神エホバを信頼するという生き方

信頼とはどういう意味でしょうか。

字の如く、信じて頼るということを表しています。

今、世界の人々は一体何に頼っているでしょうか?

多くの人は、自分の力とか知恵に頼っているのではないでしょうか。

政治家などは、エホバ神とエホバが王としているイエス・キリストに逆らった行動をとっていると言えます。

クリスチャンと唱える宗教指導者たちも、神の王国政府ではなく政治家たちを信頼しています。

「自慢する者たち,エルサレムでこの民を治める者たち,エホバの言葉を聞け。あなたたちはこう言う。『われわれは死と契約を結び,墓と協定を交わした。激流が通り過ぎる時も,われわれの所までは来ない。われわれはうそを避難所とし,偽りの中に身を隠したのだ」。(イザヤ28:14,15)

ユダの指導者たちは、政治上の同盟があるので自分たちが負けることはないと自負します。死と契約を結んだので、死も自分たちには手出しはしないと考えています。

しかし、実質の伴わないこの避難所は守ってはくれません。彼らの同盟は嘘であって偽りだからです。

今日ではどうでしょうか?

清算のためのエホバの時が到来する時、キリスト教世界が持つ世の指導者たちとの密室な関係は保護とはならないということです。

実際のところそうした関係は、このキリスト教世界を破局に至らせるものとなるのです。

政治家たちが手を組んでも、エホバが怒りを表すときに太刀打ちすることはできないのです。

人々が自分の力とか知恵に頼っているために、世界中で犯罪が増えています。

日本でも凶悪な犯罪が増えているのではないでしょうか。平和が見られない状態です。

あなたが信頼してるものは一体何ですか?

今の世界では分裂が深まっています。しかしエホバに仕える人たちの間では、次のような状態が見られます。5つの点を今日考えてみたいと思います。

1.同じ思いで本当の神エホバを崇拝している

詩編133編1節では「兄弟たちが一致して共に住むのは,何と素晴らしいことだろう」と述べられています。

世界中のエホバの証人が本当に一致してエホバを崇拝しているのを見ることができています。

王国会館やビデオ会議システムで多くの方が集まって一致してエホバを崇拝しているのは素晴らしいことではないでしょうか。エホバを信頼しているからです。

2.神の王国がこの地球を治める時に平和が実現するという良い知らせを熱心に伝えている

マタイ24章14節は「王国の良い知らせは,全ての国の人々が聞けるように世界中で伝えられます。それから終わりが来ます」と述べています。

神の王国がを治める時に平和な実現するという良い知らせを今日も熱心に伝えた方もいらっしゃると思います。

3.神に倣おうと努力しており喜びを抱いている

神の教えをたくさん学んで、その教えに本当に従っていこうという事をいつも思いに留めてると思います。実際にそうすることによって、喜びも得ることができています。

「その教えは幸福な神の素晴らしい良い知らせと一致しており,私はその良い知らせを託されました」。(テモテ第一1:11)

4.何をしどんな決定をするときも聖書に示されている神の考えに沿うように注意している

「心を尽くしてエホバに頼れ。自分の考えに頼ってはならない。どんな道を行く時にも神のことを考えよ。そうすれば神が真っすぐに進ませてくださる」。(格言の書3:5,6)

心を尽くしていつもエホバに依り頼んで、自分の考えではなくいつも聖書の指針に照らし合わせて、どんな道を行くときもその指針に沿って行動します。

5.偏見を持たずに全ての人に良いことを行っている

「ですから,機会がある限り,全ての人に,特に同じ信仰を持つ兄弟姉妹に,善いことを行いましょう」。(ガラテア6:10)

近所の人とか仕事場の人にも、色んな機会があるときに良いことを行っていきたいと思います。

5つの点考えただけでも、神に仕える人と仕えない人との差がはっきりしているのではないでしょうか。

ではこの違いというのは一体どこから生じるのでしょうか?

