今はストレスの多い時代と言われています。
コロナウイルスによって生活が一変した人々も多く、
鬱病になってしまったという人が多いという報告もなされています。
また日常の生活の中でSNSをよく利用し便利なものですが、
それを通してなされる誹謗中傷などが一般化して、
今までには感じたことのないストレスを抱えている人も増えてきました。
社会全体がストレスに満たされているような状態になってしまいましたので、
自分自身の感情をコントロールできず、
不安の捌け口として怒りを爆発させる人も増えているそうです。
虐待とか些細なトラブルが原因で簡単に人の命を奪ってしまう事件は世界中で増えています。
こういった様子を見て決して少なくない人々が、
人間自らの愚かな行動でこの世界が滅んでしまうのではないかと真剣に悩んだり不安に感じています。
今の世界はこれから先どうなるのでしょうか?
多くの人々はその答えがわからないので不安に感じています。
世界で1番読まれている書物の中に登場してくる
エホバという神が世の中に対して滅びをもたらすという言葉が聖書の中にあります。
聖書に親しんでいる多くの人たちがその言葉を見て、
これから先、神によって私たち人間は処罰されるのではないかと考えている人もいます。
では神は何を滅ぼすと言っているのでしょうか?
その滅びはいつ、どのように来るものなのでしょうか?
聖書に書かれているその言葉を紐解いていきたいと思います。
神を信じている人は少なくありませんが、今の世界の悪い状態を見て、
神はいるとは思うけれどもう人間には関心を持っていない、
滅びるとしても神はそこに介入されないと考えている人もいます。
エホバは人間に対してどのような見方を持っているのでしょうか?
「神はその目で見る。注意深い目で人々を調べる」
(詩編11:4)
「エホバの目はあらゆる所にあって,悪人と善人を見ている」
(格言の書15:3)
エホバ神は確かに人間に関心を持っておられて、
1人1人の様子を注意深く観察しているということがわかります。
人間が今置かれているその現状、多くの苦しみを味わっている人間を見て、
エホバはきっと心を痛めているに違いありません。
エホバはその現状を終わらせるために、
そういう状況を引き起こしている悪人と呼ばれている人たちに対して行動を起こされることが詩編の中に書かれています。
「非難されるところがない人に注目し,
正直な人に目を留めよ。
その人には平和な将来が待っている。
しかし,違反を犯す人は皆滅ぼされ,
悪人の将来は断たれる」。
(詩編37:37,38)
違反を犯す「悪人の将来は絶たれる」とはっきりと述べておられます。
これがエホバが悪いことをする人々に対するエホバの見方です。
しかし、今の世の中どうでしょうか?
悪人がやりたい放題で、世界中が混乱に巻き込まれているようにも感じます。
ではこれほど悪人が幅を利かせているのに、エホバはなぜ手を下さないのでしょうか?
そこには悪魔サタンが関係しています。
6000年以上前サタンはエホバだけが持っている権力を手に入れようと企んで、
最初の人間を騙してそれは成功し、人類を自分の配下に置くことになりました。
サタンはエホバの統治の仕方にクレームをつけました。
人間はエホバに従っていかなくとも、
その統治に頼らなくてもうまくやっていけると主張したのです。
エホバが正しいのか、サタンが正しいのか、
全ての者が納得できる答えを得るためにはどういう方法が1番良いでしょうか?
ある父親が別の父親にどちらが力が強いのかと言って挑戦したとします。
これはすぐに決着がつきますね。
大きな岩を持ち上げればわかることだからです。
より重い岩を持ち上げた人の方が力が強いということは、誰が見てもはっきりとした答えで、長くても1時間もあれば答えが出るでしょう。
ではどちらの父親の方が息子や娘を愛しているか、
また子供たちからも愛されているか
という挑戦がなされた場合はどうでしょうか?
