現在地球上の幾億もの人々が貧困や飢餓、人種的また民族的な憎しみや内戦に苦しみ続けています。
ご存知の通りロシアやウクライナをはじめ、中東での争いも激化してきています。
ロシアがウクライナに侵攻を始めてすぐに、200万人以上がウクライナから近隣の国々に避難し、約100万人が国内の別の地域に避難を余儀なくされたようです。
2023年の記録では1億1730万人が紛争や迫害などが原因で多くの人が家を追われました。
74人に1人全世界の人口の1パーセント以上が故郷を追われている計算になります。
この数字は年々増加し続けていて、大勢の人々が難民となって他の国々で生活しているのです。
今戦争や紛争という苦しみを実際には経験してはいなかいなかったとしても、
病気や犯罪また家族の諸問題、感情的な苦しみなどから誰もが逃れたいと感じているに違いありません。
特に苦しみの最たるものである死は、これまで多くの人たちを苦しめてきました。
死への恐れのために、何百万もの人々が多くの宗教やその支援に安心を求めようとしてきています。
自分自身で意識的に安心を求めているかどうかに関わりなく、全ての人は安心感や将来の希望といった信頼できる心の拠り所を、可能なら永続的にそうしたものが得られる場所をずっと探し求め続けている状態です。
しかしこの世が約束している安心は失望に至ります。
なぜそう言えるでしょうか?
「人には正しい道に思えても,最終的に死に至る道がある」。
(格言の書14:12)
正しいと信じで行ってきたことが、実は間違いだったり欺かれていたり、
善意のつもりでしていても残念な結果に終わるということがあることをこの聖句は教えています。
例えば人々を教え安心できるはずの宗教は、
教えていることと実際に行っていることがあまりにかけ離れているので、安心をもたらすことができません。
またどんな政治体制も、人々の生活や安心感を保証するどころか、
見いだすことさえもできていません。
またどれだけお金を求めたとしても、決して満たされることはなく、
安心というよりむしろ心身を疲弊させ不安や失望を得ることになっているのです。
私たち人間は一体どこに行けば良いのでしょうか?
人類はどんな種類の避難所を必要としているのでしょうか?
まず私たちがどこに注意を向けるかは非常に重要です。
世の中では起きている問題や結果ばかりに注意が向けられるかもしれませんが、
そもそもこの世の中で真の安心という避難所を得ることはできませんから、
根本的な原因、理由の方にまず目を向けなければなりません。
「全てを聞いた今,結論はこうだ。
真の神を畏れ,その方のおきてを守りなさい。
人の務めはそれに尽きる」。
(伝道の書12:13)
この言葉から永続する幸福や自分の命が、神と神が言われたことに従うことと決して切り離すことができない関係にあることがわかります。
生活の中にエホバとの関係がどうしても必要であるということを意味しています。
それは当然のことなのではないでしょうか。
人間は神によって創造されたからです。
ただ動物のように食べたり活動したりするだけではなくて、エホバに頼り、神の導きや支えを必要とするように創造されているからです。
人は自分で自分を導けず、神だけが人間を導くことが目的になります。
(エレミヤ10:23)
1人1人の人生に唯一意味を与えることができる方はエホバだけです。
では現在、多くの人はなぜこれほどまでに不安や失望を経験したり、
真の避難所を得ることができていないのでしょうか?
それは人類史の最初に原因があります。
「あなたが妻の言ったことに従い,
『食べてはならない』と私が命じた木の実を食べたので,
あなたのせいで地面は災いを被った。
それであなたは,
地面から食物を得るために生涯ずっと苦労する。
地面にはいばらとアザミが生え,
あなたは野の草木を食べなければならない。
あなたは額に汗して食物を得,やがて地面に戻る。
そこから取られたからだ。
あなたは土なので土に戻るのである」。
(創世記3:17-19)
これは最初の人間夫婦であるアダムとエバが故意にエホバに背き、エホバとの関係を捨てた結果、これからの生活がどうなっていくのか、エホバから宣告されている場面です。
当然楽園のようなエデンの園からは追い出され真の神から引き離されました。
そして骨の折れる重労働をしながら食べ物をやっとの思いで見出し、
辛い状況で生計を立てていくという生活が残りました。
さらに神に背いたことの結果として、年老いて死ぬことにもなったのです。
最初の人間夫婦が自分たちの避難所であるエホバを退けたことにより、
現在どんな結果になっていますか?