「神は私たちの避難所,力。苦難の時,すぐに助けになってくださる。それで私たちは恐れない。たとえ地上に異変が起きても,山々が深い海の中に落ちても。 たとえ海の水がとどろき,激しく泡立っても」。(詩編46:1-3)

エホバが傍にいて、どんな敵よりも強いことをここから知ることができます。

エホバは「苦難の時にすぐに助けになって」くださいます。「避難所」として表され、「力」を持っておられます。

異変が起きた時はどうでしょうか?

山々が海の中に沈むとしても、エホバが避難所になってくださることを信じることができます。

もしかしたらこの避難所を今見出すために努力しておられるかもしれません。

では、どうすればエホバを信頼できるのでしょうか?

「あなたがエホバを信頼するために,私は今日あなたに知識を与える」。(格言の書22:19)

エホバが与えてくださるこの知識は非常に役に立つということです。

エホバの言うことを聞く人がどうなるかということも聖書に書かれています。

「しかし,私の言うことを聞く人は安心して暮らし,災いを恐れて動揺することはない」。(格言の書1:33)

エホバの言うことを聞く人は安心して暮らすことができます。

「恐れて動揺する」こともないそうした平穏な気持ちも見ることができます。その安心感というのは誰にも奪うことができないということです。

聖書に出てくる3人の人に注目していきたいと思います。

まず、ネヘミヤの行動について考えていきたいと思います。

西暦前455年にネヘミヤは軍隊に護衛されてエルサレムに着きました。ユダの総督として任命されており、その都の再建をこの認可するペルシャの王からの手紙を携えていました。

偽りの宗教を信奉する近隣の民は、ネヘミヤが訪れた目的に反対しました。指導者たちは、王に背こうとしているのかと述べてネヘミヤを脅しました。

ネヘミヤは怖気づきませんでした。それどころか敵の攻撃に備え、築く者たちに武器を持たせ、こう述べてその人々の信仰を強めました。

「彼らのことを恐れてはなりません。偉大で威厳に満ちるエホバがおられることを忘れずに,兄弟たちのため,息子や娘や妻そして家のために戦いなさい」。(ネヘミヤ記4:10,13,14)

執拗な反対を沢山受けたわけですが、エルサレムの城壁は52日間で完成することになりました。

ネヘミアがエホバに頼るということを行った結果、そのような素晴らしい結果にできたわけです。

私たちはエホバがおられることを忘れないようにしていきたいと思います。毎日何があってもエホバを忘れないということは非常に大切なことです。

「何をしていても,人のためではなくエホバのためにするように,自分の全てを尽くして行いましょう。皆さんは報いとしてエホバから財産を受けることを知っています。主人であるキリストに一生懸命仕えてください」。(コロサイ3:23)

何をしていてもエホバのために自分の全てを尽くして行いなさいとあります。

魂を込めて自分の身体的な能力とか知的な能力全てを尽くしてエホバに仕えるということです。

2つの対照的な例について少し考えていきたいと思います。

ラザロの姉妹マリアと貧しいやもめについてです。

マリアは非常に高価な香油の入った瓶を割って開けました。それには300デナリ、ほぼ1年分の賃金に相当する価値がありました。

マリアは芳しいこの油をイエスの頭と足にも注ぎ、髪の毛でイエスの足を拭いて乾かすこともします。

弟子たちは憤慨して、どうしてこんな無駄遣いをするのかと言いました。しかしイエスは弟子たちにこう言います。

「この女性をそのままにしておきなさい。なぜ困らせようとするのですか。私に立派なことをしてくれたのです。貧しい人たちはずっといて,いつでも望む時に善いことをしてあげられますが,私はずっといるわけではありません。この女性は自分にできることをしました。私の体が葬られる時のために香油を注いだのです。はっきり言いますが,世界中どこでも良い知らせが伝えられる所では,この女性がしたことも語られ,思い起こされます」。(マルコ14:6-9)

