世界中で行われるイベントのお知らせ

今年もかなり暑くなってきましたが
どのように過ごされていますか?

悲しいニュースが溢れていますね。
悪いニュースを聞くと
つらい気持ちになりますね。
慰めとなる良いニュースが
あったらいいと思いませんか?

世界の状況が悪化していても,
何百万もの人たちが将来への希望や
安心感を持っています。

「民の全てにとって大きな喜びとなる良い知らせ」「あらゆる国や民族や言語や種族の人々に伝える,永遠の良い知らせ」について知って信じているからです。


・どんな良い知らせですか?
・信じられるのはなぜですか?
・どのようにわたしたちのためになりますか?


どうぞ、
2024年エホバの証人の大会
「良い知らせを広める」
にお越しください!

最寄りの会場と日時、
プログラムと紹介動画を
こちらからご確認いただけます。

https://www.jw.org/finder?wtlocale=J&docid=1011230&srcid=share

新しい世ーどんな人が入れますか

次のような場面を想像されてみてください。
あなたは今働いています。
これがあなたが今勤めている会社です。
モラハラパワハラは当たり前、サービス残業で毎日のように扱き使われています。
人間関係は良くなく業績は下がる一方で給料は安い。
問題が山積みです。
仕事を変えたいなと思っていますが、今のご時世転職もままなりません。
仕事があるだけでもありがたいかなと考え働いている状況です。
向かいに大きなビルがあります。たくさんの人が毎日出入りしています。
その人たちはみんな楽しそうで、いつもニコニコして幸せそうです。
仕事の遣り甲斐がありそうです。
なんでうちの会社はこうなんだろうと溜息をつきます。

ある日、あなたが仕事をしていると来客があります。
向かいの会社の人事担当者が会いに来ました。
その人はこう話を切り出します。
「実はあなたのことをずっと調べさせて頂いておりました。
あなたは人柄もよく、仕事態度も真面目で熱心で、
我が社にふさわしい人材なのではないかと感じております。
転職をご検討いただけないでしょうか」。
さあ、どうされますか?
あなたはこのチャンスを掴んで転職を決意されますか。
それとも慣れ親しんだ企業に留まるでしょうか。

私たちが今生活しているこの世界全体はブラック企業のようです。
悪いことが沢山起こります。
人の心は荒んでいく一方です。

ブラック企業が生まれるのは、
企業の体質に問題があるからに他なりません。
この世界に問題が山積みなのは、この世界の体質に問題があります。
会社の場合、往々にして問題の根源は経営陣にあります。
この世界も同じです。
悪魔サタンという見えない存在がこの世界を牛耳っていると聖書は説明しています。

悪魔の存在は信じない方もいますね。
でも考えてみてください。
大きな会社で働いていれば、直接1番偉い人と会うことはないかもしれません。
あたかも見えない存在です。
ではその会社が良いか悪いかはどうすれば分かりますか?
自分の部署の直属の上司や身の回りにいる人たちを見ると、
会社の体質がなんとなく分かるのではないでしょうか。
悪魔がこの世界を牛耳っているとするならば、
悪魔の存在を信じないとしても、この世界の実際の力を持っている人たちを観察することで、
この世界がどういう世界なのかある程度理解できるのではないでしょうか。
聖書はこの世界を支配している人たちがどんな支配を行っているかということもはっきりと述べています。

「私はこの全てを見た。
地上で行われた全てについて真剣に考えた。
これまでずっと,人は人を支配し,
人に害を及ぼしてきた」。
(伝道の書8:9)

世界の支配者たちが皆悪人だと言っているわけではありません。
例えばあなたの部署の直属の上司は、人はとてもいいかもしれません。
でも管理能力がゼロなら会社にとってはマイナスでしかありません。
同じようにこの世界の支配者たちは、問題を解決しようと真剣に誠実に努力しているかもしれません。
でも問題は,その解決の方法を知らないということではないでしょうか。
誰からも教えてもらえないので、自分たちで考えて決めるしかありません。
人間には限界がありますので決定を間違えて、
問題が解決するどころかますます悪くなっているような状況ではないでしょうか。
あたかも世界全体がブラック企業であるかのようです。
この世界は悪魔によって牛じられていると聖書は述べています。

(さらに…)

神を信頼できるのはどうしてか

私たちは自分や自分の周りで起きている辛い出来事やニュースを聞くと、
これからどうなるのだろう、どうしたらいいのだろうと確実なアドバイスを求めるのではないでしょうか?
信頼できるよく知っている家族や友人にアドバイスを求めるかもしれません。
しかし世の中にはその逆で、人を信頼できないと感じている人々も大勢おられます。
なぜならば信頼しているとしても裏切られたり、また信用できない人が本当に多くいるからです。

そういった状況の中にあっても、
もっと確実な信頼できるアドバイスを与えてくださる方がおられるということを、
私たちは聖書から知ることができます。

「心を尽くしてエホバに頼れ。自分の考えに頼ってはならない。
 どんな道を行く時にも神のことを考えよ。
 そうすれば神が真っすぐに進ませてくださる」。(格言の書3:5,6)

不確かな人間ではなく、神であるエホバがご自分に頼るようにと勧めています。
では、エホバはどれほど信用できるのでしょうか?
頼ってよい方なのでしょうか?
エホバへの信頼をどのように示すことができるのでしょうか?
そのことを今日は考えていきたいと思います。

エホバを信頼できると言えるのはどうしてなのでしょうか?
エホバの性質についてしっかりと知って理解しているのならば、
エホバに頼れるという確信を持つことができます。
エホバには沢山のご性質があります。
そのうちのいくつかにポイントを当ててみたいと思います。

「天を見上げてみなさい。誰がこれらの物を創造したのか。
 星の軍勢を数え上げて率いている者である。
 その者は全ての星を名で呼ぶ。
 膨大な活力と驚異的な力を持っているので,一つとして欠ける星はない。
  …地の果てから果てまでを創造したエホバは,永遠にわたって神である。
 疲れ果てることも,弱ることもない。その理解力は計り知れない。
 神は疲れた人に力を与え,弱った人にみなぎる活力を与える」。
  (イザヤ40:26-29)

人は宇宙の星を全て数えることはできません。
科学者たちが一生懸命天の星を様々な望遠鏡で調べるとしても、調べ尽くすことができません。
天の川銀河1つを取ってみても、4000億個の恒星があると言われています。
その星1つ1つに名前を付けておられるということから、
エホバは命のない創造物にも深い関心を持っておられることが分かります。
そうであれば、愛に動かされて仕える人間に対しては、
はるかに深い関心を持っておられることを理解できるのではないでしょうか。

またエホバがどれほどの力を持っておられるかを感じることができます。
太陽は、世界中の人が必要とする20万年分のエネルギーを
毎秒放出していると言われています。
天体1個でさえ、途方もないその力を発揮させているエホバが、
それよりもエネルギーを持ったものを宇宙には沢山創造しておられて、
そのエネルギーを供給しておられます。

エホバがどんな問題でも乗り越えることができる力を持っておられるということを知ることができるのではないでしょうか。
これを考えてみると、砂にも等しい私たち人間にも必要な力を必ず与えてくださるという確信を持つことができます。
この無限の力があるので、
いつでもどんな状況でも私たちが助けを求める時に助けてくださるという保証を与えてくださっています。
力というエホバの性質を考えるだけでも、
頼れるすごい存在であるということを理解できるのではないでしょうか。

(さらに…)

悪魔にしっかり立ち向かう

悪魔については色々な見方があります。
多くの人は悪魔が実際に存在するとは考えていません。
日本人もそう考えている人が多いようです。
ある世界大手の世論調査会社が主要26カ国を対象に行った国際宗教調査によると、
日本人で悪魔を信じる人の割合は20パーセントほどだったそうです。
これは26カ国のうち2番目に低い数字でした。
因みに神の存在や神のような高い次元の力の存在を信じる
と答えた日本人の割合は19パーセントで最下位だったそうです。

今日の講演では悪魔にしっかり立ち向かうというテーマで考えていきます。
このテーマから分かることは、悪魔は私たちの敵であり、
私たちは悪魔と戦っているということです。
どんな戦いの場合も知っておかなければならないことが3つあります。
まず1つ目は、敵を知るということです。
2つ目は、敵の策略を知るということ。
3つ目は、自分の身を守る方法を知るということです。
この3つとも聖書から知ることができます。

敵を知ることについて考えていきましょう。
聖書は、悪魔が目に見えない邪悪な天使だと教えています。
ヨハネ8章44節を見ると「その者は…真理から離れ」たとあります。
つまり最初は良い天使だったのが、神に反逆して邪悪な天使になってしまったということです。
啓示12章9節では「悪魔」の名前が「サタン」と呼ばれています。
この名前には「反抗する者」という意味があり、悪魔にぴったりの名前がつけられています。

この悪魔サタンの登場シーンを聖書から見てみましょう。(創世記3:1-5)
自分の正体を隠して蛇を使ってエヴァと会話をしているという場面です。
4節と5節を見ると、エヴァに嘘をついて間違った考えを持つよう仕向けました。
ほんの短い会話の中でエヴァを騙してエホバに反逆させることに成功したのです。
このように自分の正体を隠して相手を騙すというのがサタンの常套手段です。
後に一部の天使たちもサタンに加わり、神に反逆し邪悪な天使になってしまいました。

では実在しているこの悪魔は、私たちにも何か影響を与えることができるのでしょうか?

