聞いて学んだことを実行しましょう

皆さんはヘレン・ケラーをご存じでしょうか。
よく有名な伝記に取り上げられる人物です。

この人は生まれながらにして、目が見えなくて、
耳が聞こえなくて、 最初は喋ることもできない
三重苦の障害を負った方です。
また生涯を通じて、障害者の地位向上であったり、
世の中に障害者が活動できるような道筋を作った人物です。

この人がある時「もし可能なら、目か耳どちらかがな治るなら、あなたはどちらが治ってほしいですか」と尋ねられたそうです。
もし皆さんでしたら、 どちらが治ってほしいと思いますか。

ヘレンケラーは、聴覚、つまり耳が治ってほしい と答えました。
なぜかというと、音やまた会話を通して
コミュニケーションを図ることができるようになったり、
多くの情報を 耳を通して知ることができるからだと答えました。

私たちは普通耳から多くの情報を得ているっていうことを日々認識するってことは、あまりないかもしれません。
興味深いことに、イエス、キリストは地上におられた時、
聞くことの大切さを弟子たちに繰り返し言われたことがありました。

この聞くという能力を、
皆さんはどれほど高く評価しておられるでしょうか。

ある専門家は、私たちの知っていることの85パーセントが
聞いて学んだことであると述べました。
しかしそれと同時に、 多くの社会問題の根底には、
その聞く能力の乏しさがあるということも提言しています。
聞く能力の低下によって社会の問題が生じているということです。

私たちの信仰というのは、
聞いた事柄から生じると聖書は述べています。
(ローマ10:17)
この聞くという事柄に 私たちはとりわけ
注意を払わなければならないっていうことがわかります。

私たちが普段何気なく聞いている事柄であっても、
この耳の働きを認識することが、信仰を強めていく
という認識を持つことは非常に大切です。

聞いた事柄を自分の生活に生かすことを、
大抵の人たちは日常生活の中で自然に行っています。
例えば天気予報で、今日は日差しが強くなるので
日傘を持っていった方がいいですよとか、
雨が降るので折り畳みさ傘を携帯してくださいとか、
そうした報道がなされます。

そうすると、皆さんは傘を鞄の中に入れたり、
雨具の準備をしながら出かけるかもしれません。
それはまさに聞いた事柄を実践している証になります。
実際に 日差しが強いところで日傘がると本当に助けになります。急に雨が降ってきても、折りたたみ傘があれば、
その雨を防ぐことができます。
まさに聞いて実行した事柄が、
その人の生き方に良い影響を及ぼしているわけです。

聖書の言葉も同じです。
聖書で聞いた事柄を、自分の生き方の中にどのように 生かしていくか。それは聞いた本人にかかっています。
それを生かすか、それとも聞き流すか。
それによって意味は大きく異なっていきます。
ですので、 聞いたことから行動に結ぶということは
非常に大切であるということがわかりま す。

「自由をもたらす完全な律法をじっくり見て守る人は,
聞いてすぐに忘れるのではなく,行動します。
そのような人は幸せになります」。
(ヤコブ1:25)
このように聖書を述べています。
完全な律法、これは聖書の中に書かれている原則または律法のことです。
それを聞いてもすぐに忘れてしまうのではなくて、
行動することの大切さをここでは示しています。
行動することでその人が幸せになると聖書は約束しています。

皆さんは、聖書の方針を聞いて、
それを実際に実行することによって、
確かに幸せであったりとか、幸福を感じることがありますか。
また、それによって自分の生き方が大きく変わっていった
ということを経験してこられたことでしょう。

スペインに住むイソリナ・ラメラという方は、
13歳の時にお姉さんと一緒に修道院に入りました。
そこでは毎朝必ず礼拝堂に行って聖書の朗読を聞く
という習慣があったようです。
しかし、ぼうっとして耳を傾けていなかったので、
何も理解できなかった。そしては神が遠い存在のように感じたということでした。

その後修道女を辞めて、
今度は共産主義団体に属するようになり、
世の中を正義感を持って改革しよう
という気持ちを持っていた方だったので、
共産主義の文書を配布したり、
デモ行進に加わるようになりしました。
ちょうどその頃、自分は何のために生きているのだろうか、
社会を回復しようとすることに価値はあるのだろうか
と考えるようになりました。

