『世の人々』のようではなかったキリストに倣いましょう

パリ・オリンピックも終わり、人々の関心も国内の
色々なスポーツに向くようになっていますが、皆さんは如何でしょうか。

もし何かのスポーツで成功したいと思うならば、自分だけの力で
試行錯誤を繰り返してトレーニングをすれば上手く行くと思うでしょうか?
恐らくそうではないと思いますね。
その分野で成功して、しかも名のある人となっている人に
コーチに付いて教えてもらえば成功の近道になるのではないかと
考えるのではないでしょうか。

同様に、この世の人々のようではなかったという点で成功して、
名のある人となると、それはイエス・キリストということになります。
ですから、この世の人々のようではないという点で成功するためには、
イエスの手本に倣うことが1番の道といえます。

「私が世の人々のようではないのと同じように,
 彼らも世の人々のようではありません」。
  (ヨハネ17:16)

世の人々のようであってはいけないのはなぜなのでしょうか。
世の人々とは、神に仕えてない人という意味になるでしょう。
この世の中は誰がコントロールしているのでしょうか?

「私たちが知っている通り,私たちは神から出ていますが,
 全世界は邪悪な者の支配下にあります」。
 (ヨハネ第一5:19)

ですから、全世界のコントロール者は悪魔サタンということになります。
私たちのこの世界の背後には、サタンが糸をを引いてるということですね。
サタンは自分の考え方とかまた性質に人々倣わせようとしている、
そういう力がこの今の世の中に満ちていると言えるのではないでしょうか。
聖書の中にあるエホバの基準と正反対のことをさせようと人々をそういう力がしているので、世の人々のようになってはならないとイエスは教えられました。
ですから何もしないならば、世の人々のように神に仕えないという
サタンの意のままに生活するようになるということです。

私たちはそういう状態の中に住んでいるので、
世の人々のようにならなかったイエスの模範に倣うということは、
本当に大切なことと言えるのではないでしょうか。
では、イエスはどういう方なのでしょうか?

「イエスは,人々が自分を王にするために捕らえに来ようとしているのを知り,
 ただ独りで再び山に去っていった」。
 (ヨハネ6:15)。

イエスは政治に関わらなかったということになるでしょう。
ですから、私たちも政治に関わらないようにしたいと思います。

「しかしイエスは言った。
『キツネには穴があり,鳥には巣がありますが,
 人の子には自分の家がありません』」。
  (マタイ8:20)

ここから所有物といったものをイエスは多く持たなかったことがわかります。
ですから、私たちも神の王国を第一にして、
今あるもので満足するような自己訓練をする必要があるでしょう。

「私はもうあなたたちと多くは語りません。
 世の支配者が来ようとしているからです。
 もっとも,その者は私に対して何の力もありません」。
  (ヨハネ14:30)

イエスは世の風潮に流されなかった影響を受けなかったということです。
私たちもこの世や世のものを愛さないようにする必要があるでしょう。
サタンは何度もイエスを誘惑しました。
でもその都度、イエスは毅然としてそれを退けたわけです。

例えば肉の欲望という手段を用いて、イエスを誘惑しました。
イエスが40日40夜断食をした後、非常にお腹が空いてる時にサタンは
「あなたが神の子なら、その石にパンになるように命じなさい」と言いました。
奇跡を起こす力を用いれば石をパンにできたかもしれませんが
利己的な目的でそういう奇跡の力を使うのは間違っていることを
よく理解していましたのでそうしませんでした。
人はパンだけで生きるのではないと書いてありますという風に
聖書の言葉を使ってサタンの誘惑を退けたわけです。
ですから私たちも何か欲求が起きた時に、欲求のまますぐ
行動してしまわないようイエスの模範に習う必要があるでしょう。

また別の時に目の欲望によってイエスを誘惑しようとしたことがありました。
多くの栄光の幻をイエスに見せて、もし1度の崇拝を私にするならば、
この栄光を全部あなたにあげましょうと誘惑したわけです。
イエスは、崇拝しなければならないのはエホバ神であって、その方だけに
神聖な奉仕を捧げなければならないと述べ聖句を使って退けました。
本当に良い模範ではないでしょうか。

他にもたくさんの誘惑があります。
例えば、奇跡などを使ってもっと自己アピールするように誘惑したわけですけど、
イエスは乗りませんでした。
ですから私たちも聖書の言葉をよく思い起こして、
それに基づいて行動するように励まされるのではないでしょうか。
またイエスは、よく聖句を使ってサタンの誘惑を退けましたので、
私たちも聖句によってサタンの誘惑と戦って退けるように
自己訓練する必要があるかもしれません。

「もし世の人々があなたたちを憎むなら,
 あなたたちを憎む前に私を憎んだということを思い出しなさい。
 あなたたちが世の人々のようだったら,世から好まれることでしょう。
 ところが,あなたたちは,私が世から選び出し,
 世の人々のようではないので,世から憎まれます」。
  (ヨハネ15:18,19)

世の人々のようでならば世から憎まれるとイエスは言われました。
また憎まれても世を征服できると教えられました。

「これらのことを言ったのは,
 あなたたちが私によって平和な気持ちになるためです。
 あなたたちは世で苦難に遭いますが,
 勇気を出しなさい! 私は世を征服したのです」。
  (ヨハネ16:33)

「世を征服した」というのはどういう意味でしょうか?
もちろん、武力によって征服するという意味ではありません。
これは世の人々のように高慢になってはいけないということです。
謙遜さを示して世の誇りを征服するという意味になります。
イエスはご自分の弟子たちに、謙遜さを示して喜んで人々に仕え
人々のために働くように教えられました。

