皆さんは友達が多い方でしょうか?少ない方でしょうか?
友達については色んな意見があります。
多ければ多い方が良いという人もいますし、逆に友達は要らないという人もいます。
多い方が良いと思う人は、友達が多いことによって、自分が色んな経験ができたり、色んな考え方を知ることができるので、それで自分が成長できるという考えです。
逆にいらないと思う人は、人間関係で煩わされる自分らしくマイペースで生きていきたいと考えます。
確かに友達は良くも悪くも影響を与えます。
そのことは聖書にも書かれています。
「賢い人たちと共に歩むと賢くなり,愚かな人たちと関わり合うと苦しい目に遭う」。
(格言の書13:20)
「愚か」に当たる書かれた元の言語であるヘブライ語では、道徳的に分別がないという意味があります。
それで逆の「賢い」は分別がある、的確な判断ができるというわけです。
それで賢い人は的確な判断ができる人なので、そういう友達がいると、自分も的確な判断ができるようになっていきます。
また的確な判断の結果も知ることができます。
逆に愚かな人は的確な判断ができない人と言えます。
そういう友達といると、自分も的確な判断を下しにくくなりますし、その良くない結果に巻き込まれてしまうケースがあり得ます。
良い友達を選べば良い影響を受け、悪い友達を選べば悪い影響を受ける。
そういう風に聖書ははっきり述べています。
聖書には良い友達の価値を認めていた人の例も書かれています。
その1人がダビデ王です。
イスラエルの王様ですけれども、こんな詩を書いています。
「牢獄から私を連れ出し,あなたの名を賛美させてください。
私の周りに正しい人が集まりますように。
あなたは私に親切にしてくださるからです」。
(詩編142:7)
「牢獄」とは何のことでしょうか?
142編の表題に「洞窟に行った時のダビデによる」と書いてあります。
洞窟から連れ出してほしいという歌だったということです。
なぜ洞窟にいたのでしょうか?
この時ダビデはまだ王様ではなく、前の王様のサウルに命を狙われていて、洞窟に潜んでいたという時です。
命を狙われているその理由も、ただサウロの嫉妬心から命が狙われていました。
皆さんだったら、そのような状況でどんなことを願いますか?
洞窟から出してくださいと思うのではないでしょうか。
ダビデもそうでした。そう書いています。
さらに何を願うでしょうか?
あのサウルをなんとかしてくださいとか、もう人間不信になったので、しばらく1人にさせてくださいと願うでしょうか。
「正しい人が集まりますように」つまり、良い友達が欲しいと願いました。
「あなた」エホバ神を賛美したいので、友達が欲しいと言いました。
ダビデはこのような歌を歌えるほど、エホバ神を友達としていました。
エホバ神を友達とし続けるためにも、自分の周りに良い友達が欲しいと願っていました。
どうなったでしょうか?
ヨナタンという友達がダビデを訪ねてきました。
そしてエホバ神への信頼を強めるように助ける励ましの言葉を述べています。
悪い友達からの悪い影響についても聖書は詳しく書いています。
「だまされてはなりません。悪い交友は良い習慣を台無しにします」。
(コリント第一15:33)
悪い行いは良い習慣を台無しにするほどの影響力があります。
この「台無し」という言葉は、道徳心を蝕むとか、人格を損なうとも訳せるようです。
悪いことを行ってしまうという行動だけではなくて、自分の人格にも影響があるというわけです。
この点について「だまされてはなりません」ともあります。
つまりこれは、影響がなさそうに思うけども実際には影響を受けている、騙されやすい事柄だということです。
このように友達の影響はとても大きいので、賢明につまりしっかり選ぶ必要があります。
先ほども考えたように、そもそも友達なんかいらない、煩わしくなるだけと考える人もいます。
クリスチャンとして生きていく上で、友達は必要でしょうか?
それを判断する上で役立つ情報が聖書にあります。
「私たちの希望をしっかり表明し,ふらつかないようにしましょう。
約束してくださったのは信頼できる方だからです。
また,互いのことをよく考えて,愛を表し立派な行いをするよう勧め合いましょう。
仲間と集まることを怠ってはなりません。
よく欠席する人たちに倣わないようにし,いつも励まし合いましょう。
定められた日が近づいているのですから,ますますこうしたことを行っていきましょう」。
(ヘブライ10:23-25)
「仲間」とは、神の信仰を持つ仲間のことです。
何でで集まりますか?
