日本人がよく勘違いする英語の表現に、「私は~を知っています」というものがあります。
例えばDo you know Mr.Trump?聞かれて、Yes!I khow Trump.と答えてしまう人が多いようです。
これはネイティブにはどう聞こえているでしょうか?
個人的に親しく知っている家族、親友、友人のイメージです。
では何と言ったらよかったのかと言いますと、I know about Mr.Trump.とかで答えれば、直接の知り合いではないこと、どんな人物か知っていることが伝わります。
では皆さんがもし神様について同じ質問を尋ねられたとしたら、どのように答えたいと思われますか?
I know about God.ですか。それともI know God,very well.と言うことができるでしょうか。
2番目の答えの方がずっといいと言えます。
神様のことを個人的によく知るようになる人に、とても良いことがあると聖書は教えているからです。
どんなことがあるのでしょうか?
「永遠の命を得るには,唯一の真の神であるあなたと,
あなたが遣わされたイエス・キリストのことを知る必要があります」。
(ヨハネ17:3)
神様は個人的に親しくなる人にぜひ永遠に生きてもらいたいと考えていることがこの聖句からわかります。
ではどの程度知っていると親しい間柄ということができるのでしょうか?
神様を信じていますと言うだけでは不十分です。
ヤコブ2章19節には「邪悪な天使たちも信じておびえています」。
でも親しい友達ではないですね。
マタイ7章21‐23節では「主よ,主よ,私たちはあなたの名によって…多くの強力な行いをしなかったでしょうか』と言う人たちが出てきます。
この人たちにイエスは「あなたたちのことは全く知りません」と答えています。
どうしてでしょか?
その人たちがやっていたのは勝手に行っていたことで、
イエスの評判を傷つけて貶めるようなことをしていました。
そのような人たちは決してイエスと親しい間柄にはなれなかったことでしょう。
では、エホバを親しく知るため私たちには何ができるでしょうか?
4つの提案があります。
1.聖書を読むことを習慣にする
エホバについての情報の多くは、聖書のこの聖書の中に書かれています。
小説などを読むとき、登場人物がどのように考え決定して行動していくか繰り返し読んでいくと、日常生活の中で経験した出来事で、あの人物だったらこういう風にきっと考えて行動するだろうというのが何となく考えられるようになってきます。
神様についても同じことが言えます。
ですから私たちは、次の詩編作者が述べているような読み方をしていきたいと思います。
「私はヤハが行ったことを思い出す。昔あなたが行った驚くべきことを思い出す。
あなたの全ての行いを思い巡らす。あなたが行ったことをじっくり考える」。
(詩編77:11,12)
ヤハというのはエホバの名前の短縮形です。
そのことを「思い巡らす」とか「じっくり考える」といった表現が出てきます。
聖書を読むとき、エホバについてどんなことがわかるだろうかとじっくり思い巡らしながら読んでいくことにしたいと思います。
2.エホバに見習うように努力する
特に何かを決定するような場合そのようにしたいと思います。
エホバならこの場合どう考えるかな?
どのように行動したらいいかな?と考えるようにします。
エホバは私たちの生き方にアドバイスをしてくださる時があります。
それはどうしてなのでしょうか。
「皆さんは子供として神に愛されているのですから,神に倣ってください」。
(エフェソス5:1)
幼い子どもはよく親の真似をするのではないでしょうか。
よくわからない理解できないことだったとしても、とりあえず親の真似をします。
それは裏を返すと知恵のあることですね。
親はよく理解していてそれをやり、子供はわかってないけど真似をします。
でも結果的にそれは正しくて、物事はうまくいきます。
成長していくにつれて、子供はそのことをよく理解するようになって、
何でここでこうすればいいのかを経験によって理解していけるようになります。
エホバと私たちの関係もそれと同じで、エホバは子供である私たちが危ない目に遭わないように、前もってこれは危ないよ!私が考える通りやる通りにしなさい!ということを言ってくださっているわけです。
私たちはよく分からなかったとしても、まずエホバのやり方に見習っていくことが大切なポイントとなってきます。
ある人のことを一方的に知っていて生き方に倣っているというだけでは、
もしかしたら有名人の追っかけをしている人と変わらないかもしれません。
個人的に親しくなるというのは、自分のことも相手に知っていただく必要があります。
3.自分の気持ちをエホバに祈りで伝える
エホバを知ることについては聖書から知ることができます。
しかしコミュニケーションというのは双方向のものです。
相手がいて自分とお互いにコミュニケーションを取るわけです。
ですから自分の気持ち、特に嬉しいことでとか悲しいこと感謝の気持ちなどを語ることができ、意見や考えや願い事も祈りによって伝えることができます。
とりわけ「もっとあなたのことをよく知りたいです」とか「学んだことを自分に当てはめられるよう助けてください」といった祈りをするのは大変ふさわしいことでないでしょうか。
では、どのくらいの頻度でこのことを行いますか?
