自分の好きなように生きるという考え方が広がっています。
確かに、誰も人に自分の人生を決められたいと思いません。
自分の意思で生きていきたいと考えるのは自然なことではないでしょうか。
とはいえ今の世の中では、神のことなど全く考えないで、
自分勝手に生きようという態度が広く見られています。
その態度は、神に反逆した天使、悪魔サタンから始まって、
私たちの住む社会に深く浸透しているからです。
聖書のエフェソス2章2節では、そのサタンの精神態度が「空気」に例えられています。
文字通りの空気が私たちの住むどこにでもあるように、
自分の好きなように生きるという精神態度も、私たちの住む社会に深く浸透しています。
その結果多くの人は、誰にも指図されたくないとか、
自分の権利を勝ち取ろうという態度を示しています。
権威に反抗したり、勝手気ままに生きようとしたりしています。
結果を考えずにしたいことをしようとする人々もいます。
皆さんどう思われるでしょうか?
自分のためだけに生きることは、本当の自由や幸せにつながると思われますか?
神の言葉聖書は、人生に2つの生き方しかないことを知らせています。
1つは、自分のためだけに生きるという生き方。
もう1つは、神に喜んでもらえるように生きるという生き方です。
今日は、神に喜んでもらえるように生きるために何ができるか、
聖書を開いて考えてみたいと思います。
聖書を調べていくと、神とイエスの助けがあって初めて本当の自由が得られることがわかります。
多くの人は自分は自由だと思っていますが、実はそうではありません。
どういうことでしょうか?
人間はみんな生まれつき悪いことをしてしまう傾向があります。
ボールが坂道を自然に転がっていってしまうかのように、
誰かの助けがなければ、罪深い傾向へと誘われてしまうということです。
この状況が非常に深刻であることについて、聖書は次のように述べています。
「皆さんは次のことを知らないのですか。
自分を奴隷として誰かに差し出して従うなら,
従う相手の奴隷になります。
罪の奴隷となって死へと導かれるか,
従順の奴隷となって正しいことへと導かれるか,
どちらかなのです」。
(ローマ6:16)
奴隷という言葉を聞いて、どのように感じられるでしょうか?
多くの方は不快に思われるに違いありません。
主人に束縛されていて自由ではないからです。
でも今読んだ聖句では、私たち人間が罪の奴隷となって
死へと導かれてしまう状況であると教えてくれています。
多くの人は、自分が罪に縛られているという意識を持っておられないかもしれません。
自分が罪人として生まれた、罪を受け継いでいるという意識を持っていないということです。
自分が間違いをすることや好ましくない傾向を持っていること、
また何度か悪い行いをしてしまったこと、
他の人も同じ状況であるということに気づいています。
しかし、なぜ自分も他の人もそういう状況なのかを十分に理解していないということです。
罪人と聞くと、犯罪者か規則を破った人をイメージする方も多いことでしょう。
聖書は罪とは何かについて教えてくれています。
聖書によると、神によって創造された私たちの先祖アダムは、
元々悪い傾向を持っていなかったことを教えてくれています。
神に従っていればいつまでも暮らすことができたのです。
しかしアダムは神に従う生き方ではなく罪の奴隷になる道を選びました。
その結果、アダムは永遠に生きることができなくなりました。
それだけではありません。
アダムのせいで人類は皆、神の願いから外れたことする傾向を持ち、
やがては死ぬようになりました。
これが罪の奴隷であるということです。
この罪の奴隷から自由になることはできるでしょうか?
創造者エホバ神は、人類を深く愛しておられます。
それで悪いことをする傾向に縛られてやがて死ぬしかない
奴隷のような人類をなんとか自由にしてあげたいと思いました。
そのために必要な代価として、最愛の子イエスの命を差し出してくださいました。
「罪の代償は死ですが,
神が与える贈り物は,
私たちの主であるキリスト・イエスによる
永遠の命なのです」。
(ローマ6:23)
罪の奴隷から解放するため、エホバは最高の贈り物をくださいました。
それはキリストによる永遠の命とあります。
イエスの完全な命という代価が支払われることによって、
神の願いから外れたことをしてしまう私たちを許して、
奴隷状態から自由にすることが可能となりました。
これは愛の備えです。 この備えについて信じることはとても大切です。
なぜならエホバとイエスの助けがあって初めて、私たちは本当の自由が得られるからです。
この備えはどれほど素晴らしいことでしょうか?
大きな会社の経営者が、会社のお金を不正に自分のものにします。
その行動によって会社は大きな負債を抱え、倒産に追い込まれます。
従業員たちは職を失って、生活費を払うことができなくなってしまいます。
1人の人の不正行為によって、多くの人が苦しむことになるのです。
それを知った親切な男性が、苦しむ従業員たちのことを気の毒に思い、
会社の負債を全額支払って、再び会社を経営できるようにしてくれます。
負債が帳消しになったことによって、従業員とその家族みんなが救われます。
アダムは不正を働いた経営者のようです。
神に反逆し、罪という莫大な負債を孫に負わせました。
イエスは負債を支払った親切な男性のようです。
完全な人間としての命を差し出すことによって罪を帳消しにし、
人間が再び永遠に生きることができるようにしてくれました。
エホバとイエスの助けがあって初めて本当の自由が得られることがわかります。
エホバとイエスの愛により、罪と死の束縛から解放されて、
いつまでも幸せに生きる見込みが開かれたのです。
神とイエスのおかげで本当の意味で自由が得られることを知ると、
私たちはどんな気持ちになるでしょうか?