24節を見ると「愛を表し、立派な行いをするよう勧め合」えるから集まります。
どんな良い影響があるんでしょうか?
23節に「ふらつかないようにしましょう」とあります。
エホバ神との関係で、エホバ神への信仰というその点で、私たちがふらつかないようになれるというわけです。
それで、私たちがクリスチャンとしてふらつかないためにも、良い友達は必要だということがここからわかります。
このことはとても大切なことです。
なぜかというと、悪魔サタンは私たちクリスチャンを信仰の点でふらつかせたいと思っているからです。
ある人は、誰にも影響されずに自分のペースで信仰を強めていきたいと思うかもしれません。
バプテスマを目指す時はそうかもしれません。
仲間からの励ましも、圧力に感じてしまう場合があるかもしれません。
それでマイペースで行きたいと思うわけです。
でもそのペースは本当にマイペースでしょうか?
サタンは弱めさせようという影響を常に与えてきています。
もうその時点で、もうすでに自分のペースではなくなっています。
「頭がさえた状態を保ち,油断なく見張ってください。
敵である悪魔が,ほえるライオンのように歩き回って,
誰かをむさぼり食おうとしています。
揺るぎない信仰を持ち,悪魔に立ち向かってください。
ご存じの通り,世界中にいる,信仰で結ばれた兄弟たちが,
同じような苦しみを経験しています」。
(ペテロ第一5:8,9)
悪魔サタンは私たちをふらつかせようと、熱心に伝道している時も、1人でゆっくりしている時でも、私たちに対して吠えるライオンとして行動してきます。
なぜ吠えるのでしょうか?
柵の中の羊が怯えて慌てるためです。
慌てた羊はどうなりますか?
柵を飛び出し群れから逸れます。それが目的です。
サタンは誰でもいいんです。「誰かをむさぼり食おうとして」いるからです。
それで仲間と集まり、愛を表し、ふらつかないようにするなら、声に怯えて慌てて群れからはぐれないように助けられます。
もし私たちが怯えて慌てて群れから逸れると、どうなってしまうでしょう?
まず孤立します。自分のことで一杯になってどんどん孤立していきます。
そして落胆します。あれも良くないこれも良くない、ついでに過去の失敗も思い出したりして、どんどん落胆し続けます。
そして疑います。エホバ神が与えてくれるアドバイスや仲間の助けも、もう信じにくくなってしまいます。
結果、サタンに食われてしまいます。
こう考えてくるとヘブライ10章25節にあったように、仲間と集まることを決してやめないようにしたいと思います。
集会は、エホバ神からの教えを受ける良い時間になります。
最近ではzoomも活用して学んでいます。
でも、それだけではありません。
お互いに愛を表し立派な行いをするよう励まし合う機会です。
それでぜひ事情が許すのであれば、王国会館の集会に直接出席して、個人的な会話を楽しむようにしてみましょう。
また緊張するとしてもコメントにぜひ参加しましょう。
学ぶだけでなくて、励まし合うことができます。
そのようにして、愛を表し立派な行いをするよう励まし合っていきましょう。
集会で会う仲間を大切にし、友達としましょう。
その影響から、ふらつかない強い信仰を持つようにしましょう。
もう友達はいらない、そういう考えを捨てましょう。
自分をしっかり持っていれば良いなどと考えないようにしましょう。
サタンはすでに、様々なものを使って影響を与えてきているからです。
それで良い友達を見つけたいと思いますし、良い友達として選んでもらえるようになりたいとも思います。
では、エホバの証人にとって、良い友達とはどういう人でしょうか?
