神を信頼できるのはどうしてか

私たちは自分や自分の周りで起きている辛い出来事やニュースを聞くと、
これからどうなるのだろう、どうしたらいいのだろうと確実なアドバイスを求めるのではないでしょうか?
信頼できるよく知っている家族や友人にアドバイスを求めるかもしれません。
しかし世の中にはその逆で、人を信頼できないと感じている人々も大勢おられます。
なぜならば信頼しているとしても裏切られたり、また信用できない人が本当に多くいるからです。

そういった状況の中にあっても、
もっと確実な信頼できるアドバイスを与えてくださる方がおられるということを、
私たちは聖書から知ることができます。

「心を尽くしてエホバに頼れ。自分の考えに頼ってはならない。
 どんな道を行く時にも神のことを考えよ。
 そうすれば神が真っすぐに進ませてくださる」。(格言の書3:5,6)

不確かな人間ではなく、神であるエホバがご自分に頼るようにと勧めています。
では、エホバはどれほど信用できるのでしょうか?
頼ってよい方なのでしょうか?
エホバへの信頼をどのように示すことができるのでしょうか?
そのことを今日は考えていきたいと思います。

エホバを信頼できると言えるのはどうしてなのでしょうか?
エホバの性質についてしっかりと知って理解しているのならば、
エホバに頼れるという確信を持つことができます。
エホバには沢山のご性質があります。
そのうちのいくつかにポイントを当ててみたいと思います。

「天を見上げてみなさい。誰がこれらの物を創造したのか。
 星の軍勢を数え上げて率いている者である。
 その者は全ての星を名で呼ぶ。
 膨大な活力と驚異的な力を持っているので,一つとして欠ける星はない。
  …地の果てから果てまでを創造したエホバは,永遠にわたって神である。
 疲れ果てることも,弱ることもない。その理解力は計り知れない。
 神は疲れた人に力を与え,弱った人にみなぎる活力を与える」。
  (イザヤ40:26-29)

人は宇宙の星を全て数えることはできません。
科学者たちが一生懸命天の星を様々な望遠鏡で調べるとしても、調べ尽くすことができません。
天の川銀河1つを取ってみても、4000億個の恒星があると言われています。
その星1つ1つに名前を付けておられるということから、
エホバは命のない創造物にも深い関心を持っておられることが分かります。
そうであれば、愛に動かされて仕える人間に対しては、
はるかに深い関心を持っておられることを理解できるのではないでしょうか。

またエホバがどれほどの力を持っておられるかを感じることができます。
太陽は、世界中の人が必要とする20万年分のエネルギーを
毎秒放出していると言われています。
天体1個でさえ、途方もないその力を発揮させているエホバが、
それよりもエネルギーを持ったものを宇宙には沢山創造しておられて、
そのエネルギーを供給しておられます。

エホバがどんな問題でも乗り越えることができる力を持っておられるということを知ることができるのではないでしょうか。
これを考えてみると、砂にも等しい私たち人間にも必要な力を必ず与えてくださるという確信を持つことができます。
この無限の力があるので、
いつでもどんな状況でも私たちが助けを求める時に助けてくださるという保証を与えてくださっています。
力というエホバの性質を考えるだけでも、
頼れるすごい存在であるということを理解できるのではないでしょうか。

「エホバご自身が知恵を与えてくださるからである。
 神の口から知識と識別力が出る。
 神は正直な人のために,役立つ知恵を蓄え,高潔に歩む人のための盾となる」。
  (格言の書2:5,6)

エホバは誰でも進んで探し求める人に惜しみなく寛大にご自分の持っておられる知恵や知識や識別力をお与えになります。
ですからエホバについて研究すれば研究するほど、
生活を送る上で必要な様々な知恵や知識を蓄えることができます。
それはエホバが本当に最も良い判断を持っておられて、
最高のアドバイスを与えることができる方であることを示していると言えるでしょう。

聖書を紐解いてみると、直接的な答えもありますが、
直接的に書かれていない答えもあります。
エホバは原則を通して、良い判断や幸せな生活を送ることができるように聖書を調べ従う人たちに様々なアドバイスを与えてくださっています。
それによって何がベストかを人が知ることができ、
不確かな知識ではなくしっかりとした知識に基づいて正しい判断をすることができるように導いてくださっています。

エホバの持たれる公正さはどうでしょうか?
これは人を遠ざけるような冷たいものではありません。
私たちを引きつける温かいものです。
聖書を読むと、公正さを示す時にエホバはいつも愛や思いやりとのバランスを取ってくださることが分かります。
現代社会ではあらゆるところで不公正が見られている中で、エホバが持っておられる公正というものを考えてみると、
確かにそれはエホバの素晴らしいご性格、信頼できるという点と言えます。