「このような訳で,1人の人によって人類に罪が入り,
罪によって死が入り,
こうして,全ての人が罪人になったために,
死が全ての人に広がったように―」。
(ローマ5:12)
1人の人アダムが犯した罪の結果、後の世代にもそれが受け継がれる結果となりました。
多大な苦しみが今も残り続けています。
死や戦争犯罪飢饉、身体面や感情面の不完全さ病気など、
多くの人々が逃れようとしているもの全てが残ってしまったのです。
では神との関係を自分なりに築いていれば、物事はクリアされるでしょうか?
クリスチャンであると自負していたとしても、
エホバを求め続け、エホバのもとに避難していないなら意味がありません。
私たち1人1人は、生活の中で優先順位を常に調べていく必要があります。
エホバとの関係やエホバの望まれることを
私は第一に行っているだろうか?
自分はエホバを本当の意味で避難所としているだろうか?
こんなふうに自問できるでしょう。
エホバ神を避難所とすべき理由について少し考えてみましょう。
「エホバの名は強固な塔。
正しい人はその中に走り込んで保護される」。
(格言の書18:10)
地震の際に発生する津波の被害から身を守るために、
海のそばに避難用の高い塔が建てられていることがあります。
もし大きな地震があって、津波が来ることが知らされたにもかかわらず、 そこに
逃げ込む努力や行動を起こさないとしたらどうなるでしょうか。
当然、命が失われてしまいます。
エホバも同じように強固な塔のような特別な避難所となってくださいます。
難しい状況に直面した際は特に、エホバを知りエホバだけに頼り、
エホバから見て正しい生き方をすることによって、
保護を求めて塔の中に走り込むことができるのです。
避難するためのエホバの備えが、なぜ私たちの助けになると言えるでしょうか?
格言の聖句にもあったように、エホバのお名前の意味を考えるとわかります。
エホバのお名前には「彼はならせる」という意味があります。
これには、目的の達成のために自分が何らかのものになるだけではなく、
創造したものを何らかのものにならせて物事を導いていくことを意味しています。
神が目的を果たすために状況に応じて必要なものとなってくださるということは、
私たちがどんな種類の苦難に直面していたとしても、
1人1人の状況に合わせて、どんな方法を使ってでも助けてくださる、
つまり避難所となってくださるということです。
エホバを自分の避難所とするのであれば、
神が求めておられる基準を知って、それに沿って生きる必要があります。
「ですから,王国と神から見て正しいこととを
いつも第一にしなさい。
そうすれば,こうしたほかのもの全ても,
あなたたちに与えられます」。
(マタイ6:33)
王国と神から見て正しいことを行うよう勧められています。
エホバの王国についてよく学んだり、他の人に語ったり、
神の道徳基準に従って生活するなら全て与えられると書かれていました。
生活上必要なものだけでなく、
安心や安らぎといったものもエホバは与えてくださいます。
実際にエホバがどんな備えを用意してくださっているか、
具体的にもう少し考えてみましょう。
備えの1つは、独り子による贖いの犠牲です。
この贖いによって避難するための戸口が開かれている
と言っても過言ではありません。
贖いとは、囚われた状態などから人を解放するために支払われる代価のことです。
「イエスは私たちの罪を償うための犠牲です。
私たちの罪だけでなく,全人類の罪のためです」。
(ヨハネ第一2:2)
イエスは、人類史の初めからずっと続く罪と死から
人間を解放するため、また神と私たちを和解させるために、
自分の命を犠牲にしてくださいました。
おかげで私たちは罪から清められ、
神との親密な関係に入る道が開かれたのです。
そしてこの贖いおかげでエホバ神に祈ることができ、
エホバを避難所とすることができるのです。
でもエホバは本当に私たちの祈りを聞いてくださるでしょうか?
