コロナウイルスという言葉を頻繁に耳にするようになってから、もう4年が経ちます。最近また感染が拡大しつつあり第10波に入ったとも言われています。
まさか1つのウイルスの影響がこんなに長く続くとは思わなかったという方が多いのではないでしょうか。
私たちエホバの証人は、このような世界的な流行病のまん蔓延が、世界の終わりが近づいているしるしの1つであるということを多くの人たちに伝えています。
世界の終わりというテーマは、多くの人にとって度々耳にすることがあるのではないでしょうか?
皆さんも人類滅亡を題材にしたテレビ番組や映画などを目にしたことがあるかもしれません。
終わりに関する予測が世間を騒がせるということもありました。
ノストラダムスの大予言を覚えておられるでしょうか?1997年7月に人類が滅亡するというものでした。
古代マヤ暦が終わる2012年12月21日に地球が滅亡するという予測もありました。
こういった予測を信じた人たちもいましたが、予測通りのことが起きることはありませんでした。
では、聖書が述べている予告についてはどうでしょうか?
本当に聖書が言う通りに世界は終わるのでしょうか?そのことを信じるだけの証拠はありますか?その終わりを生き残るための方法はあるのでしょうか?
今日はこうしたことをご一緒に考えていきたいと思います。
まず聖書に書かれている終わりに関する過去の事例について少し考えてみたいと思います。
西暦1世紀にイエス・キリストが予告したエルサレムの終わりについてです。
私たちはそこから大切な教訓を学ぶことができます。
「さて,イエスが神殿から去っていく時に,
弟子たちが近づいてきて神殿の建物を指し示した。
それでイエスは言った。
『この全てを見ているのですか。はっきり言いますが,
石がこのまま石の上に残って
崩されないでいることは決してありません』」。
(マタイ24:1,2)
イエスはエルサレムの神殿が完全に破壊されることをお告げになりました。
弟子たちにとってそれはとても衝撃的なことでした。そのことを聞いた弟子たちはどう思ったのでしょうか?
「イエスがオリーブ山の上で座っていると,
弟子たちが自分たちだけで近づいてきて,言った。
『教えてください。そのようなことはいつあるのでしょうか。
あなたの臨在と体制の終結のしるしは何ですか』」。
(マタイ24:3)
弟子たちはその衝撃的なことがいつ起きるのか知りたいと思いました。
それでイエスは、エルサレムの滅びが近いことを示すしるしについて教えられます。
そこでイエスは言った。
「誰にも惑わされないように気を付けなさい。
私の名を使う人が多く現れ,『私がキリストだ』
と言って多くの人を惑わすからです。
あなたたちは戦争の音や戦争の知らせを聞きます。
動揺しないようにしなさい。
これらのことは必ず起きますが,終わりはまだなのです。
国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がり,
あちらこちらで食糧不足や地震があります。
これら全ては苦しみの激痛の始まりです」。
(マタイ24:4-8)
どんなしるしについて述べられていたでしょうか?
5節を見ると、偽キリストが現れることになっていました。さらに戦争や地震や飢饉の知らせも聞くことになっていました。
一世紀の歴史家であるフラビウス・ヨセフスによると、こうしたしるしは実際に起こったようです。
しかし、しるしはそれだけではありませんでした。
「エルサレムが陣営を張った軍隊に囲まれるのを見たなら,
その時,荒廃が近づいたことを知りなさい。
その時,ユダヤにいる人は山に逃げ始めなさい。
都の中にいる人はそこを出なさい。
田舎にいる人は都に入ってはなりません」。
(ルカ21:20,21)
イエスはエルサレムの滅びを逃れるために行動を起こす明確な時をはっきりとお示しになりました。
ではどのようにその逃れるべき時を識別することができたのでしょうか?
