神はいる?周りにあるものからわかること

神はいるのでしょうか?神などいいという人もいれば、いるかどうかは分からないという人もいます。科学が発達した現代社会では尚更そうでしょう。

一方、神はいると信じている人たちもいます。神がいるのといないのでは、生き方が変わってくると言います。

もし神がおらず、私たちがたまたま偶然ここに存在しているだけであれば、生きている意味は特にないことになるかもしれません。人生の目的とか、自分は何者なのかという答えも出ないままです。

それで、神を信じるかどうかは人生に大きな影響を与えます。

神がいるかどうか、どうしたらわかるでしょうか?神について書いている本があります。それは聖書です。

聖書は「神はいるのか」という疑問に何と答えているでしょうか。

「言うまでもなく,家は全て誰かによって造られるのであり,全てのものを造ったのは神です」。(ヘブライ3:4)

家と全てのものが対比されています。家を作ったのは人間です。そして全てのものを作ったのは神であると説明されています。

言うまでもなく、高層ビルは誰か人間が作ったものです。よく観察すれば人間が設計して作った証拠が沢山見つかるのではないでしょうか。

今度は神が作ったものを観察してみましょう。向日葵の中心には渦を巻くように種が並んでいます。この並び方には黄金角と呼ばれる角度が関係しています。約137.5度でこの種が綺麗に配列されています。

これが0.1度でもずれると、綺麗な渦巻き模様にはなりません。ですから、本当に緻密に計算されて造られていると言えるのではないでしょうか。

次は宇宙について考えましょう。宇宙の誕生には膨大なエネルギーが必要でした。家を作るにもエネルギーや力が要ります。宇宙もエネルギーが要りました。家より遥かに大きいですから、膨大なエネルギーが必要だったに違いありません。

そして宇宙には秩序が見られます。天文学の専門誌によりますと、宇宙の銀河はバラバラに存在しているのではなく、網目状に組織的に配列されて拡がっているとのことです。

では宇宙を創ったのは誰でしょうか?

「天を見上げてみなさい。誰がこれらの物を創造したのか。星の軍勢を数え上げて率いている者である。その者は全ての星を名で呼ぶ。膨大な活力と驚異的な力を持っているので,一つとして欠ける星はない。あなたは知らないのか。聞いていないのか。地の果てから果てまでを創造したエホバは,永遠にわたって神である。疲れ果てることも,弱ることもない。その理解力は計り知れない」。(イザヤ40:26,28)

神には「膨大な活力」があると書かれています。膨大なエネルギーによって宇宙を造ったことが説明されています。その方の名前は、地の果てから果てまでを創造した「エホバ」と書かれています。全てのものを作った方の名はエホバなのです。

「天を見上げてみなさい」と書かれています。これは創造者から人間へのアドバイスと言えるかもしれません。自然を観察してみなさいと神は人間に勧めておられるのです。定期的に時間をとって自然を観察しましょう。昆虫でも花でも動物でもいいです。宇宙でも自然を観察することができます。そうするならばいろんな発見があるに違いありません。もっと知ってもっとエホバに引き寄せられていくことでしょう。

次に、生命が存在することを考えてみたいと思います。地球上で生物が生きていけるのはどうしてでしょうか?

それは自然界の4つの力が絶妙なバランスを保っているからです。この4つの力というのは、重力、電磁力、強い核力、弱い核力というものです。どれも絶妙に適正な値に調整されているので、1つでも少し力が違うと生き物は生きていくことができません。

銀行のキャッシュカードを持ってると思います。ATMに入れて暗証番号を入れるとお金が出てきますね。その暗証番号は4桁になっています。この4桁の数字は3つが合っていても、1つだけ違うだけでもお金は出てきません。

同じように、この重力、電磁力、強い核力、弱い核力のうち3つが合って、1つの値がちょっとずれていると、生き物は生活することができないのです。宇宙は大きいですけども、非常に繊細なものであるということができます。全て綿密に調整されているのです。

太陽系と地球の位置について考えましょう。太陽系も地球も宇宙の中で絶妙な位置になります。天の川銀河の中心に近くでもなく、端っこでもありません。もし銀河の中心に近いと、致死的な放射線が大量に飛び交っています。一方端の方は、化学元素が非常に少なくそこでも生き物は生きていけないのです。本当に適正な位置に太陽系や地球があるということがわかります。

人体に注目して考えたいと思います。私たちの体は推定100兆個の細胞でできていることで知られています。この細胞は偶然に出来上がるのでしょうか?