自分の好きな生き方ではなく、神の喜ぶ生き方をすることによって
感謝を表したいと思うことでしょう。
毎日の生活の中で、エホバに喜ばれることをしようという気持ちになるに違いありません。
「キリストの愛が私たちを駆り立てるのです。
私たちは次のように考えているからです。
1人の人が全ての人のために死にました。
ということは,全ての人は死んでいたのです。
その方が全ての人のために死んだのですから,
生きている人たちはもはや自分のために生きるのではなく,
自分のために死んで
生き返らされた方のために生きるべきです」。
(コリント第二5:14,15)
エホバとイエスのおかげで、罪の奴隷から自由になり、
いつまでも幸せに生きる見込みを取り戻すことができました。
この深い愛について考えると、感謝の気持ちが芽生えてくるのではないでしょうか。
私たちはどのように動かされますか?
「もはや自分のために生きるのではなく、自分のために死んで
生き返らされた方のために生きる」とあります。
自分のためだけに生きるのではなく、神に喜んでもらえるように生きよう
という気持ちになるのではないでしょうか。
神に喜んでもらえるように生きるには何ができるでしょうか?
神が喜ぶ生き方をするには、
これからはあなたのために生きていきますと約束し、
バプテスマを受けてエホバの証人になることが大切です。
聖書の勉強は好きだし、エホバの証人と一緒にいると楽しいという方もいらっしゃることでしょう。
しかしそれだけでは エホバを十分に喜ばせることはできません。
私たちはエホバとイエスの愛に感謝しています。
愛していることを言葉だけではなくて、行動によって表したいと思うことでしょう。
本当に愛し合っている男女が結婚するように私たちもエホバを愛しているので、
エホバに献身してバプテスマを受けたいと動かされます。
ではどうすれば、献身してバプテスマを受けることができるでしょうか?
まず初めに、聖書レッスンや集会に出席することによって、
エホバについて学んでエホバを愛しイエスに信仰を持たなければなりません。
聖書の基本的な教えを理解することによって、
エホバに喜ばれたいと思うようになるまで聖書を学んでいく必要があります。
これまでにしたことを心から反省して、悪い行ないをやめる必要があります。
バプテスマを受ける前に、聖書の中で示されている教えに従って、
「悔い改めて生き方を変え」ていく必要があります。
(使徒3:19)
そのようにして、エホバの教えに従って生活するようベストを尽くします。
さらに神のために生きると約束した人は、
自分よりも神が喜ぶことを生活の中で優先します。
「誰でも私に付いてきたいと思うなら,
自分を捨て,苦しみの杭を持ち上げ,
絶えず私の後に従いなさい」。
(マタイ16:24)
神が喜ぶ生き方とは「自分を捨て」て、イエスの教えや手本に従う生き方であることがわかります。
「自分を捨て」という言葉は自分に対する所有権を神に渡したりする気持ちを表し、
自分の欲望、大望、利便性に「いいえ」ということを含みます。
https://wol.jw.org/ja/wol/b/r7/lp-j/nwtsty/40/16…
ですから自分を捨てるという生き方は、
自分優先ではなく神優先の生活を送るということであることがわかります。
次にどのようなステップに進めるでしょうか?
エホバ神に祈りの中で「あなたのために生きます。
あなたの望むことを生活の中で最優先します」と約束することです。
そしてバプテスマを受け、約束がみんなに分かるようにします。
最初のステップは、エホバとイエスについてもっとよく学んでみるということでした。
バプテスマを受けるためには、聖書レッスンが必要です。
まだ聖書レッスンを受けたことがない方がいらっしゃるでしょうか。
お気軽にエホバの証人に近づいていただけたらと思います。
t.co/REdyiKUiXa
すでにバプテスマを受けている人も今目指している人も、
自分の欲求に決して流されないようにしたいと思います。
このサタンの世の中では、自分のために生きる、
自分の好きなように生きようという精神が際立っているからです。
2つの点に注目してみましょう。
1つは、性的に不道徳な行為を決してしないという点です。
「性的不道徳から逃げ去りなさい!
ほかの罪はどれも人が自分の体の外で犯すものですが,
性的に不道徳な行為をする人は
自分の体に対して罪を犯しているのです」。
(コリント第一6:18)
「逃げ去りなさい!」とあるので、性的不道徳への誘惑となりかねないものから
できるだけ遠く離れている必要があることがわかります。
聖書の中で示されている性的不道徳には、
姦淫、結婚していない男女間での性行為、同性愛行為が含まれています。
今日、性に関する人々の見方はどうでしょうか?
