します。
その場面でギベオン人は急いで和平契約を結んだヨシュアの所に行きます。
ヨシュアは約束をしましたので、彼らを救うべくイスラエルが救出に向かいました。

エホバはこのような状態でどのようにこの事態に介入されたでしょうか?
ヨシュアはイスラエルの軍隊と共に夜を徹して敵に近づいていき、
電光石火の不意打ちを掛けます。
(ヨシュア10:8,9)
するとエホバは敵の陣営を大混乱に陥れました。
それによってイスラエルの剣の前に倒れた者は本当に大勢いました。
その中から逃げ出す者もいましたが、エホバはその逃げる者たちに対して、
空から大きな雹を降らせます。
仮にこの雹の大きさが野球ボールぐらいの大きさがあった
としたら、それは落下速度は140キロにもなるそうです。
プロ野球のピッチャーが投げる速度に相当する雹が
一斉に飛んでくるわけですから、本当に一溜りもありません。
実際イスラエルの兵士によって倒れた者たちより、
雹の石によって倒れた者たちの方が多かったと聖書の中には書かれています。
(ヨシュア10:10,11)

(さらに…)

世界は滅んでしまうのか

今はストレスの多い時代と言われています。
コロナウイルスによって生活が一変した人々も多く、
鬱病になってしまったという人が多いという報告もなされています。
また日常の生活の中でSNSをよく利用し便利なものですが、
それを通してなされる誹謗中傷などが一般化して、
今までには感じたことのないストレスを抱えている人も増えてきました。
社会全体がストレスに満たされているような状態になってしまいましたので、
自分自身の感情をコントロールできず、
不安の捌け口として怒りを爆発させる人も増えているそうです。
虐待とか些細なトラブルが原因で簡単に人の命を奪ってしまう事件は世界中で増えています。

こういった様子を見て決して少なくない人々が、
人間自らの愚かな行動でこの世界が滅んでしまうのではないかと真剣に悩んだり不安に感じています。
今の世界はこれから先どうなるのでしょうか?
多くの人々はその答えがわからないので不安に感じています。

世界で1番読まれている書物の中に登場してくる
エホバという神が世の中に対して滅びをもたらすという言葉が聖書の中にあります。
聖書に親しんでいる多くの人たちがその言葉を見て、
これから先、神によって私たち人間は処罰されるのではないかと考えている人もいます。
では神は何を滅ぼすと言っているのでしょうか?
その滅びはいつ、どのように来るものなのでしょうか?
聖書に書かれているその言葉を紐解いていきたいと思います。

神を信じている人は少なくありませんが、今の世界の悪い状態を見て、
神はいるとは思うけれどもう人間には関心を持っていない、
滅びるとしても神はそこに介入されないと考えている人もいます。
エホバは人間に対してどのような見方を持っているのでしょうか?

「神はその目で見る。注意深い目で人々を調べる」
(詩編11:4)
「エホバの目はあらゆる所にあって,悪人と善人を見ている」
(格言の書15:3)

エホバ神は確かに人間に関心を持っておられて、
1人1人の様子を注意深く観察しているということがわかります。
人間が今置かれているその現状、多くの苦しみを味わっている人間を見て、
エホバはきっと心を痛めているに違いありません。
エホバはその現状を終わらせるために、
そういう状況を引き起こしている悪人と呼ばれている人たちに対して行動を起こされることが詩編の中に書かれています。

「非難されるところがない人に注目し,
 正直な人に目を留めよ。
 その人には平和な将来が待っている。
 しかし,違反を犯す人は皆滅ぼされ,
 悪人の将来は断たれる」。
  (詩編37:37,38)

違反を犯す「悪人の将来は絶たれる」とはっきりと述べておられます。
これがエホバが悪いことをする人々に対するエホバの見方です。

しかし、今の世の中どうでしょうか?
悪人がやりたい放題で、世界中が混乱に巻き込まれているようにも感じます。
ではこれほど悪人が幅を利かせているのに、エホバはなぜ手を下さないのでしょうか?
そこには悪魔サタンが関係しています。
6000年以上前サタンはエホバだけが持っている権力を手に入れようと企んで、
最初の人間を騙してそれは成功し、人類を自分の配下に置くことになりました。
サタンはエホバの統治の仕方にクレームをつけました。
人間はエホバに従っていかなくとも、
その統治に頼らなくてもうまくやっていけると主張したのです。
エホバが正しいのか、サタンが正しいのか、
全ての者が納得できる答えを得るためにはどういう方法が1番良いでしょうか?