細胞は蛋白質でできています。その蛋白質分子1つが偶然に形成される確率は、ゼロに近いと結論している科学者たちもいます。細胞が機能するためには、何千種類もの蛋白質を必要とします。それらが偶然の作用でできたとはとても考えられないのではないでしょうか。

さらに細胞が生き続けるには、この蛋白質とRNA分子が協働することが不可欠です。もし進化論が正しいとすれば、RNAも偶然にできなければならないのです。このRNAが偶然に形成される確率というのは極めて低いと考えられています。

細胞というのは大きく分けて、核のある細胞と核のない細胞に分かれます。核がない細胞というのは比較的シンプルな方だと言われています。ところがこの核のない細胞ですら非常に複雑であることが分かってきました。

細胞というのは細胞膜という壁のようなもので囲まれています。この壁では、必要なものは入れることができて必要のないものはが遮断する働きがなされています。この細胞膜に、丁度警備員のような役割を果たしている特別な蛋白質があって出入りを制御していたのです。

また細胞の中では、優れた工場のように計画的に蛋白質が作られています。1分間に何千何万と蛋白質が作られ、それぞれが所定の場所に運ばれていきます。本当に複雑な作りをしています。

最後にDNAのことについて考えたいと思います。人間の体の設計図というべき遺伝情報が収められているDNAは、1つ1つの細胞の中にあります。

コンパクトディスク1枚には、辞書1冊分の情報を収められることができます。DNA1gにはコンパクトディスク1兆枚分の情報を収めることができます。人間が作ったものでこのDNAを超える情報記憶能力のあるものはありません。

こうしたことを考えると、神は確かにいると結論せざるを得ないのではないでしょうか。

ここまでのところで、神が神がいる証拠を考えてきました。さらに自然界をよく観察すると、エホバ神についてさらに色々分かってきます。どんなことが分かるでしょうか?

「神の見えない性質は,世界の創造以来明らかです。造られた物を見れば,神が永遠に力を持っていて,確かに神であるということが分かります。ですから,彼らは言い訳ができません」。(ローマ1:20)

自然界に目を向けると、神がどんな方かが分かります。神の見えない性質が自然界の中に表れているということなんです。この「神の見えない性質」とは何でしょうか?

1つはエホバの知恵です。エホバの知恵はどのように自然界に表れていますか?それは生命を支える循環システムです。

地球上には沢山の人間や動物たちがいて呼吸しています。けれども酸素がなくなってしまわないのはなぜでしょうか?

植物が二酸化炭素を吸収してそれを酸素に作り変えています。そしてその酸素をまた人間と動物が吸って二酸化炭素を出します。こういった循環システムができています。本当にエホバは素晴らしい方ではないでしょうか。しかも植物の光合成は騒音が一切ありません。有害物質も出しません。ほんとにクリーンな工場と言えます。

ほかにも神の見えない性質は創造物に表れているでしょうか。神の公正はどのように自然界に表れていますか?

人間の心にある良心、私たちの心にある善悪の感覚です。何が正しくて何が間違っているかというのを心が感覚的に判断します。この良心にはエホバの公正の感覚が表れていると言えます。

今から100年以上前明治時代に、和歌山県沖で船が遭難しました。それはトルコの船でトルコの人たちが海に投げ出されたわけですけども、現地の和歌山の人たちは一生懸命助けました。どうしてそうしたのでしょうか?

困っている人を助けなさいという内なる声に促されたからに違いありません。和歌山の人たちはトルコの人たちを知りませんでしたが、全く知らない人でも助けなければいけないという良心の声に促されました。

これが起きたのは1890年のことですから、その人たちはエホバについては知らなかったかもしれません。でもエホバは、良心というものをすべての人間の心に与えました。エホバの公正な感覚が人間に与えられていたので、困ってる人を助けたいと思って率先して行動したのです。

何といってもエホバは愛です。エホバの愛は自然を観察すると見つかるでしょうか?

