初めて自分の子供を腕に抱く親には、相反する感情が湧き起こると言われています。
イギリスのある父親は「深い喜びと感動を覚えました。しかし同時に圧倒されそうなほどの責任を感じ、自分には心構えが十分にできていないと思いました」と言っています。
アルゼンチンに住む1人の母親は、「幼い娘が必要としていることを満たしてあげられるかどうかと心配でした。この子を責任感のある大人に育てられるかと考えました」と言っています。
子育て経験のある人であれば、こうした親の喜びや不安に共感を覚えるのではないでしょうか。
確かに子育ては人が取り組める仕事の中でも大きな労力が求められます。そして充実感もありまたもどかしさを感じることも多いでしょう。
「子育ては1回限りの勝負だ」と言う人もいます。
ですから良い親になるための信頼できるアドバイスが欲しいと感じるはずです。
しかし私たちの周りを見てみると、それを難しくする状況が見られます。
多くの国では、子育てのアドバイスを専門家に求める親は少なくありませんが、
述べるアドバイスも、その専門家によって意見が分かれています。
その意見も時代遅れになってしまうという流れもあります。
最近では同年代の友達やソーシャルネットなどにアドバイスを求める若い親たちが多いようです。
信頼できるアドバイスをどこに見い出せばよいのでしょうか?
どうすれば子供をしっかり育てることができるのでしょうか?
人間のアドバイスがあてにならないということを考えてみると、他のところに求めるしかありません。
人間の創造者であり、子育てについてまた子どもたちのことを一番よく知っておられる方にアドバイスを求めるのは、理にかなったことではないでしょうか。
「あなたを救う方,イスラエルの聖なる方,エホバはこう言う。
『私エホバは,あなたの神である。
あなたのためになる生き方を教え,あなたを導いて正しい道を歩ませる。
あなたが私のおきてに注意を払いさえすれば!
そうすれば,あなたの平和は川の流れのように豊かになり,
あなたの正しい行いは海の波のように多くなる」。
(イザヤ48:17,18)
本当に人間の造りをご存知である方に教えてもらいその道を歩むのならば、私たちはしっかりと子どもを育てていくことができるのです。
ではベストを尽くして子どもを育てるためのどんな指針をエホバは親に与えてくださっているのでしょうか?
まず親としての責任を理解していなければならないということを、エホバは教えてくださっています。
親にはどんな責任があると聖書は述べているでしょうか?
「子供はエホバからの財産,子は神からの贈り物。
若かりし時の子供は,靱な人の手にある矢のようだ」。
(詩編127:3,4)
私たちは自分で生命を作り出すことはできません。命の源はエホバです。
ですから子供は貴重な託された「財産」であると述べられています。
皆さんは、貴重な財産を預かったならばどうするでしょうか?
それを本当に大切に扱うのではないでしょうか。
またそれを託した人は、それをどのように扱っているかまた大切にしているかということに注目するのではないでしょうか。
エホバも、親が子供たちをどのように育てるか、その命と将来に深い関心を持っておられるということがこの聖句からわかります。
エホバからの財産ですから、親はエホバの前に子どもをどのように育てたか明らかにする責任があるということをはっきりと認めておかなければなりません。
子供を産む親は、大きな責任を引き受けてそれに応じて育てていく務めがあります。
「もしもある人が,自分の家族,特に一緒に住んでいる人たちに
必要な物を与えないなら,
クリスチャンの信条を否定していることになり,
信仰のない人より悪いといえます」。
(テモテ第一5:8)
親には基本的に必要なものを備える務めがあるのはよく知っていることです。
衣食住とか健康管理とかですね。
しかしそれだけで子供が順調に成長するわけではありません。
エホバが求められておられるのは、それだけではありません。
聖書に対する洞察という本によればこの聖句は、初期クリスチャンの歴史を調べてみると、クリスチャンとしての教育、聖書教育とも関連付けられていました。
ですから、ただ必要なものを備えるだけではなく、神との関係も含められてくるということを親たちに教えています。
子供はエホバから託された財産です。
ですからエホバは、親が子供とご自分との関係についてどう育てるかといったことにも深い注目をされておられることかがわかります。
さらに聖書では、親たちにその点をこのようにアドバイスを行っています。
「私が今日命じるこれらの言葉があなたの心に入っていなければなりません。
あなたはその言葉を自分の子にしっかり教え,
家で座るときも,道を歩くときも,寝るときも,