(さらに…)

いつまでも若々しくいつまでも健康にという言葉をよく聞きますが、いつまでも幸せに暮らせる時が来ると思われますか?

そんなことは無理だと感じますか。この世の中でいつまでも暮らしたいとは思わないでしょうか。

仮に今と違って病気になったり、年を取ったりしないで、世の中も安心して暮らせる環境だったらどうですか?

これは聖書の言葉なのですが、将来についてこのように予告しています。

詩編 37:29「正しい人は地上に住み続け(地球が与えられ),そこで永遠に暮らす」。

いつまで暮らすとありますか?

これは悪い人がいない世の中で、いつまでも幸せに暮らせるということです。

御自身も含め、大切な人にはいつまでも健康に安心できる環境で幸せに暮らして欲しいと思いませんか。

この言葉を絵にするとこんな感じかもしれません。

https://wol.jw.org/ja/wol/mp/r7/lp-j/lffi/2021/38

若々しく健康で、ゆっくり美しい自然を満喫したり、可愛い動物と穏やかに戯れたり、マイホームを設計して建てたり、美味しい食物を収穫しています。どれかいいと思うものがありますか?

聖書はこういう将来が必ず来ると予告しています!

この明るい将来の希望を知って気持ちが前向きになったという人が多くいます。そういう気持ちにさせる聖書がどんな本なのか、もう少し詳しく知りたいと思われませんか?

https://www.jw.org/finder?wtlocale=J&docid=1102021811&srcid=share

このテキストに沿って会話をしながら,聖書の教えを少しずつテーマごとに学べたらいいと思いませんか?

t.co/REdyiKUiXa

新しい世界で生きることを目指しましょう

①幸せに生きる方法②幸福の達人③幸せになる方法

これは日本の売れている本のランキングのベスト3を表しています。 

人はみんな幸せになりたいとか、どうすれば幸せになれるのだろうと思い、

色々検索してみたり、人生に色々な目標を掲げたりします。

それであるサイトで「幸せ」「本」と検索すると5万件以上がヒットします。

日本の事例を考えましたが、世界的なランキングではどうなのでしょうか? 

世界で最も売れた本ランキング、世界で1番売れた本読まれた本と検索すると、

聖書と出てきます。

また幸せのガイドブックとしても、聖書が世界中で読まれているという事実があります。

では本当に聖書を読んで幸せになれるのでしょうか?

聖書に幸せになれるヒントというものはあるのでしょうか?

聖書は本当に幸せになるためのヒントをこのように教えています。 

「そうすれば彼らは,いわば宝を蓄え,将来のための良い土台を築いて,

 真の命をしっかり捉えることができるでしょう」。

 (テモテ第一6:19)

将来のために「真の命」という素晴らしい目標を持つようにと聖書は勧めています。 

昔に比べて医療は格段に進歩して、命を伸ばすことができるようになりました。 

それでも平均的に70年80年で人は亡くなります。

でも聖書が教えているこの新しい世界では、いつまでも生き続けられます。 

平和の美しい楽園で、健康でそして幸せにいつまでもつまり永遠に生きられます。 

聖書はそういう人生を「真の命」と言っているのです。

新しくなった世界で永遠にいつまでも幸せに暮らせるようになる。

聖書が世界中で読まれ、幸せのガイドブックと言われるのも

尤もなことと言えるのではないでしょうか。

新しい世界で生きることを私たちが目指すのはどうしてなのでしょうか?

1つ目の理由として、今の生活がより充実したものになります。

新しい世界で生活することを鮮明にイメージして今の生活を送るならば、

家族がもっと仲良くなり、穏やかな気持ちで心地よい暮らしができます。

「あなたを救う方,イスラエルの聖なる方,エホバはこう言う。

 『私エホバは,あなたの神である。

   あなたのためになる生き方を教え,あなたを導いて正しい道を歩ませる』」。

 (イザヤ48:17)