一度は宗教に疑問を感じ、聖書を捨てましたが、
ある時、エホバの証人が自宅を訪ね、
その方に苦しみや不公正や不公正について質問したのですが、
驚いたことに、どの質問にも聖書から伝道者は答えてくれました。
ずっと朗読を聞いていたのにもかかわらず、
答えを得ることができなかったその聖書から、
今度は エホバの証人からその答えを聞けるようになったのです。

聖書の教える真理を正確に知ったので、
何のために生き、 どう生きるべきかが
はっきりわかるようになりました。
聖書の中に書かれているように、
今度は聖書の真理を他の人に伝えるという活動に転じました。
https://www.jw.org/finder?wtlocale=J&docid=2014244&srctype=wol&srcid=share

私たちもただ聖書の話をぼーっと聞き流しているだけであれば、
どんなに良い事柄がそこで話されたとしても、
自分に影響がないということがこの方の経験からわかります。
意識し 意欲的に耳を傾けることによって、
聖書の真理は確かにその人の生き方に影響を及ぼします。

聞いて学んだことあるのを実行するという点で大切なのは、
この方の経験にもあったように、
聖書のメッセージを 他の人に伝えるという事柄に影響を及ぼしてきます。

イエス・キリストは地上におられた時に、
良い聞き方をする人が 実を生み出すということを、
弟子たちにおっしゃいました。
(マタイ13:18-23、マルコ4:20)

日常生活の中で、人の声とか音楽騒音風や雨の音、
物理的に聞こえてくる音を拾う時に、
「聞」くという言葉が挙げられます。
自分関係のない音は聞き流し、
関心のある音だけを無意識に拾っていく。
これが「聞く」という時にあげられる字です。

マルコ4章20節の参照資料付き聖書の「聴く」という漢字は
違う字が当てられています。
https://www.jw.org/finder?wtlocale=J&pub=Rbi8&srctype=wol&bible=41004020&srcid=share
これは能動的に聞くことです。
これはエネルギーや努力が必要で、
注意をして人の言葉を聞くこと、人の言うことを理解し、
心に受け入れる。 注意して耳に入れる内容を知る。
そういう意味合いの時に、
この「聴」くという漢字が当てられるそうです。

そのことを意識しながら、 マルコ4章の記述を見ますと、
良い実を生み出す人たちはそういう聞き方をしている人で、
イエスはそういう聞き方をしなさい、
そういう聞き方をした人は、イエスと同じように弟子を作る活動
にあずかる人になりますよということをお話しになりました。

クリスチャンの活動に熱心な人、とりわけ王国の良い知らせを
一生懸命自分のベストを尽くして知らせる人たちは、
聞いて従って実行している人たちであるということがわかります。

では、私たちはどうでしょうか。
ベストを尽くしてそれにあずかっているのであれば、
聞いて従い行動に移している、そういう人物に自分も
なれているという安心感であったり自尊心を保つことができます。
そこまで自分はちょっとまだ行ってないかなと思うのであれば、
ぜひベストを尽くすように努めていきたいと思います。
そうすることによって、イエス・キリストが言われていたような
生き方をしている、そういうクリスチャンになれている
ということの証になるのです。

では、 どういう聞き方をする必要があるのでしょうか?

「神の言葉を実践する人になってください。
聞くだけの人になってはなりません。
…神の言葉を聞いても実践しない人は,
鏡で自分の顔を見る人に例えることができます。
その人は自分を見ますが,そこを離れると,
自分がどのような人かをすぐに忘れてしまいます」。
(ヤコブ1:22-24)

ここで聞くに相当するギリシャ語には、
ユダヤ教徒が行ったように、聖書の公の朗読を聞いている人たち
の意味合いが込められて、 ユダヤ教徒は週末になると
近隣の会堂に出かけていって、聖書の教えを聞いていました。
しかし、 そこから1歩出ると
自分の生活に戻ってしまう人たちが多かったようです。

聖書が繰り返し読まれて、約束のメシアに関する預言について
言及されていたにもかかわらず、
イエス・キリストが到来した時、
そのメシアを受け入れるどころか退ける行動になりました。
つまり、聞いてもそれを実行していなければ
信仰が育っていなかったことを当時の人たちは示していたわけです。