起きるときもそれについて話さなければなりません」。
(申命記6:6,7)
ですから親に対し、子供と意思の疎通を図りながら、毎日絶えず子供に対してエホバについて教えることを求めておられる事がわかります。
私たちは本当に忙しい生活を送っているので、時間の点で余分を取り分けるというのは難しい方がおられるかもしれません。
限られた時間を意味あるものとして考え、よく計画したそのひとときは価値のある時間になるというクオリティータイムという見方があります。
短い時間であっても、クオリティタイムをとって子どもに定期的に教えていくならば、エホバとの親しい関係を築くことが今でもできるでしょう。
そして聖書に記されている様々な特質、愛や忍耐や親切を親が取り入れて家庭の中で示していくのならば、家庭は温かくて穏やかなほっとできる場所になるのではないでしょうか。
そうするのならば、子供はさらによく学ぶことができるでしょう。
本当に温かい雰囲気のリラックスした中で、親も子供も楽しそうに学べる時間を設けて子供を教えること、また親が努力をすることをエホバは求めておられます。
そうするならば、子供はのびのびと育つでしょう。
確かに今の時代、夫も妻も様々なストレスと戦いながら生活し、子育てに奮闘しておられます。
また難しい状況で1人親で生活し子供を育てておられる方々もおられます。
他の方々に助けてもらいながら、実際的に生活を送っておられるかもしれません。
しかし子どもを育てるという親に与えられている責任、これは誰もが肩代わりすることができるものではありません。
親にエホバが与えてくださってるものです。
その責任をしっかりと認識していなければなりません。
父親や母親が果たす役目を聖書はどのように教えているでしょうか?
「父親は,子供をいら立たせないようにし,
エホバが望む指導と助言によって育ててください」。
(エフェソス6:4)
エホバは父親が率先して、エホバの望む指導と助言を神の模範に従って与えなさいと述べています。
ですから子供をきちんと躾ける主な責任が父親にあるということをよく理解していなければなりません。
またエホバは様々な模範を示してくださっています。
その中でも特に際立ったものは子供に対する愛ではないでしょうか。
愛を感じているだけではなく実際に愛を示してそれを伝わるようにされたのではないでしょうか。
例えばイエスに対して何度も「愛している」と天から語りかけられました。
そしてイエスを愛していること支えていることが実際にわかるように、様々な方法取られました。
その結果イエスは、自分に対するエホバの愛を全く疑わずに信頼することができました。
ですから父親は、子供に愛していることを知らせるのを躊躇わないようにし、個人的な関心を示して認めていることが感じられるように、そしていつも味方であるという事がわかるようにしなければなりません。
そのように努力して子供の自尊心を育てて、子供が父親に愛され守られていると感じるように努力する責任があります。
では、母親に対してはどうでしょうか?
「乳児を優しく世話する母親のように,穏やかに皆さんに接しました」。
(テサロニケ第一2:7)
子どもに対する母親の特徴を表す言葉をここで引用しています。
母親は子供を世話する義務があるとはいえ、そのためだけに子供を世話するのでしょうか?
自分の子供を慈しむ気持ちから、大切に思ってそして喜んで多くの犠牲を払うのではないでしょうか。
そして母親、女性に見られる特徴はきめ細やかさではないでしょうか。
子供の必要を顧みて、本当にきめ細かく世話をし、温かく包み込む力が女性にはあります。
聖書の格言の中では、父親と一緒に母親も教えるようにと述べられています。
一般に考えてみると、父親よりも母親と子どもが過ごす時間の方が長いのではないでしょうか。
ですから、沢山のことを子供に教えることができます。
子供が最初に覚える言葉や話し方は普通、母親の話し方を真似るといいます。ですから、最初に習得する言語を母語と言いますね。
母親の果たす役割というものは本当に多岐に渡っています。
子どもの健康や教育、個性を伸ばすこともそうですし、精神的な安定を守る面での大切な役割があるということをぜひ覚えておくことにいたしましょう。
家族の形は父親と母親の両方いる家族だけではありません。
1人で子育てしている場合は特有の難しさがあります。
子供にとって母親であり、 父親でなければならないからです。
それは誰にとっても容易な務めではないです。
しかしエホバが助けてくださるならば、きちんと育てることができます。
両手に皆さんたくさんの荷物を持っていて、自分の家が8階にあるとします。
帰る時、正面にはエレベーターがあり横には階段があります。
皆さんでしたらどちらを選びますか?