エホバという神様が、ためになる生き方や歩むべき道を教えるとあります。

今の世の中で生活していると、仕事や対人関係また経済的なことなど、

本当に多くのストレスを抱えることがあります。

自分自身や家族の病気そして色んなトラブルに遭うことも、 

本当に悲しいこと辛いことに直面するということもあります。

エホバという神様がどういう状況に置かれても、

あなたのためになる生き方を聖書を通して教えてくださるのです。

ストレスになることにどう向き合ったら良いか、 

どうしたらストレスをもっと軽減できるのか、

対人関係でどうしたらもっとうまくやっていけるのか、 

トラブルを回避するために何ができるのか

ということについて、実際的なアドバイスを聖書の中に入れています。

それで聖書を知ると、自分にとって本当にプラスになります。

新しくなった世界で生きるのを目指すことに価値があると言える2つ目の点は、

将来最高の暮らしを送れるということです。

聖書は近い将来、新しい世界で1人1人が家を建てて住み、

尽きることのない寿命を手にして、ストレスフリーの環境下で働く喜びを存分に味わい、平和に暮らせるということを約束しています。(イザヤ65:21-23)

ですから、今の滅びゆく世の中で富やまた名声をどんなに追求したとしても、

それは最終的に無意味なものとなってしまいます。 

(さらに…)

家族のコミュニケーション どうすれば良くなりますか

家族が幸せになるために必要なもの、それは何でしょうか?
それは、敬意を込めて親切に本当の気持ちを伝え合うことです。
しかし近年では、不仲ではないけれども、家族との会話が続かない家庭が多くなっているようです。
皆さんの家庭ではどうでしょうか?

家族がコミュニケーションを取りにくくなる理由は色々あります。
例えばスマートフォンや電子機器に夢中になっていて、
とても良いコミュニケーションが取れる雰囲気ではありません。
他にも、忙しすぎて話す時間がないという場合や、
あまり話すことが好きではないという性格の問題もあるかもしれません。

「家庭は知恵によって築き上げられ,識別力によってしっかりする」。
(格言の書24:3)

知恵の源であるエホバの言葉聖書が勧める通りに行っていくならば、
家族のコミュニケーションというのは良くなっていき、絆が強まっていきます。
聖書の中にはどのような知恵が含まれているのでしょうか?
今日は夫婦親子家族という3つの分野で考えてみましょう。

まず夫婦のコミュニケーションについて考えてみたいと思います。

一般的に男性と女性のコミュニケーションのスタイルというものは異なります。
聖書の創世記2章18節によると、
エホバ神は女性を男性を「補って助ける」人として造られました。
個人差はありますが、一般に女性は
自分の気持ちや他の人のことや人間関係について話すことが好きで、
温かい親密なコミュニケーションを大切にします。
それによって自分が愛されていることを実感することができます。
一方多くの男性は、自分の気持ちではなくて何かの活動、
生じている問題、解決策について話すことを好みます。
そうすることによって、自分は役立っている、頼りにされていると感じることができます。
そのようにして妻から敬意を示されたいとも思っています。

イギリスのある女性は
「夫は私の話を聞くよりもすぐに問題を解決したがります。本当にイライラします。
話を聞いて私の気持ちをわかってくれるだけでいいのに」と述べています。
またある夫は「私には妻の問題を何でもすぐ解決したがる
傾向がありました。でも、妻はただ話を聞いてほしかったのだ
ということがわかりました」と言います。
同じように感じている夫や妻というのは多いかもしれません。
では妻が愛されていると感じるように、
夫の皆さんはどのようなことができるのでしょうか?

「同じように,夫の皆さん,知識に基づいて妻と暮らしてください。
 女性はより繊細な器ですから,妻を大切にしましょう。
 妻たちも皆さんと一緒に,命という惜しみない恵みを受けるのです。
 妻を大切にするなら,祈りが妨げられることはないでしょう」。
  (ペテロ第一3:7)

女性が「より繊細な器」であると述べられています。
本当に大切にしていることがわかる仕方で、
妻の話を聞いてあげたいと思います。
洞察力のある夫は、
妻の気持ちを汲み取ってそれに応じて接し方を変えるように努めます。
妻の考えや気持ちが自分にとても大切だということを示すことによって、
妻を安心させることができます。

「適切な時に話される言葉は,銀の器の中の金のリンゴのようだ」。
(格言の書25:11)

(さらに…)

人類に贖いが必要なのはなぜか

米国ペンシルバニア州ピッツバーグ近くの炭鉱で,突然大規模な出水事故が発生し,
9人の作業員が地下70㍍の狭い空間に閉じ込められましたが,
幸いなことに3日後,無事に救出されました。
どのようにしてでしょうか?
炭鉱の地図とGPSを頼りに,救助隊がドリルで直径65㌢の穴を開け,
カプセル型のかごを作業員たちの所まで降ろしたのです。
一人ずつ,そのかごで地上に引き上げられ,迫り来る死から救い出されました。
全員,生還を喜び合い,救助隊に感謝しました。

私たちは、この9人の作業員のような経験をすることはないと思います。
でも、人類全体は同じような救出を必要としています。
それは罪と死からの救出です。
私たちは世界中どこに住んでいても、どれほど健康に気を配っていても、
どれほど最新の医療を受けることができていたとしても、老化と死を免れることはできません。
でも聖書を調べると人間の老化と死は、初めからそうなっていたわけではありません。
ではなぜそうなってしまったのでしょうか?
原因はどこにあるでしょうか?