腕力とか言葉だけで答えが出るものではありません。
解決するには、実際にやらせてみてその結果がどうだったかを見る必要があります。
そのためには時間が必要です。
ですからエホバが正しいかサタンが正しいかその答えを出すためには時間が必要だったということで、
今現在このような状況を敢えてエホバが許しておられるということです。
今の世界の状況を見てみるならば、
エホバにクレームをつけたサタンが間違っているという答えはもうすでに出ていると言えます。
注意深く人々をご覧になるエホバ神が、
良い人も悪い人も全て一緒に滅びるのを許すことはされないと考えるのは自然なことです。
エホバが終わらせるのは今の悪い社会です。
聖書にはエホバが行動する時、
「神への専心を示す人々」つまり神に従うことを自分のこの生き方としている人は救われて、
「正しくない人々」で構成される社会は取り除かれると書かれています。
(ペテロ第二2:6-9)
ノアの時代の大洪水の時、外にいないでたまたま箱船の中にいたから生き残ったという偶然性のものではありませんでした。
何をしないと助からないのかというのをエホバははっきりと示されて、
救われる者と救われない者をはっきりと意図的にエホバは分けられました。
聖書の中では、神エホバがそのような断固とした行動を取る時のことを「エホバの日」と呼んでいます。
「エホバは自分の軍勢の前で声を上げる。
その陣営には非常に多くの者がいる。
自分の言葉を実行する神は強い。
エホバの日は非常に畏るべき大いなる日。
いったい誰が耐えられるだろうか。
…太陽は闇に,月は血に変わる。
エホバの大いなる畏るべき日が来る前に」。
(ヨエル2:11,31)
「エホバの日」とは、エホバに敵対する人たちが滅ぼされ、
エホバを愛する人たちが救われる時のことを指します。
過去にもエホバはそのような行動を取られたことがありました。
例えば西暦前607年です。
繰り返し与えられていたエホバの助けを退けたエルサレムの住民に対してバビロニア人が攻めてきて、住民はその土地を出なければいけなくなりました。
また西暦70年、エホバは人類を救う手立てとして地上に遣わしたイエス・キリストを退けたユダヤ国民に対して、ローマ人を用いて裁きを執行されました。
これらの出来事から、エホバが地球上で起きている事柄を把握しておられて、
意図的に必要な行動を取るということがわかります。
過去にそのようなことをされただけではなく、これから先にもそのような行動を取られます。
つまり今の悪い世界を終わらせるために行動を取られるということです。
どのようにそれをなされるのでしょうか?
啓示19章11から16節を見てみると
「白い馬に乗っている者」とか、白い馬に乗っている者に従う「軍勢」についての記述があります。
この「白い馬に乗っている者」とは、神の王国の王となっているイエス・キリストのことです。
そしてキリストに従う「天の軍勢」というところがありますが
それは無数の天使たちや人間から選ばれて神の王国でイエスと共同統治を行う者がイエスに従うということです。
14節15節を見ると、キリストをリーダーとするその軍勢が
「国々を討つ」とか「鉄の杖を持って人々を処罰」すると書かれています。
勝ったどころか戦うという表現さえなされていません。
つまりこれはキリストとその軍勢の力が圧倒的なもので、
敵である悪い社会の勢力の抵抗も虚しくそれを取り除いてしまうことを表しています。
地上にいるエホバ神に従う人々にとってこれは本当に大きな慰めであり安心感になるのではないでしょうか。
この地球上にいるエホバに従う人々が、
自ら武器を取ってその敵の勢力と戦うことは一切ありません。
取り除くというその行為は全てエホバ神を筆頭にイエスやその軍勢が行うことです。
エホバが行動を起こされるこのエホバの日はいつ来るのでしょうか?
「それどころか,これは預言者ヨエルを通して言われたことです。
『神は言う。「終わりの時代に,私は聖なる力をあらゆる人に注ぐ。
あなたたちの息子や娘は預言し,若者は幻を見,老人は夢を見る。
その時代に,私は聖なる力を私の男奴隷と女奴隷にも注ぎ,彼らは預言する。
私は,上は天に不思議なことを,下は地にしるしを与える。
血と火と濃い煙である。太陽は闇に,月は血に変わる。
エホバの大いなる輝かしい日が来る前に。
エホバの名を呼ぶ人は皆救われる」』。
(使徒2:16-21)
ペテロがこの言葉を語ったのは、
エルサレムの一軒の家の中にいたイエスの弟子となった人々が、
エホバの聖なる力によって様々な言語でエホバについて語り始めた時のことです。
ペテロは今まさに起きている奇跡が「終わりの時代」の預言の成就だと説明しました。
ここで「エホバの日」に関連して「終わりの時代」というワードが出てきます。
その場に集まっていた様々な国から来た外国人は、
その出来事がエホバ神によるものだと知るとエホバを信じて、
その日のうちに3000人がクリスチャンになっています。
この「終わりの時代」の預言は、この1世紀に加えて現代にも適用されます。
奇跡によって別な言語をいきなり喋り出すことはありませんが、
様々な言語を話す世界中の人々がエホバに従う生き方を選んで、
エホバとこれから来る「エホバの日」について世界中で知らせています。
これはエホバの聖なる力がなせる業です。
なぜそう言えるでしょうか?