体力に自信があるのならば、階段を上って8階まで行くかもしれません。
そうすると何回かしてるうちに体力が本当になくなって疲れ果ててしまうのではないでしょうか。
続くことは決してありません。
エホバに助けを求めることができるのに、1人で全てを担おうとするのならば、長く持たすことができません。
エホバは私たちを顧みて荷を負ってくださると約束してくださっています。
実際にそのための備えも与えてくださっているのではないでしょうか。
聖書の中には、様々な場面に役立つ、荷を負い過ぎようにという原則がたくさん与えられています。
時間の使い方や金銭の使い方、子供の教育に関しても述べられています。
そして会衆には、長老や親として経験のある仲間たちも備えてくださっているのではないでしょうか。
一人親でも1人ではありません。
熱心になってエホバに助けを求めて聖書の原則を当てはめ、仲間に協力していただくならば、そしてエホバを全く信頼するのならば、一人親であっても、エホバに従って育てていくことができます。
そのように自信を持つことができます。
ステップファミリーの場合はどうでしょうか?
感情的な動揺や、どちらの親についたら良いのかとか、相手の子供に対する妬みや憤りという気持ちも子供たちは持つようです。
夫婦はその点で気づかない場合が多いようです。
聖書はその点でどんなアドバイスをしてくださっているでしょうか?
エホバはこのような模範を示してくださっています。
「神は不公平ではないからです」。
(ローマ2:11)
一方を贔屓するのではなく公平に扱うこと。そうする事柄がここでは求められています。
他にも聖書に記されている人間関係を円満にするための様々な特質があります。
思慮深く行動すること、また良い特質を身につけてそれを発揮する時に幸福な家庭生活が送れるからです。
ですからどんな家族にとっても成功となる聖書に収められている特質、特に愛を注目しそれを培うようにしていく事柄が重要と言えるでしょう。
愛を持って公平に扱うのならば、積極的な見方ができ辛抱強くできます。
相違を和らげて個性の異なる人たちを一致させることができるに違いありません。
そうするとステップファミリーでも何でも話せる雰囲気を作ることができるのではないでしょうか。
確かに新しい環境に馴染むのには時間がかかります。
けれども焦らないでそうしていくのならば、良い結果を刈り取ることが必ずできるでしょう。
ここからはどんなことを教え子どもを育てていくべきか、聖書からのアドバイスに注目してみることにしましょう。
それは、愛の気持ちから教えしつけるということです。
子どもの訓練はどれほど早くから行うべきでしょうか?
聖書の中で、この子どもの訓練について褒められる模範としてユニケが挙げられています。
ユニケの子供であるテモテについて「幼い時から聖なる書物に親しんできました」と、述べられています。(テモテ第二3:15)
ギリシャ語の意味を考えてみると、「幼い時」というのは新生児や胎児を表しています。
この幼児期が重要なのはなぜでしょうか?
幼児期開発のためのケア計画ガイドという本にはこのように述べられていました。
「脳の成熟に関して言えば、生後数ヶ月は非常に重要な期間である。この期間にシナプス(学習を可能にする結合部)の数は通常の20倍に増加する」。
ですから知的な面での発達を遂げるこの短い期間に、考えや価値観を子供に教え込む事が大切だということがよくわかります。
では何を教えたら良いのでしょうか?
それは健全なモラルを教えるということです。
それはなぜ大切なのでしょうか。
モラルを身につけるのならば、正しいことと悪いことをしっかりと見分けることができるよう子供を成長させることができるからです。
その場の感情に流されずに行動できるように、たとえ人が見ていなくても行動できるように成長させることができるからです。
なぜそれが今重要なのでしょうか?
