暴力的な世界における良いたより

暴力的という言葉は、今日の私たちの周りの世界を的確に描写している言葉と言えるかもしれません。

日本でも毎日のように暴力的なニュースが報じられています。

最近では川口市でタクシー運転手が金を出せ脅されて拳銃のようなもので撃たれて重傷を負うという事件がありました。

さらにコンビニで万引きをした人を店員が追いかけていったところ刃物で刺されるというニュースもありました。

保護観察者が観察者の人に刺されるというニュースもありました。

本当に暴力が蔓延っているために、私たちの日常の活動は本当に影響を受けているのではないでしょうか。

どのように移動するのか、どの時間に外出を控えるべきか、何を避けるかを皆さんも考えていると思います。

「『暴力だ!』と叫び続けても,聞いてもらえない。

 私は助けを求めて叫ぶが,公正に扱ってもらえない」。

 (格言の書19:7)

皆さんも助けを叫び求めても聞いてもらえなかったり、公正に扱ってもらえないことがあったかもしれません。

国際的に見ても暗殺とかテロや民族紛争などがますます頻繁に起こるようになっています。政治とか宗教に関係のある活動家も犯行に加わっています。

さらに今、戦争も行われています。

ハイチの人々はギャングによる破壊行為に苦しめられています。ラテンアメリカだけでなく南アフリカやメキシコでも暴力行為が広がっています。

暴力行為が減っている地域でも窃盗事件によって人々の安心や安全が脅かされています。

「彼らは,悪を行わないと眠れず,誰かを倒れさせないと眠りを奪われる。

 彼らにとって,悪事はパンであり,暴力はぶどう酒である」。

 (格言の書4:16,17)

悪事が日常生活のと同じようなことだと述べています。

平和を好む市民や通りすがりの人が本当にしばしば被害に遭っているのではないでしょうか。

人々は失望して暴力がさらにひどくなることを恐れています。

この世界の暴力の背後にあるものについて、これから少し考えてみたいと思います。

聖書には不法と暴力が溢れていた過去の時代について記されていて、暴力の真の原因を洞察することができます。

そうした時代の出来事を私たち調べていくならば、今日の出来事の意味を一層明確に理解することができるでしょう。

1.暴力行為は大洪水前に頻発していた

「そのため,エホバは,地上の人々がひどく邪悪で,

 考え方全てが常に悪いのを見た。

 …地上は,真の神から見て堕落していて,暴力があふれていた」。

 (創世記6:5,11)

洪水前には奪略とか暴力が溢れていたことが書かれています。

その暴力行為の大部分は、堕落した天使たちとその力ある子孫が引き起こしたということです。

「真の神の子たちは,人の娘たちが美しいことに気付くようになった。

 そして気に入った女性たちを妻にしていった。

 …その頃,またその後にも,地上にネフィリムがいた。

 真の神の子たちが人の娘たちと関係を持ち,生まれた子たちである。

 ネフィリムは,古代の人々の中でよく知られた,力の強い者たちだった」。

 (創世記6:2,4)

ネフィリムは天使たちと人間が結婚して生まれた子ですが、人間の倍ぐらい大きな、力がある者でした。

本当に暴力を振るっていました。

皆さんがこの場にいたら、どのように行動していたでしょうか?

暴力を終わらせるための希望の源として、エホバに依り頼んだでしょうか。

神は暴力を嫌っておられたことに注目するのは、私たちの励みとなります。

「それでエホバは言った。

 『私が創造した人を地上から滅ぼそう。

  家畜や空を飛ぶ生き物や地面を動く生き物も。

  私はこれらのものを造ったことを嘆いているからだ』。

 しかし,ノアはエホバからの好意を得ていた」。

 (創世記6:7,8)