このイエスのこの温かな言葉にマリアは安堵したに違いありません。

イエスはこのマリアの行為に深く心を動かされました。イエスから見て彼女は本当に称賛に値する行いを行いました。

イエスにとって重要だったのはこの贈り物の物質的な価値ではなく、彼女は自分にできることをしたという事柄です。彼女は機会を活用して自分に行えることを行いました。

他の翻訳では「彼女は自分にできる限りのことをしました」「彼女は自分の力の限りのことをしました」と訳されています。

このマリアの施しは、彼女が最善を尽くした故に魂の込もったものであったということがわかります。

魂のこもった奉仕とはそういうことであることを理解できます。

今度はある貧しいやもめの例ですけどこれは先ほどから数日後のユダヤ暦ニサンの11日に起きた事柄です。

イエスは神殿で長い1日を過ごします。イエスの権威に異議が唱えられ、イエスは復活その他の問題に関する質問にも機転を利かせてお答えになり、またやもめたちの家を食い荒らしているとして、書士やパリサイ人たちを糾弾されます。

それからイエスはおそらく婦人の中庭に座ります。そこにはユダヤ人の伝統によると、13個の宝物庫がありました。

イエスはしばらく座ったままで寄付を入れる人々を注意深く眺めておられます。富んだ人も大勢来ますけれど、イエスは1人の女性に目を注がれます。

人の心を知ることができたイエスは、彼女が貧しい寡であることを知っていました。さらに彼女の値のわずかな小さな硬貨2つがイスラエルで使われていた最少額の銅貨であることを知っていました。

イエスはここで弟子たちを呼び寄せます。これから与える教訓を弟子たちの目で直に見てほしいのです。

「彼女は宝物庫の箱の中にお金を入れている。あの人たちよりたくさん入れた」とこのイエスは言います。イエスから見ると他の人たち全部を合わせたよりも多く入れたいうことです。

彼女は自分の持つもの全部を与えたからです。自分の財布の底をはたいたのです。そうすることによって、親身になって世話してくださるエホバのみ手に自分を委ねました。

神に与えることの模範として選ばれたのは、物質的な価値のほとんどない寄付を捧げた人でした。それはエホバの目には非常に貴重な価値のあるものだったことがわかります。

イエスはこの2人がしたことを比べてはいません。

イエスにとってはやもめが差し出したえ2枚の硬貨も、マリアが差し出した非常に高価な香油も非常に価値があったということです。

どちらの女性も自分にできることを精一杯行ったからです。エホバはどちらの女性がしたことも同じように喜ばれました。

この出来事から、私たちができることを精一杯行ってエホバにお仕えするということは、本当に正しいことであることを知ることができます。

私たちはエホバを信頼し続けることをしていかなくてはなりません。

エホバは今、世界の人々のことを辛抱なさっておられます。

エホバの証人はどうでしょうか?エホバが辛抱している今熱心に伝道し、どの国の人々にも王として選ばれているイエス・キリストに従うよう勧めているのではないでしょうか。

イエスが今、天で王として治めていることを240の国や地域で約900万人以上のエホバの証人が熱心に呼びかけているのです。

私たちはいつまでこの伝道をし続けることができるでしょうか?

「あなたは鉄の王笏で彼らを砕き,陶器のように粉々にする」。(詩編2:9)

イエスが国々をこの陶器のように粉々にする時が来ることがわかります。その時まで、私たちはこの伝道を続ける必要があります。

それまでの間、私たちはどうしていく必要があるでしょうか?

これからも立派な行いに励んで、エホバを信頼し続けることができます。そうすればこうなることを見ることができます。

「大軍を率いるエホバは私たちと共にいる。ヤコブの神は私たちの安全な避難所。来て,エホバが行うことを見よ。神は地上で驚くべきことを行ってきた。神は地上の全ての場所で戦いを終わらせる。弓を折り,やりを砕き,兵車を火で焼く。『降伏し,私が神であることを知れ。私は国々でたたえられる。地上でたたえられる』。大軍を率いるエホバは私たちと共にいる。ヤコブの神は私たちの安全な避難所」。(詩編46:7-11)

私たちは避難所としてエホバを信頼し続けることができるということです。

それではこれからも、全ての面で神エホバを信頼し続けるこの生活を、1人1人が心がけて行ってまいりましょう。