「私たちが知っている通り,私たちは神から出ていますが,
 全世界は邪悪な者の支配下にあります」。(ヨハネ第一5:19)

世界には、アメリカにもロシアにも中国にも支配者と呼ばれる人たちがいます。
でも聖書は、それら支配者たちの上に君臨する全世界の支配者が存在することを教えています。

サタンはどのように世界中に影響を与えていくのでしょうか?
特に人々に対して強い影響力を持つ組織を使って、人々を惑わそうとします。

政治は、人間の政府によって世界の問題を解決できると思わせようとしています。
商業体制は、たくさんのお金やものがあれば幸せになれると思わせようとします。
そして宗教は、神についての嘘や偽りの教えを広めて、人々をエホバから引き離そうとしています。
このように政治と商業体制と宗教は、
実は人々の注意が神とその王国に向かないように仕向けるという共通の目的を持つ共同体であることになります。
サタンはエデンの園でエヴァに対してしたように、
自分の正体を隠し黒幕として世界中の人々を惑わしていますが、
聖書はこの悪魔の正体を暴露しているということになります。

ではこの敵の正体を知っているだけで大丈夫でしょうか?

「頭がさえた状態を保ち,油断なく見張ってください。
 敵である悪魔が,ほえるライオンのように歩き回って,
 誰かをむさぼり食おうとしています」。(ペテロ第一5:8)

悪魔がむさぼり食おうと歩き回っている、言い換えれば私たち人間をエホバから
引き離そうと躍起になっているということです。
神の心を喜ばせたいと思う人にとって、悪魔は本当に危険な存在です。

すでに学んだように、悪魔は邪悪な天使なので
私たち人間がまともに戦って勝てる相手ではありません。
でも聖書は、私たちにもできることについて次のように教えています。

「ですから,神に従ってください。
 悪魔に立ち向かってください。
 そうすれば,悪魔は逃げ去ります」。(ヤコブ4:7)

私たちが悪魔に立ち向かうことがどうしてできるのでしょうか?

「私たちがサタンに付け込まれないようにするためです。
私たちはサタンの手口を知らないわけではありません」。(コリント第二2:11)

サタンの手口を知っていれば、付け込まれないようにできるということです。
聖書は悪魔が使う策略を明らかにしているので、
私たちは悪魔に立ち向かうことができます。
サタンが用いる策略のいくつかと、
自分の身を守る方法について聖書から調べていきましょう。

3つの策略について取り上げます。
まず1つ目の策略は、物質主義の罠です。

物質主義とは、エホバや聖書のことではなく
物やお金のことばかり考えるということです。
いつの時代にも、お金や物には人を夢中にさせる強い力があります。
それを知っていたイエスは、次のように警告したことがあります。

「誰も2人の主人の奴隷にはなれません。
 一方を憎んで他方を愛するか,一方に尽くして他方を軽く見るかです。
 神と富との奴隷にはなれません」。(マタイ6:24)

富が主人に、人間が富の奴隷になってしまうことがあると警告しました。
もしこうなってしまうと、サタンがこの人をエホバから
引き離すのは簡単なことではないでしょうか。
それで私たちは物質主義に陥らないように気を付けたいと思います。
1978年の年鑑9ページでは次のように定義されていました。

「物質主義とは何であれ一個人とその人のエホバに対する崇拝との間に
立ちはだかるものであると言われています。
ですから,必ずしも高価な車,これ見よがしの家,
あるいは多額の銀行預金が問題なのではありません。
人の時間や注意を奪って,当然エホバに帰すべき崇拝を
ないがしろにさせるものなら何でも問題になり得るのです」。
https://www.jw.org/finder?wtlocale=J&docid=301978001&srctype=wol&srcid=share&par=23

それでどんなものが自分にとって多くの時間や注意を
奪いかねないかということを考えていくようにしましょう。
例えば、お金、仕事、趣味、健康、美容、スポーツ、
旅行、ペット、様々なものが立ちはだかることがあります。

2つ目は性の不道徳という策略です。

エホバは人間を男性と女性に性別を分けて創造しました。
そして性関係を結婚した夫婦に対する贈り物として与えました。
この性道徳は今の世の中でどうなっていますか?

悪魔サタンは人々の性道徳に対する見方を歪めさせようとしてきました。
最近サタンが特に力を入れてこの世界に浸透させようとしているのが同性愛です。
同性愛や同性婚の権利を主張する人たちが増えています。
男性か女性のどちらかである必要はない。自分がどう感じるかが大切だと主張します。

世界保健機構WHOは新しい見解を次のように公表しました。
「性は多様なものであり、
男性か女性かに区別する必要はない」。
国際機関でさえこのような見方を持つようになっています。
この世界はサタンがコントロールしていることがよく分かるのではないでしょうか。

世界の色々な地域で、レインボーカラーは同性愛のシンボルとして
使われていてそのポスターが学校にも掲示されています。
この虹は、ノアの時代の大洪水の後にエホバが
人類と約束をした時の印として使われた美しい現象です。
それをサタンが同性愛のシンボルとして使っているのです。
闇を光とするサタンの手法です。
この同性愛について、聖書は何と言っているでしょうか?

「正しくない人が神の王国を授けられることはない,
 ということを知らないのですか。
 思い違いをしてはなりません。
 性的に不道徳な人,偶像を崇拝する人,姦淫をする人,
 同性愛行為に身を任せる人,同性愛にふける人,
 盗む人,貪欲な人,酩酊する人,ののしる人,脅し取る人が
 神の王国を授けられることはありません」。(コリント第一6:9,10)

はっきりとエホバの見方が示されています。
それで私たちは、神の道徳基準に関するこの世の中の見方に
影響されないように気を付けていきましょう。

jw.orgの動画で「真の正しさは平和をもたらす」という
以前の地区大会で上映された動画があります。
オリビアという高校生の女の子が、先生とクラスメートに対して
同性愛についての聖書の見方を説明していました。
オリビアは先生から次のような質問をされていました。
「みんなを愛すると言いながら、特定の人を排除するのは矛盾していないか」。
もしあなたがこの質問されたならば、同性愛についての
聖書の見方をどんな風に上手に説明できますか。
その準備ができているでしょうか。大人の皆さんはどうですか。
この動画の中で、オリビアはこんなふうに説明していました。

「神は全ての人を受け入れるけど、
全ての行動を受け入れるわけではないんです。
薬物を使ったり、盗みをしたり、暴力を振るう人が
エホバの証人になることはできないということです。
その中に、結婚していない人同士のセックスとか
同性愛行為も含まれていて、そういう行いは神に受け入れられないんです」。
https://www.jw.org/finder?srcid=share&wtlocale=J&lank=pub-jwbcov22_4_VIDEO

若い皆さん、自分で上手に説明できるようによく準備しておきましょう。
そして親の皆さんはそうできるよう、子供たちをこれからも助けるようになさってください。

3つ目は間違った情報という策略です。
デマ、陰謀論、フェイクニュースなどもサタンが用いる策略の1つです。

色んな人が色んなことを主張しています。
嘘か本当かわからない情報が押し寄せてきています。
もしあなたがスマートフォンを持っているなら、
あるいはインターネットを使えるなら、インターネット上の
間違った情報を目にしたことがあるのではないでしょうか。
新型コロナのパンデミックが始まった時、世界中が混乱しました。
この混乱を招いた1つの要因は、インターネット上の陰謀論やデマでした。

聖書は悪魔サタンについて「うそつきで,うその根源」と述べています。
(ヨハネ8:44)
ですから虚偽の情報というのは、サタンが得意としている策略の1つです。
ここにいる私たちの誰もが、この策略の餌食になり得ます。