ノアは好意を得て救われました。

けれども神は暴力を終わらせることを意図され、この大洪水によって暴力を実際に終わらせました。

2.西暦70年以前のエルサレムにも暴力が溢れていた

ユダヤ人はエホバを崇拝してると唱えていました。けれども指導者たちは人々を党派に分裂させる傾向があり、反乱を煽ることさえしていました。

神は背後に追いやられて、宗教上の敵意とか利己的な目標が第一にされていきました。

不法が増すという予告もありましたけれども、その通りになっていきました。

クリスチャンに対する暴力的な迫害が含まれていました。

こうした事態はやがてローマに対する暴力的な反乱に繋がって、ユダヤ人の体制全体が滅びる結果になりました。

西暦70年にティツス将軍のローマ軍が攻めてきたところでこのエルサレムが滅ぼされたということです。

3.暴力は今日頂点に達している

ではこの世界の暴力の背後にあるものは一体何なのでしょうか?

「私たちが知っている通り,私たちは神から出ていますが,

 全世界は邪悪な者の支配下にあります」。

 (ヨハネ第一5:19)

この世界の暴力の背後に悪魔サタンがいることを理解することができます。

サタンが全ての人の考え方や行動を操ろうとしているということです。

例えばマスメディアによって知恵を広めていると言えます。その知恵は動物的で悪霊的で闘争的であると皆さんも感じていることでしょう。

テレビ映画ゲームなどではどうでしょうか?人々は刺され殴られ銃で撃たれ吹き飛ばされるということも見られます。暴力は本当に当たり前のものとなっています。

その影響はどうでしょうか?

子供たちや若い人たちは本当にその影響を受けていると皆さんも感じているに違いありません。

では皆さんはこの暴力に対して、神とキリストと同じ見方をすることができるでしょうか?

まずエホバについて考えてみましょう。

「エホバは正しい人と悪い人を調べ,

 暴力を愛する人を憎む」。

 (詩編11:5)

エホバは暴虐を愛する人に敵しておられるということがわかります。

今日の人々が暴力を普通のことと見なすとしても、神は変わってはおられません。

では、神の御子イエスはどうでしょうか?

イエスはイザヤ9章6節の中で「平和の統治者」と呼ばれています。

イエスは暴虐を行ったことは一度もありませんでした。

したがってイエスが邪悪な者に神の裁きを執行されるときは、義にかなった行為がなされることを私たちは予期できます。

神は今、暴力から離れてご自分の恵みを得る機会を個々の人々みんなに与えておられます。

聖書の記述でニネベという町は、悪い人たちで満ちていました。

神はヨナを遣わしてそこに裁きを下すということを知らせましたがニネベの人たちは悔い改め、エホバは許されたという記述があります。

ですから悪の道、暴虐から離れる機会を与えておられることもわかります。

「暴力的な人をうらやんではならない。その人のやり方をまねしてはならない。

 エホバは,欺く人をひどく嫌い,正直な人たちを親しい友とするからである」。

 (格言の書3:31,32)

暴力的な人を羨んではならない、やり方を真似てはならないと書かれています。

こうしたことをいつも念頭に置いておく必要があります。

例えば世の中では、富を得たり名声を得たり、もしかしたら権力を得ている人がいるかもしれません。

羨ましいと思うでしょうか?

創造者との親密さという祝福を得てはいないということを、いつも私たちの思いに留めて置きたいと思います。

世界が本当にますます暴力的になる様子を見て、私たちは次のように尋ねるかもしれません。

事態はどこに向かっているのだろうか?今日、良い便りはあるのだろうか?