また申命記の中を見てみると、
誰をも不公正に扱わず賄賂を受け取ることもないと書かれています。
権力を持つ人だけに目をかけ優遇することもありません。
エホバは偏見やえこひいきをされることも決してありません。
崇拝する人たち1人1人を、どんな生い立ちの人でも変わらずご自分に引き寄せてくださり、自分の知識や知恵や公正さを表してくださっています。
畏れる人を受け入れてくださっているということは、本当に公正な神と言えるのではないでしょうか。

「女性が自分の乳を飲ませている子を忘れたり,
自分が産んだ子を思いやらなかったりするだろうか。
たとえ女性たちが忘れたとしても,
私があなたを忘れることは決してない」。(イザヤ49:15)

母親が子供に対して抱く強い愛情を引き合いに出して、
ご自分を信頼する人をどれほど愛しているかを伝えてくださっています。
母親と子供は生まれて母乳を与えることによって、
すごく密接な関係、強い絆が結ばれると言われています。
しかし残念なことに、母親であっても一概に子供を愛するわけではありません。
子供に対して残酷なことをする人たちもいます。

しかし聖書の中でエホバは決してあなたを忘れることがない、
最大の愛を示してくださると約束してくださっています。
不完全な母親が無力な子供に同情を示すことを怠ることがあっても、
エホバは信頼する人に同情を示さなかったり忘れたりすることは
決してないと保証してくださっています。
この神の愛の表明は、極めて強力なものそしてご自分の保証として与えてくださっているということを考えると、
確かに愛の神は決して私たちを見捨てることがない信頼できる方であるということを理解することができます。

いくつかの神の持たれる性格について考えましたけれども、
それ以外にも、神の名前の意味を考えてみると、なぜ神を信頼すべきかがよくわかります。

「私は自分がなろうとするものとなる」。さらに言った。
「イスラエル人にこう言うように。
『私はなるという方が私をあなたたちの所に遣わした…
 エホバが私をあなたたちの所に遣わした』。
 これは永遠に私の名であり,私はこの名によって代々記憶される」。
  (出エジプト記3:14,15)

エホバという名には「ならせる」という意味があることがわかります。
多くの学者はこの言葉について、
エホバはご自分の望むことを必ず成し遂げると保証してくださっていると述べています。
エホバは決めたことを達成するために必要なものに、
必ずどんなものにでもなられると保証してくださっています。

エホバに対する深い畏敬の念を抱くことができるのではないでしょうか。
不完全な人間に対して、ご自分の望むものに必ずなって成し遂げてくださると保証してくださっています。
エホバが決めたことはその通りになり、誰も何もそれをとどめることができないとご自分のお名前にかけて保証してくださっています。
そのことを考えてみると、確かにエホバこそ信頼することができる方であると理解することができます。

そのような神であるエホバに対して、信頼をどのように表すことができるのでしょうか?
3つの大切な点で努力が求められていきます。

「自分は賢いと思ってはならない。
 エホバを畏れ,悪から離れよ。
 そうするなら,体が癒やされ,骨が元気になる」。(格言の書3:7,8)

エホバに対する信頼を表す点で1つ目に重要なのは、
自分は賢いと思ってはならないということです。

エホバの言う通りにすれば本当に幸せになれるだろうかと思う人たちもいます。
そういった考えの人たちは、自分の知恵や同じように考えている人々の知恵に従って行動します。
幸福感を味わっていると思っても一時的なものであって、
満たされない喪失感や望まれない結果を経験するでしょう。
多くの人は、自分や仲間たちの知識に従ってしたいことをしたり、
どういった事を刈り取るのかということを考えないで行動しています。
しかしそれは本当の満足感や幸福感を与えるでしょうか?
決してそういったものを得ることができません。
様々な事柄を努力したとしても、満足を経験することがありません。

しかし聖書を調べ、エホバの知識や知恵を取り入れて、
エホバのお考えに従っていく生活を送るのならどうでしょうか?
ベストな決定をすることができ、自分の身を守ることもできます。
道徳的に腐敗したこの社会にあって、身体面でも感情面でも保護を受けることができます。
それはどこからも与えられることがない本当の幸せではないでしょうか。
失われることがない幸せを経験することができます。