モラルに関する間違った情報が本当に溢れているのではないでしょうか。
子どもたちは、学校の友達やインターネットやソーシャルメディアから良くない影響を本当にたくさん受けています。
モラルの低下した社会で今、子どもたちは生活しています。
多感な時期に自分の子どもたちが、モラルの低下した中で育つのならば、そういった人たちから影響を受けるならばどうでしょうか。
正しいことと悪いことの区別もつかないような状況になるのではないでしょうか。
それで成長することを考えて、正しい決定ができるように、子どもたちを早い段階から教え始めることが本当に大切です。
では、どうやって教えることができるのでしょうか?
ヘブライ5章14節の中で「十分に成長した人」は「識別力を訓練したので正しいことも悪いことも見分けることができ」るようになるとアドバイスを与えています。
識別力をどうやって訓練したらいいのでしょうか?
1番簡単な方法はモラルを言葉で教えるという方法です。
日常の様々な出来事を比較して、例えば、これは正直なことあれは不正直、これは誠実なことそれとも不誠実なこと、これは親切それとも親切なこと、といった言葉で対比させて教えていくこと。
またある行動がなぜ正しいなぜ間違っているかという説明を加えていくのも大切です。
例えば、正直が1番というけど、どうしてだと思う?嘘をつくとなんで友達から嫌われるの?どうしての盗むのはダメなのかな?と、子供が自分の頭で考えられるように助けていくという方法です。
そうするならば、自分の中でモラルが子供の中で成長して、正しいことと悪いことが判断できるようになっていくに違いありません。
さらに、モラルを守るメリットというものもぜひ強調していくことにしましょう。
この点で子供を教える際に役立つ聖書からの情報が jw.org には本当にたくさん載せられています。
気になるトピックや、また検索で項目を入れるならば、すぐに役立つ情報が出てくるので、是非役立ててください!
では、どのように育てていくことを聖書はアドバイスしているでしょうか?
「父親がかわいいわが子を戒めるように,
エホバは愛する人を戒めるからである」。
(格言の書3:12)
子供をきちんと躾けることの重要さが載せられています。
しつけるとはどういったことを表しているでしょうか。
それは優しく教えたり、訓練したり、どこが間違っているかを言って聞かせたり、時には失敗から罰を与えて学ぶことが含まれています。
罰や懲らしめが含められますけれども、これは決して叩いたりする事を表しているわけではありません。
これは知識や知恵また愛に基づいて教えることと関係しているからです。
母親は家の中でボール遊びをしちゃダメよ!何かを壊しちゃうからと言いました。
しかし男の子はそれでも無視してボール遊びを続けて、花瓶を割ってしまったとします。母親はどうするでしょうか?
普通の親でしたら感情的に何やってんの!言ったじゃない!なぜ守れないの!と怒るかもしれません。
しかし、矯正するために教えることと罰を与えることの両方があるということを考えるなら、
まず男の子にしたことがなぜいけないのかをここで話し、親が作った決まりをきちんと守る理由があったことを説明して、親に従うことの大切さを子供に教えその後適切な罰を与えるかもしれません。
例えばボールを取り上げて、暫くボール遊びができないようにします。
そうするなら、親に従わないならばどういった事柄を刈り取るのかということもよく理解することができたでしょう。
エホバが愛の気持ちから私たちを教育してくださるのと同じように、子供にも感情に流されずに懲らしめ、教えを与えていくことにしましょう。
その点で、一貫性を持ってあたる事が求められています。
子供は親の様子をいつも見ていて、それを真似るからです。
確かに親に求められることは大きくたくさんあります。
完璧な親はどこにもいません。
しかし人間の創造者であり、子育てについて1番よく知っておられるエホバの指針に従っていくなら、子供が一人前になるよう育てる努力を、エホバは必ず祝福してくださるに違いありません。
子どもが立派に育つのを見て、親は大きな喜びを感じるに違いありません。(格言の書23:24,25)
5人の子供を育ててある父親はこのように述べています。
「親として成功するにするのに必要なのは、血と苦労と涙と汗です」。
妻も同意見です。しかしこう付け加えています。
「今の時代に子供を育てるのは容易なことではありません。でも子供たちが責任能力のある大人として成長していくのを見れば、その苦闘はするだけの価値が十分にあります」。
託された財産である子供をエホバの方法で育てていくならばどうでしょうか。
本当に満足感を味わえるのではないでしょうか。そしてエホバからよくやったという褒め言葉も得ることができるでしょう。
では、エホバの方法でぜひこれからも子供を育てていくことにいたしましょう。