私たちはどうでしょうか?
家に帰れば未信者の家族がいます。
あまり聖書の事柄ついてよく思わない家族もいるでしょう。
職場や学校に行けば、そうした聖書の原則であったり、
聖書の規律とは全く異なる生き方をする人たちがいます。
そうした人たちに影響を受けるってことも多々あります。
そうすると、聞いてもそれを忘れてしまう
ということがあるかもしれません。
そうすると、ただ単に聞くだけの人になってしまいます。

エホバは私たちに素晴らしい耳を与えてくださいました。
この器官をぜひフル活用しながら、
私たちはプログラムまたは集会に参加していきたいと思います。
どんな聞き方ができるでしょうか?

ある資料には、 耳には3つのスイッチがあると示されていました。
1つのスイッチは、音を聞くスイッチであって
いつもオンになっていて、聞こえてくる音や話し方が
そのまま耳に入ってくるようになっているスイッチです。

2つ目のスイッチは、 音や話に注意を向けるスイッチです。
関心のある音や話、自分は必要だと思える音に
注意を絞って音を聞くことができます。

3つ目は、関心を持った音や話に 焦点を絞り込み、
積極的に聞くためのスイッチです。
音の意味を読み、話を理解するために ついているスイッチです。

資料ではこの第2、第3のスイッチは、手入れを怠ると
機能しなくなることがあります。
それで点検とトレーニングを繰り返してくださいと答えています。

創造者であるエホバは、
私たちの耳にこうした素晴らしい機能を備えてくださいました。
このことに意識することによって、
私たちの生き方が非常に異ってくるということです。

皆さんは無響室という音が全く聞こえない部屋に入って
聴覚検査を受けたことがあるでしょうか。
その部屋にいると、自分たちの耳の 能力が
どんどん向上していくのがわかります。
ある調査によると、音響の全くない部屋に 30分いると、
あなたの聴力は少しずつボリュームを上げていき、
自分の体から発せられる、
普段あまり聞いたことのない音が聞こえるようになります。
心臓の鼓動が大きな音で聞こえるようになり、
1時間もすると 血液が血管を流れる音が聞こえてきます。
そして、もし耳が良ければ、心臓の鼓動音と 血液が流れる音との間にシューという妙な音が聞こえます。
これはなんと、
鼓膜に打ち付ける空気の粒子の音であると説明しています。
なんと 1億分のセンチの音を拾う、
そうした能力が人間の耳にはると言われ、
これが聴力終点だという風に資料では説明されていました。

私たちが 集会とか大会で聞くときに、
どれほど注意を集中してこの能力を上げているでしょうか。
同じことを学んでいても、
自分のその聞く事柄を意識するならば、
今までは気づかなかった事柄、今の自分に必要な事柄を
聞き漏らすことがなく聞くことができます。
ぜひこの能力をどんどん上げるようにしていきましょう。

これは年齢であったり、自分の健康状態に関係のないものです。
聞くという事柄を上げていくならば、 私たちは
同じ内容のものでも、過去に聞いたものであっても、
今自分に必要なものを理解することができるようになります。
そうすることによって、聞いたことが残るのは、
自分の生き方に表すことができるようになってくるということです。

この点で、私たちは日々努力していきたいと思います。
そのような聞き方をこれからもしていくことにいたしましょう。
そうすることによって、私たちはどんな益がありますか?

「私のこれらの言葉を聞いて実行する人は皆,
岩の上に家を建てた思慮深い人のようです」。
(マタイ7:24)
イエスはこのようにおっしゃいました。
聞いて学んだ事柄を実行することによって、
その人の信仰はしっかりとした土台を持っていることになり、
そうすることによって、問題の多い世の中に生活していても、
不安とストレスに押しつぶされないようになることができます。

イエスは、聞く事柄に注意を払いましょうとおっしゃいました。
そして、その聞き方に注意をって実行する人は幸せになる
と約束しています。
私たちもこれからもイエスがお命じになったように、
聞いた事柄に注意を払っていきましょう。
そして、それを実践することによって
クリスチャンとして成功し、
これからも幸せな道を歩んでいくことにいたしましょう。

裏付けとなる聖書の言葉は、
http://inx.lv/5yT5
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