「しかし神は聞いてくださった。
私の祈りに注意を払ってくださった」。
(詩編66:19)
ただ漫然と聞くのではなく、注意を払って聞いてくださることがわかります。
雑踏の中で誰か知らない人の声だったり、
乗り物の音が耳に入ってきて音が聞こえている
というような状態ではなくて、自分のすぐ目の前で向き合って、話してる内容を聞いて理解しながら会話しているような場面を思い浮かべるとよいかもしれません。
そういう聞き方をエホバはしてくださるということです。
もし自分が願った通りに祈りが聞かれない場合はどうすれば良いでしょうか?
すぐにでも問題を解決してほしいと思うことがあるかもしれません。
でもエホバは、助けを与えるための1番良い時をご存知です。
すぐに聞かれなかったとしても、あとはエホバにお任せしたいと思います。
では、祈りはどのように避難所となるでしょうか?
例えば、悪魔であるサタンからの様々な攻撃、
不完全さゆえの身体的な苦悩、感情的な苦難、
こうした問題に直面したとしても自分の心の内をエホバ神に注ぎ出すことによって、神に助けを祈り求めることができます。
「民よ,いつでも神に頼れ。
あなたの気持ちを全て神に伝えよ。
神は私たちの避難所」。
(詩編62:8)
何か文章を読み上げるときのようにただ述べたりとか、
暗記した言葉をただ繰り返すというのではなくて、
幼い子供が父親になんでも気兼ねなく話す時のような
祈りをするようここでは勧められています。
このように何でもエホバ神に語りかけるように祈るときに、
エホバを真の避難所とすることができるでしょう。
祈りは単に感情的な効果があるだけではありません。
エホバはどんな状況でも本当に内容を聞いて、
助けることがおできになります。
ヨナはその一例です。
ヨナはエホバから大切な役割を与えられていたにもかかわらず、
神の意志に反した行動を取りました。
その結果3日3晩、身動きの取れない辛い思いをしました。
そのような状況で彼は神に祈り、自分の間違いを認め、
思いの丈を全てエホバに打ち明けました。
するとエホバはその状況に介入してヨナを助けました。
祈った内容と調和した行動をしているなら、
必ずエホバは聞き届けてくださいます。
もし祈りの答えが期待したものでなかったら
どうすれば良いでしょうか?
もしかしたら、エホバの目的や意向
またタイミングがあるのかもしれません。
すぐ祈りが聞かれなかったとしてもひたすら熱烈に祈るなら、
思ってもみない仕方で安らかな気持ちを与えてくださるに違いありません。
これからもイエスの贖いを通して祈りという方法で
エホバを避難所としてまいりましょう。
さらにどんな備えがあるでしょうか?
それはエホバの聖なる力によって導かれた地上の組織です。
地上の組織は避難所となります。
ものみの塔誌目ざめよ!誌をはじめ、
JWブロードキャスティングなど、
組織を通して提供される様々な助けに、
私たちは心から感謝しています。
こうした助けは、悪魔の策略や自分の不完全さと戦う点でも、
絶えず変化していく世が提供する間違った知識の餌食にならないよう、
聖書のアドバイスを通して私たちを守ってくださっています。
またインターネット上などで掲載されるエホバの組織への批判とか背教的な教えからの保護という面でも助けになってくださっています。
エホバの組織のおかげで、私たちは聖書から助言を正しく理解したり、適用できるようにもなっています。
世のカウンセラーや心理学者たちは、
エホバが示しておられるような知恵と理解に近づくことを決して望めません。
その方の理解力は計り知れないのです。
著名な人たちの知恵や自分自身の無知な感情に頼るのではなく、
エホバと聖書とクリスチャン会衆の長老たちに頼って助言を得るようにしましょう。
もちろんある種の専門家は、私たちのある種の状況では助けになってくれるかもしれませんが、
エホバは全ての状況において私たちを助けてくださる避難所です。
ですから、これからもエホバの組織を信頼し、そこで得られる助けを避難所とするようにいたしましょう。
さてこの組織の中では、具体的にどんな備えがあるでしょうか?