エデンの園において、サタンはエヴァと接触するために何を使ったでしょうか。
蛇を使って自分のメッセージを伝えることができました。
今サタンは蛇を使う必要はありません。
その人がスマートフォンを持っていれば、インターネットを使うことができれば、
いつでも自分のメッセージを人々に伝えることができます。

それで私たちは自分の身を守らなければなりません。
特にインターネットの使い方に注意することによってです。
聖書は次のようにアドバイスしています。

「世間知らずの人は全ての言葉を信じ,
 聡明な人は1歩ごとにじっくり考える」。(格言の書14:15)

「全ての言葉」全ての情報を信じる人はどうなりますか。
SNSなどで拡散される画像や短い動画はインターネットミームと呼ばれ、受けを狙ったものが多くあります。
手が加えられているものや一部だけが切り取られて本来の趣旨とは違う使われ方をしているもの、さらには捏造されているものさえあります。
こうした情報を全て鵜呑みにして信じてしまうならどうなりますか。
嘘の情報に振り回されて、真面な生活を送ることができなくなるでしょう。

それで私たちは、一歩ごとにじっくり考える聡明な人になりたいと思います。
インターネットを使うとき、次の点を考えてみるのは助けになります。
それは信頼できる情報だろうか?それとも事実が歪められているだろうか?
情報の出所は信頼できるだろうか?
内容は最新のもので正確だろうか?
自分にとって都合のいい情報だけを見ようとしていないだろうか?
こうしたことをじっくり考えてみることは助けになります。
そのようにして、間違った情報に欺かれないように気を付けていきましょう。

今日は 3つの策略だけを取り上げましたが、
ものみの塔オンライン・ライブラリーで「索引」を見ますと、
「サタン」という項目の中に「人間に働きかける方法」というところがあり、
サタンが使う57種類の策略がリストアップされています。
https://www.jw.org/finder?wtlocale=J&docid=1200275073&srctype=wol&srcid=share&par=124
その中には心霊術、気落ちさせる、個人間の不和などの策略についても書いてあります。
そうしたものを調べ、自分にとって弱点になりそうなものを
研究してみることは助けになるでしょう。

世界のある国や地域でサタンは、
迫害や禁令という策略を使ってエホバの証人を攻撃しています。
そのような地域では、エホバの証人の様々な活動が制限されています。
毎日サタンの激しい攻撃を受けて生活している兄弟姉妹たちが感じるストレスを想像できるでしょうか。
日々神経をすり減らしながら生活しているに違いありません。
ある時その国の支部訪問が行われて、地域の巡回監督たちにこう尋ねました。
「この国の兄弟姉妹たちが1番必要としていることは何ですか」。
監督たちは一斉にこう答えました。「ハルマゲドンです」。
それぐらい兄弟姉妹たちは追い詰められているということです。

私たちもサタンが支配する世界で生活していますので、
日々誘惑やプレッシャーを受けています。
気力と体力を消耗して生活しているに違いありません。
若い人たちは特に大変な状況に置かれていると思います。
この厳しい戦いはいつまで続くのでしょうか?
聖書はこう約束しています。

「平和を与える神により,
  間もなくサタンは皆さんの足の下で砕かれます」。 (ローマ16:20)

サタンからの影響はもうすぐなくなります。
エホバはいずれイエスを用いて、敵であるサタンを完全に滅ぼすのです。
その時まで、私たちはサタンと戦い続ける必要があります。
そして戦い続けることができます。
どうしてそう言えるのでしょうか?

「揺るぎない信仰を持ち,悪魔に立ち向かってください。
 ご存じの通り,世界中にいる,信仰で結ばれた兄弟たちが,
 同じような苦しみを経験しています。
 皆さんが少しの間苦しんだ後,
  惜しみない親切に満ちる神は,皆さんの訓練を終えます。
 永遠の栄光を与えるためにキリストを通して招いてくださった神が,
 皆さんをしっかりした人,強い人,
 揺らぐことのない人にしてくださるのです」。(ペテロ第一5:9,10)

しっかり立ち向かうことができるよう、エホバは私たちを強くしてくれます。
つまりサタンとの戦いを諦めずに続けるということは、
エホバのサポートを受けながらトレーニングを受けていることになります。
エホバの助けとトレーニングがあるので、私たちは勝つことができるのです!
私たちはこれからもサタンの策略を見分け、
悪魔にしっかりと立ち向かってまいりましょう。

エホバのもとに避難すべきなのはなぜですか

現在地球上の幾億もの人々が貧困や飢餓、人種的また民族的な憎しみや内戦に苦しみ続けています。
ご存知の通りロシアやウクライナをはじめ、中東での争いも激化してきています。
ロシアがウクライナに侵攻を始めてすぐに、200万人以上がウクライナから近隣の国々に避難し、約100万人が国内の別の地域に避難を余儀なくされたようです。
2023年の記録では1億1730万人が紛争や迫害などが原因で多くの人が家を追われました。
74人に1人全世界の人口の1パーセント以上が故郷を追われている計算になります。
この数字は年々増加し続けていて、大勢の人々が難民となって他の国々で生活しているのです。

今戦争や紛争という苦しみを実際には経験してはいなかいなかったとしても、
病気や犯罪また家族の諸問題、感情的な苦しみなどから誰もが逃れたいと感じているに違いありません。
特に苦しみの最たるものである死は、これまで多くの人たちを苦しめてきました。
死への恐れのために、何百万もの人々が多くの宗教やその支援に安心を求めようとしてきています。
自分自身で意識的に安心を求めているかどうかに関わりなく、全ての人は安心感や将来の希望といった信頼できる心の拠り所を、可能なら永続的にそうしたものが得られる場所をずっと探し求め続けている状態です。

しかしこの世が約束している安心は失望に至ります。
なぜそう言えるでしょうか?

「人には正しい道に思えても,最終的に死に至る道がある」。
(格言の書14:12)

正しいと信じで行ってきたことが、実は間違いだったり欺かれていたり、
善意のつもりでしていても残念な結果に終わるということがあることをこの聖句は教えています。
例えば人々を教え安心できるはずの宗教は、
教えていることと実際に行っていることがあまりにかけ離れているので、安心をもたらすことができません。

またどんな政治体制も、人々の生活や安心感を保証するどころか、
見いだすことさえもできていません。
またどれだけお金を求めたとしても、決して満たされることはなく、
安心というよりむしろ心身を疲弊させ不安や失望を得ることになっているのです。

私たち人間は一体どこに行けば良いのでしょうか?
人類はどんな種類の避難所を必要としているのでしょうか?

まず私たちがどこに注意を向けるかは非常に重要です。
世の中では起きている問題や結果ばかりに注意が向けられるかもしれませんが、
そもそもこの世の中で真の安心という避難所を得ることはできませんから、
根本的な原因、理由の方にまず目を向けなければなりません。

「全てを聞いた今,結論はこうだ。
真の神を畏れ,その方のおきてを守りなさい。
人の務めはそれに尽きる」。
(伝道の書12:13)

この言葉から永続する幸福や自分の命が、神と神が言われたことに従うことと決して切り離すことができない関係にあることがわかります。
生活の中にエホバとの関係がどうしても必要であるということを意味しています。

それは当然のことなのではないでしょうか。
人間は神によって創造されたからです。
ただ動物のように食べたり活動したりするだけではなくて、エホバに頼り、神の導きや支えを必要とするように創造されているからです。

人は自分で自分を導けず、神だけが人間を導くことが目的になります。
(エレミヤ10:23)
1人1人の人生に唯一意味を与えることができる方はエホバだけです。

では現在、多くの人はなぜこれほどまでに不安や失望を経験したり、
真の避難所を得ることができていないのでしょうか?
それは人類史の最初に原因があります。

(さらに…)

世界の終わりは近い

コロナウイルスという言葉を頻繁に耳にするようになってから、もう4年が経ちます。最近また感染が拡大しつつあり第10波に入ったとも言われています。

まさか1つのウイルスの影響がこんなに長く続くとは思わなかったという方が多いのではないでしょうか。

私たちエホバの証人は、このような世界的な流行病のまん蔓延が、世界の終わりが近づいているしるしの1つであるということを多くの人たちに伝えています。

世界の終わりというテーマは、多くの人にとって度々耳にすることがあるのではないでしょうか?

皆さんも人類滅亡を題材にしたテレビ番組や映画などを目にしたことがあるかもしれません。

終わりに関する予測が世間を騒がせるということもありました。

ノストラダムスの大予言を覚えておられるでしょうか?1997年7月に人類が滅亡するというものでした。

古代マヤ暦が終わる2012年12月21日に地球が滅亡するという予測もありました。

こういった予測を信じた人たちもいましたが、予測通りのことが起きることはありませんでした。

では、聖書が述べている予告についてはどうでしょうか?