「1人の人によって人類に罪が入り,罪によって死が入り,
こうして,全ての人が罪人になったために,
死が全ての人に広がったように―」。
(ローマ5:12)

「1人の人」アダムによって人類にまず罪が入りました。
罪によって死が入って、死が全ての人に広がったと説明されています。
例えると、黒いシミのついた紙を刷ると、例外なく黒いシミが残ります。
同じようにアダム以降の全ての子孫は、言わばアダムのコピーで黒いシミを持っているというわけです。
その黒いシミは元の原稿アダムと同じもので、それを聖書は罪と呼んでいます。
アダムが罪を犯した結果、老化と死はそれ以降の人類に対して絶対確実なものになりました。

私たちが受け継いだ罪が解消されれば、老化と死はなくなるのではないでしょうか?
人類はある備えを活用することによって、罪の許しが得られて、
いつまでも生き続けることが可能になる基盤が据えられます。
その備えというのが、エホバが設けてくださった贖いというものなのです。

アダムが罪を犯した結果、贖いが必要になりました。
愛情深いエホバは、炭鉱事故の救助隊のように、イエスを遣わしてとして贖いとなるようにされたのです。
イエスが罪を持つ人類と引き換える贖いとして死なれたことは、
真のキリスト教の土台となっています。
でも真のクリスチャンだとしても、
その教理を述べる聖句を挙げたり、説明したりすることのできない場合が多いようです。
私たちは、この教理を理解するだけではなく説明できなくてはなりません。

贖いとは何なのでしょうか?
誰が贖いを備えるのでしょうか?
誰に贖いが支払われるのでしょうか?
贖いの益にはどのようなものがあるでしょうか?
順番に考えていきましょう。

今日キリスト教世界の僧職者で、贖いの教理を聖書の教える通りに信じている人は少ないようです。
彼らはなぜ贖いを退けるようになったのでしょうか?

「私が去った後に圧制的なオオカミが皆さんの間に入り込んで
群れを優しく扱わないことを,私は知っています。
そして,皆さんの中からも,弟子たちを引き離して
自分に付かせようとして
曲がった事柄を言う者たちが現れます」。
(使徒20:29,30)

この圧制的な狼というのは、羊の群れをかき乱す背教者のことです。
この背教者はどこから来るでしょうか?
「皆さんの中から」現れると書いてあります。
会衆内から生じた背教者が、腐敗的で歪んだ見解を会衆内に浸透させていきました。

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ノアの大洪水から学べること

航海日誌は船の運航に関する記録のことで、船の種類や大きさ、進路、速度、その日の天候、突発的な出来事が生じた時の時刻、乗組員の交代や船が立ち寄る場所などを、航海中は継続的に記録し続けていくことが法的定めによって義務付けられているものです。

ですから、嘘偽りなく書く必要があります。

この日誌を見るならば、その船はどのような経路をたどったのか、どんなことがあったのかが一目で分かるようになっています。

聖書中にも航海日誌と似たようなものがあります。皆さんがお持ちの聖書の中に、ノアの出来事が書かれています。

でもこの聖書に書かれていることは神話だとか物語だと述べる方が多くいます。実際にはどうなのでしょうか?