自分や自分の決定に良い影響を及ぼす人と言えるかもしれません。
具体的には、私たちが信仰を強める助けになる人が良い友達です。
信仰を強める助けといっても色々あります。
信仰を実践しているそのお手本を見せるというのも必要ですし、気楽に話せる仲間も必要ですし、楽しい時間を過ごす仲間も必要です。
そういう人を友達として皆さん選んでいますか。
そして、選んでもらっているでしょうか。
自分が良い友達として仲間から選んでもらうために、仲間や仲間の決定に良い影響を与えるようにできるでしょうか。
信仰を強める助けになることができるでしょうか。
もしかしたら、あまり意識したことはないかもしれません。
これはいつもすごく感心させられるありがたい言葉を言う人になるとか、良い決定ができるようにあれこれアドバイスし続けるということではありません。
そんな人は人気がなくて友達がいないかもしれません。
良い友達として選んでもらうためにできる1つ目の点は、誠実な気遣いを示す人になるという点です。
心の中で思っていても、残念ながら気遣いというのは伝わりません。
またそれを実際に示すには時間や労力が必要です。
でも気遣いを示すということを意識していきます。
2つ目の点として、よくコミュニケーションを取る人になりましょう。
お互いがどう考えてどう感じるかというのは、言ってみないとそして分かってみないと友情というのは生まれません。
それでコミュニケーションが大事です。
話すのが得意だと思う人は聞くことを、聞くのが得意だと思う人は話すことを努力できます。
最近は宣教奉仕でも会話を意識するよう勧められています。
ただ会話が進めば良いというわけではありません。
大前提として、相手への愛が必要になってきます。
相手への愛があれば、関心を持ちます。
関心を持っているので、尋ねたくなります。
関心を持って尋ねたので、それをしっかりと聞くことができます。
そのように愛が連鎖して会話が生まれてくるわけです。
会衆のよく知る仲間とうまく会話ができないのに、初めて会う人とうまく会話ができるわけがありません。
お互い練習のつもりで励んでいきましょう。
3つ目の点として、現実的な見方ができる人になりましょう。
自分に対して友達に対して、長所も短所も、頑張っていることできていないこと、全てに対して現実的な見方ができているというのは大切です。
現実的な見方ができている人のアドバイスや褒め言葉は、非常に聞きやすいのではないでしょうか?
逆に現実的な見方ができていない人から貰うアドバイスは辛く、褒め言葉もちょっと信じにくくなるかもしれません。
それで、現実的な見方が自分はできているだろうかと考えたいと思います。
ある人は良い友達がたくさんいます。なぜですか?
家族を亡くして悲しんでいる友達に、誠実な気遣いを示して話を聞くことができます。
よくコミュニケーション取る人なので、電話で楽しく会話を楽しんでいます。
年齢が離れた年配の姉妹とも現実的な見方ができているので、年齢のせいでできていないことできていることを認めて励まし合うことができているわけです。
良い影響をお互い与えることができます。
お互いの信仰を強める助けになる良い友達を選びましょう。
そして、選ばれるように努力していきましょう。
そう考えてくると、聖書を勉強していない人とは全く関わらない方が良いということでしょうか?
どんなバランスの取れた見方ができますか。
「私は皆さんへの手紙の中で,
性的に不道徳な人と交友するのをやめるようにと書きました。
それは,この世の性的に不道徳な人や,貪欲な人,
脅し取る人,偶像を崇拝する人と
全く交友しないようにという意味ではありません。
もしそうだとすると,
皆さんは世から出なければならないことになります」。
(コリント第一5:9,10)
私たちは、クリスチャン以外の人と全く接しないわけではありません。
日常生活でお互いお世話になっていますし、聖書について伝えるチャンスもあるかもしれないと思っています。
それでこう考えるかもしれません。
私の周りの人は、ここに書いてあるほど悪いことはしていない。
確かに性的不道徳、貪欲、罵り、酩酊はしないかもしれません。
では、良い友達候補になるでしょうか?
その人はここに書いてあることをしているかいないかではなくて、どう思っているかという点を考えるのはどうでしょうか。
私たちはエホバ神との関係で、ここに書いてあることがよくないと強く思っています。
では、その人は同じように思っていますか?
性的不道徳という点に関してはどうでしょうか。
例えば、不倫は良くないと言いしないかもしれません。
でも結婚関係外でも愛があればセックスしてよいと考えているかもしれません。
LGBTは個性なので尊重すべきだと考えているかもしれません。
もう最近ではその4つだけで足りないとなって、LGPTQ+とかなんか色々増えたりしています。
それだけ世論は、尊重すべきだという風潮です。
そこにエホバ神の考え方見方は入ってきていません。
聖書から学べるエホバの見方とは全く違います。
この点で正しいバランスを考えるべきです。
聖書勉強していない人、エホバの証人でない人との交流に関してです。
全く避けることはしません。
できませんしそうする必要もありません。
でも私たちがエホバと同じ見方をしたいと思うなら、エホバ神の見方や考え方を意識したことも、まして聞いたことのない人と友達にはなれません。
ぜひバランスを考えましょう。
他にも付き合いにバランスの取るべき友達がいます。
それはメディアです。メディアと言っても色々あります。
テレビ、映画、ラジオ、本、雑誌、新聞、インターネットでも
マスメディアと言われる一方的に情報を与えるものがあります。
多くの情報を知ることができます。
けれども長く時間を過ごすつまり友達とすると、神と違った見方を世の中一般の考え方、スタンダード、そうあるべき姿として
教え込んでくるかもしれません。
それでバランスを考える必要があります。
それらメディアに多くの時間を使って友達にしていないでしょうか?
