あなたはどんな価値基準を大切にしますか

あなたはどんな価値基準を大切にしますか。

1世紀のローマの哲学者が述べたこんな有名な言葉があります。

「目指すべき港を知らなければ、純風なるものは存在しない」。

この言葉は、人生の方向付けをするには目標がどうしても必要であるということを言い表しています。

目的地とか目標がなければ、延々と彷徨うことになります。

目標を達成していくには、強い意欲が必要です。

あなたのあなたの今の目標は何ですか?と聞かれたら、皆さんは何と答えますか。

それぞれの答えがあると思います。

世の中にはセルフコントロールと言われる、目標達成のためにコツコツと行動を継続するための動画やサイトがあります。

また自己啓発のための本などが出回っていて、そうしたものはすごくヒットしています。

世の中の多くの人は、人生を有意義なものとする価値基準を探し求めているということがわかります。

自分にとってどんなものを価値あるものとみなすかによって、目標とかその優先事項は決まっていきます。

聖書もこのように教えています。

「皆さんがより重要なことを見極め,

 キリストの日までずっと純粋でいて,

 人の信仰を妨げることがありませんように」。

(フィリピ1:10)

私たちは何を目標にできるでしょうか?

具体的にどういうことに焦点を合わせていくことができるでしょうか?

そうしたことをよく考えるならば、より重要なことを見極めることになります。

適切な価値基準を持つならば、遣り甲斐のある目標を定めてそれを実現していくことになります。

それで私たちは自分の価値基準をよく分析して、それに沿って歩むとどうなるか確かめるのは、良いことと言えます。

私たちはどんなことを目標にするでしょうか?つまり自分の目の焦点をどこに合わせていくでしょうか?

一般的に多くの人が追求する目標と、クリスチャンがピントを合わせていくべき目標には違いがあるのでしょうか?

いい学校を出ていい大学へ行っていい仕事に就きなさいというのが一般的な よく聞くフレーズかもしれません。

一般的に、多くの人は富を重視する傾向があります。

高収入の仕事や有利な投資など、物質的な目標に焦点を合わせていきます。

では、聖書は何と述べているでしょうか?

「富を得ようとして疲れ切ってはならない。

 そうするのをやめて理解力を示せ」。

(格言の書23:4)

物質的な目標を中心とした生活を送るなら疲れきってしまう、つまり失望に至るということを教えています。

「目をやると,そこに富はない。

 それは必ずワシのように翼を生やして空に飛び去る」。

(格言の書23:5)

お金に羽が生えたように飛んでいくという言葉を聞いたことはないでしょうか。

生活に追われ、稼いでも稼いでもどんどんお金が消えていくという時に使う表現かもしれません。

鷲は時速130キロを超えるスピードで飛んだという報告もあります。ソロモンは富やお金が空に向かって飛び去る鷲のようだということでこのような表現をしました。

ずっと貯めてきたお金が一晩のうちになくなってしまうということもあります。

地震台風洪水といった自然災害で、家もお金も失ってしまうことがあります。

円安がずっと続いていて景気の波が本当に不安定です。インフレによって物価の上昇が止まりません。

突然経済が破綻してしまう国もあることを考えると、富やお金があるという安心感は長く続くわけではありません。

お金をたくさん得ることを目標にしたとしても、翼を生やして飛んでいく鷲のようだと言えます。

勿論聖書は、お金を稼ぐことが悪いと言っているのではありません。

食事をして光熱費を支払って生活をしていくには、お金がないとやっていけません。

しかし自分の体が壊れるほど、また家族にもっといい暮らしをさせると言って家庭が壊れてしまうほど働くでしょうか。

「お金を愛することは,あらゆる悪い事柄の根」になり、「裕福になろうとする人たちは」身の破滅に至ると聖書は教えています。(テモテ第一6:10)

それでバランスを取ることは、とても大事なことと言えます。

いい大学いい仕事というように、名声や目立つ地位を重視する人もいます。

高い教育を受けてあるいは独自の才能やスキルを磨いて有名になることを目標とするようにという見方です。

小さいうちから何でも1番でなければダメなんだ、ナンバーワンになりたいという目標を持つとどうなるのでしょうか?