本当に聖書が言う通りに世界は終わるのでしょうか?そのことを信じるだけの証拠はありますか?その終わりを生き残るための方法はあるのでしょうか?

今日はこうしたことをご一緒に考えていきたいと思います。

まず聖書に書かれている終わりに関する過去の事例について少し考えてみたいと思います。

西暦1世紀にイエス・キリストが予告したエルサレムの終わりについてです。

私たちはそこから大切な教訓を学ぶことができます。

「さて,イエスが神殿から去っていく時に,

弟子たちが近づいてきて神殿の建物を指し示した。

それでイエスは言った。

『この全てを見ているのですか。はっきり言いますが,

石がこのまま石の上に残って

崩されないでいることは決してありません』」。

(マタイ24:1,2)

イエスはエルサレムの神殿が完全に破壊されることをお告げになりました。

弟子たちにとってそれはとても衝撃的なことでした。そのことを聞いた弟子たちはどう思ったのでしょうか?

「イエスがオリーブ山の上で座っていると,

弟子たちが自分たちだけで近づいてきて,言った。

『教えてください。そのようなことはいつあるのでしょうか。

あなたの臨在と体制の終結のしるしは何ですか』」。

(マタイ24:3)

弟子たちはその衝撃的なことがいつ起きるのか知りたいと思いました。

それでイエスは、エルサレムの滅びが近いことを示すしるしについて教えられます。

そこでイエスは言った。

「誰にも惑わされないように気を付けなさい。

私の名を使う人が多く現れ,『私がキリストだ』

と言って多くの人を惑わすからです。

あなたたちは戦争の音や戦争の知らせを聞きます。

動揺しないようにしなさい。

これらのことは必ず起きますが,終わりはまだなのです。

国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がり,

あちらこちらで食糧不足や地震があります。

これら全ては苦しみの激痛の始まりです」。

(マタイ24:4-8)

どんなしるしについて述べられていたでしょうか?

5節を見ると、偽キリストが現れることになっていました。さらに戦争や地震や飢饉の知らせも聞くことになっていました。

一世紀の歴史家であるフラビウス・ヨセフスによると、こうしたしるしは実際に起こったようです。

しかし、しるしはそれだけではありませんでした。

「エルサレムが陣営を張った軍隊に囲まれるのを見たなら,

その時,荒廃が近づいたことを知りなさい。

その時,ユダヤにいる人は山に逃げ始めなさい。

都の中にいる人はそこを出なさい。

(さらに…)

暴力的な世界における良いたより

暴力的という言葉は、今日の私たちの周りの世界を的確に描写している言葉と言えるかもしれません。

日本でも毎日のように暴力的なニュースが報じられています。

最近では川口市でタクシー運転手が金を出せ脅されて拳銃のようなもので撃たれて重傷を負うという事件がありました。

さらにコンビニで万引きをした人を店員が追いかけていったところ刃物で刺されるというニュースもありました。

保護観察者が観察者の人に刺されるというニュースもありました。

本当に暴力が蔓延っているために、私たちの日常の活動は本当に影響を受けているのではないでしょうか。

どのように移動するのか、どの時間に外出を控えるべきか、何を避けるかを皆さんも考えていると思います。

「『暴力だ!』と叫び続けても,聞いてもらえない。

 私は助けを求めて叫ぶが,公正に扱ってもらえない」。

 (格言の書19:7)

皆さんも助けを叫び求めても聞いてもらえなかったり、公正に扱ってもらえないことがあったかもしれません。

国際的に見ても暗殺とかテロや民族紛争などがますます頻繁に起こるようになっています。政治とか宗教に関係のある活動家も犯行に加わっています。

さらに今、戦争も行われています。

ハイチの人々はギャングによる破壊行為に苦しめられています。ラテンアメリカだけでなく南アフリカやメキシコでも暴力行為が広がっています。

暴力行為が減っている地域でも窃盗事件によって人々の安心や安全が脅かされています。

「彼らは,悪を行わないと眠れず,誰かを倒れさせないと眠りを奪われる。

 彼らにとって,悪事はパンであり,暴力はぶどう酒である」。

 (格言の書4:16,17)

悪事が日常生活のと同じようなことだと述べています。

平和を好む市民や通りすがりの人が本当にしばしば被害に遭っているのではないでしょうか。

人々は失望して暴力がさらにひどくなることを恐れています。

この世界の暴力の背後にあるものについて、これから少し考えてみたいと思います。

聖書には不法と暴力が溢れていた過去の時代について記されていて、暴力の真の原因を洞察することができます。

そうした時代の出来事を私たち調べていくならば、今日の出来事の意味を一層明確に理解することができるでしょう。

1.暴力行為は大洪水前に頻発していた

「そのため,エホバは,地上の人々がひどく邪悪で,

 考え方全てが常に悪いのを見た。

 …地上は,真の神から見て堕落していて,暴力があふれていた」。

 (創世記6:5,11)

洪水前には奪略とか暴力が溢れていたことが書かれています。

その暴力行為の大部分は、堕落した天使たちとその力ある子孫が引き起こしたということです。

「真の神の子たちは,人の娘たちが美しいことに気付くようになった。

 そして気に入った女性たちを妻にしていった。

 …その頃,またその後にも,地上にネフィリムがいた。

 真の神の子たちが人の娘たちと関係を持ち,生まれた子たちである。

 ネフィリムは,古代の人々の中でよく知られた,力の強い者たちだった」。

 (創世記6:2,4)

ネフィリムは天使たちと人間が結婚して生まれた子ですが、人間の倍ぐらい大きな、力がある者でした。

本当に暴力を振るっていました。

皆さんがこの場にいたら、どのように行動していたでしょうか?

暴力を終わらせるための希望の源として、エホバに依り頼んだでしょうか。

神は暴力を嫌っておられたことに注目するのは、私たちの励みとなります。

「それでエホバは言った。

 『私が創造した人を地上から滅ぼそう。

  家畜や空を飛ぶ生き物や地面を動く生き物も。

  私はこれらのものを造ったことを嘆いているからだ』。

(さらに…)

あなたはどんな価値基準を大切にしますか

あなたはどんな価値基準を大切にしますか。

1世紀のローマの哲学者が述べたこんな有名な言葉があります。

「目指すべき港を知らなければ、純風なるものは存在しない」。

この言葉は、人生の方向付けをするには目標がどうしても必要であるということを言い表しています。

目的地とか目標がなければ、延々と彷徨うことになります。

目標を達成していくには、強い意欲が必要です。

あなたのあなたの今の目標は何ですか?と聞かれたら、皆さんは何と答えますか。

それぞれの答えがあると思います。

世の中にはセルフコントロールと言われる、目標達成のためにコツコツと行動を継続するための動画やサイトがあります。

また自己啓発のための本などが出回っていて、そうしたものはすごくヒットしています。

世の中の多くの人は、人生を有意義なものとする価値基準を探し求めているということがわかります。

自分にとってどんなものを価値あるものとみなすかによって、目標とかその優先事項は決まっていきます。

聖書もこのように教えています。

「皆さんがより重要なことを見極め,

 キリストの日までずっと純粋でいて,

 人の信仰を妨げることがありませんように」。

(フィリピ1:10)

私たちは何を目標にできるでしょうか?

具体的にどういうことに焦点を合わせていくことができるでしょうか?

そうしたことをよく考えるならば、より重要なことを見極めることになります。

適切な価値基準を持つならば、遣り甲斐のある目標を定めてそれを実現していくことになります。

それで私たちは自分の価値基準をよく分析して、それに沿って歩むとどうなるか確かめるのは、良いことと言えます。

私たちはどんなことを目標にするでしょうか?つまり自分の目の焦点をどこに合わせていくでしょうか?

一般的に多くの人が追求する目標と、クリスチャンがピントを合わせていくべき目標には違いがあるのでしょうか?

いい学校を出ていい大学へ行っていい仕事に就きなさいというのが一般的な よく聞くフレーズかもしれません。

一般的に、多くの人は富を重視する傾向があります。

高収入の仕事や有利な投資など、物質的な目標に焦点を合わせていきます。

では、聖書は何と述べているでしょうか?