正直に考えることにしましょう。
ある人は、マスメディアの一方的な伝え方を嫌がり、ソーシャル(双方向の)メディアを信頼します。
インターネット上で誰もが発信できる情報を頼りにします。
強い圧力がかかってなさそうに感じるので、信憑性があるという考え方です。
youtubeとかfacebookとかxやinstagram。そういう情報発信を使って情報共有したり、何かお店を探そうとするときは頼りにできます。
でもソーシャルメディアの方がマスメディアより信頼できる
という考え方も注意が必要です。なぜでしょうか。
これも発信してる人について知っていることが少ないからです。
ある投稿に関してどれほど知っていますか。
その投稿者は男性ですか、女性ですか?何歳くらいですか?
普段何をしている人でしょうか?
投稿者はそれを体験していますか、目撃者ですか、聞いただけですか、全くのデマでしょうか?
情報発信して良い立場でしょうか、それとも勝手にやっていますか?
あげればきりがありません。知らないことだらけです!
もちろん得た情報に情報源が関係ない場合もあります。
でも説得力が変わるということも多くあります。
個人が発信してるから大丈夫だという考え方も危険だというわけです。
その延長として、背教者の情報にも気を付ける必要があります。
少しだけならとか論駁してみようと考えないようにしましょう。
惑わすことを目的としているからです!
ある人は、エホバの証人ついて正確に知るために、色んな意見を聞くべきだと思うかもしれません。
でも惑わすことが目的で何者かわからない、正確かどうかも確かめようがない情報が果たして、
色々取り入れるべき情報の1つになるのでしょうか?
エホバの証人から聞いてみて、自分で直接確かめる方がよっぽど正確です!
それで jw.org から正確な情報を得て、背教者からの情報は避けるようにしましょう。
私たちが1番友達にしたいのは誰でしょうか?
友達になった方がいいのは誰だと思いますか?
「エホバは,欺く人をひどく嫌い,
正直な人たちを親しい友とするからである」。
(格言の書3:32)
エホバ神は人間を友達にしてくださる方だということがわかります。
どんな条件があるでしょうか?
ここでは正直であることが挙げられています。
聖書を勉強すれば、この正直であること以外にも、エホバが自分の友達に求めている条件を知ることができます。
それは決して不可能なことではありません。
私たちが努力する時に、エホバは友達になってくれようとしています。
ぜひエホバを友達とできるように勉強し続けていきましょう。
ダビデはエホバ神を友達としていました。
エホバ神という最高の友達がいるので、友達はこれ以上いらないという考えではありませんでした。
他にも良い友達を求めていました。
私たちも同じように考えたいと思います。
ダビデとヨナタンの年齢は30歳ほど違いました。
立場も違いました。
でも友達として互いに支え合い、エホバへの信頼信仰を強めていました。
私たちも年齢や立場の違いを気にせずに友達を選びましょう。
友達を選ぶとき気にするべきなのは年齢でも立場でもありません。
気にするべきなのは、自分が良い判断をできるように助けてくれる人かどうか。
エホバ神との関係を強める助けになってくれる人かどうか。
私たちもダビデのように、会衆の中でぜひ友達を持ちたいと思います。
1人友達を増やすとしたら、誰と友達になれると思いますか?
まずはお互いのことを知ることから始めてみましょう。
集会前後に会話を楽しんでみてください。
集会の感想を話してみることはどうでしょうか。
私たちみんなが友達を必要としています。
それでお互いに積極的な交流ができるようにしていきましょう。
出会ってから何十年も、どちらかが亡くなるまでずっと友達だったという交友を聞きます。
とてもいい話です。
でもエホバ神はご自分と友達でいるように願ってくれています。
それは永遠のスパンで言ってくださっています。
そして私たち同士の友情も、永遠をスパンに考えることができます。
それで引き続き友達を、賢明に選んでいくことにしましょう。
多いか少ないかに関わらず、良い友達を選ぶようにしていきましょう。
そして自分も良い友達として選んでもらえるようにしていきましょう。
それにして、良い友情関係を永遠に楽しんでまいりましょう。