「彼は私の気持ちをよくわかってくれています。
3年前に一度伝えましたから」という人たちは親しい間柄と思えるでしょうか?
そうではないですね。
ですから聖書は毎日神に祈るように、1日のうちでも何度も語りかけるようにと勧めています。
4.さらに一歩進んでエホバと友達のような関係になる
皆さんにとって親しい友とはどんな人のことですか?
その人は自分のために親身に良いことをいつもしてくれます。その人の優しさを感じることができます。
自分もまたその人のためを思って行動します。その人の評判を守りその人が傷つくことはしたくないと思います。
エホバとの関係もこれと同じではないでしょうか。
聖書の中には、アブラハムという人物がエホバの友と呼ばれたとあります。
エホバとアブラハムの間には一体どんなことがあったでしょうか。
まずお互いをよく知っていました。双方向のコミュニケーションがありました。
互いを気遣い、相手のために行動しました。アブラハムはエホバの望まれることに人生を捧げました。
だから2人は友だったわけです。
私たちもアブラハムのように神から友と呼んでいただけるように生きていきたいと思うのではないでしょうか。
今日の講演の主題は英語ではHow well do you know God?
直訳すると「あなたはどれほど神を知っていますか」というタイトルです。
私たちの答えはGodの前にaboutを入れないで、神様のことは個人的によく知っていてとても親しい間柄ですと言いたいものです。
日本語のタイトルでは「神を信じる。どういうこと?」となっていました。
多くの日本人にとっては、人格を持つ神様と個人的に親しくなるという考え方に馴染みがないからかもしれません。
それである人が「私は神を信じています」と言った時、その人が単に神の存在を信じているだけなのか神と個人的に親しい間柄なのかというところまでは判断することができません。
「私たちは神様は神を信じています」と言いますけれども、単に信じている人たちとは区別されたいと思いますね。
どうしたらそうできるでしょうか?
私たちの行動によって、その違いをはっきりと示すことができます。
本当に神を信じている人たちはどのように行動するでしょうか。
「『その方をよく知るようになった』と言いながら,
その方のおきてを守らない人は,うそつきであり,心の中に真理がありません」。
(ヨハネ第一2:4)
神を本当に信じている人は何をすることがわかるでしょうか?
神の言うことを守ることによって行動で示していくことができます。
ではここで神を信じていたにも関わらずそのことを行動で示せなかった悪い例と、
信じていることを行動で示すことのできた良い例を考えてみたいと思います。
まず最初に悪い例ですけれど古代のイスラエル国民を挙げることができます。
「イスラエルの民よ,エホバの言葉を聞け。
エホバには,この土地の住民に対する訴訟がある。
この土地には,真実も,揺るぎない愛も,神についての知識もないからだ」。
(ホセア4:1)
この「知識」と訳されているヘブライ語のダートという単語には、単に真実を知っている以上の意味合いが含まれているそうです。
知識がないと言われていても、イスラエル国民はエホバ神のことを知らないわけではありませんでした。
エホバに献身した国民として、毎週律法を学んでいましたし、親からも教えられていたに違いありません。
それにも関わらず、学んだ事柄に調和した行動が取れていなかったので、殺人とか盗みとか姦淫といった悪い行動をすることによって、自分たちは神を知らないと言っているも同然だったということです。
逆に私たちが習うべき良い例も考えてみましょう。
「ヨシヤの子シャルムは,父ヨシヤに代わってユダの王として治めていたが
…そのシャルムについて,エホバはこう言う。
『あなたの父親も食べて飲んだが,公正と正義を守り,物事はうまく運んだ。
彼は苦しんでいる人や貧しい人の申し立てを弁護し,物事はうまく運んだ。
エホバはこう宣言する。『私を知るとはそういうことではないか』」。
(エレミヤ22:11,15,16)
ヨシヤ王は公正と正義を守り、立場の低い人たちに寄り添うことによって、行動で神をよく知っていることを示すことができました。
イスラエル国民もヨシア王も神を信じていると言っている人たちでした。
けれども行動を見ると、どっちが本当に神を信じて親しい関係を持っていたかはっきりとわかるのではないでしょうか。
では人々は私たちのことを見て、神を信じている人たちだと思うでしょうか?