「富を得ようとして疲れ切ってはならない。

 そうするのをやめて理解力を示せ」。

(格言の書23:4)

物質的な目標を中心とした生活を送るなら疲れきってしまう、つまり失望に至るということを教えています。

「目をやると,そこに富はない。

 それは必ずワシのように翼を生やして空に飛び去る」。

(格言の書23:5)

お金に羽が生えたように飛んでいくという言葉を聞いたことはないでしょうか。

生活に追われ、稼いでも稼いでもどんどんお金が消えていくという時に使う表現かもしれません。

鷲は時速130キロを超えるスピードで飛んだという報告もあります。ソロモンは富やお金が空に向かって飛び去る鷲のようだということでこのような表現をしました。

ずっと貯めてきたお金が一晩のうちになくなってしまうということもあります。

地震台風洪水といった自然災害で、家もお金も失ってしまうことがあります。

円安がずっと続いていて景気の波が本当に不安定です。インフレによって物価の上昇が止まりません。

突然経済が破綻してしまう国もあることを考えると、富やお金があるという安心感は長く続くわけではありません。

お金をたくさん得ることを目標にしたとしても、翼を生やして飛んでいく鷲のようだと言えます。

勿論聖書は、お金を稼ぐことが悪いと言っているのではありません。

食事をして光熱費を支払って生活をしていくには、お金がないとやっていけません。

(さらに…)

どの宗教を選ぶかは重要?

家からここまで来る時、

Googleマップを開くとルートは何通りかありますが、

どの道を選ぼうがそこまで大差はありません。

何分かの違いです。

では、どの宗教を選ぶかという道選びはどう思われますか?

どの宗教どの道を選んでも大差はない。どの宗教にもいいところがある。

行き着く先はみんな同じだと考えている方が多くおられます。

どの宗教を選ぶかっていうのは重要なことなのでしょうか?

重要なのであれば、どの宗教を選べば良いのでしょうか?

宗教の道選びというのは簡単なものではないかもしれません。

なぜなら世界中にはこの宗教が本当にたくさんあるからです。

ある資料によると世界の様々な宗教は、大きく分けると19、

細かく分けると約1万ほどあると言われています。

その宗教の中で神と呼ばれているものも本当に多くあります。

神道では八百万の神と言われ、至るところに神が存在するという教えがあります。

木とか石とかトイレにも米粒にも神様がいると信じておられる方もおられます。

自分は神を信じていないと言っても、スポーツ選手、著名人、政治家を

いわば神のように扱って尊敬している人たちもいます。

また夢のために自分の全てを費やしている方々もいます。

神とは呼ばれないかもしれませんが自分の生活の中心に置いて

そうしたものを神とみなしている人々もたくさんおられます。

では、本当に神と呼べる存在がいるのでしょうか? 

神の言葉と言われていて世界中のほぼ100%の人が

理解できる言語で読むことのできる聖書という本に、

何と書いているのか共に調べてみましょう。 

聖書は神について何と教えているでしょうか?

聖書は、本当の神はただ1人の存在だと教えています。

「永遠の命を得るには,唯一の真の神であるあなたと,

 あなたが遣わされたイエス・キリストのことを

 知る必要があります」。

 (ヨハネ17:3)

イエスが地上におられる時、最後の晩に神に語りかけた言葉です。

誰かに語りかけたり電話をかける時に、

どこの誰に電話をするかを知らずに電話をかけることがあるでしょうか。 

電話をかける時には、どこの誰に電話をするのかを知っていて、 

実際にその人が存在していて電話に出て話を聞いてくれることを確信しています。

イエスもここで唯一の真の神がどこの誰なのかをはっきり分かっていたので、

そのように語りかけました。 

聖書で教えているその神とはどんな方でしょうか?

詩編83編18節を見ると「エホバという名」を持っておられることがわかります。

そしてこのエホバは、私たちの目には見えず天に住んでおられます。

ではそのエホバは何をした方でしょうか?

「私たちの神エホバ,

 あなたは栄光と栄誉と力を受けるのにふさわしい方です。

 あなたが全てのものを創造されたからです。

 全てのものは,あなたのご意志によって存在するようになり,

 創造されました」。

 (啓示21:4)

聖書はエホバだけが全能の神であること、 

そして人間を造った存在であるってことを教えています。

世界中には多くの宗教がありますが、その崇拝の対象というのは、

地球上にある自然だったり動物だったり人物だったりすることがあります。

でもそうした地球上にあるものは全て、

エホバのご意志によって存在しているということがわかります。 

このエホバが地球や宇宙を創造する前はエホバだけが存在していたわけです!

こうしたことを考えてみると、エホバだけが

崇拝を受けるにふさわしい方と言えるのではないでしょうか。

聖書にこうしてはっきりエホバという神がいて、エホバだけが

崇拝されるべき方だということを教えているにもかかわらず、 

(さらに…)

愛は憎しみに勝てるか

私たちは今、戦争や紛争のニュースを
毎日のように見ているのではないでしょうか。
また様々な民族間で、
長い歴史の中で培われてきてしまった偏見とか憎しみによって
時々暴力が発生しているのを私たちは見聞きしています。

人間にはそういった傾向があることを十分知っていますが、
一方で人間にはそれとは正反対の性質も
あるのではないでしょうか。
つまり人を愛するというものです。
困っている家族とか友人のために、
自分の持っているものを喜んで与えたり、
また助けを与えたりというのは多くの人々がしています。
きっと皆さんもそのようにしておられるのではないでしょうか。

愛によって可能になる平和な状態を
誰もが望んでいると言えるでしょう。
これに異論を唱える人はいないはずです。
では、人間にはそういった特質もありながら、
なぜ世の中に憎しみが今まさに溢れているのでしょうか?

聖書は憎しみと暴力が
どのようにして始まったのかを明らかにしています。
エホバが人間を創造された時そこに憎しみは存在せず、
完全に平和な状態が見られました。
しかしそれは長く長く続きませんでした。

聖書はサタンという悪魔の存在を明らかにしています。
(ヨハネ8:44)
エホバに対する反逆の精神から、
エホバが理想とする環境とは
真逆の状態を地球上に作り上げてきました。
人間は愛という特質を持ちながらも、憎しみや暴力の方が今
世界中に溢れているその最大の原因がこの悪魔サタンです。

現状を見ると、
愛より憎しみの方が勝っているように感じるかもしれません。
明るい未来を期待することはできないのでしょうか?
聖書は間もなく愛が憎しみに完全に勝利する
ということを明らかにしています!

最初の人間2人がエホバに従い続けるならば、
平和な状態は永遠に続くはずでした。
しかしサタンの策略のためにそうはなりませんでした。
しかしエホバは、
反逆した2人から生まれて増加していく不完全な人間を
心から愛しておられ、見捨てることはされませんでした。
それで愛の動機として
新たなプランを立てたことを宣言されました。

「そして私は,あなたと女の間,
またあなたの子孫と女の子孫の間に敵意を置く。
彼はあなたの頭を砕き,
あなたは彼のかかとに傷を負わせる」。
(創世記3:15)

この言葉はエホバが蛇に語っている流れとなっています。
かかとを砕かれるというのは確かに大怪我ですが、
致命傷とはなりません。
しかし、頭を砕かれるならそれは命を失うことを意味します。

エホバは蛇に語りかけたとありました。
けれども動物は言葉を理解することはできません。
この蛇は理性を持つ存在だったに違いありません。
啓示の書12章9節でサタンは「初めの蛇」と呼ばれています。
サタンは見えない体で蛇の背後に回って、
あたかも蛇が話しかけているように話しかけエバを騙しました。

聖書では、ある人と同じような考え方や行動する人のことを
その人の子孫と呼ぶことがあります。
それで蛇の子孫というのは、サタンと同じようにエホバ神や
エホバに仕える人に敵対する天使と人間を表しています。
創世記には、ノアの時代にサタンの考え方に魅力を感じて、
天での持ち場を捨てて地上に降りてきて、
人間の体を着けた天使たちの記録があります。
その天使たちは地上で猛威を振るい、
その影響を受けた人々が
極めて暴力的になったという記録も残されています。

この聖句に出てくる「女」がエバであるはずはありません。
アダムとエバは子孫を設け、
それは不完全になった後のことだったため、
子孫は不完全さを受け継ぎました。
不完全な人間が自分たちより遥かに強力な
悪い天使を滅ぼすことはできません。
啓示の書で明らかにされている通り、
「女」はエホバに忠実に仕える天使たちで構成される
エホバの組織の天の部分を表しています。
では「女の子孫」は何を表しているでしょうか?