聖書には、神が天からの雨と実りの季節を与え、食物を豊かに供給して人々の心を喜びで満たしたとあります。天から雨と実りの季節によって食べ物ができます。その食べ物を食べると私たちは本当に幸せな気持ちになりますね。こうした雨や緑の季節は一部の人たちだけに与えられているのでしょうか。

神などいないと考える人や神のことなどお構いなしという生き方をしてる人にも神は愛を示しています。全ての人の命を養って、全ての人が食事を楽しんでいます。これは神の愛の表れであると言えます。

自然界に目を向けることにより、神がどんな方か見えない性質を垣間見ることができました。

この講演では聖書を開きながら共に考えることができています。ではこの聖書が信用できる特別な本であるという証拠はあるのでしょうか?

その1つは実現した予言です。聖書にはある都市の滅びが予告されていました。

「最も輝かしい王国,カルデア人にとって美しく誇らしいバビロンは,神が滅ぼしたソドムとゴモラのようになる。そこに人が住むことはなくなり,いつの時代までも居住地にはならない。そこにアラブ人が天幕を張ることはなく,羊飼いが群れを休ませることもない」。(イザヤ13:19,20)

この預言は実現しましたか?

バビロンはこのイザヤ書が書かれた約200年後になくなります。今から2500年前の出来事です。

それから長い時間が経って今西暦21世紀ですけども、バビロンのあった場所には現在も人が住んでいません。ただ遺跡があるだけです。この預言は確かに実現しました。

信頼できる本であるという証拠の次の点は、科学的に正確であるということです。

聖書が書かれた時代の人々は、気まぐれな神々が自然をコントロールしていると考えていました。聖書が本当に神の本ならこの点でも正しいことが書いてあるはずです。聖書から確認してみましょう。

「あなたは天体を統御する法則を知っているか。天体に働き掛けて地上に影響を及ぼすようにできるか」。(ヨブ38:33)

気まぐれな神々が太陽や月を動かしたりしているのではありません。法則によって宇宙は支配されているという科学的に証明された正しいことが書いてあるのです。聖書が正確であるということがわかります。

聖書が神からの本であるといえる証拠のもう1つは、人の生き方を変える力があるということです。

メキシコのアドリアンは10代の頃、やられたらやり返すという性格で喧嘩ばかりしていました。16歳の時に聖書の勉強をし始めました。自分を変えるきっかけになったのは、復讐してはならないというローマ12:17-19節です。「悪いことをされても決して仕返しをしてはなりません」。

ある晩、かつて対立していたグループの若者たちが言い掛かりをつけてきました。グループのリーダーがアドリアンを殴り「どうした?かかってこいよ」と叫びました。アドリアンはやり返したい気持ちに駆られましたが、エホバに短く祈り、仕返しをせずにその場を立ち去ることができました。

アドリアンは何があってももう元の生活に逆戻りはしないと固く決意しました。その後エホバの証人になります。そして外国でも奉仕しました。生き方を全く改め暴力的な生活を捨て、神のために生きるようになりました。

このように生活が向上し以前より良くなったということは、人間のことを気遣う優しい神がおられるという証拠です。

今日は自然界や宇宙から細胞についても考え、神がいる証拠というものを考えてきました。神の見えない性質である公正や知恵とか愛が、自然界を観察すると垣間見られることも知ることができました。

そして聖書は神からの本であるという証拠も考えました。聖書は本当に特別な本で、私たち人間のために神が書かせました。この神の言葉聖書の教えを学んで実行するなら、エホバのアドバイスの素晴らしさを体験することができます。それでどうぞ、聖書のアドバイスの通りに生活してみてください。きっと心に喜びが生まれることでしょう。

エホバは間もなく悪を滅ぼし、地球を楽園にします。私は全てのものを新しくしているとエホバを言っておられます。それでエホバがどんな方かを知り、エホバが喜ぶことをしましょう。そうすれば、いつまでも幸せに生きることができるのです。