日本国民の三大義務が何か答えられますか?
これは小学校6年生や中学生の時に学ぶことのようです。
勤労の義務、納税の義務そして教育の義務です。
この教育の義務というのは厳密に言うと、親が子供に教育を受けさせる義務を負っているということです。
つまり私たち全ては教育を受ける権利が保障されているのです。これは素晴らしいことではないでしょうか。
どうして日本では教育が重視されているのでしょうか?
それは教育を通して人は多くのことを学び、成長することができるからです。言語能力を身につけたり、仕事のスキルを身につけたり、人と接する機会を通して学んでいくことができます。
そうして得たものは、その後の人生を豊かにするのに役立っていくのです。
エホバの証人は教育をどう見なしているでしょうか?
私たちはいつも聖書から学びたいと思っています。聖書は教育をどう見なしていると思いますか?
結論から言うと、聖書も教育を重要なものとみなしています。教育によってもたらされる益と聖書が教えていることは多くの点で一致しているからです。
例えば聖書は、人に愛や敬意を示し親切にするようにと教えていますが、これは教育によって身につけることができます。
また勤勉に働き家族を養うようにと教えていますが、そのために必要なスキルも教育を通して得ることができます。
エホバの証人も教育を大切なものと見なしています。
でも教育によって何を目指すかという点では、多くの人と真のクリスチャンは異なる見方をしています。
多くの人は教育の先に、良い仕事や収入、立場や名声を求めます。ではクリスチャンは教育の先に何を目指すでしょうか?
「全てを聞いた今,結論はこうだ。真の神を畏れ,その方のおきてを守りなさい。人の務めはそれに尽きる」。(伝道の書12:13)
「人の務めはそれに尽きる」と書いてあります。これは「それが人生の目的です」という意味です。
何が目的ですか?真の神を畏れ,その方のおきてを守ることです。
エホバを自分の創造者として認めて神の導きに従い、神を賛美することが最良の人生だとこの聖句は教えています。
この言葉を述べたソロモン王は、高い収入立場名声を得ていました。でもそういうものではなく、神との関係を追い求めてくださいと勧めているのです。
それで私たちも教育の益をエホバに従い賛美するために用いていくわけです。
そうするには、聖書が教育について教えていることをよく理解している必要があります。それでこの講演では、教育というテーマで3つの要点を取り上げます。
教育をどこで、いつ始めますか?教育を通して何を身につけるべきでしょうか?私たちが受けることのできる最高の教育とはなんですか?
1つ目と2つ目は親の立場や若い人に向けられた点です。3つ目はクリスチャン全てが学ぶことができます。
教育はどこで、いつ始めるべきでしょうか?
教育のスタート地点はどこだと思いますか?日本では小学校から義務教育が始まるので、そこだと考えますか。幼稚園お受験という言葉もあるのでもう少し早くスタート地点があるでしょうか。
この答えを得るには、まず教育という言葉の意味を理解することが大切です。
ワールドブック百科事典の中では教育が「人々が知識技能習慣価値観心構えなどを習得する過程」と定義されています。
知識や技能に注目すると、その多くは学校生活を通して得ることができるものです。
後半の習慣や価値観や心構えはどうでしょうか?その人を形成する魅力的な要素です。
これは家庭で親から学ぶべきものと言えないでしょうか。
聖書は教育をどこでいつ始めるかに関して、とても模範となる例を載せています。
「あなたは,自分が学び,納得して信じるようになった事柄から離れないようにしなさい。あなたはそれを誰から学んだかを知っており, 幼い時から聖なる書物に親しんできました。その書物はあなたを賢くし,キリスト・イエスへの信仰による救いを得られるようにします」。(テモテ第二3:14,15)
「幼い時から」聖なる書物に親しんできたとあります。英語の聖書で見てみるとinfancyという言葉が使われています。これは幼年期、歩行を始める前の2歳前後までの年頃を指す言葉のようです。
つまりテモテは、生まれて間もなく家庭で良い教育を受けることができました。
それはテモテにどんな影響を及ぼしたでしょうか?「その書物はあなたを賢くし」たと書いてあります。
実際テモテは10代後半から20代前半になる頃には、周囲の人から立派な大人として良い評判を得ていました。またパウロと一緒に宣教旅行に出かけるほど、神への信仰も強くなっていました。良い教育の結果が生まれていたのです。
子供は多くのことを学ぶことができます。マナーや敬意を払うこと、正直であること、与える喜び、そして神を知り神を愛すること。
これは子供の時から育むことができる要素です。
教育は家庭でスタートします。子供は幼い時から教えてもらう必要があり、その責任を負っているのは親の皆さんだということです。
教育を通して何を身につけるべきでしょうか?