人々は長い歴史の中で、言語・環境・宗教・文化などの
違いによってバラバラになってきました。
その違いによる衝突によって戦争が繰り返されてきました。
その中でエホバに従う生き方を選んだ人たちは、
様々な違いを乗り越えて1つになって、世界中で神について知らせています。
これは実際に起きている紛れもない事実です。
今その活動を行っているグループはエホバの証人という名で知られています。
イエスは、私たちの住む時代が「終わりの時」である
ということを示す様々な出来事について預言しました。
西暦70年にエルサレムがローマ軍によって滅ぼされた時に、
預言は一部成就しました。
それはエルサレムの滅びる前の数十年間の間に実現しました。
聖書の言葉をと現代に起きている事柄を照らし合わせて
注意深く調べてみるならば、
現代の「終わりの時代」にその預言全体が実現しています。
ですから私たちは今すでに終わりの時代に生きている、
その最中にあるということがわかります。
イエスは終わりの時代を裏付ける様々な証拠が
世界的な規模であちこちで見られた後、
今まで起きたことがないような災いが起きると述べました。
それは「大患難」と呼ばれています。(マタイ24:21)
その大患難の最終部分で、
エホバに逆らう悪い社会勢力を取り除くために
エホバが行動を起こされると書かれています。
それはエホバが行動を起こされる正に「エホバの日」と言えます。
ですからこれから生じるエホバの日は、遠い将来ではなく
本当に間近に迫っていることがわかります。
エホバは全ての人間を何かリセットするようなことはされず、
悪い社会を構成する人々のみを取り除かれるということを理解できました。
エホバの証人は悪い社会が取り除かれるという聖書の警告を
熱心に伝えています。
興味深いのは、エホバの日が来た時の人々の反応です。
「しかし,エホバの日は泥棒のように来ます。
その時,天はごう音を立てて消え去り,
さまざまな要素は極度に熱くなって溶解し,
地とそこでの活動はすっかり暴かれます」。
(ペテロ第二3:10)
エホバの証人は世界中でエホバが行動されることを広めています。
それでも多くの人々はそれに耳を貸しません。
ですからエホバの日が来た時、
多くの人は家に泥棒が入った時のように、
予想外のことが起きたかのように感じます。
ですから、熱心に伝えられていても
それを聞いて行動を起こすことをしなければ、
やはりその人は救われないということになります。
救われるためには、エホバの証人が伝えている
神の警告の言葉に反応して行動を起こさなければなりません。
「エホバの名を呼ぶ人は皆救われる。
エホバが言った通り,
逃れた人たちがシオンの山とエルサレムにいることになる。
エホバが呼び寄せる,生き残る人たちである」。
(ヨエル2:32)
ここでは「エホバの名を呼ぶ」人たちが救われるとあります。
それは何をすることなのでしょうか?
エホバとの温かい個人的な関係を育んでそれを維持していくことが必要です。
聖書を注意深く研究して黙想して、そのアドバイスを生活に当てはめるとき、
生活のあらゆる場面で祈ってエホバの指導を求め、エホバの導きに従うなら、
エホバの名を呼んでいるということになります。
そうするなら、エホバが今の悪い社会を終わらせる時に守ってもらえます。
それは決して簡単なことではないかもしれません。
私たちはまだサタンの影響を大きく受けた悪い社会の中で生活している状態にあります。
神のことを意に返さない神を受け入れない神を信じることさえしない人々が殆どの中で、
エホバ神に従い続けるという生き方を、流れに逆らうかのようにしていかなければならないからです。
しかしエホバは人間にそして勿論ご自分に従う人々に深い関心を持っておられ、
いつもご自分の目で見てくださっているということです。
ですから私たちが助けを必要としている時には、エホバはすぐにそれに気づいて、
必要な助けを与えてくださることがわかります。
エホバの聖なる力によって、私たち個人では乗り越えられないような壁も乗り越えていくことができます。
個人的にエホバとの関係を築くことはとても大切ですが、
同じエホバに従う仲間をエホバは与えてくださいました。
仲間と支え合って、時には助けられ時には助けて共にエホバに仕えて前進していくならば、
それは本当に強い絆で結ばれた愛する仲間になります。
1人ではなく共にエホバに仕える家族とエホバに従う努力をしていくというのは、
とても大きな喜びなのではないでしょうか?
そういった仲間も、エホバが私たちに与えてくださっている聖なる力の一部ということができます。
では共に救われるために、これからもエホバの導きに従っていきたいと思います。
そのためには、私たちがエホバの名を呼ぶ必要があります。
エホバが私たちに関心を示しておられるように、私たちもエホバに関心を示して、
エホバの助けや導きというものを敏感に感じ取って、当てはめていきたいと思います。
そうするなら、私たちはエホバによって強められて、救われる者の1人になることができます。