イエスの死後30年以上経った西暦66年。当時のユダヤ人たちはローマによる支配に苦しめられていました。
ユダヤ人が暴動を起こしてローマからの独立を主張し、それに対してローマはすぐに行動を起こします。
ゲスティウス・ガルス率いるローマ軍が、ユダヤ人の反乱を沈めるためエルサレムの近くまで攻めてきました。それでユダヤ人たちは安全な神殿まで退くことにします。
ローマ軍はどうするでしょうか?神殿の外壁の下を掘り始めます。
それによってユダヤ人たちはパニックに陥りました。
イエスは、エルサレムが陣営を張った軍隊に囲まれるのを見たなら、その時そこから逃げるようにと警告されました。イエスが語った状況が、まさにその時生じていました。
しかしローマ軍はこれといった理由もなく撤退し始めます。イエスの弟子たちはその間にエルサレムから逃れることができました。
そして西暦70年、ローマ軍は再びやってきてエルサレムを完全に滅ぼしました。
イエスの予言を聞いていた人たちはしるしとなる証拠を見て行動を起こしたので、生き延びることができました。
ですが全ての人がそのイエスの警告に従ったわけではありません。
イエスはこのような予告もしておられました。
「敵があなたの周りに先のとがった杭で柵を築き,
あなたを完全に包囲する時が来るからです。
敵は,あなたとあなたの子供たちを滅ぼし尽くし,
あなたの中で石を石の上に残したままにはしておきません。
あなたが,検分されている時を見分けなかったからです」。
(ルカ19:43,44)
イエスは大勢の人たちが起きていることの意味を理解せず、警告に従わないということを預言しました。
実際イエスが預言した通りになり、大勢の人が命を落とす結果になりました。
イエスが語ったこの予告は、今の時代に住む私たちにとって警告となります。
イエスが語った終わりに関する預言の多くが、西暦33年から西暦70年までに実現しました。
しかしイエスが語ったその予言は、今の時代の私たちとも関係があります。
イエスが述べたしるしは、私たちが生きている今のこの時代、特に1914年以降大規模に実現しているからです。
イエスは「国民は国民に、王国は王国に敵対して立ち上がる」と予告されました。
1914年には第1次世界大戦が勃発しました。それは単なる二国間同士の戦いではなく、いくつもの国家が国民全体を巻き込んで行った戦争でした。一般人も動員されて世界人口の93パーセントが巻き込まれたとされています。
その後もっと破壊的な第2次世界大戦が起こりました。そして、今も戦争は起きています。
確かにイエスが語ったこの予告は、1914年以降実現しているのではないでしょうか。
食糧不足があるというしるしについてはいかがですか?
ウクライナ戦争と気候変動の影響で、世界の食料供給が今大きな打撃を受けています。
少し前の報告になりますが、世界的に見ると約7人に1人は毎日の食べるものに不足しているようです。
アフリカのある部分ではその割合がさらに高く、3人に1人がいつも飢えた状態でいると言われています。
そして、毎年およそ300万人の子供が餓死によって死亡しているという残念な報告もあります。本当にすごい数ではないでしょうか。
科学が進歩したこの時代にこれほどの規模で食糧不足が生じているということは、イエスが語ったしるしが今、実現していることの証拠ということができます。
地震があるというしるしについてはどうですか?
1914年以後の大きな地震の年間地震発生率は、それ以前と比べてとても高くなっているそうです。
今年の初めにも北陸地方で大きな地震がありました。その後もインドネシアや中央アジアでマグニチュード7の大きな地震が起きています。
イエスは、様々なところで大きな地震があり、それがこの時代の特色となるということを述べておられました。
皆さんは今の世界の状況を見て、どうお感じになられますか?確かにこのしるしも実現していると思われるのではないでしょうか。
イエスの活動記録を書いた聖書筆者のルカは、この時イエスが語った「あちらこちらで流行病がある」というしるしも記録しています。
話の冒頭でも述べましたが、このしるしについても今確かに実現しています!
ここまでで、イエスが語った終わりに関する預言が、今の時代にも実現しているといえる証拠について考えることができました。
確かにイエスが予告したことが今、生じています。
でも今考えた点だけでは、今の時代が終わりの時であるとは考えにくいと感じる方もいらっしゃるかもしれません。
証拠となる別の点についても考えましょう。
「見ていると,白い馬が現れた。
それに乗っている者は弓を持っていた。
そして冠を与えられ,征服しに,
また征服を完了するために出ていった」。
(啓示の書6:2)
この騎手はイエス・キリストを表しています。ここではイエスに冠、つまり王権が与えられて、イエスが征服するために出ていく様子が描かれています。
イエスは1914年に天で王として支配を開始されましたが、これはその時の様子を預言的に描写した記述です。
啓示6章の預言では、イエスのすぐ後を3人の騎士たちが乗り進む様子も描かれています。
この騎手たちが乗り進むことは、イエスが支配を開始した後に世界情勢が急速に悪化することを示しています。
それぞれの馬と騎手が象徴的に表す、戦争、食糧不足、伝染病などの死因となることが事柄が増えることを意味しています。
この説明を聞くと、先ほど考えたマタ24章の預言と同じことが言われていることにお気づきになられたのではないでしょうか?