教育の目的を理解していると、それに沿って必要なものを身につけていくことができます。冒頭でも考えたように、教育を通して得たものをエホバを賛美するために用いるという目的です。
ではエホバを賛美するために教育を通して何を身につける必要があるでしょうか?
1つ目は、上手に読めるようになるということです。
クリスチャンにとって読むことは重要なことです。なぜなら聖書の中に神の考えが収められているからです。聖書を読んで初めて神について知り、神に近づくことができます。
それで読むスキルを磨いていく必要があります。どうすればそうできますか?
ただ読むのではなく、想像力を働かせてじっくり読む訓練を積んでいくことによってできます。
じっくり読むことの大切さを1つの例えで考えてみましょう。
美術館に行った自分を想像してみてください。そこには色々な絵画が並べられています。
ではその美術館を早歩きで1周してみてください。何が残りますか。何も残りません。早歩きで5周してみるとどうでしょうか?いくつかの絵は記憶に残りますが、その程度です。
では歩くペースを落として、気になる絵画の前で立ち止まってじっくり見るとどうでしょうか?
筆使いやインクの重なりから、それを書いた人の感情が読み取れます。絵の横にある説明書きから、作者の思いや背景を知ることができます。
そのようにじっくり見ると理解が生まれ、そこから感動が生じてくるのです。聖書も同じです。想像力を働かせてじっくり読むなら、そこから理解や感動が生じてきます。
この過程を繰り返していくなら、読む力を身につけていくことができます。
教育を通して身につけるべき2つ目のことは、わかりやすい文章を書くことができるようにすることです。
わかりやすい文章を書ける人は、考えをまとめるのが上手な人です。頭の中で整理ができているので、言葉でも文章の形でもそれを書き出すことができます。
この能力もクリスチャンにとても重要です。会衆の仕事をしたり、伝道に参加したり、仲間を励ます手紙を書いたり、仲間を強める時にこの能力を生かすことができます。
この点でも成長していきましょう。
3つ目の点は、精神的道徳的に向上するということです。
精神的に向上するとは、責任感を覚えたり時間を守ったり正直でいること、言い換えると信頼される人となるということです。
学校生活でもクリスチャン活動を通しても、信頼される人というのはとても重要視されます。そういう人を目指していきましょう。
道徳的に向上するとは、エホバの考え方を知ってそれに沿って行動するということです。
集会でそういった能力は身につけることができます。
エホバが何を嫌い何が好きなのかを知って、それを当てはめていきたいと思います。
でも若い皆さんの中には受け入れがたい道徳基準があるかもしれません。少し厳しいように感じることがありますか?
そういう気持ちが生じた時は、それを放っておかないようにしましょう。親に相談してみてください。ただ我慢して受け入れても長続きしませんし詰らないです。
自分が受入れ難いということを認めて理由を考え、それを受け入れ納得できるまで調べてみると、道徳基準を向上させていくことができます。
精神的道徳的に向上するなら、エホバとの絆も深まっていきます。この点で成長することも目指していきましょう。
4つ目の点は、日常生活のための実際的な訓練を受けるということです。
イエスもお父さんから大工仕事を学んだので、家族を養うことができました。パウロも小さい頃天幕作りを学んでいたので、伝道を続けるのにそれが役立ちました。
若い皆さんもこういったスキルを身につけていくと、自活して生計を立て、奉仕を続けていくのに役立てていくことができます。
身につけるべき4つのことを考えることができました。
親の皆さんは、子どもがこういった能力を身に着けることができるよう見守っていく必要があります。なぜならどういう教育をどれ程受けるかを決めるのは親の責任だからです。
でもこの責任は簡単なことではないと思います。とても重圧がかかると思います。
親の皆さんは、子供が社会人としてクリスチャンとして幸せになってほしいと願います。それでもしかするともっと教育が必要なんじゃないだろうかと不安になるかもしれません。そういった不安の気持ちから、ある人は補足的な教育つまり専門学校や大学といった高等教育を候補に入れて熟慮するかもしれません。
では色々ある選択肢の中で、正しい決定をするのに何が役立つでしょうか?
「何をしていても,人のためではなくエホバのためにするように,自分の全てを尽くして行いましょう」。(コロサイ3:23)
何をするにしても、つまり教育を選ぶ際にもエホバのためにする。これが最も重要な考え方です。
「エホバのために」というこのキーワードを意識していると、物事をシンプルに考えることができます。
プロのアスリートを想像してください。
アスリートは自分の参加する競技の記録のためにトレーニングを選んでいきます。マラソン選手は持久力を、重量挙げの選手は筋力をつける必要があります。
マラソン選手がダンベルを使ってずっと上半身を鍛えていたらどうでしょうか?