愛し合っていれば、好きな相手とだったら、
誰と性交渉しても構わないという人がほとんどかもしれません。
しかしエホバは私たち人間を創られ、何が最善かを知っておられます。
性関係はエホバからの贈り物です。
結婚している男女に性関係を楽しんでほしいと思っておられます。
ではどうすれば、性的不道徳から逃げ去れるでしょうか?
逃げ去るとあるので、断固とした行動を取る必要があるということがわかります。
自分にとってどんな弱いところがあるでしょうか?
そうしたところを知って危険を予測するようにしましょう。
どんな状況に自分を置くと、性的不道徳に誘われる危険があるでしょうか?
そうした危険に近づかないことによって、エホバを喜ばせていきましょう。
今日、何でも許容する態度が広まっていますので、
多くの人は同性愛についてあまり問題にはしません。
聖書の見方はどうでしょうか?
先ほども触れたように、エホバ神が男性と女性に創造されて、
夫婦間でのみ性的な欲求を満たすように造られました。
聖書が示しているように同性愛行為を避けることによって、
エホバを喜ばせることができます。
さらに、不道徳なことを考えたり行ったりしたくなるような
エンターテイメントや友達付き合いを避けることも大切です。
エホバを喜ばせるためにできる2つ目の点は、
お金持ちになりたい、あれもこれも欲しいという気持ちを育てないことです。
「裕福になろうとする人たちは,誘惑とわなに陥り,
多くの無分別で有害な欲望を抱き,破滅と滅びに至ります。
お金を愛することは,あらゆる悪い事柄の根なのです。
ある人たちはこの愛にとらわれて信仰を失い,
多くの苦痛を身に招きました」。
(テモテ第一6:9,10)
この社会では、 欲しいものを必要なものと感じさせます。
もっとお金があればこれを買えばあなたの生活の質が向上する、
ステータスが上がる、自分がどんな人かを示せるといったような
メッセージを常に浴びせかけているのではないでしょうか。
しかし聖書の言葉を見てみると、
お金や物に対する愛がとても有害であるということを教えています。
実際お金やものを重視しすぎるなら、友人や家族との関係
そして最も大切なエホバとの友情にひびが入ってしまいます。
それで聖書はお金を愛するのではなく、今あるもので満足しましょうと教えてくれています。
イエスが教えたように、神と富とに奴隷として仕えることはできない
というアドバイスを思いに留めて生活していきたいと思います。
そのようにして、 エホバに喜ばれることを行っていきましょう。
神に喜んでもらえる生き方をした一番のお手本はイエス・キリストです。
それでイエスと同じように、自分の時間や体力などを
惜しまず用いて他の人を助けるようにしましょう。
そのようにして、
エホバを喜ばせる生き方を追い求めていきたいと思います。
イエスに倣う1番良い方法はなんでしょうか?
それはエホバ神と神の王国について他の人に知らせることです。
イエスは人々を見て「かわいそうに思」いました。
人々が嘘を教えられて、宗教指導者たちから虐げられていたからです。
それでイエスは深い愛と思いやりに動かされて
人々に希望のメッセージを伝えるために奮闘されました。
(マタイ9:36-38)
私たちもイエスと同じように、人々への深い愛と思いやりに動かされて、
王国の良い知らせを伝えるためにベストを尽くしていきたいと思います。
会える人に聖書レッスンをお薦めしていきましょう。
私たちは引き続き、人々を助けたいという優しい気持ちで、
相手の身になってサポートしていきたいと思います。
優しい気持ち優しい行動優しい言葉によって他の人の助けになることによって、
イエスに倣いエホバを喜ばせていきたいと思います。
エホバとイエスが私たちのために何をしてくれたのかということを忘れないようにしたいと思います。
溺れて死にそうになっているところを誰かに助けてもらったとします。
皆さんはそのことをすぐに忘れてしまうでしょうか。
そんなことはないと思います。
助けてくれたことへの感謝を表したい!
その気持ちで毎日生活していこうという気持ちになるに違いありません。
エホバとイエスは私たちの命の恩人です。
神のおかげで生きていられること、
そしてイエスという最高の贈り物を通して将来に希望が持てることへの
感謝をこれからも深めていきたいと思います。
そのことを祈りでエホバに伝えることに致しましょう。
物事を決める時には、自分の好みではなく神の喜ぶことを優先していきましょう。
神に喜ばれる生き方をしていくなら、将来 どのような生活が待ち受けているでしょうか?
「しかし,今や皆さんは罪から自由にされて
神の奴隷になったので,
神聖な生き方という実を生み出しています。
行き着く先は永遠の命です」。
(ローマ6:22)
罪の奴隷は死へと至ります。
では、「神の奴隷」になるつまり神に喜ばれる生き方をすると将来どうなるとあったでしょうか?
「永遠の命」に行き着くとあります。
楽園となった新しい地球で、いつまでも幸せに暮らすことができるのです。
では、これからも神に喜んでもらう生き方をするために、
これからも共に励まし合いながら歩んでいくことに致しましょう。