そうした名声の追求は競争心を生み、分裂や争いが生じます。

「自己中心的になってはなりません。競い合ったりねたみ合ったりしないようにしましょう」と聖書は教えています。(ガラテア5:26)

皆さんは、5年前あるいは3年前に凄く有名だった人を誰か思い出せますか?名前を挙げてみてくださいと言ったら誰が上がるでしょうか?

名声を得て一時的にすごく有名になったとしても、数年後あるいは数十年後にはすっかり忘れ去られてしまいます。

「賢い人も愚かな人も,人の記憶にいつまでも残ることはない。

 月日がたつと誰もが忘れ去られる」。

(伝道の書2:16)

名声というものは儚く、人に命を与えるものとはなりません。それでも富や名声を得るということを目標にするでしょうか。

一般的に人々が焦点を合わせる目標とか価値基準を考えてきました。

私たちはどんなことを目標にしてピントを合わせていけるでしょうか?

聖書はどんな素晴らしい価値基準について述べているでしょうか?

富や名声というのは人に命を与えるものとはならないことを考えました。

どんなことも生きているからこそでき、味わうこと喜ぶこと楽しむことができます。

それで私たちにとって最も価値があることは、命の与え主である神様との良い関係にあるということです。

「あなたの揺るぎない愛は命よりも価値がある。

 私はあなたをたたえる」。

(詩編63:3)

この「あなた」とは、エホバつまり神様のことです。

命よりも価値があるものそれは、エホバから愛されエホバを愛すること。

これは生きているからこそできることであるということを詩編作者は認めていました。

エホバとの良い関係、つまりエホバを愛しエホバを喜ばせる生き方をしてエホバから愛されること、これが本当に価値のあることと言えます。

そのことに私たちは焦点を合わせていきたいと思います。

では神とより良い関係になるために、エホバとの絆をより強いものにするためにどんなことが必要なのでしょうか?

その1つは、エホバとその目的に関する知識を取り入れ、神からの知恵を身につけるという点です。

「知恵を得る人,識別力を身に付ける人は幸せだ。

 知恵を得ることは銀を得ることに勝り,

 それを手にするのは金を手にするよりも価値がある。

 それはサンゴよりも貴重で,あなたが望むどんなものもこれにはかなわない。

 長寿が右の手にあり,富と栄誉が左の手にある。

 知恵の道は心地よく,その通り道はどこも平穏である。

 知恵はそれをつかむ人たちにとって命の木であり,

 しっかりとつかんでいる人たちは幸せな人と呼ばれる」。

(格言の書3:13-18)

ここで言う知恵とは、エホバからの知恵、エホバについての知識のことを表しています。

エホバから教えられることは、お金では買えない本当に価値のあるものであることを聖書は教えています。

毎週毎月集会で教えられていること、聖書に書いてあること、聖書をベースにしている動画の内容というのは、世界中のセミナーとか講演会を探したとしても、このエホバの証人の集会以外どこにも見つからないはずです。

普段の生活に密着した事柄、例えば対人関係とか家族関係のこと、夫婦や親子へのアドバイス、世界情勢とかサイエンスの根拠となるもの、ありとあらゆる角度でエホバからの知恵を得られるというのは、本当に貴重で価値のあることと言えます。

神とより良い関係になるための2つ目の点は、神の望むことを行うという点です。

イエスは言った。「私の食べ物とは,私を遣わした方の望むことを行い,与えられた仕事を成し遂げることです」。(ヨハネ4:34)

食事をするとお腹がいっぱいになって満足感が得られ体が養われます。

同じように神の望むことを行うと、喜びが得られ信仰が養われます。

本当に疲れていて調子もイマイチで、集会や伝道に行くのも気乗りしないけど頑張って行ったら終わって帰る頃には爽やかな気分になって、これからも頑張ろうという気持ちになったことはないでしょうか。

霊的な意味で満腹になって信仰が養われるので、イエスは私の食べ物とは、神の望むことを行い、それを成し遂げることと述べていたのです。

エホバとの絆をより強くするためにできる3つ目の点はどんな点でしょうか。

「全てを聞いた今,結論はこうだ。

 真の神を畏れ,その方のおきてを守りなさい。

 人の務めはそれに尽きる」。

(伝道の書12:13)