聖書の記述は全て真実で信頼できるものと言えます。それには数々の証拠があるからです。

例えば、ノアの洪水に関する出来事は創世記に書かれています。

創世記6章から書かれていますので、そこをどうぞご覧ください。nolog.link/s/8NU9hJ

7章11節を見ますと、ノアが600歳だった第2の月の17日に天の水門が開いたとあります。この日に洪水が始まったのです。12節を見ますと、それが40日間続いたこと、13節では息子の名前、また妻たち3人も一緒だったことが書かれています。15節を見ますと、あらゆる生き物が2匹ずつ箱船に入れられたことが分かります。

8章4節では第7の月の17日にアララトの山地に止まったこと。13節ではノアが601歳だった年の第1の月の1日に水がはけていたこと。こうしたことが事細かく載せられています。

起こった出来事、箱船の状態、日付や時間的要素など本当に事細かく載せられています。筆者であるモーセがこの出来事を、実際の出来事と見なしていたことを強調していることがわかります。

ですから航海日誌同様に聖書に書かれていることは、嘘偽り、神話的な作り話などではなく、実際に起きた出来事だということができます。

もう1つ証拠があります。目撃証人がいるという点です。それはイエス・キリストです。

聖書によるとイエスは地上に来る前に天で存在しておられました。イエスはエホバと一緒に全てのものを創造されました。ですから、ノアの時に起きたこの一連の出来事も目撃していたのです。

その証拠に、マタイ24章38、39節の中でその当時の状況が書かれています。

「洪水前のその時代,ノアが箱船に入る日まで,人々は食べたり飲んだり,結婚したりしていました。そして,洪水が来て全ての人を流し去るまで注意しませんでした」。

イエスが実際に見ていたので、当時の人々の状況をよく把握していたことがわかります。

他にも証拠があります。

この大洪水は世界的規模で生じていることから、ある土地にしかいない動物が洪水によって死にそれが流され、違う土地の地層の中から化石として発見されています。

さらには世界中で語り継がれている洪水伝説も、その内容のほとんどが聖書の記述と一致しているのです。例えば、少数の生存者のための避難所があったことや、そのほかの命が水によって滅んだこと、人類の種が保護されたことなどです。

こうした数々の証拠からも、このノアに起きたこの大洪水は実際の出来事と確信することができます。

これは本当に重要なことです。今の時代の私たちにも大いに関係している事柄だからです。

なぜこのノアの記述と今の私たちが関係しているのでしょうか?どのように関係しているのでしょうか?

目撃証人であるイエスは、当時の人々の行動の故に洪水を起こしたということを述べていました。

「人の子の臨在の時はちょうどノアの時代のようになります」。(マタイ24:37)

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理不尽な目に遭ったらどうすればよいか


ある1人の男性はこのように述べました。
「私たちは国土を一方的に奪われた。動物も縄張りを守るために戦うのであれば、自国の領土と権利のために戦うのは当然だ」。
この男性は小さい頃から難民キャンプを転々として、家族や周囲の人たちは残酷な不当な仕打ちを受けてきたので、このように感じて武装グループに入るという決断をしました。

世界中で同様な事柄がたくさん起きています。
理不尽な事柄に対する怒り、それに対する復讐さらに暴力が加わって、連鎖の輪を作っています。
近年でもパレスチナやウクライナであったり、 様々な宗教に絡んでテロ行為が生じることも、背景には理不尽な目に遭っていると感じている人が多くいます。

聖書では特に現代さらに拍車がかかることも預言されていて、
自分や金を愛し「自制心がなく、乱暴で、善いことを愛」さない者が多くなって、
地球上が「危機的な」状況に陥るとさえ述べています。
(テモテ第二3:1-3)
ですから私たちも、様々な理不尽な事柄を行う人たちの悪影響から逃れることはできないとはっきり言うことができます。
例えば人種とか国籍とか宗教とか住んでいる地域や経済格差が、
人を不当に差別したり気をつけたりして、理不尽だという思いを募らせている人たちが沢山います。
私たちもそういった事柄を今までの人生の中で味わってきたことがあるかもしれません。

では、私たちはどうしたらいいのでしょうか?
怒りを宿して復讐心に燃え、暴力に打って出ることは正しいのでしょうか?

この点を考える上で、重要な事柄を心に留めておくことが必要です。
理不尽な目にあったとしても、私たちは1人ではないということです。
理不尽な事柄に目を留めてくださっている方がいるということを私たちは心に留めておく必要があります。

例えば、私たちが町で何か物を盗まれたとしましょう。
でも私たちは1人ではありません。
警察がいて司法があって、それが私たちの代わりに問題を正してくれるということが行われています。
同様に理不尽な目に遭ったとしても、
私たちがその事柄に対して反応し復讐しなければいけないという訳ではないことを心に留めておく必要があるのです。

「ほんのもう少しすれば悪人はいなくなる。
彼らがいた場所を見ても,もういない。
しかし,温厚な人は地上に住み続け,
豊かな平和をこの上なく喜ぶ」。
(詩編37:10,11)