「1人の王が正義のために統治する。
高官たちが公正のために治める。
彼らはおのおの,風から逃れるための場所,
暴風雨から避難するための場所,水のない土地に流れる水,
乾き切った土地にある大岩の陰のようになる」。
(イザヤ32:1,2)
「高官」とは、現代のクリスチャン会衆の長老たちを指しています。
彼らは神の基準を守って会衆を清い状態に保つ責任があります。
重大な問題を扱ったり、必要な時には聖書に基づく助言を愛情を込めて与えることさえあります。
今の世の中は問題で溢れています。
誰もが元気をもらいたいと思っているに違いありません。
長老たちは会衆1人1人の話をよく聞いて、感情移入をしてくれる大きな存在です。
エホバにとって兄弟姉妹は大切な存在であり、愛されているということを実感できるようにも助けてくれます。
このようにして、クリスチャン会衆の長老たちは慰め、また避難所となってくださることでしょう。
もし長老の方からあなたに近づいて何か話をする際は、びっくりなさらないでください。
皆さんのことを大事に思っているので、気兼ねなくなんでも話すことができます。
さらに、私たち1人1人が意識できる備えもあります。
ヘブライ10章24,25節では、会衆の集会で集まり合う大切さについて述べられています。
この集会は、互いを気遣ったり愛を表す重要な場となるに違いありません。
集会のプログラムはもちろんのこと、
前後の交流や仲間のコメントを聞いたり、自分もコメントに加わること
また賛美の歌を一生懸命歌うとき励まし合うことができます。
1人1人がそれらを心掛けるなら、集会はとても爽やかな避難所となるでしょう。
ジョージという58歳の兄弟は、健康上の問題を抱えていて、
膝が酷く痛み、心臓の問題や糖尿病の合併症もあるので、
集会に行くのが本当に大変なようです。
でもこの兄弟は頑張って出席して、エホバが用意してくださった
素晴らしい歌を楽しんでおられ、帰る時にはいつも来た時より
ずっと気分が良くなっていると述べています。
そして44番の謙遜な人の祈りの歌を会衆で初めて歌った時、
涙が溢れて心から感動し、補聴器から聞こえてくる
みんなの声に合わせて一緒に歌いました。
集会に出席できて本当によかったです。
どんな問題があったとしても、
集会から得られる益を自分の避難所とするなら、
辛いことを乗り越える力をもらうことができます。
これからも集会を欠かさないようにいたしましょう。
近い将来、全ての偽りの避難所は瞬く間になくなってしまいます。
でも私たちは永続する避難所を知っていて、今その中で安心して生活しています。
そして、永遠の命を保証しているのもエホバ神だけです。
引き続きエホバに関する知識を取り入れ、
聖書にある原則をよく適用して、
エホバとも個人的な良い関係を維持し続けてまいりましょう。
エホバは避難するための備えを活用するよう、
多くの人を招待しておられます。
もしまだこの避難所に避難していないのであれば、
ぜひご招待したいと思います。
そしてこの避難所から迷い出ることなく、
とどまり続けることも強くお勧めいたします。
エホバはイエスの贖いの犠牲によって、罪深い人間が再び
ご自分と親密な関係を築けるよう取り決めてくださいました。
ではこの備えにこれからも信仰を働かせて、
神が唯一用いている組織から出される指示に
喜んで従いたいと思います。
ほんのもう少しすれば、
この世の中にあるもの全てが跡形もなく消え去ります。
それでどうぞエホバの下でエホバの望まれる仕方で
避難し続けることを決意なさってください。
そうするなら、安心と平和が行き渡った楽園となった地上で、
あなたもあなたの家族も、
友人やエホバを愛する大勢の仲間と共に、
永遠にわたって生き続けることができるでしょう。