エホバのおきてを守り、それに従うこと。これがエホバとの絆を強める3つ目の点です。

聖書からエホバのおきてをより深く知ることができます。

エホバのおきては、雁字搦めの堅苦しいルールというものではありません。

エホバが願っておられるのは私たちの幸せであり、エホバの求めている事柄は、私たちの福祉を考えての事柄です。

例えるならば、メーカーの製作者が商品の最善の使い方を知っているのと同じです。その商品のことを熟知していて、何かトラブルが起きても対処の仕方もよく知っています。

最高のクリエイターとも言えるエホバは、私たちの人間の作りをよくご存知で最善の益を心にかけて、おきてを聖書に書き記しました。

そのおきてには、私たちへの愛が反映されています。

それで私たちは、エホバという神様に本当に喜んで頂きたいという思いで、生活の様々な問題を解決する際に、この聖書に頼り、常に物事を神の方法で行うことで、神との良い関係を築き、より強いものとしていくことができるのです。

エホバの知恵を取り入れること、エホバのご意志を行うこと、エホバのおきてを守り従うことで、エホバとの絆をより強めていくことしましょう。

聖書の価値基準は、霊的な目標を持ち霊的なことに焦点を合わせていくようにと励ましています。

アメリカで慈善事業に1億ドルもの寄付を行っている裕福なビジネスマンはこのように述べました。

「お金に魅せられる人もいるが、一度に2足の靴を履ける人はいない」

日本にも2足の草鞋を履くという言葉がありますが、富を得ようと奮闘しながら、同時に神に仕えることはできないことを示しています。

この世は富を蓄えることとか、物欲をあおるような広告やCMによって、物質的なものを多く持っているということがステータスであるかのような風潮を促していますが、聖書は全く逆のことを教えています。

「今の体制で裕福に暮らしている人たちに,高慢にならないように,

 そして不確かな富にではなく神に希望を抱くように教えてください。

 神は私たちが楽しむあらゆるものを豊かに与えてくださいます。

 またその人たちに,善いことをし,立派な行いに励み,

 惜しみなく与え,進んで分け合うよう伝えてください」。

(テモテ第一6:17,18)

不確かな富にではなく、神に希望を抱くように、エンターテインメントやレクリエーションや物質的なものに自分の時間やエネルギーを奪われるのではなく、惜しみなく進んで分け合うように、つまりエホバに仕えるために、自分の体力とか時間とかお金を与えるということをぜひ目標にするようにと聖書は教えています。

エホバのことを第一にしていることを生活上で示していくということを是非目標にしてまいりましょう。

こうした目標は、若者だけが持っていれば良いというわけではありません。

若いかクリスチャンとして経験を重ねているかに関わりなく、エホバを喜ばせるために今の自分に何ができるのかをよく考えたいと思います。

目的地目標がないと延々と彷徨うことになります。

今の自分は現状維持、現状満足でしょうか?

小さなことでも大きなものでも、何か目標を持つことができるでしょうか?

目標を達成するには強い意欲が必要です。若い人も経験ある人も決めるのはあなたです。1人1人よく考えてみたいと思います。

多くの人が追求する目標と、クリスチャンが焦点を合わせることのできる目標について考えることができました。

遊びや娯楽から得られる満足というのは一時的ですが、神の価値基準に従うなら今、真の喜びが得られ、永遠に渡る幸福の見込みも持てます。

物質的な観点にピントが合っていると、霊的な観点がぼやけていきます。

富やお金という近視眼的な目標に焦点を合わせるのではなく、永遠の報いをもたらす価値ある物事を是非目標にしていきたいと思います。

聖書の価値基準を大切にする人には、幸福で安全な将来が保証されています。

「あなたは命の道を私に知らせてくださる。

 あなたの前にはあふれる喜びがある。

 あなたの右には永遠の幸せがある」。

(詩編16:11)

聖書の価値基準を大切にして、エホバを喜ばせる生き方に焦点を合わせているならば、永遠の幸せが保証されているということを聖書は教えています。

エホバのことを第一にしていることを示せる方法というのは、実に様々な方法があります。

若い人も経験ある人もクリスチャンとしての目標にピントを合わせて、これからも共に努力していくことに致しましょう。

裏付けとなる聖書の言葉は、

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