エホバは長い歴史の中で、ご自分の約束をどのように果たすかを
徐々に明らかにしてこられました。
この子孫は創世記22章に記録されている通り、
アブラハムの家系から出ることがまず予告されました。

女の子孫は蛇である悪魔サタンの頭を砕く人間よりもっと
力のある存在でなければなりません。
天におられたイエスはエホバの奇跡によって
アブラハムの家系の処女から生まれることによって、
完全な人間として地上に来られました。
そしてイエスは30歳の時バプテスマ受け、
聖なる力によってエホバから選ばれた者となり、
この時イエスは「女の子孫」の主要な部分になりました。

エホバが幾つもの預言に明らかにされたことによって、
この「子孫」は、イエスと人間から選ばれた共同統治者
14万4000人で構成されるグループだ
ということが分かっています。
現在イエスは、神の王国の王として天で統治しておられます。
そして共同統治者の14万4000人の殆どの人は
天に集められています。
まさに今、創世記3章15節で語ったエホバのプランの
最終部分にあることがわかります。

イエスは地上におられた時、
憎しみがなくなるという神の約束を含む真理を伝えていました。
そして愛が憎しみに勝てるということを、
伝えただけではなく自らの行動で示しました。

「悪人と争ってはなりません。
右の頰を平手打ちする人には,もう一方の頰も向けなさい。
あなたを法廷に連れていって内衣を取ろうとする人には,
外衣も与えなさい。
権威のある人から1キロ行くよう要求されたなら,
一緒に2キロ行きなさい。
求める人に与えなさい。
借りようとする人に背を向けてはなりません。
あなたたちは,こう命じられたのを知っています。
『隣人を愛し,敵を憎まなければならない』。
しかし私は言います。
敵を愛し続け,迫害する人のために祈り続けなさい」。
(マタイ5:38-44)

イエスは弟子たちに、
挑発に乗らず仕返ししないようにと語りました。
イエスは自分が教えたこのことを実践し、
エホバと人々に対する深い愛を示されました。

イエスはマブデスマを受けた後、
自分に与えられた役割について深く考えるために
断食を伴う40日の考えるための期間を取りました。
そこに付け込んだのがサタンで、石をパンに変えるようにとか、
高いところから飛び降りてエホバの力を試すようにとか、
自分を崇拝するなら地球上の全ての国を与える
などと誘惑しました。
しかしイエスは力強くその誘惑を退けて、
聖書の言葉を使ってサタンが間違っているということを
完璧に証明しました。

またイエスは死の直前、言われのない罪をでっち上げられ、
言葉による侮辱とか流血を伴う暴力に耐えました。
この出来事は愛が憎しみに勝てることと
どのような関係があるのでしょうか?

イエスがこれらの障害を乗り越えることによって初めて、
最初の人間が失った完全な命を、
自身の完全な命を与えることによって
取り戻すことが可能になったからです。
人類は自分では取り除けない不完全さとそれに伴う死から
解放されることになりました。

イエスは人類に最大の愛を示されたと言えます。
悪魔サタンの行いを終わらせるための
最初のステップを踏んだということができるでしょう。
サタンは、このエホバの計画が失敗に終わるよう
恐れを抱かせて命を差し出す任務から
逃げ出すよう仕向けるために、
死の直前まで苦痛を与えました。
しかしイエス・キリストはしっかりと立ち、
その企みは失敗に終わりました。

最後までこの苦しみに耐えて死なれたことによって、
サタンが女の子孫イエスの
かかとを砕くという言葉が成就しました。
しかしこれは致命傷とはならない傷です。
それはどのように証明されたでしょうか?
自分の任務を完璧に遂行したイエスを、
エホバはわずか3日後に復活させ、
本来の居場所である天へと引き上げられました。

イエスの生き方そして完全な命を捧げた死そしてこの復活は、
愛が憎しみに勝てることを示すものとなりました。
憎しみに愛の方が勝てるということを証明されました。

ではこの現在私たちは、
そのイエスに見倣うことができるでしょうか。
私たちも、憎しみより
愛が勝っていることを示すことはできるでしょうか?

キリストの教えを信じているという人々でも、
実際にはその教えに従った生き方をせず、
暴力や憎しみを抱いて生活している人はたくさんいます。
では現在、
本当の意味でイエスに見倣う人々は存在するのでしょうか?

イエスは本当の意味でご自分の教え、
愛を実践する人々のその見分け方を明らかにしています。

「私はあなたたちに新しいおきてを与えます。
それは,互いに愛し合うことです。
私があなたたちを愛した通りに,
あなたたちも互いを愛しなさい。
あなたたちの間に愛があれば,
全ての人は,あなたたちが私の弟子であることを知ります」。
(ヨハネ13:34,35)

イエスは、聖書を信じているんだと
自分から発信するということではなく、
愛に基づく行動とか、愛によって形作られた人格によって、
本当にイエスに倣っている人を見分けることができる
と言われました。

エホバやイエスが示されたこの深い愛を学んで、
それを示すことができるように
真剣に努力している人々がいるでしょうか?
実際に見られているその証拠からすると、
エホバの証人がそれに当たるということに
疑問の余地はないでしょう。
エホバの証人が勝手に主張しているのではなく、
言葉ではなくて行いによってそれを証明しています。

仲間を兄弟また姉妹と呼んで、心からの愛を示し合っています。
反対する人や迫害する人に対しても
愛を示すように真剣に努力しています。
確かに反対とか迫害の経験は喜ばしいものではありません。
しかしそれに耐えているエホバの証人は、
あることがきっかけでエホバの愛を
知ることができたのと同じように、
今は反対している家族とかまた友人が
エホバの側に付くことを願い、
辛抱強く愛を示し続けているのではないでしょうか。

証人の中には、
過去に暴力とか憎しみが身近に見られる環境で育った人や、
複雑な環境で愛を知らずに育った人たちもいます。
しかし彼らはエホバとイエスの愛を知り、
生き方を大きく変えました。

「子供の頃は大変でした。
なぜ、自由に生きられないのだろうとずっと考えていました。
自由に発言することも、
行きたいところに行くことも許されません。
ユダヤ人にはできるのに、アラブ人にはできないのです。
このままじゃダメだ。ユダヤ人を追い出してやる。
私はある反イスラエル組織の指導者になりました。
そのため、1985年から4年間服役することになりました。
なぜだ、なぜなんだと考え続けました。

しかし、あることで私の人生は大きく変わりました。
ものみの塔誌が定期的に届くようになったのです。
子供の頃からずっと探していたもの、
それは聖書の真理の中にありました。
地上から流血行為をなくせるのは神の王国だけです。
私はエホバとの関係を大切にし、
学んだことを行い続けました。
それが私を変えたのです」。

「私はユダヤ人として育てられました。
子供の頃から自分たちは選ばれた国民だと教えられます。
周囲の人たちは皆アラブ人を憎んでいました。
いいアラブ人は死んだアラブ人と言う人さえいました。
殺される前に殺せという古くからの言葉があります。
その言葉は聖書からの引用だというのです。

真理を学ぶことによって
私の中にあった偏見は全て消え去りました。
エホバは私たちがアラブ人を含めて
あらゆる背景の人を愛することを望んでおられます。
そのことを知って大変爽やかな気分になりました。
今、私はエホバの軍に加われてとても幸せです。
その軍の幾百万もの人々は戦うことによってではなく、
あらゆる国のあらゆる背景の人々の命を救うことによって
エホバに仕えているのです」。

生まれながらの環境で、
憎しみというものを吸い込まれて育ったような人々がいます。
自分を守るためには相手を殺すしかない
と教えられ続けて育ってきた人々も、
エホバとイエスについて学ぶことによって、
本当の愛というものを知り、
人格やその生き方を大きく変えたのです。

今、世界の状況はますます悪くなっていて、
暴力とか憎しみが満ちています。
しかしその状態は、今の社会体制全体の終わりが
近いことを示す証拠ともなっています。

イエスの弟子がイエスに、
体制の終わりにどういう「しるし」があるのか、
どういうものを見かけたら
その終わりが近いということがわかるのか尋ねた時、
戦争、食糧不足、地震とか
世界的な規模で起きる様々な事象についてイエスは述べました。
(マタイ24:3,7)

「またその時,多くの人が信仰を捨て,
互いに裏切り,憎み合います。
…不法なことが増えるために,大半の人の愛が冷えます」。
(マタイ24:10,12)

エホバが行動される直前には、憎しみとか愛が冷え切る状況が
見られるということをイエスは預言されました。
それは過去にない規模で、
まさに今見ることができている状態と言えます。
このエホバが行動される時は、
後にも先にも例のない大転換点となります。

まもなくイエスは、
初めの蛇であるサタンを底知れぬ深みに投げ込みます。
イエスは圧倒的な力でサタンに勝利して1000年間閉じ込めます。
そして1000年後、サタンは一時的に解放されます。
エホバの新しい体制で生活してきた人全てが平等に
最後の試みにあります。
その後イエスは、サタンとサタンと共に
エホバに敵対する子孫を完全に滅ぼします。
ここで蛇の頭を砕くことが実現し、
これをもって創世記3章15節で宣言された
エホバの壮大なプランは完遂します。
愛が憎しみに勝てるということが、
そこで完全に証明されるわけです。

私たちはそれを生きて見たいと思うのではないでしょうか。
エホバの愛に倣いそれを示し、
エホバに喜ばれる者として行動するならば、
エホバの新しい体制に迎え入れてくださいます。
そしてそこでエホバの愛や力がどのように示されるかを、
私たちは実際に見ることができます。

ではその目標を達成するために
日々努力していきたいと思います。
そしてエホバとイエスに見習って、
本当の愛をこれからも示し続けていくことにしましょう。

裏付けとなる聖書の言葉は、
nolog.link/s/8NU9hJ
からご覧になれます。

今の時代に頼れるものはありますか

皆さんは行ったことがない場所に行こうと思ったらどうしますか?