不公正なこと理不尽なことをする人々は、地球上どこを見てももう居なくなると述べています。
どうしていなくなるのでしょうか?
政治的な行動によってでしょうか。
抗議活動やテロ行為といった実力行使によってなくなるのでしょうか。

文脈をずっと辿ってみると、理不尽な目に遭った人たちに対して、
怒りを捨て激怒しないように、腹を立てて復讐して悪を行わないようにという記述に目を留めることができます。
(詩編37:1,7,8)
理不尽なことをする人たちを処罰するのは、私たちでないことがわかります。
では、誰なのでしょうか?
文脈を見ると「あなたの道をエホバに委ね,神に頼れ。神があなたのために行動してくださる」と書かれています。
(詩編37:5)
私たちではなく私たちに寄り添っておられる神が代わりに行動してくださることについて言及されています。
エホバが理不尽な事柄に対して行動を起こされるということは、私たちにとってとても安心できることだと言えます。

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最高に幸せな家族になるために今できること

聖書の創世記には、宇宙や地球や生物が造られた時のことが簡潔に説明されています。
エホバが造ったものはどれも本当に素晴らしいのですが、 その中でも人間は特別でした。

「神は言った。『私たちに似た者として人を造ろう。
 そして人に,海の魚,空を飛ぶ生き物,家畜,地面を動くあらゆる生き物を治めさせ,地球を世話させよう』。
 それから神は人を自分に似た者,神に似た者として創造した。
 男性と女性を創造した。 神は2人を祝福し,こう言った。
 『子を生み,増えて,地上全体に広がり,地球を管理しなさい。
 また,海の魚,空を飛ぶ生き物,地上を動くあらゆる生き物を治めなさい』」。
  (創世記1:26-28)

神は地球を生命が維持できる美しい住まいとして
まず整えてから、地上における業の最高潮として
最初の人間の家族が誕生したことを示す記録です。

神は地に人を満たすため、完全な人間を沢山造ってから
配置するという方法は取りませんでした。
神はアダムを最初に創造してから、補って助ける者として
女性のエバを創造するという方法を取りました。
次いでその2人を家族にして、
自分たちの子孫を満たす機会を与えになります。
2人は欠陥のない状態で楽園を広げて、
地球全体を楽園とするのです。

神はこの時、人類が1つの幸せな家族として地球を管理し
そこに住むことを思い描いておられたということです。
ですから、家族の中で味わうことができる幸せは、
神からの贈り物ということが言えます。
その贈り物は現在、幸せをもたらすものとなっているでしょうか?

2019年の厚生労働省の調査によると、
婚姻件数が約60万件に対して、離婚件数は約21万件。
3組に1組が何らかの理由で離婚したという状態です。
神が思い描いていたものと違って、不幸な人々が多いのはなぜでしょうか?

実は神が人間夫婦に与えた贈り物を横取りする存在があるのです。
悪魔サタンは最初の人間夫婦をたぶらかし、
エホバ神からのその贈り物を正しく扱うのではなくて、
自分たちで行動した方が楽しいよと勧めたわけです。
2人がこの勧めに乗っかってしまって、
エホバからの贈り物を騙し取られてしまったということです。

「善悪の知識の木の実は,食べてはならない。
それを食べた日にあなたは必ず死ぬからである」。
(創世記2:17)

そのおきてに背くならば死ぬことになりました。
もちろん、アダムはそのことを理解していました。
のちに妻になるエバにもそのことを伝えたに違いありません。
そこへサタンがエバに近づきます。
自分たちで考えて行動した方が楽しいよ。その実を食べてごらん。
その実を取って食べてしまいます。
エバはその実をアダムにも勧めました。
アダムは最初は断りましたけども、結局食べてしまいました。
神の道理にかなった命令に違反してしまったということです。
神を悲しませるという態度を示してしまいました。
どんな結果になったでしょうか?

「このような訳で,1人の人によって人類に罪が入り,
 罪によって死が入り,こうして,全ての人が罪人になったために,
 死が全ての人に広がったように―」。
 (ローマ5:12)

アダムが子供を設けたのは、罪人になった後だったので、
罪とその影響が全員に伝わってしまうことになりました。
もちろん子供たちはアダムのように神に違反したわけでは
ありませんので同じ罪に問われるということはありませんが、
罪を受け継いで、罪と死はずっと支配的な影響を及ぼしてきたということです。

(さらに…)