神様を信じている人は、家族にどう接するかというプライベートな事柄においても
生活の全ての面で神の導きに従う必要があります。
エフェソス5章28、29節には、キリストが会衆を愛したように「夫は自分の体を愛するように妻を愛するべきです」とあります。
神を本当に信じている夫は、人前でもプライベートでも妻を愛するようになります。
エフェソス5章22節には「妻は,主に従うのと同じように夫に従ってください」
とあります。
イエスが神エホバの権威を認めていたように、クリスチャンである妻も頭としての夫の立場を支持するようエホバは期待しています。
エフェソス6章1節に「子供は主に喜ばれるよう親に従ってください」とあります。神を信じている子どもは親が見ていなくても、聖書が教えていることと親が言うことを守るようにしたいと思うことでしょう。
どの場面でも、神を信じていますと口で言うだけではなく行動が伴っていました。
他の人たちはそのことを見て何でこの人はこういう行動をするんだろう?と思い、神を信じているからなんだと気づくようになります。
私たちもそのように気づいていただけるように行動していきたいと思います。
神様に親しい友と見ていただくためには、周囲の人たちからどう見られるかも大事ですけれども、エホバからどう見られるか意識することも大切な要素となってきます。
もし皆さんが親友だと思っていたある人が、皆さんのことをよく思っていない
別のグループの人たちと仲良くしているのを見たとしたら、皆さんはどう感じるでしょうか?
がっかりするもしくはその人とは少し距離を置こうかなと思うかもしれません。
エホバにも感情がありますので、同じように感じます。
もし私たちがエホバが好まない人たちを友達にするとしたら、エホバからは嫌われてしまうかもしれません。
実際の人間だけでなくて、テレビや映画やインターネットなどに出てくる
人物やキャラクターといったものが、エホバの嫌われることを特徴としていたらどうでしょうか?
エホバは嫌な思いをされるのではないでしょうか。
では私たちがエホバに好かれている人たちと仲良くするとしたらどうでしょう?
これはエホバを愛していることを示すことにならないでしょうか。
「愛する皆さん,引き続き愛し合いましょう。愛は神からのものだからです。
愛する人は皆,神から生まれ,神を知っています。
愛さない人は,神をよく知りません。神は愛だからです」。
(ヨハネ第一4:7,8)
エホバを愛する仲間同士が愛し合うことによっても、エホバをよく知っていることを示すことができます。
逆に仲間を愛せない人は、実は神をよく知らないと読み取ることができます。
神をよく知っている人たちはよく知っている人たち同士でも親しく愛を示し合えるようになります。
これも本当に神を信じている人たちなのか、口でただ言っているだけなのかを見分けるための大切な要素となるのではないでしょうか。
エホバを信じる人は、まずエホバをよく知っています。
そしてエホバによく知られています。
エホバを信じていることを行動で表しますので、周りの人もそのことを認めるようになります。
エホバとはお互いを気遣い合う親友のような間柄ですので、そのことがその人の生き方に表れてくるので、周りの人もそれを認めて、この人が神を信じているってことがわかるようになってきます。
そのような人目指していきたいと思います。
ではもし私たちが神を信じるなら、どんな幸せを味わうことができるでしょうか?
「エホバは,心の全てがご自分に向いている人の力になろうとして,
世界中に目を行き届かせています」。
(歴代第二16:9)
「心の全てがご自分に向いている人」は本当に神を信じている人、神を親しく知る人と置き換えることができるかもしれません。
ここの「力」という言葉は「支え」とも訳すことができます。
それでエホバは、神を本当に信じて親しく知る人の支えになりたいと思っていることがわかります。
全能の神が親友として私たちを支えてくださるというのは、どんなにか心強いことでしょう。
エホバは、地上のどんな権力者よりも力のある存在です。それが皆さんの親友です。
友のことつまり皆さんのことを心から気遣ってくださいます。
そして冒頭で上げたヨハネ17章3節の中で神は、ご自分を知るようになる人に特別なプレゼントを与えてくださると言っていたのではないでしょうか。
それは「永遠の命」でした。
ですから、私たちが今エホバを信じて行動するならば、ずっといつまでもエホバの友でい続けることができます。
ではその友情関係を、何よりも大切なものとしていくことにいたしましょう。