自分の感覚を頼りに進むでしょうか。

では心の声はいつでも正しいと思いますか?

知っていそうな人に付いていくでしょうか。
経験や知恵は確かに参考になりますし、
同じ基準で行動するなら受け入れてもらえます。

でも周りの人の意見はいつでも正しいのでしょうか?

エレミヤ 10:23
「人は自分の道(生き方)を定めることができません。
 自分で自分の歩みを導くことができないのです」。

伝道の書 8:9
「これまでずっと,人は人を支配し,
 人に害を及ぼして(人の損失となって)きた」。

地図に頼るならどうでしょうか。
人生にも、地図のような実績のある役立つ指針があればよいと思いませんか?

世界は目まぐるしく変化しています。
変わらない確実なものってある? 
どうしたら正しい選択ができる?と思うかもしれません。

詩編 111:8
新世界訳聖書 (スタディー版)

「神の命令は全て信頼でき,
 常に確実な(十分な根拠がある)もの。
 今もこれからもずっと。
 真実さと正しさに基づいている」。

聖書のアドバイスはいつでも頼りになると
どうして言えるのでしょうか。


「ものみの塔」2024 No.1  
何が正しい? 今の時代に頼れるもの
をご覧ください。

https://www.jw.org/finder?wtlocale=J&issue=2024-07&pub=wp24&srcid=share

聖書の奇跡は本当に起きましたか

聖書にはこのような記述があります。
「第4夜警時に,イエスは湖の上を歩いて舟の所に来た」。
(マタイ14:25)

それは重力の法則に関することなので信じられない
と懐疑的な人は言います。

-271度に冷やした液体ヘリウムとをビーカーの中に入れて、
その中に鉛を浸してそのそばに棒磁石を入れると、
その棒磁石は電磁石になり、-
271度の液体ヘリウムがビーカーの壁を
ずっと上がっていってこぼれるという現象が起きるそうです。
これはこの重力の法則に反する事柄が起きた
ということではないでしょうか。
ですから状況によっては重力の法則などに反することも
起きることが分かります。

聖書の奇跡というのを信じない人も多いかもしれません。
その中には神学者と言われる人もいるようです。
そういうことなのでイタリア、フランス、スペインなどの
カトリック教徒の50パーセントくらいの方が
聖書の奇跡を信じていないようです。

魔術の場合、見せかけが超自然的な感じを出すために
特別な演出とか儀式が付き物だとされています。
聖書の奇跡はどうでしょうか?
こういった仕掛けは何も関係していません。
公衆の面前で公然と行われるわけです。
何の仕掛けもないわけです。
でもそういうことが起きると、本当に不思議な状況なわけです。

「さて,ラザロという男性が病気だった。
マリアとその姉妹マルタの村ベタニヤの人である。
このマリアは,主イエスに香油を注ぎ,
イエスの足を髪の毛で拭いて乾かした人である。
その兄弟ラザロが病気だった。
この姉妹たちは人を遣わしてイエスに次のように伝えた。
『主よ,あなたが愛情を抱いている者が病気です』。
しかしイエスはそれを聞いて,こう言った。
『この病気は死で終わるのではなく,神に栄光をもたらし,
神の子も栄光を受けます』」。
(ヨハネ11:1-4)

奇跡というのは個人の栄光とかではなくて、
神の栄光のためになされたわけです。

「夕方になってから,
人々は邪悪な天使に取りつかれた人を大勢連れてきた。
イエスは邪悪な天使たちを言葉で追い出し,
病気に苦しむ人全てを治した」。
(マタイ8:16)

「イエスは全ての町や村を旅して回り,
会堂で教え,王国の良い知らせを伝え,
あらゆる病気や不調を治した」。
(マタイ9:35)

病気を治してもらいたい人が近づいてきて、
治せなかったことなどなく、全ての人を治したところが
聖書の奇跡が魔術と違うところです。

さらに聖書の奇跡というのは、
その目撃証人によって本当であったということが
確証されています。

出エジプトの時に、
モーセとアロンが奇跡をまず最初はファラオの前で、
エジプトの祭司たちの目の前で行いました。
それから十の災いを行ったわけです。
ですから多くの人の目撃証人がいるわけです。
実際にそういったことがなければ、
何か変えてもそれは嘘だということになってしまうのですが、
そういうことなく今まで歴史に残っているということです。

「私が皆さんに伝えた最も大切な点の中に,
私自身も学んだ事柄があります。
それは,聖書にある通りキリストが
私たちの罪のために死んでくださり,
そして葬られ,聖書にある通り3日目に生き返らされ,
ケファの前に現れ,それから12人の前に現れたことです。
その後,キリストは一度に500人以上の兄弟の前に現れました。
その中には死の眠りに就いた人がいるものの,
ほとんどは今も生きています。
その後,キリストはヤコブの前に,
それから全ての使徒たちの前に現れました。
そして最後に,私の前にも現れてくださいました。
あたかも早産で生まれた子の前に現れるかのようにです」。
(コリント第一15:3-8)

復活後イエスは500人以上の前に現れたということです。
最初弟子たちは、イエスが復活したことを信じなかった。
だけど次々と現れるので信じないわけにいかない。
目撃者が奇跡の証拠だということですね。
そういったことがなくてあったと書いても
歴史として後に残らないわけで、
今聖書で読むことができるので、
確かにそういったことは起きたんだ
ということになるのではないでしょうか。

以前オリンピックの陸上競技で
金メダルを取った選手がいました。
表彰式の前にドーピング検査で陽性になった人が、
メダルを剥奪されて、
その記録も抹消されてしまうということがありました。
実際に本当のことでなければ記録も残らないということです。

ゴルフのプロの公式戦では、
お互いにラウンドする選手同士でスコアを記入するそうです。
自分も記入して、ホールアウトした時に見せるわけです。
その時スコアが合わないとその選手はは失格してしまうわけです
本当のことでないと資格がなくなって失格になってしまい
記録も後に残らないということです。

聖書にはいろんな奇跡が書かれています。
そういったことがでっち上げであれば、
負けた場合など相手のほうがかなり厳しい見方をしますので、
歴史的に残らないわけです。
でも残ってるということは、
そういうことが実際に起きたので、
目撃証人として見ているので、
書いて残っているということです。

では、神が奇跡を行った目的は何だったのでしょうか?

エホバが主権者だということを
知らせるために行われたということです。
モーセとアロンが確かに神から指名されたことを
証明するために奇跡が行われたということもありました。

「イエスはこれを最初の奇跡としてガリラヤのカナで行い,
自分の力を明らかにした。
弟子たちはイエスに信仰を持った」。
(ヨハネ2:11)

イエスの最初の奇跡として、水を上等のぶどう酒に変えました。
イエスがこうしたことを行えるというのは、
約束のメシアであることを証明するものでした。
イエスは、人類を罪と死から自由にするために神が立てた
手立てであることを証明しなければなりませんでした。

では今日、奇跡が起きないのはなぜでしょうか?
今日、信仰を築き上げるために
奇跡が必要でない理由も考えたいと思います。

「愛は決して絶えません。
一方,預言する能力があっても,それは除き去られます。
さまざまな言語があっても,それはなくなります。
知識があっても,それは除き去られます」。
(コリント第一13:8)

「さまざまな言語」というのは
奇跡的に別の言語を話すことです。
突然、他の国の言語を話し始めたならば
それは奇跡ではないでしょうか。
奇跡があっても「それはなくなります」と
1世紀に言ってるので、
現在ではないということになるわけです。

真の神をを納得したり求める点で
奇跡よりも良いものがあるということです。

アルバートっていう方は真の神を求めている人でした。
色々と宗教を調べてみましたけれど
なかなか納得できないという状況でした。
聖書を読んで、まことの神のアブラハムやモーセや
ノアやサウロに対する態度や接し方が気に入りました。
ある時、辺ぴな場所に車を飛ばして行って祈りました。
「神様、どうぞ奇跡をお示しください。
そしてあなたの存在を証明するものであれば
なんでも構いません」。
祈りは聞かれないまま数日が経ち、
エホバの証人の訪問を受けました。
聖書から取られた雑誌をいくらか残していき、
それがきっかけとなって聖書レッスンが始まりました。
ある程度聖書レッスンを行って
正確な知識がだんだん入ってやがて
ついに真の神を見出したわけです。

現代において真の神への信仰を築き上げるためには、
聖書レッスンが唯一の方法ということになるでしょう。

しかしながら、
奇跡も聖書の中の正確な知識となるべき大切なものと言えます。
非常に大切な聖書の中の真実の世界の知識の
一部だということになるわけです。

では、将来エホバが行ってくださる奇跡から
ずっと益を得るにはどうしたらよいでしょうか?
また、どのような奇跡が用意されているのでしょうか?