啓示6章のイエスが支配を開始した後に起こることと、マタイ24章で終わりのしるしとして挙げられたことが一致しているのはたまたまなのでしょうか?
イエスがマタイ24章の中で挙げたことは、終わりのしるしであるとともに、「イエスの臨在」のしるしでもありました。
イエスが支配を開始した後に起こることを述べている啓示6章の記述が一致しているというのは偶然ではないと考えるのが普通ではないでしょうか。
そして啓示の書がいつ書かれたかもポイントになります。西暦96年頃に書き終えられたということになっています。
https://www.jw.org/finder?wtlocale=J&docid=1001070071…
ではマタイ24章で語られた預言が最初に実現したのはいつでしょうか?それは、西暦70年です。
ですから啓示の書は、エルサレムの滅びの26年後に書かれたことになります。
しかし啓示の書には、マタイ24章の預言と内容が一致している部分があるということです。
ですからイエスが語ったマタイ24章の預言が、西暦70年だけではなくさらに将来にも実現すると考えるのは、道理に叶ったことと言えるのではないでしょうか。
今考えた点に加えて、今が終わりの日であることを示す証拠は他にもあります。
「このことを知っておきなさい。
終わりの時代は困難で危機的な時になります。
人々は自分を愛し,お金を愛し,自慢ばかりし,
傲慢で,神や人を冒瀆し,親に従わず,
感謝せず,不忠実になります。
自然な愛情を持たず,全く人に同意しようとせず,中傷し,
自制心がなく,乱暴で,善いことを愛しません。
人を裏切り,強情で,思い上がり,神ではなく快楽を愛し,
信心深く見えても実際には神を敬っていません。
こういう人たちから離れなさい」。
(テモテ第二3:1-5)
ここでは終わりの日に広く見られる人々の行動や態度について列挙されています。
テレビやネットニュースなど見ても、児童虐待や家庭内での暴力、お年寄りを食い物にするオレオレ詐欺、不倫などについて本当によく取り上げられています。
能登半島地震の時には、被災して大変な状況の人たちに付け込む卑劣な犯罪についても多く報道されていました。
今、本当にこのような態度を示す人たちが多く見られるのではないでしょうか?
ですからこのテモテ第二3章の預言も、今確かに実現しています。
ここまでで、マタイ24章の終わりのしるしが1914年以降大規模に実現しているということ、終わりの日に人々がどんな態度を示すかを予告したテモテ第二3章の預言も実現していることを考えました。
このように聖書預言は、私たちが今終わりの時代に生きているということをはっきりと証明しています!
ある人たちは、こうした証拠を目にしたとしても、この世界が滅びるという話を馬鹿にするかもしれません。
1世紀のエルサレムの滅びの時もそういう人たちがいたに違いありません。
しかし、しるしに目を留めるということはとても大切なことです。
そのことを示すある出来事について少し考えてみたいと思います。
2004年12月26日。インドネシアのスマトラを震源とするマグニチュード9.1の地震が発生しました。
この地震は、観測開始以来3番目の規模となる非常に大きな地震でした。
地震が発生した後、津波がインド洋沿岸の広範囲を襲って、この地震と津波による死者は22万人以上に上ったと言われています。
当時、この地域を対象とした津波警報システムがなかったので、津波は不意に人々を襲いました。そのために多くの死者が出ていると思われます。
そのような中で、スマトラ北東沖のシムレー島は、津波の最初の被災地だったにもかかわらず、7万8000人いた島民のうち亡くなったのは7人だけでした。
なんでそれほど少ないのでしょうか?
島民の間にはこのような言い伝えがありました。「強い地震が起きて海の水が引いたら山に逃げろ、水はすぐに戻ってくる」というものです。
シムレー島の人たちは、過去の経験から、海に変化があったら津波が来るということを知っていました。
その警告を心に留め、そして津波の予兆となるしるしを見て実際に行動したので生き延びることができました。
先ほど考えたエルサレムの滅びの時もそうではないでしょうか。
終わりのしるしを見極め行動した人は滅びを逃れることができました。
私たちはこのことを警告として思いに留めておきたいと思います。
今が 聖書が言う終わりの日であるということは明らかです。
今こそ行動を起こす必要がある時です。
では、どんな行動を起こす必要がありますか?