筋肉はつきますがマラソンの記録を伸ばすのには役に立ちません。むしろ筋肉が重りとなって記録が落ちてしまうかもしれません。
アスリートは記録のためにトレーニングを取捨選択しているのです。
教育も同じです。「エホバのために」生きるのに何が役立つかを考える必要があります。
ある教育はある分野の能力を大きく伸ばすのに役に立ちます。でもそれがエホバのために生きる点で役立つかどうかは全くの別問題です。
もしかしたら悪い影響を及ぼしてしまうかもしれません。
エホバへの愛を強める教育もあれば、お金への愛を強める教育もあります。人を謙遜にならせる教育もあれば、人を傲慢にする教育もあります。神への信仰を強める教育もあれば、人間の知識や哲学を重視する教育もあります。
何が子供にとってベストで「エホバのため」になるかを考え、教育を取捨選択していきましょう。これは親に与えられているとても重要な責任です。
若い皆さんはいかがですか?
これから自分の進むべき進路について考えているでしょうか。どんな進路を選んだらいいか悩んだり迷ったりすることがあるかもしれません。
迷うことは悪いことではありません。迷っているからといって、信仰が弱いとか自分がエホバに愛されていないとは考えないでください。
エホバは人に自由意志を与えました。色々ある選択肢の中から迷って考えて正しいものを選んでほしいという願いを知ることができます。迷ったり考えたりすることは、エホバを喜ばせるための過程の1つと考えましょう。
もちろん自分が下した決定の責任は自分が負う必要があります。でもエホバを喜ばせる決定ができたのであれば、それは素晴らしいことです。
エホバは今もあなたのことを愛していますが、自分のために良い決定をする人のことをもっと愛してくれるからです。このことを忘れないでいましょう。
エホバに仕える決定をするには勇気がいると思います。自分が今エホバに仕える決定をして、後で後悔することがないだろうかと不安に感じるかもしれません。そういう時は、ぜひ次のことを知ってほしいと思います。
それはイエスの生き方について考えるということです。
イエスは完全な人だったので、あらゆる分野で成功する可能性がありました。もしイエスが今の時代に生きていたら何ができたでしょうか?
世界一の大学に入って高い収入を得て後世に残る発明をできたかもしれません。アスリートとして様々な記録を作って、大谷翔平のように連日ニュースに出ていたかもしれません。持っている影響力を活用して、世界一のSNSフォロワー数を誇っていたかもしれません。1世紀生きていたイエスにも、世の中で成功する様々な可能性がありました。
でもイエスは、エホバに仕えるという道を選びました。エホバに愛されエホバに喜んでもらうことが、イエスにとって最大の栄誉だったからです。
このイエスの生き方は福音書に書かれています。それで読んでみて、こんな風に考えてみましょう。
イエスは勿体無い生き方をしたと思いますか?イエスは自分の決定を後で後悔したと思いますか?
この答えは、自分で福音書を読んで出してみてください。
若い人には様々な可能性があります。
この世の中で大成功する可能性もあるかもしれません。でもイエスのように生きる可能性もあるということを覚えておいてください。
親であったとしても若い人であったとしても「エホバのために」というこの基準を考えて、正しい決定をしていくことにいたしましょう。
では、私たちが受けることのできる最高の教育とは何でしょうか?
良い教育にはいくつかの要素が関係しています。
良い教師がいて、良い教科書があり、良い教育システムが確立されています。こういった要素が揃っているのは、とても良い教育といえるのではないでしょうか。
では私たちは誰を教師として持っていますか?
ヨブ36章22節には「神のような教師がいるでしょうか」と書かれています。私たちはエホバという最高の教師を持っています。
エホバは初めて教育を行った方です。初子であるイエス・キリストを教育してきました。エホバに教えられたイエスは、愛に溢れた最も偉大な教え手になりました。
このイエスを教えたエホバから、私たちも教えていただくことができるのです!
今日エホバは、最高の教科書である聖書を私たちに与えています。そして目に見える組織を通して、最高の教育プログラムを実施しています。良い教育の要素が全て揃った最高の教育を私たちはエホバのもとで受けることができているのです。
これからエホバの教育によって得られる素晴らしい益を3つ取り上げてみたいと思います。
この益に注目するならば、私たちが最高の教育を受けているという確信を強めることができるでしょう。
1.エホバに教えられる人は宝のような真理を見つける
聖書や出版物を読むと、真理を深く理解することができます。
エホバやイエスについて知り、神の王国について学び、新しい世界や復活について思い描くことができます。
もし今あなたの記憶をリセットして、聖書を1冊渡して1人で調べてみてくださいと言われたら何がわかりますか。
エホバという名前があるということはわかるかもしれません。イエスがなんかいいことを言っていることも気付くかもしれません。
では贖いがどうして必要になったのか、そのためにどれほどの犠牲が払われたのかを理解できるでしょうか?神の王国の王が誰でいつ支配をしており、将来どんなことを行ってくれるかを知ることができますか?