「神は人々の目から全ての涙を拭い去ります。
もはや死はなくなり,悲しみも嘆きも苦痛もなくなります。
以前のものは過ぎ去ったのです」。
(啓示21:4)

どうすればよいでしょうか?
私たちが信頼している聖書への確信を
引き続き保つということになるでしょう。
そのためには個人的に毎日通読を定期的にして、
その個人研究に励むことができるでしょう。
そういったことを行いながら、
将来地球をパラダイスにしてくださるといった
素晴らしい益にあずかれるように、
これからも忠実に歩んでまいりましょう。

裏付けとなる聖書の言葉は、
nolog.link/s/8NU9hJ
からご覧になれます。

問題の多いこの世界にあっても安心感を抱けます

今日、多くの人が自分と家族の安全を心配しています。

人々が安心感を抱けないのはなぜでしょうか?

もしかするとポリクライシスという言葉をお聞きになったことがあるかもしれません。

複数の世界的な危機が絡み合って、私たちの生活に大きな影響を及ぼすという意味があります。

次々と不安になる出来事が起きています。

自然災害、感染症などの疫病、凶悪な犯罪が起きています。

恐ろしいテロ、戦争が起きています。

核兵器を開発する国が増え、私たちの安全が脅かされています。

今年の初めには石川県の能登半島で大きな地震があって、大きな被害がありました。

この先もっと大きな地震があって、私たちの生活に大きな影響を及ぼすのではないかと心配しておられる方も多いかもしれません。

問題の多いこの世界にあっても安心感を抱ける、そのような道があるでしょうか?

今日は、私たちの生活するこの世界が安心感を抱けないのはなぜか、そしてこの世界にあってもどこに安心感を生み出せるのか、ご一緒に聖書を開いて考えてみることにいたしましょう。

1800年代末に聖書研究者たちは、1914年が重大な年であることを理解することができました。

聖書に基づく正確な年代計算を通して、1914年という年を境に終わりの時代と呼ばれる特別な時代に入ることを理解できたわけです。

興味深いことに一般の歴史家たちも、1914年が人類史上の転換点であったっていうことを認めています。

1914年を境に、世界ではどのような出来事が起きるようになったでしょうか?

最も偉大な人として知られているイエス・キリストは、今の私たちの時代に、人々の心から安心感を奪うような様々な出来事が生じることを予告しておられました。

「イエスがオリーブ山の上で座っていると,

弟子たちが自分たちだけで近づいてきて,言った。

『教えてください。そのようなことはいつあるのでしょうか。

あなたの臨在と体制の終結のしるしは何ですか』。

そこでイエスは言った。

『…あなたたちは戦争の音や戦争の知らせを聞きます。

動揺しないようにしなさい。

これらのことは必ず起きますが,終わりはまだなのです。

国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がり,

あちらこちらで食糧不足や地震があります。

これら全ては苦しみの激痛の始まりです』」。

(マタイ24:3,6-8)

イエスは戦争の音や戦争の知らせを聞きます。国民は国民に王国は王国に敵対して立ち上がりますと語られました。

福音書筆者の1人であったルカも平行記述の中で、私たちが戦争や騒乱について聞くというイエスの言葉を引用しています。(ルカ21:9)

イエスの予告された通りになったでしょうか?

1914年以来、戦争、革命、国内紛争、テロなどが珍しいことではなくなってきました。

それによって多くの人の命が失われてきました。

かつては比較的安全と言われていた国においても、今ではテロの脅威と日々戦っているところもあります。

地球上のどこにいる人も、自分や大切な家族が大変な出来事に巻き込まれてしまうのではないか心配しながら生活しています。

最初の世界大戦は、1914年に勃発しました。

この戦争は単なる二国同士の軍隊の争いではなく、いくつもの国家が民間人を含め国民全体を巻き込んで行った戦争でした。

確かに1914年に地上から平和が取り去られたと言うことができます。

最近でもロシアとウクライナ、イスラエルとガザにおける戦争の知らせを聞くと、私たちは本当に不安な気持ちになります。

でもイエス・キリストは「動揺しないようにしなさい」という興味深い言葉を述べられました。

(さらに…)

いつも正直でいる

人生の中では、誰かに初めて会って自己紹介をするということがよくあります。

そのような時は相手に良い印象を持ってもらいたいと思うので外見にも気を遣い、鏡を使って服装とか髪型などをチェックします。

もし、どこか良くない場所が見つかったらどうしますか?

きっとすぐにそこを直すと思います。

この外見と同じように大切なのは内面の特質です。

今日特に考えたいのは、そのうちの1つ正直さです。

この正直であるとは、嘘偽りがなく、ごまかしたり、人を騙したりしないということです。

これはとても大切なことです。

なぜならいつも正直でいることが、他の人との関係はもちろんエホバ神との関係にも大きな影響があるからです。

残念ながら私たちの周りには不祥事が多く見られます。

電話などの特殊詐欺に気をつけておられる方も多いと思います。

インターネット犯罪も私たちにとって大きな脅威となっています。

スマホを使うとき、ネットで買い物をするときなど、全てパスワードを使います。

それは不正直な人たちからの攻撃から自分を守るために、今や当たり前の行動となっています。

このように、不正直が当たり前となっている今の状況をどう思われるでしょうか?

聖書は、悪魔が今この世界を支配しているのがその原因であると説明しています。

その結果、不正直が見られるのが当たり前のこととなっているわけです。

しかし常に真実を語る神であるエホバは、嘘や偽りを憎まれます。

そのエホバを愛しエホバに仕える私たちもエホバと同じ考え方をします。

正直さに関しても同じです。

「私たちのために祈り続けてください。

私たちは,鋭敏な良心を持っていると信じており,

何事においても正直に行動したいと願っています」。

(ヘブライ13:18)

私たちが神を愛し仕えているのであれば、神と同じように正直さを大切にしていかなければなりません。

エホバの証人である私たちがエホバに見倣って正直であるならば、エホバについての良い印象というのは、どんどん広がっていきます。

具体的に何をしていく必要があるでしょうか?

まず、正直に自分を見つめることです。

不完全な私たちは、自分には特に悪いところはないと思う傾向があるようです。

「心はほかのどんなものよりも信用できず,必死になる。

誰がこれを知り得るだろうか」。

(エレミヤ17:9)

私たちの心は時々、間違っていると分かっている方向へ自分を進ませてしまうことがあります。

信用できない必死になる誰も知り得ない私たちの心は、自分には特に悪いところがないと言い聞かせながら、間違っている方向へ 自分を進ませてしまうことがあります。

その悪いところをそのままにしておくならば、いずれそれがもっと大きな問題へと深化していきます。

ですから、私たちは自分に正直である必要があります。

どのようにして、自分には特に悪いことがないと思ってしまう傾向を

避けることができるでしょうか?

「神よ,私の全てを探り,私の心を知ってください。

私を調べ,不安な気持ちを知ってください。

私に何か良くないところがないかどうかを見て,

永遠の命に導いてください」。

(詩編139:23,24)

私たちも同じ精神態度を培う必要があります。

私を調べ、正しい方向に導いてくださいという態度です。

たとえ私たちが自分を正当化したとしても、エホバは全てをご存知です。

私たちは皆、正しいことについても正しくないことについても、自分の行動についてエホバに言い開きをする必要があります。

それで私たちは、事あるごとにエホバに真剣に祈り、自分を調べ、何か良くないところがあると気づいたならば、それを謙遜に正していく必要があります。

(さらに…)