これは神の知識に従っていく、神に依り頼む事柄の重要性を表しています。
基準に従うことでエホバへの信頼を表していく必要があることがわかります。

「あなたの貴重なもの,全ての産物の初物を捧げてエホバを敬え。
 そうすれば,あなたの倉は満杯になり,
  大おけは新しいぶどう酒であふれる」。(格言の書3:9,10)

貴重なものを持ってエホバに仕えるようにと勧めています。
これは人にとって貴重なもの、時間や才能や体力などを指しています。

残業し一生懸命仕事をして、生活に必要なものを得るためのお金なども得ることはできるかもしれません。
しかしエホバに喜ばれる生活をすることはできません。
この時間仕事ではなく王国会館に来てエホバが何を求めておられるのか、
またエホバがどういう風に愛されるのかを学んで、
学んだ事柄を自分の生活に当てはめて自分の時間や体力を使うことによって、
エホバから喜ばれる生活を送ることができます。

自分の貴重なものを持ってエホバへの崇拝を最優先にすることによって、
エホバを信頼していることを表していくことができます。

「わが子よ,エホバの矯正を拒否してはならない。
 その方の戒めを嫌悪してはならない。
 父親がかわいいわが子を戒めるように,
 エホバは愛する人を戒めるからである」。(格言の書3:11,12)

懲らしめとか矯正と聞くとどんなことを頭に浮かびますか?
もしかすると罰を与えられている感情があるかもしれません。
しかし聖書で言う懲らしめは良いもの、私たちにとってプラスになるものです。

エホバは愛に動かされて、私たちを正し教育し訓練してくださいます。
私たちが神の愛のうちにとどまり、永遠の命の道を歩み続けられるようにするためです。
エホバは聖書や出版物また親から、集会さらには長老たちを通して、
エホバから愛され正確な道を歩むことができるようにサポートしてくださっています。

私たちは皆不完全なので、エホバからの愛ある矯正を誰でも必要としているのではないでしょうか。
間違った道を歩む恐れがあるからです。
エホバからのこのような教育や矯正を喜んで受け入れることによって、
私たちは正しい道を歩み続け、エホバから愛される道を歩むことができます。
ですからそれを喜んで受け入れるということは、
エホバへの信頼を表すということになることが理解できます。

エホバを信頼しエホバとの特別な関係に入る人だけが、
エホバの愛ある住まいから十分な益を得て、祝福を今でも将来も得ることができます。
しかしバプテスマを受けてエホバとの特別な関係に入ったとしても、
その後に間違いを犯してしまうのではないかと心配して、
その道を歩むことを躊躇ってしまう方もおられます。

エホバはいつも私たちを教えてくださり、正しい道に導いてくださっています。
エホバのその指示に従って自分を形作っていくのならば、
不完全なので罪を犯すとしても、正しい道に戻してくださり、
重大な罪を犯すことはないのではないでしょうか。
さらに間違いを犯したとしても、エホバは決して見捨てることはない方です。
そしてご自分から助けたいという思いが強い方です。
そして何よりもエホバは快く許してくださる方です。

ですから、エホバがそのような教えまた矯正を与えてくださることを恐れたりするのではなく、エホバの側に1歩進むことによって、
エホバからのたくさんの祝福を得ることができます。

エホバを信頼することがなぜできるのか、エホバへの信頼をどのように表すことができるのか、いくつかの点を聖書から知ることができました。
それで是非、エホバへの信頼を強めることにしましょう。

「わが子よ,あなたが私の言葉を受け入れ,私のおきてを大切にするなら,
 知恵に耳を傾け,識別力に心を向けるなら,
 さらに,理解力を叫び求め,識別力を求めて声を上げるなら,
 銀を求めるようにそれを求め続け,隠された宝を探すように探し続けるなら,
 その時,あなたはエホバへの畏れを理解し, 神についての知識を見つける」。
 (格言の書2:1-5)

受け入れ大切にするなら、蓄えまた求め続け探し続ける努力を払うのなら、
識別力に心を向けることができると述べています。
そして単に注意を払うのではなく、その教えを意欲的に受け入れるならば、
神についての知識に溢れると保証してくださっています。
それは1人1人が歩む上でのしっかりとした道筋を照らすものとなることがわかります。

意欲的にエホバについて学び続けることにしましょう。
そして信頼を深めることにしましょう。
知識と知恵を取り入れ続けてください。
そこで学んだ事柄を役立てるのなら、エホバを確信することができるということが保証されています。
(格言の書3:26)
それでこれからもエホバを確信するための努力を払っていきましょう。
そして間違いを犯したとしてもエホバの矯正を受け入れることによって、
エホバの道にしっかりと従い続ける努力を払っていくことにいたしましょう。