「これらのものは全てこのように溶解するのですから,
自分がどんな人になるべきかを考えてください。
聖なる振る舞いをし,神への専心を行動に表し,
エホバの日が来るのを待ち望み,
それについていつも考えましょう」。
(ペテロ第二3:11,12)
使徒ペテロはこの世の滅びに言及した後に、どう行動すべきかということを述べました。
滅びが間近に迫った時であるという認識を行動で表すようにとペテロは勧めました。
生き方を変化させて、神の好意を得るようにする必要があります!
どうすれば神の好意が得られますか?
聖書を学び、学んだことを実践することによってそうできます。
もし定期的な聖書研究をしていないという方がおられるようでしたら、ぜひそうするようにお勧めしたいと思います。t.co/REdyiKUiXa
すでにエホバに仕えている人も行うべきことがあります。「エホバの日が来るのを待ち望み」「それについていつもを考え」る必要があります。
いつも考えるという部分のギリシャ語は、字義通りには早めているという意味があります。
エホバの日がいつ来るかということは定められていますので、私たちがその日を早めることはできません。
しかしその日を待つ間、早く来るように感じるための行動を取ることはできます。エホバへの奉仕に忙しく携わることによってです。
私たちは人を愛し、助けたいと思うので伝道を行います。
ですから、私たちは人々に真理を伝えることができるように、
ぜひ具体的な目標を持って
宣教に取り組むようにしたいと思います。
どんな目標を立てられるでしょうか?
もっと家の人を気遣うことができますか。
普段の生活でもっと多くの人に
話しかけることができるでしょうか。
より多くの人に会うことを目標にできるかもしれません。
そうするために犠牲を払って
自分の予定を調整する必要があるかもしれません。
私たちがこのように目標を持つとやる気が出て
この宣教奉仕という大切な仕事に
もっと打ち込むことができます。
この人々に真理を伝えるという活動は、
世界の終わりが来る前に急いで行うべき大切な務めです。
ですから、それを一生懸命行うようにしたいと思います。
先ほどのシムレー島のことを考えてみてください。
もし皆さんが海の水が引いていくのを確認して
避難している最中に、そのしるしを気に留めず
避難していない人がいたとしたらどうされますか?
そのしるしについて伝えて、
避難するようにと促すのではないでしょうか。
聖書が述べる終わりに関しても、
私たちはまさに今その状況にいます。
今自分にできることをじっくり考えて、
熱意を込めて宣教奉仕に取り組んでいくように
していきたいと思います。
私たち1人1人が最善を尽くして
エホバへの奉仕を一生懸命行っているなら、
あっという間に終わりが来るまでの時間が
過ぎていくに違いありません。
そのようにして、
私たち1人1人がエホバの日を早めていきましょう。
.
パウロが続く部分で語った言葉にも注意を向けたいと思います。
「それで,愛する皆さん,
これらのものを待ち望んでいるのですから,
最終的に汚点も傷もない平和な人と
神に認めていただけるよう,
最善を尽くしてください」。
(ペテロ第二3:14)
この聖句は何を教えていますか?
私たちが終わりを生き残るために
真剣な努力を払う必要があるということです。
間もなく終わろうとしている今のこの世の中は、
貪欲、暴力、不道徳といった
エホバが憎まれるもので溢れています。
私たちは、サタンが支配するこの邪悪な世界と一緒に
拭いされることがないように、
聖なる状態を保たなければなりません。
そのために神の基準を堅く守り、
世の汚れに染まることがないように固く決意しましょう。
私たちが見るもの聞くこと行うことを
エホバはどうお感じになるかいつも考えるようにして、
エホバに喜ばれるものとなることを
ぜひ意識して努めていきたいと思います。
.
聖書預言と歴史的な証拠を見れば、
今が終わりの日であるということに疑いの余地はありません。
そうであれば、間もなくこの世界には終わりが訪れます。
世の中の多くの人たちも、世界が終わるかもしれない
という漠然とした不安を抱いていますが、
私たちは今が聖書が言う終わりの日であり、
間もなく終わりが来るということを知っています。
さらに、どうすればその終わりを生き残ることができるか
も知ることができています。
行動を起こす必要がある時は今です。
終わりの日の証拠が明らかな今、
私たちに求められている行動を今取るように決意しましょう。
ここにいる私たち全てが、
定められている終わりを生き残ることができるように、
1人1人がこれからも最善を尽くしてまいりましょう。
そして1人でも多くの人が生き残ることができるように、
救いの音信を熱心に宣べ伝えてまいりましょう。