私たちが今理解していることは、エホバが教育してくださった結果だと言えます。そのことに感謝していきましょう。
そして引き続き、聖書や出版物を通して宝のような真理を見つける努力を払っていくことにいたしましょう。
2.エホバに教えられる人は実際的なスキルや性質を身につける
集会や宣教に参加するたびに、話す技術や教える技術が身に付いていきます。
王国会館のメンテナンスや建設奉仕に参加すると、建物を維持管理するためのスキルや、他の人と共に働くことを学んでいくことができます。
でもエホバの教育がすごいのは、単に知識やスキルを教えるだけでなく、私たちが良い性質を身につけられるように教育してくれていることです。
単に知識やスキルであれば、セミナーに参加したり、通信講座でも身につけることができます。
でもエホバは私たちを教育するとき、聖なる力を与えて、愛や親切に溢れた人になれるようトレーニングしてくれています。
一例として、宣教の分野で考えてみたいと思います。
きっと皆さんの中にも人前で話すのが苦手だと感じる人がいるかもしれません。インターホン押すなんて考えられないと感じていたかもしれません。
でも集会で多くのことを学んで少しそれが改善されて、勇気を持って伝道できるようになっていることでしょう。
これはトークスキルが磨かれたのでしょうか?少しはそれもあるかもしれません。
でも大切なのは、相手への関心や真理を伝えたいという愛の点であなたが成長したということです。愛を身につけることができました。
こういった愛は、日常生活の他の場面でも役立っているに違いありません。私たちが集会や奉仕に参加するたびに、私たちはより魅力的で神に愛される人となることができるのです。
この教育は、エホバが与えてくださる唯一無二の教育と言えます。
3.将来のための良い土台を築くことができている
「そうすれば彼らは,いわば宝を蓄え,将来のための良い土台を築いて,真の命をしっかり捉えることができるでしょう」。(テモテ第一6:19)
教育は将来への投資だという人がいます。今努力して身につけたものは、その後の人生を豊かにする上で役立つという意味で投資という言葉を使います。
確かにこの世の教育でも多くのことを身につけることができます。でも身につけたものは、廃れていってしまうことがあります。
年齢を重ねて使う機会を失うこともあれば、スキルそのものがアップデートされていって廃れていってしまうことが考えられます。
では神の教育によって身につけた考え方や性質はどうでしょうか?
今読んだ聖句によれば、それは宝のように蓄えられ、真の命を築くための土台になると書いてあります。
この真の命というのは、エホバが約束してくれている将来の永遠の命のことです。エホバは自分に従い正しく生きる人にその命を約束しています。
つまり私たちの払う努力は決して無駄に終わることはありません。将来この真の命が実現する時、今身につけたスキルや性質を生かしていくことができます。
私たちは将来への最高の投資をエホバの教育によってすることができているということを覚えておきたいと思います。
人を真の命に導くことができるのは、神の教育だけです。この世の教育では得られない素晴らしいものを得ていることに感謝していきたいと思います。
これからも、こういったエホバが与えてくれるものを思い巡らして、エホバが自分を教えてくれていることへの感謝を深めていくことに致しましょう。
学んだことを振り返ってみましょう。
教育は家庭で子供が幼い時からスタートするということがわかりました。
教育を通して若い人は、読み書きのスキルや良い行状や日常的なスキルを身につける必要があります。
そして親も若い人もよく相談しながら、エホバのために良い決定をしていくことが大切だと学びました。
私たちはエホバから聖書と組織を通して最高の教育を受けることができているということも考えることができました。
今エホバに感謝してそういった助けを謙遜に受け入れる人は、将来も偉大な教訓者エホバからずっと教えてもらうことができます。エホバの持つ深い愛や知恵や果てしない力についていつまでも学び続けることができるのです。
ではその時を心待ちにしつつ、次の決意を抱いていきたいと思います。
「多くの人々が行って,こう言う。『さあ,エホバの山に登ろう。ヤコブの神の家に行こう。神はご自分の道について教えてくださる。私たちはその道を歩もう』」。(イザヤ2:3)
今日、私たちは多くの仲間と共に、エホバに仕える素晴らしい道を歩いています。若い人には是非これからこの道を歩んでほしいと思っています。
そのためにエホバの教育を感謝して受け入れて、学んだことや自分の持つ能力をエホバを賛美するためにこれからも用いていきましょう。
そうするとき私たちは、真の命に通じるこの唯一の道をまっすぐ歩いていくことができます。