皆さんもそう感じられることがありますか。

「エホバ,私はいつまで助けを求めて叫ばなければならないのですか。

 あなたは聞いてくださらないのですか。

 私はいつまで暴力からの救出を願わなければならないのですか。

 あなたは介入してくださらないのですか。

 私に悪事を見させるのはどうしてですか。

 圧制を見過ごしておられるのはどうしてですか。

 私の前に破壊や暴力があるのはなぜですか。

 口論や争いがあまりにも多いのはなぜですか」。

 (ハバクク書1:2,3)

皆さんもこのように感じたことがあるのではないでしょうか。

気落ちして希望はないと感じることもあるかもしれません。

しかし安心してください。良いたよりはあるのです。

エホバとイエスは、現在の暴力に目を瞑ってはおられないってことです。

「エホバの目はあらゆる所にあって,悪人と善人を見ている」。

 (格言の書15:3)

エホバの目が天から悪人と善人を見てあらゆる所を見張ってくださっていると思うと安心するのではないでしょうか。

エホバだけではなくイエスも、邪悪な者の遥かに上にいて見張ってくださっています。

この暴力と悪の完全な終わりは間もなく実現します。私たちは保護されるための印を付けていただくことができます。

これは確かに良いたよりであると言えるでしょう。

エホバはエルサレムで生じていたことに目を留めて、義に沿って行動し西暦前607年に滅ぼされました。

エホバが力で介入されるに先立って、心を痛めていた人たちには命を救われるための印が付けられました。

それによって、バルク、エベド・メレク、レカブ人など忠実な人たちは生き残ることができました。

今日の人々で、この世界の暴力に身の毛もよだつ思いをして、真理をもってエホバに仕えることを望む人もそうです。その命が救われるということです。

暴力的な世界の終わりを確実に残るため私たちにできることがあります。

これもまた良いたよりであると言えるでしょう。

大洪水以前の暴力的な世界が終わりを迎えた時、ノアとその家族は生き残るために何をすべきかをわきまえていました。

「ノアは,全て神に命じられた通りにした。まさにその通りにした」。

 (創世記6:22)

100パーセントエホバに命じられたことを、ノアは行うことができました。

創世記6章を見ると、ずっと最初から神がノアに命じたことが書いています。

どんな風に箱船を作ってどんなものを集めたりするのか事細かな指示が与えられましたけれども、ノアは何十年にもわたってそれを行い続けました。

宣べ伝えることも行いました。

まさにその通りに行うことができました。ですから箱船から出て地に降り立つことができたわけです。

西暦66年にはどんなことがあったでしょうか?

ガルス将軍がローマ軍を引いてエルサレムを包囲し、なぜか知らないですが撤退しました。

その時にクリスチャンはどんなことを行ったでしょうか?

「エルサレムが陣営を張った軍隊に囲まれるのを見たなら,

 その時,荒廃が近づいたことを知りなさい。

 その時,ユダヤにいる人は山に逃げ始めなさい。

 都の中にいる人はそこを出なさい。

 田舎にいる人は都に入ってはなりません」。

 (ルカ21:20,21)

このように指示が与えられました。従った人たちは命が救われました。

先ほどのノアと同じように、全て神からの指示に従うならば命が救われるいうことを私たち知ることができます。

暴力に染まらないようにするだけではなく、警告に従う必要もありました。

それは生き残り保護されるために必要なことでした。

ノアや一世紀のクリスチャンたちのように聖書を学び続け、聖書を研究して得た信仰に調和して積極的な行動を取れば、生き長らえることができるということです。

聖書を通してたくさんの指示が与えられていますし、エホバは忠実な組織を通してたくさんの指示を与えてくださっています。

その指示に従うならば、私たちは生き長らえることができるということです。

そのように従い続けることによって、悪や暴力のない新しい世に入ることができるということです。

これは最も良い知らせではないでしょうか。

暴力を愛する邪悪な者たちは、この新しい世の一部になることを許されず、絶滅させられるということです。

「エホバ神が賛美されますように,イスラエルの神が。

 その方だけが驚くべきことを行っています。

 神の輝かしい名が永遠に賛美されますように。

 神の栄光が地上全体に満ちますように。アーメン,アーメン」。

 (詩編72:18,19)

素晴らしい楽園のような状態に変えられて、暴力も何もなくなります。

ではこれからも、暴力に対する態度と神に仕える行動によって、その場にいることができるよう最善を尽くして努力してまいりましょう。