そういう謙遜さを示して世の行為を征服するというのはそう簡単ではないですね。
例えばイエスが弟子たちと最後の食事をした時、
色々良いことを教えていたのに弟子たちは、
11人の中で誰が1番偉いのだろうかという激しい論争をしたと記録されています。
こういった点からしますと、私たちは世の中で脚光を浴びたい
という気持ちに負けないようにしなければならないでしょう。

使徒パウロは真のクリスチャンの迫害者でした。
非常に良い生まれ家柄で、ガマリエルによく教えられて非常に知識があり、
ヘブライ語とギリシャ語に堪能であったようです。
ローマ人の市民権も持っていて、人も恨むような能力もあるし恵まれた状況で、
ずっといけばユダヤ社会で富と名声は間違いなかったという感じでした。
でも途中でエホバとの絆が最も大切だという見方に変わったわけです。
それはどうしてなのでしょうか?
まず聖書の正確な知識を得たということがあります。
そして贖いの価値も認められるようになり、真のクリスチャンとしての奉仕、
あるいは天での命といったものを価値があると認識するようになったわけです。
それで富と名声といったものよりもエホバとの良い絆を維持する
ということが大切だという風に変わったわけです。

では皆さんは同じ思いでしょうか。
もしそうなら、今から100年後あるいはもっと先から過去を振り返って、
自分は本当に間違いなく正しい決断決定をしたことになるのではないでしょうか。
ですから特に若い方々は、結局は成功とは何かということですが、
世の者となりかねないようなこともありますので、
スポーツ選手とかまた芸能人に夢中にならないようにしたいと思います。

さらにイエスは、他の方をに憎まないようにといったことも教えられました。
今の世の中はどうでしょうか?
恐れとか無関心そして偏見といったもので満ちているのではないでしょうか。
色んな国が分裂している状況ですけども、真のクリスチャンはどうでしょうか?

「私はあなたたちに新しいおきてを与えます。
 それは,互いに愛し合うことです。
 私があなたたちを愛した通りに,あなたたちも互いを愛しなさい」。
  (ヨハネ13:34)

真のクリスチャンの間では、互いへの愛が満ちているのではないでしょうか。

「しかし私は言います。
 敵を愛し続け,迫害する人のために祈り続けなさい」。
  (マタイ5:44)

一般の見方をすると、敵は憎むのではないかと考えますけれど、
イエスは愛しなさいと述べられました。
これは天の父エホバを見習いなさいということです。

「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ,
 正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるのです」。
  (マタイ5:45)

ですから、エホバに倣うようにとイエスは教えられました。
では、世に影響されないためあるいは世を征服するために、
何が必要だと思われるでしょうか?

「神を愛するとは,神のおきてを守ることです。
 神のおきては重荷ではありません。
 神から生まれた人は皆,世を征服するからです。
 そして,世に対する勝利をもたらすのは,私たちの信仰です」。
  (ヨハネ第一5:3)

世の影響を受けずに世を征服するためには信仰が必要だとあります。
その信仰というのは「重荷ではありません」と述べられています。
これはどういうことでしょうか?

例えば、幼いお子さんはお父さんが大好きです。
ですから、何かプレゼントしようかなと考えます。
お父さんは何あげても喜ぶのはわかってるので、
絵を描いてみようということで描き始めました。
簡単に書けないので時間がかかり、あっという間に時間が経ってしまいます。
でも大変だとは思わないわけです。
お父さんを愛しているので、あげると喜ぶとわかってるので、
重荷だと思わないということです。
私たちも天の父エホバを愛しているので、信仰を培うとか神のために
奉仕するといったことは本当に喜ぶというのはわかってるので、
重荷だと思わないということではないでしょうか。

イエスに従う人たちは、今イエスが天で王として仕えていると信じている必要があるでしょう。
そして間もなくこの王国が、今のどうしようもない本当に悪い世の中を
終わらせるということも確信している必要があるでしょう。
もしそういう確信をしているならば、
イエスの命令や神の命令に従いやすくなるのではないしょうか。
従っていきたいという決意も強まるのではないでしょうか。
そして、今の世の中の考え方、見方、行い方に流されないで済むでしょう。

最後に、今の悪の中が間もなく終わるということについて考慮したいと思います。

「私がさらに見ていると,
底知れぬ深みの鍵と大きな鎖を持った天使が天から下ってきた。
その天使は,あの初めの蛇である竜,悪魔サタンを捕らえて,
1000年間動けないように縛った。
そして竜を底知れぬ深みに投げ込み,そこを閉じて封印し,
1000年が終わるまで竜がもはや人々を惑わさないようにした。
その後,竜はしばらくの間解放されることになる」。
(啓示の書20:1-3)

ですから、サタンの影響力はなくなることが分かるのではないでしょうか。

「さらに,世も,世の欲望も,過ぎ去りつつあります。
 一方,神の望むことを行う人は永遠に生きます」。
  (ヨハネ第一2:17)

確かに今の世はは完全に終わるということがわかるのではないでしょうか。
そうであれば、エホバに喜ばれることを行うように決意いたしましょう。
そうすれば今の世の中に影響されないよう必死になって戦っていた日々は
過去のものとなるでしょう。

パリオリンピックは終わって、今度はロサンゼルスオリンピックです。
いい成績を収められなかったり入賞とかメダルを逃した選手たちはもう、
コーチについてもらって、今度は金メダルを目指して頑張ってトレーニング始めているかもしれません。
私たちは何を目指すのでしょうか?
最高のコーチとも言える世の人々のようでなかったイエスの指導と手本に倣って
永遠の命を目指して歩いてまいりましょう。